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第五話:名刀アルブサール

 ビーツは黒天馬の持ち主が今も健在で、シクロの町の小さな宿屋に身を寄せていることを聞き付けてきた。二人はまず、彼に話を聞きにいくことにした。


「私は、ビーツ・ナインアータと申します。これは甥のファルス。あなたが、黒天馬フィードの持ち主とお聞きして、参りました」

 男は、リスト・コウコルスと名乗った。皺や白髪の目立つ年ごろではあったが、いかにも武人らしい厳しい眼をした男だった。

「ほう。して、私に何用かな?」

「はい。フィードを、お借りしたいのです」

 ビーツは単刀直入に言った。

「詳しい事情は申し上げられませんが、ある御仁が、コルネイフを脱する方法を求めているのです。その方もまたペガサスの騎士です。ペガサスを操ることにかけては熟達した技術を持っている。黒天馬ももしくは、操ることが可能かと」

 コウコルスは、静かにビーツの話を聞いていたが、やがて口を開いた。

「お見受けしたところ、あなた方も身分のある方々のようだ。庶民と同じ姿をされていても、立ち居振る舞いで分かります。私の聞き違いでなければ、お名前を、ビーツ・ナインアータと言われたか?」

 問われて、ビーツはただ頷いた。

 コウコルスは参ったとでも言うように苦笑して言う。「まさか、ランサーのビーツ・ナインアータ殿だと言うのですか?」

「私の名を、ご存じで?」

「当然だ。私もかつてはコルネイフの一兵卒でしたから。身分もなく、才能にも恵まれませなんだが。それに、孫娘もよくランサーの英雄の話をしておりました」

 彼は昔を懐かしむように目を細めた。

「フィードに活躍の場を与えていただけるならば、こんな嬉しいことはないが……口惜しいことに、拙宅はエドルニア兵の駐在所として押収されてしまった。フィードも、どうなってしまったか分からない」

「では、コウコルス殿、わたくしどもが、フィードをエドルニア兵から取り返します。もしそれが叶えば、我々にフィードを貸していただけますか?」

「フィードを、取り返すと?」

 彼は驚いたように言って、苦笑をしながら付け加えた。「……そうですか。なんだか私は、戦いもせず屋敷と天馬をむざむざ明け渡した自分が情けなくなってきました」

「このような時世では、それも致し方ないことだと思います。でももし、フィードを貸していただけるなら、私は必ず、この国を、コルネイフを救うと約束します。だからどうか、力を貸してください」

 シータはそこで初めて口を開き、自分の口から彼に願いを伝えた。戦いもせず大切なものを明け渡してしまったのはシータも同じだった。だからシータは、同盟国ランサーの王子として、責任を果たす必要がある。

「良い目をしておられるな。……合い分かった。フィードはあなた方にお預けしよう。エドルニア兵から取り戻すために、私も出来る限りの手助けは致します」




 ビーツが動いたのは、それから数日後のことだった。

「シータ様、少々手筈を整えさせていただきました。」

 そう言ってビーツが取り出したのは、身分ある者を相手にするような、高級の商人が着る装束だった。ビーツの分とシータの分、きちんと二人分用意されている。

「こちらをお召しください。シータ様には申し訳ありませんが、私の従者になって頂きます」

 きちんと体の汚れを落とし、ビーツもその少し長い縮れ髪をきちんと後ろで束ねれば、二人ともちゃんと高級商人に見えた。

「ビーツは商人にしては少し、体がいかつすぎるがな」

 シータは思わず笑いそうになりながら、ここぞとばかりに言ってやった。

「それで、いったいどうするつもりだ?」

「すべて私にお任せください。シータ様は私の隣についていてくださればそれで構いません。首尾よくことが進んだなら、黒天馬に乗り、そのままランサーまでお逃げください」

 シータが唯一ビーツに言われたことは、コウコルスの準備してくれた屋敷の間取りをいざという時のためにしっかり頭に入れておいてくれと言うことだけだった。ペガサスが繋がれている裏庭のうまやの位置関係も把握しておく。


 コウコルスの家はなかなか立派な屋敷だった。町から海に向かって少し張り出した丘のような場所にある。なるほど、この位置ならば町全体を見渡すことが出来るし、建物の広さもそれなりにある。駐在所として目を付けられたのは当然だろう。

 ビーツは屋敷の正面から堂々と踏み込んだ。当然衛兵に止められる。

「止まれ、何者だ。」

「ラザーズ商会の者です。本日、ガーラント将軍にお目通りをお願いしていたはずですが。」

「ラザーズ商会?」

 二人の衛兵はエドルニア語でしばらく何か言い合った後、一方を残して一方が屋敷へ入っていった。シータはビーツはいったどうするつもりなのだろうと、鼓動を高鳴らせながらその様子を見ていた。ビーツは至って涼しげな顔をしているが、本当に大丈夫なのだろうか。

 しばらく待った後、先程の衛兵が再び現れ、

「失礼を致しました。どうぞ」

と促すので、二人は無事あっさりと屋敷の中へ入ることが出来た。

 入ってすぐは、小さなロビーになっており、左右と正面に部屋がある。コウコルスに教えられた間取り通りだ。

 二人は右手の応接室へ通された。皮張りのソファへ座らせられる。ロビーを見た時から思っていたが、なかなかどうして立派な屋敷である。調度も、華美ではないが、武人の持ち物らしく落ち着いたきちんとした物が揃えられている。

 コウコルスは身分も才能もなかったと言っていたが、それでは騎士の家の出ではない職業軍人だったのだろうか、いずれにせよ相当な武勲を挙げていたことには違いない。身分のない一般の兵卒にここまでの持ち物が持てるとはとても思えないからだ。

 遅れて入ってきたのは、いかにもエドルニア人らしい、濃い焦茶の髪と、同じ色の口髭をたっぷりと生やした中年の軍人だった。

「ラザーズ商会の商人と言ったな。待たせてすまない。私がガーラントだ」

「初めまして。ラザーズ商会のクロー・エルゲイと申します」

 ビーツは相手に合わせて自己紹介をする。

「ラザーズ商会か……」

 ガーラントはにやりと笑って言った。

「偽称するなら、次からはもう少し巧くやることだ。部下に調べさせたが、ラザーズ商会などという名の商社は、コルネイフ中探させたが、まったく出てこなかったぞ」

 ガーラントは面白そうに声を立てて笑った。もうばれているではないか。シータはひやひやした。

「これは失礼致しました。次からはきちんと勉強いたします。」

 ビーツもそんなことを言いながら相手に調子を合わせて苦笑している。いったいどうする気なんだ。

「本当の名はなんと言う?主人の名前は?」

「申し訳ございませんが、それは申せぬのです」

「そうか。……まぁいい。どうせ、どこぞのずる賢い貴族だろう」

 ガーラントは一人合点したように言って、とんとんと言葉を継いだ。

「ひとまず用件だけでも聞いてやろう。身分か?領土か?それとも、亡命か?」

 それを聞いてシータは、話の流れが少し見えた気がした。つまり、相手は我々をコルネイフの貴族だと勘違いしているのだ。あまり考えたくないことだが、コルネイフ貴族の中でもしたたかな者には、エドルニア兵に賄賂なりを送って、少しでも良い待遇を得たり、外国に逃げようとしたりした者があったのかもしれない。

「いえ。」

 ビーツは彼の言葉を遮るように一言言って、少し間を置いた後、一息に言った。

「ここに黒天馬がいるという話をお聞きしました。黒天馬を、頂きたいのです。黒天馬は我々エレスゲンデの民ですら扱いの難しいペガサスです。あなた方も黒天馬の処分には困っているのではありませんか?」

「黒天馬を……?」

 相手は少し訝しげな顔をした。ビーツはすかさず続ける。

「我々に黒天馬を預けてくだされば、我々なりの方法で黒天馬を売り捌いて見せましょう。我々コルネイフの民はコルネイフの民なりのルートで黒天馬の取引きが可能です。希少な黒天馬ならば、相当な高値で売ることも可能かと。高値で売れた場合は、それに応じた割合いで代金をお返しします。どうです、悪い取引きではないのでは?」

「ふん……なるほどな。黒天馬を高値で売ると」

 ガーラントは口元に手を当てて考えるような仕草をしながら言った。

「具体的にはどのぐらいになるんだ?取り分の割合いは?」

「コルネイフの通貨で最低六千万ロットは保証します」

 ビーツは自信に満ちた声で言う。

「ろ、ろくせんまん!?」

 ガーラントは驚いた声をたてる。

 シータも目を見張った。ペガサスの市場には詳しくないが、六千万とは大きく出たものだ。シータはビーツの演技力と交渉術に舌を巻いていた。さすが元ランサーの英雄と称され活躍していた軍人と言おうか、度胸があるのか、その言葉には一寸の隙もない。見事に相手を引き込んでしまっている。

「取り分は三対七でいかがですか」

「三対七?それはこちらの取り前が七と言うことで構わんのか?」

 ビーツは苦笑した。

「何をおっしゃる。それではあまりにこちらの分が悪すぎます。せめて、四六としましょう。こちらの手間賃を含めて」

「四六か。……まぁ良いだろう。だがもちろん、六千万のうち幾らかは今ここでもらっておくぞ。黒天馬だけ持ち逃げされてはたまらんからな」

 シータは驚いた。相手はもう承知してしまった。こんなに簡単なことか。黒天馬を手に入れるためにどれだけの困難が待っているかと思っていたと言うのに。

 シータは思わずビーツの横顔を見たが、彼は相変わらず真剣な顔で交渉を続けるだけだった。

「それはもちろんこちらも承知しております。ただ、あいにくこちらも現金の持ち合わせがございません」

 ビーツはそう言うと、傍らに持っていた細長い包みを取り出して、テーブルの上に置いた。そう言えば、ここへくる道々、ビーツが何を持っているのか気になってはいたのだ。

 ビーツはおもむろに包みを開く。

 シータはあっと声を上げそうになった。それは、見事な装飾のされた鞘に入った大剣だったからだ。

「名刀アルブサールの名をご存じですか?エレスゲンデに六つしかない名刀です。」

 シータは耳を疑った。アルブサール?

「ほう、これは確かにいい剣だ」

 ガーラントは剣を鞘から抜き放ち、惚れぼれと眺める。

 いい剣?……当たり前だ。

 アルブサール。それは、エレスゲンデでも特に優れた名刀だけにしか与えられない銘。シータの父カイラル王が持つ物と、南の聖リマ王国の大将の持つ物、そしてニーベルンの国宝となっている物、あとはの二つは持ち主を知らないが、最後の一つは……そう、三金星トリ・フェトリエンテのビーツ・ナインアータが、その、度重なる武勲の栄誉の証としてシータの父カイラル王から贈られた剣だ。

「売ればどれだけの値が付くか、私にも分かりません。これを、頭金としてお渡ししましょう」

 ビーツの声が微かにぶれたのをシータは聞き逃さなかった。当然だ。これはビーツが父王カイラルから栄誉の証として贈られたもの。彼はナインアータの名などもう棄てたと言っていたが、八年農民生活をしている間も、やはりこの剣だけは捨てずに持っていたのだ。騎士の魂であり彼の栄誉の証であるこの剣だけは、どうしても棄てることが出来なかったのだろう。

 それを彼は、売り払ってしまおうとしているのか。騎士の魂とも言える剣を、売り払ってしまうと言うのか。怒りとも悔しさともつかない感情が込み上げ、シータは状況も忘れて叫んでいた。

「ダメだビーツ!やっていいことと悪いことがある!私のためにこんな……!」

 場の空気が凍った。

 ガーラントは、突然口を開いた従者の少年の言葉の真意を計ろうとするかのように、目を細めて二人の顔を見比べた。

「金髪に碧眼……。ペガサス……?」

 ガーラントの呟いた言葉はエドルニア語だったので、二人には分からなかった。

「まさか……」

 それでも、状況を見極めたビーツは、素早くアルブサールを手元に引き寄せ、シータに鋭く耳打ちした。

「殿下、外へ!」

 シータはビーツの言わんとするところを理解し、窓際へ走った。

「いかんっ!誰か、誰か来い!敵だ!」

 ガーラントが叫ぶ。

 シータは庭に面する木の窓が開いているのを確認し、よじ登って通り抜けた。この時ばかりは体が華奢で良かったと感じた。

「ペガサスだ、ペガサスを守れ!絶対にペガサスを渡してはならん!」

 追いすがろうとするガーラントに、アルブサールを構えたビーツが立ちふさがる。

 シータは庭に転がり出た。間取りはきちんと頭に入っていた。厩はすぐそこだ。

 しかし、庭にはすでにガーラントの叫び声を聞きつけた衛兵たちが出てきていた。

 まずい、これを一人で切り抜けることが今の自分に出来るか?

 シータはひとまず、ビーツに渡されていた小さな剣を懐から取り出して抜き放った。


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