第七話:三新星
「タリエスク将軍が亡くなったそうだ。」
「ええ、聞いたわ。」
「キース、あの噂は本当なのか?タリエスク将軍の処刑を命じたのが、シータ王子だと言うのは。」
「……それは、ありえない。どんな間違いがあったとしても、それだけは絶対にない。」
「そうよね。まさかそんなこと……」
ランサー城下の小さな酒場のカウンターで、顔を寄せ合うようにして語り合う三人の男女の姿があった。
中央に座った女性の名はアリス・シッチリグ。女性も男子とともに戦うエレスゲンデの伝統にもれず、ランサーにも多くの女流騎士がいたが、いかにも屈強な女戦士といった厳つい女性の多い中、彼女はその女性らしい愛敬ある顔立ちと仕草で、ランサー王国騎士団の中でもアイドル的な存在となっていた。ただしその愛らしい姿を侮ってはならない、彼女の剣の腕前は超一流。十八で騎士団に入団した時、二十人を越える先輩剣士を牛蒡抜きしたという伝説を持っている。
そして、そんなアリスでも絶対に敵わない相手というのが彼女の右に座るキースと呼ばれた男――長い金髪をきっちりと束ねた貴族風の男と、左隣に座る黒髪の男、スコットの二人だった。三人は士官学校に居た頃からの仲で、それぞれ国軍の騎士となった今でもしばしばこうして酒場に集っては近況を報告しあっている。そんな三人を、英雄好きのランサーの人々は、かつての英雄“三金星”になぞらえて“三新星”と渾名していた。名実ともに、ランサー王国軍の期待の新星である。
そんな三人の最近の話題はもっぱら、数週間前に帰還したシータ王子についてのことだった。
「だがキース、ネザル法相やあのコール・オドネル長官を失脚させたのがシータ王子だと言ったのはお前だぞ?」
「分かってる。だが、あの方がタリエスク将軍に処刑を命じるなどと言うことは、それだけは、ありえないことだ。」キースは重ねて言った。
「そう信じたいがなぁ…」
王宮内の政局や貴族達の近況についての情報を提供するのは、三人の中で唯一、貴族の出身であるキースの役目だった。キースは、ティリンス家という超名門貴族の若様である。彼の父親である現ティリンス家当主は政界の重鎮としてランサーの朝廷に出入りしていたが、キース自身はそうした政界の権力争いを好まず、軍人として、騎士としての仕事にばかり力を入れていた。
「シータ様はほんとに、変わられたわよね。何というか以前はもっと……まだ少年らしいあどけなさと言うか、幼さのようなものを持っていたけど、今はなんだか、触ったら切れる刃物みたいだわ」
「ああ、今まで国の政治などに全く興味を示されなかったのに、最近は毎日のように朝廷に出入りされている。これはいったい、どういう風の吹き回しだろうな」
「失踪されている間に、何かあったんだろうか」
これは皆同じ印象だった。シータ王子は帰還してから、人が変わったように政治に意見するようになった。そしてカイラル王もなぜかまだ年若いシータの意見を尊重しているように見える。
「以前は困るぐらいにぐうたらな王子だったけど、今は真逆ね。シータ様が王太子としての立場を自覚なされたなら、とても良いことだと思うけど、あれはちょっと、性急すぎだわ。あんなやり方じゃ、必ず反発や軋轢が出てしまう」
「そうだな。まさかネザル法相が職を外されるなんて、思いもよらなかった。」
「……こらこらそこのお三方、ちょっと声が高いんじゃないか?国軍の騎士がそんなこと言い合ってるなんて、朝廷や国軍の人間に聞かれてもまずいし、国民に聞かれてもまずいぞ」
酒場の店主が三人に酒を出しながら言った。
「すみません、カールさん。」
三人は揃って頭を下げた。三人が三人とも、店主のカールには頭が上がらなかった。
知っている者はほとんど居ないし、そうと知った場合、多くの人間が彼のその転落ぶりに驚くだろうが、酒場の店主はカール・マグヌス――かつての三金星の一角である。彼は軍人を辞めた後、すき好んで(騎士が商売人に転落するなどと言うことは、当時のランサーではまず有り得ないことだった)この場所に、王国の騎士に一番近い場所に、酒場を開いたのだった。
「まぁオレも、前々からあの王子はいけ好かないと思ってたがな」
カールは声を潜めてそう言うと、からからと笑った。三新星も思わず笑みをもらす。カールのそのあっけらかんとした人柄が、この酒場に自然と人が集まる理由だった。
「いずれにせよ俺は、早くエドルニアと戦いたい。陛下はいったい何をやってるんだ?」
三人の中でもっとも直情なスコットは、我慢がならないと言うように漏らした。
「それは……今は言わない約束だと言ったろう?今はとにかく、機を待つべき時なんだ。ターキニーの出方もまだはっきりしない。」
ランサーや近隣諸国がコルネイフに助太刀しなかったこと、そしてコルネイフがエドルニア占領下に入った今もなお、反撃を仕掛けようとしないことについて、キースは何度も“機を待つべき時”と言う言葉で弁明してきた。しかし、その言葉で国王軍の軍人たちを抑えられるのも時間の問題だろう。騎士たちは戦いたくてうずうずしている。
実のところキースは、朝廷から流れてきた噂として、ランサーが攻勢に出ない理由を薄々知っていた。全ては、“ペガサス”を巡る問題なのだ。
エドルニアは元々、東の大陸の小国に過ぎなかった。それが、この数十年の間に、いつの間にやら巨大な国力を付け、東の大陸の国家をことごとくその手中に収めていった。今や西の大国ターキニーに負けるとも劣らないほどの大国となっている。
そして、その西のルーラ大陸に位置するターキニーの防護壁として存在しているのが他ならぬ飛翔湾だった。
飛翔湾にはその名のごとく、世界で唯一ペガサスが存在する。飛翔湾が小国家の集まりながらも、今まで東西の大国に肩を並べてきたのは、一つそのペガサスの存在に拠ることであった。エレスゲンデのペガサス騎士団はたった一連隊で一個師団を相手に出来るほどの力があると言われている。
エレスゲンデ七国の同盟は、これまでターキニーを守る剣として働く契約を結ぶ見返りに、それぞれの独立をターキニーから承認されていた。分かりやすく言えば、エレスゲンデはターキニーの属国なのである。
そして、ここからが本題だが、そのエレスゲンデの一角であるコルネイフがエドルニアに落とされた今、まず素直に考えればエレスゲンデはターキニーの庇護を求め、ターキニーと共にエドルニアと戦うのが筋である。ターキニーにしてみても、エレスゲンデのペガサスをエドルニアに奪われることは避けたいはずだ。
ところが、何故か今回、コルネイフが落とされたにも関らずターキニーは手をこまねいていて、未だに動く気配が無い。噂に寄れば、ターキニーの国内は現在荒れており、国力を著しく低下させているのではないかと言われている。つまり、エドルニアに正面切って戦いを仕掛けられるほどの国力が無いのではないかと。それは逆に言えば、それだけエドルニアが強力だということの裏返しでもある。
だからこそ、エレスゲンデ諸国はここへ来て、西の大国ターキニーと東の雄エドルニア、どちらの国に着くことが得策かを見極めようとしているのだ。もしくは、エドルニアに付き、ターキニーの場合と同様、ペガサス騎士団の戦力を引き換えに、エレスゲンデの独立を願い出てみてはどうかと。実際に、エドルニア側からそのような話が出てきているとの噂もある。
だが、そんなことをランサーの国民や軍人たちが、素直に「はい」と頷いて従うとはとても思えない。軍人の中でも古い者は特に、ターキニーに古くから忠誠心のようなものを持っている者が多いし、何よりも、コルネイフ国王を殺し、コルネイフの城下を焼き払ったエドルニアに、敵対心を燃やしている者ばかりだからだ。ここでエレスゲンデがエドルニアに寝返るなどということがあったら、コルネイフにどう顔向けをすればいいのか。何があっても、コルネイフを襲ったエドルニアを許すことなど出来ない、エレスゲンデ諸国の力を結集して、エドルニアと戦うべきだ、そう考える者が大多数を占めているのだ。