表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/15

第十五話:出発の朝

「殿下、先程、ニーベルンより情報が入りました」

「ニーベルン?」

「はい。どうやらあの男は北へ、ニーベルンへ逃げるつもりのようです」

「なるほどな……。中立を保つコーディリア女王にすがろうと言うわけか」

 王太子は地図を広げ、しばし考えた。

「もしもやつらがかちで逃げるとすれば、ブランゴナールの峠を越えるか、またはミスリートへ出るか。捕まえる方法などいくらでもある、が……今、王城と東海岸の守りを手薄にするわけにもゆかない。なるべく兵を割かずにすむ方法はないものか……」

 王太子はその細い顎に手を当て、空色の瞳を猫のように細めた。

 やがてその瞳が、何かを思いついたように大きく見開かれる。

「ミスリート……そうか!お前、キース・ティリンスと言ったか?急ぎ、ミスリートへ使いを走らせよ。これは案外簡単に、あの小癪な小僧と魔女を捕まえられるかもしれないぞ」

 王太子はにやりと笑って言い放った。

 この、シータ王子と瓜二つの姿をした男に仕える者はみな、その鋭く殺伐とした人柄を目にしては日に日に確信していた。この男がシータ王子でないということを。この男がいったい何を考えているのか、多くの者はいまだ理解できずにいたが、ただ一つ言えることがあった。

 この男は、切れる。




 翌朝、シータは人の気配を感じて目を覚ました。

「お目覚めですか、殿下」

 シータはぎょっとしてベッドから跳ね起きた。

 彼女は部屋の奥の壁にしつらえられた出窓にゆったりと寄り掛かっていた。

 朝の静謐せいひつな光の中にたたずむ彼女は、例えようもないほどに美しかった。

 しっとりと濡れたようなつやのある黒髪。長い睫毛まつげに縁取られた切れ長の二重まぶた。だが、その美しさにはどこか底冷えのするようなオーラがあった。

「そなたが、サーディーン・ウッディールか。昨夜は……色々と世話になった。感謝している」

 シータはやっとのことでそう言った。

「いいえ。私は、私がやりたいことをやっているだけですから」

 サーディーンはなんでもないことのように言った。

「大変なのはこれからです。殿下にはまだまだ、活躍してもらわなくては」

「貴方は……私の味方をしてくれるのか。」

「ええ。言ったでしょう。私は私のやりたいことをやると。」

 サーディーンの口調はきっぱりとしていた。

「では、その……教えて欲しい。今、ランサーでいったい何が起こっているのか。あの、私とそっくり同じ姿をした男はいったい何者なんだ?魔性の類なのか?父上は、何故私を助けてくれないんだ?」

 シータは今まで抱えてきた疑問を、残らずぶつけた。彼女ならばきっと、その答えを知っているはずだと。

 しかし、彼女はその美しく整った口元に蠱惑的こわくてきな笑みを結んで言った。

「魔性の者、かもしれない。そうでないかもしれない。賢王カイラルも、あの、“もう一人の貴方”も、恐らく私が真の王太子たる貴方の側に付いたことに焦っていることだと思うわ。……私は何事も公平フェアなのが好きなの」

 シータは混乱するばかりだった。シータはただあの男は何者なのか、それを知りたいだけだと言うのに。

「朝食が出来たので貴方を呼びにきたんだったわ。今日は忙しくなりそうだから、しっかり食べてもらわなくてはね。」

 サーディーンはそう言うと、シータを一階の食堂へと連れていった。

 そう言えば、ひどく空腹なことに気付いた。牢ではほとんど食物を与えられていなかったのだから当然だ。

 一階の中央にしつらえられた食堂では、ビーツとスコットの二人がシータを待っていた。

「殿下……ご無事で何よりです」

「ビーツ、そなたも。そして、スコットと言ったな、昨夜は、世話になった。二人の助力には本当に感謝している。」

「いえ。私の失態でした。キース・ティリンスの裏切りにより、貴方様を追われる身にしてしまいました」

 スコットは悔しげに言ったが、シータ自身はそんなことに一つも頓着していなかった。

「いや、私の味方をしてくれる者が居ると言うだけで十分だ。何が起きているか分からないが、父上も含め、宮廷の人間のほとんどが、どうやら私の敵になってしまったみたいだ」

 シータの口調は悔しさを通り越して哀しげに響いたので、ビーツとスコットは居たたまれない気持ちになった。

「このようなことが許されていいはずがありません。必ずや真相を解明し、シータ様には宮廷にお帰り頂かなくては」

「ひとまずは朝食にしましょう。殿下もお腹が空いているでしょうから」

 四人はテーブルを囲み、朝食を採った。柔らかいパンと、薫製くんせいにされた獣肉、野菜のたっぷり入ったスープ。こんなにきちんとした朝食はいつぶりたろう。シータは思わず作法も忘れてがっついてしまった。そんな姿をサーディーンは微笑ましげに見守る。

「殿下、あなたは色々と、良い経験をされたわね。農民がどんな貧しい暮らしをしてるのか、とか。……空腹ってなかなか辛いものでしょう?」

 シータはサーディーンに指摘されてはっとして手を止めた。

「その通りだ、サーディーン。パンがこんなに美味しいなんて、今日まで知らなかった」

「肝に銘じて置きなさい」

 サーディーンは満足げな笑みを浮かべたまま言った。

「そう言えば、アリスはどうしたんだ?昨晩は一緒にこの館に来たはずだが」

「あら、少し気付いてやるのが遅いのではなくて?あんなに素晴らしい働きをして、あなたを助けてくれたって言うのに」

 サーディーンはくすりと笑いながら続けた。

「彼女には使者として、北へ飛んでもらったわ。事後報告で申し訳ないのだけれど、フィードをお借りしました」

「フィードで?北へ?」

「ええ。ニーベルンへ。一端、ランサーを出てニーベルンへ逃げましょう。あの聡い女王ならばきっと、我々の力になってくれるはず」

「そうか、ニーベルンか……なるほど」

 シータは納得しつつも、少し釈然としない気持ちでうつむいた。

「どうかなされましたか、シータ様。ニーベルンに行くことは気が進みませんか?」

 突然顔色を変えて黙ってしまった王子を心配してスコットが気遣う言葉を掛ける。

「いや、そんなことはない。コーディリア女王ならば確かに頼りになりそうだ。」

 シータはうつむいたままぼそりと答えた。

 サーディーンのすることは正しいと思うし、別にフィードを使者として使うことに異論はないのだが、昨夜からサーディーンが黒天馬をフィードフィードと呼ばわって自分の物のように扱うことには、あまり良い気持ちがしなかった。フィードはシータが苦労して手に入れた黒天馬だ。手懐てなずけるのにも、あれだけ苦労したと言うのに。

「よくフィードが、アリスを乗せたな」

「……そうね、あの天馬は本当に賢いわ。自分の役割を良く理解している。主君である貴方の為に何をすべきか分かっているから、あんな子どもの遣いと変わらないみたいな操縦しか出来ないアリスに、その背に乗ることを許したんでしょう」

 サーディーンは相変わらず薄い微笑みを湛えたまま、しかし真剣な口調で言った。

「ああ。……分かっている」

 さすがのシータも、サーディーンの言葉がシータをおもんばかってのことだと気付いて、少し恥ずかしくなった。サーディーンのしたことは正しい。自分の幼い自尊心など、今この逼迫した状況の中では、何の役にも立たない。

「殿下、それでは、そろそろ出発することに致しましょう」

 彼女は気を取り直すように言った。

「ニーベルンへ行くのか……?しかし、いったいどうするつもりだ?父上もあの偽の王子も、私を捕まえたがっているようだ。街道も、港もすべて、見張られているに決まっている」

「これを、着ていきましょう」

 そう言って、サーディーンは別室から一揃いの甲冑を持ってきた。

「ランサー国王軍の鎧じゃないか!?」

「ええ。甲冑を着ていれば顔が隠れるし。貴方も、そっちのナインアータ親子も、元々ランサーの国王軍なのだから罰はあたらないでしょう?」

 シータが戸惑いながらもサーディーンに促されるままビーツ、スコットとともに甲冑を着て外に出ると、驚いたことに、館の裏手には自分たちと同じ姿をした兵士が勢ぞろいしてシータ達を待っていた。その数、十数人、いや、もっといるだろうか。

「いったいどうしたんだ?こんなに、兵が集まったのか?」

「本物の国王軍ではございませんが……、彼らは、ナインアータの家臣団です。」

 スコットが言う。

「なるほど。」シータはスコットに感謝を込めて頷いた。

「これはあくまで、逃亡のためのカモフラージュよ。国王軍と戦うつもりはない。本物の国王軍と、あの賢い偽王子の目は騙せないかもしれないけれど、少なくとも平民たちの目を誤魔化すことは出来る。私たちはつまり……逃げた“偽の王子”を捕まえるための、追討部隊と言うわけ。……いかがかしら?」

「いかがと言われても……ほんとうに、うまく行くのか?」

「分からないわ。もしうまく行かなければ、最低限の戦いをしながら逃げる。国王軍の……少なくとも、カイラル王の部下の士気は落ちていると思うから。みな、魔女サーディーン・ウッディールの力を恐れていますからね」

 彼女が自信満々に言うので、シータ達は、追討部隊のふりをして、慌ただしく北へ出発することとなった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ