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第九話:帰還(下)

 その夜、ランサーの宮廷で小さな晩餐があった。名のある貴族が主催をし、カイラル王と王太子も出席する予定となっていた。

 ティリンス家の時期当主であるキースももちろん招かれ、嫌々ながらもそれに参加していた。権謀術数渦巻く宮廷の雰囲気は苦手だが、キースだってこうした宴の中で情報交換をしたり名前を売り合ったりすることが宮廷で生きていくために重要なことだと言うこともよく分かっている。

 それに、本人の好むと好まざるに関わらず、キース・ティリンスの周りにはいつも小さな人だかりが出来た。その端正な顔立ちに加え、大貴族の子息にありがちな高慢なところが全くなく、嘘偽りを好まないさっぱりとした気性が、男女問わず人気を集めていたのだった。

 しばらくして、華やかな会話と音楽で賑やかだったサロンが、潮が引くように静まった。カイラル王と王太子のお出ましである。陛下も私的な催しと言うことで、公務を行なっている時よりは幾分くつろいだ服装をしていた。とはいえもちろん、王たる者の威厳を損なうことのない高級な絹地に絢爛な刺繍の入った豪華な物だった。

 人々の注目を浴びるのはカイラル王よりもむしろその隣に控える王太子の方だった。皆、帰還後、異様なほどの変貌ぶりを見せた王太子に興味深々なのである。

 キース自身も、今会場に姿を見せたシータ王子を見て、改めて思った。アリスの言う通り、研ぎ澄まされた刄のような雰囲気をまとっている。ランサー王家の血筋らしい、絹糸のようなつややかさを持った金髪を若者らしくすっきりした短髪にし、少し長めにした前髪の下に覗く空色の瞳は、彼がどんな表情をしていても、そう、たとえにこやかに笑っている時ですら、切れるように鋭く冷徹だった。失踪している間、何か彼の内面を変える大きな出来事があったのではないかと勘ぐりたくなるのも良く分かる。

 カイラル王が席に付き、杯を持って立ち上がった。

 会場がしんと静まり返り、陛下の言葉を待っていたその時だった。

 再びサロンの入り口が開き、宮廷の給仕達に半ば止められながらもそれを押し切るように突っ切ってくる者があった。

 会場が異様などよめきに包まれる。

 キースですら、手に持った杯を取り落としそうになるほど驚いた。開いた口が塞がらないとはこのことだ。

 今、会場に入ってきた少年は、薄汚れてあちこちが破れた商人風の服装をしていた。髪も汗とほこりにまみれてくしゃくしゃに乱れている。しかし、その髪は良く見れば見事な金髪だったし、瞳は鮮やかな空の色だった。肌は陽に焼けて小麦色をしている。それでも、見まごうはずはない、シータ王子の姿をしていた。


 シータは、つかつかと会場を横切り、もっともかみの席のカイラル王の目の前まで歩いて行った。そして、父王の隣に座り、今、静かな眼差しで自分を見返す少年の姿を見て、心臓が止まりそうになった。鏡を見ているかのように、自分とそっくり同じ顔をしていたからだ。

 会場中の人間が息を呑む気配を感じた。

「父上、これはいったい、どういうことです?この者は……?影武者ですか」

 シータは訳が分からず、父王を前にやっとのことでそう言った。

「影武者だと?私を影武者と申すか貴様。無礼な。私を愚弄するつもりか?そなたこそいったい何者だ?」

 父王の隣に座る少年はぱっと立ち上がり、シータを鋭く睨み返しながら早口に言った。

「なるほどな。確かに影武者と言うのも良いかも知れぬ。我が王子によく似ておるわ」

 父王ののんびりとした口調に、シータは頭にさっと血が上るのを感じた。

「な、何を……父上、あなたの眼は節穴ですか?自分の実の息子の見分けもつかないのですか!?」

 シータの声はサロン中に高く響き渡った。人々は一言も発っさず、固唾を呑んで成り行きを見守っている。誰にも、区別が付かなかった。それほどに二人の少年の姿は良く似ていた。

「わしの眼を節穴と申すか小僧。影武者に使ってやってもよいと思ったが、そこまでの無礼を許すことは出来ぬ。どうせ物の怪か魔術士の類であろう?この場で斬ってその正体、暴いて見せようか」

 カイラル王は杯を置き、腰から剣を抜き放った。

 会場がどよめく。

「なっ……父上、なぜ私が分からないのです?お願いです、きちんと私を見てください。シータ・ファルセウスはこの私です!」

 そこで急ぎ進み出た青年の姿があった。長い金髪を束ねた、確かティリンス家の嫡男だ。

「まことに恐れながら申し上げます陛下。この者をここで斬って捨てるのは簡単なことですが、きちんとこの者がどこの何者なのかを正し、その上で刑に科した方が良いのではございませぬか。」

 ティリンス家の青年は、父王の前で深くひざまずきながら進言した。

「……ふん。たしかに今は宴の席だ。こやつの処遇は後でも良かろう。牢にでもぶちこんでおけ」

 シータは信じられない面持ちで父王の姿を見返しながら、つまみ出されるように牢へ連れられて行った。


「なにそれ、シータ様が、二人?いったいどういうこと?」

「分からない、まったく、何が起きているのか。本当に、瓜二つなんだ。だが、今日現われたシータ様の方が」

 キースは言って、自分の言葉の奇妙おかしさに笑いだしそうになりながら続けた。

「より“本物”らしかったんだ。ここ一ヵ月で苦労をされたのだろう、肌は陽に焼けていたし少し痩せられていた。髪も少し長くなっていた。そして何より、シータ様らしい、晴れた空のような済んだ眼をされていた」

 キースは先に還った方のシータ王子の、切れるような冷たい眼を思い出しながら言った。表情を見れば歴然だ。

「だが、奇妙なのは、二人のシータ王子を目の前にした陛下の反応だ。陛下は少しも驚かれた様子がなかった。普通、もっと驚いて、どちらが本物かを見極めようとするはずだろう?だが、そんな様子は少しもなく、ただ今夜現われた方のシータ様を偽物と決め付けて、あげくその場で斬り殺そうとした。……おかしいとは思わないか?」

 アリスも頷いた。

「なるほど……そうね。私は現場に居なかったから想像することしか出来ないけど、……どちらかは王子によく似た偽物、もしくは、……陛下が驚かれなかったと言うことは、本当に王子様なのかも知れないわ。シータ様の他に、カイラル王に男子が居たのかもしれない。双子の兄弟、とか?」

 シータ王子はカイラル王のたった一人の王子のはずだった。シータの母親は、王子を産むときに亡くなり、彼女を溺愛していたカイラル王はその後も、后をむかえることはなかった。しかし、后をむかえることがなったと言うだけで、別に関係のある女性が居た可能性は十分にあるし、隠し子が居たからと言ってなんら驚くことでもない。

 しかし、キースはそんなアリスの言葉を半ば否定した。

「いや、俺はむしろあれは……」

 キースは少し口籠もりながらも続けた。

「おかしなことを言っていると笑わないで欲しいが、あれは、魔術の類ではないかと思った」

「魔術?」

「ああ。あの、冷徹な眼差し。それに、陛下の最近のご様子。なぜ陛下はあの王子の意見をあそこまで尊重するのか。なぜ陛下は二人の王子を前に、迷わずあの王子を選んだのか。まるで、あの、王子の姿をした少年に、心を奪われてしまったかのようだ。あの少年、いや、もしかしたら、あのシータ王子に瓜二つな姿の、皮を一つ剥いたら、とんでもない者が隠れているのかもしれない……」

「いつも冷静なキースの言葉とも思えないわね。魔術だなんて。……でも、魔術師が表舞台に、しかも一国の国政に関わって魔術を使うなんてなんてこと、有りえるのかしら?」

 魔術師は普通、世間に干渉を持ったりしない。世間の人々とは感覚の違う、超然した考えを持つ。彼らは人知を超えた巨大な力を持つが、それゆえにその力をみだりに使うようなことはしないのだ。

「だが、サーディーン・ウッディールの例があるじゃないか。」

 キースはランサーに古い時代から仕える一人の魔術師の名を出した。

「彼女は特別だわ。彼女はランサー王家に、古くから並々ならぬ思い入れを持っているようだから。それに、彼女は今まで一度も、ランサーの為に魔法を使ったことはないわ。ただ知恵を貸してくれるだけ」

「それはそうだが、つまり魔術師も、時には世間に干渉することもあると言うことの証拠なんじゃないか?」

「そうね……魔術か。今は、なんとも判断できないわ」

 アリスは首を横に振って言った。スコットの来るのを待って、彼の意見も聞きたいと思った。




「待て……!頼む待ってくれ!!私はシータだ!この姿を見れば分かるだろう?コルネイフで戦乱に巻き込まれ、ビーツ・ナインアータに助けられて、黒天馬に乗って帰ってきたんだ!」

 牢へ連れられる道々、シータは自分が自分であることをなんとか証明しようとしていた。

 しかしシータの手錠の鎖を持った兵士は、シータの必死の訴えに眉一つ動かさず、カイラル王の命令に忠実に従った。

 そして、半ば押し込められるように、シータは乱暴に牢へ放り込まれた。固い牢の床に体をしたたか打ち付けられて、シータは一瞬息がつまりそうだった。シータはその痛みに耐えながら、手錠のせいで不自由な体で地べたからなんとか起き上がりつつ、錠を下ろそうとする兵士に食い付かんばかりの勢いで叫んだ。

「私はランサーの太子だぞ!王太子たる私に、こんな……、こんな仕打ちが許されてたまるものか!お前達、いつか、今日のこの行為を、後悔する時が来るぞ!」

 シータはあまりの理不尽な仕打ちに、怒りと悔しさを押さえ切れず、兵士達を脅し付けるように声を張り上げたが、牢の錠は無慈悲に下ろされ、去っていく兵士の後ろ姿の残る闇に、シータの叫び声ばかりが滑稽なほど虚しく響くだけだった。

「……なぜだ。なぜこんなことになったんだ。」

 フィードの背に乗り、ビーツとともにランサーを目指していた時はまさか、こんなことになろうとは思ってもみなかった。

 あの、自分とそっくりな顔をした男はいったい何者なのだ。シータは何より、父王の隣で自分を冷ややかに見返していたあの男が許せなかった。父上は自分を物の怪か魔術の類と言ったが、まるで逆ではないか。父上は、なぜあんな奴のいいなりになっているのだろう。なぜ、自分をシータだと信じてくれなかったのだろう。そしてなぜ、あの場に居た物達の誰も、それを疑問にも思わず、シータを救ってくれなかったのだろう。

 考えれば考えるほど、理不尽で悔しい思いにシータは駆られた。

 そして一方で、父王はあの場ではあくまでシータを偽物扱いしたが、後ほどこっそりとシータを救いに来てくれるのではないか、そんな期待も捨てきれなかった。

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