第十話:父と子
その日最後の客は、アリスとキースが待ち兼ねていたスコットだった。スコットは夜勤明けの疲れた体でカールの店へと向かった。キースから緊急の用だということだが、いったい何があったのだろう。
スコットが店に入ると、カウンターのいつもの席にアリスとキースが陣取って待っていた。
「待たせて悪かったな。いったいどうしたんだ?こんな時間に」
スコットが聞くと、アリスとキースは意味ありげに目配せをし合った後に言った。
「カールさんが、店の奥で待ってるわ。あっちの扉から、中へ入って」
「カールさんが?何でまた」
「いいの、とにかく、行ってあげて。」
スコットは予想外の状況に戸惑いながらアリスの示した扉へ向かった。カールさんが名指しで自分を呼ぶなんて初めてのことだ。
扉を開けると、そこは厨房になっていて、部屋の端に据え置かれたテーブルを挟んで、二人の男が座っていた。その男は、スコットに背を向けて座っていた。くせのある黒髪。筋肉の付いた厚い背中。
ああ、そう言うことか、と冷静に判断する自分がどこかに居て、一方ではこの場で今すぐ回れ右して逃げ出すことも出来るがどうするか、などと、果敢な騎士であるスコットらしくない考えが頭をよぎったりもした。
だが、スコットはつかつかと歩み寄り、いきなりその胸ぐらを掴んだ。
「どのツラ下げて帰って来やがったこの野郎!!」
スコットは有りっ丈の声で怒鳴った。そうしないと、自分の感情に負けてしまいそうだった。この数年、貯めてきたはずの怒りが、どこかへ消え失せてしまいそうだった。
「スコットか。随分と汚い口を聞くようになったじゃねぇか」
ビーツ・ナインアータはスコットを見上げながら言った。
「なんで、なんで今更帰ってくるんだよ?遅すぎんだよ。母さんは、死んだぞ。あんたの帰りを待ちわびて、あんたが必ず帰ってくると片時も疑わず」
スコットはビーツの胸ぐらを掴んだまま更に畳み掛けた。
「なんで、なんでだよ……」
「だけど、帰ってきたじゃねぇか。やっぱりちゃんと、帰ってきたじゃねぇか」
カールは優しく諭すように言った。
「ビーツ、こいつはすげぇぞ。お前が居なくなってから、たった一人でエンナを支えて、今や立派な騎士だ。最年少で連隊長になった」
スコットは父ビーツが突然行方をくらましてから、ナインアータの当主として必死で家と母とを守ってきた。自分達に一言も何も言わず、国王軍を抜け出していずこかへ逃げた父親を憎んだ。スコットは三金星と呼ばれた父を幼い頃からずっと誇りに思って生きてきた。だから、許せなかったのだ。自分の思いを裏切り、母親と自分を捨てて消えてしまった父のことを。
スコットは士官学校時代を、逃亡兵の息子と笑われて過ごした。ビーツは熱狂的な人気を誇っていただけに、その人物の逃亡や家族の転落ぶりはまた一つのゴシップとして面白おかしく飾りたてて語られ、スコットは人々の好奇の目に曝されてきたのだ。
遠征中に戦死したマーク・オラインドとの対比もまたスコットの気持ちを逆撫でした。マーク・オラインドの死は偉大な英雄の死として華々しく語られたにも関わらず、ビーツについては、戦友であるマークを捨てて逃げたのではないかという心ない噂まで流れていた。
スコットは、父に限ってそんなことは有り得ないと、父を信じたかったが、真相は誰も知らず、誰にも教えられなかったから、スコットには父を信じ切ることが出来なかった。
「そろそろ、ちゃんと教えてやってもいいんじゃないか?昔のことを。こいつだってもう大人なんだ」
ビーツは何も言わない。
「とりあえずまぁ、お前も座れよ」
カールはスコットを無理矢理ビーツの隣に座らせた。
「お前の生まれるよりずっと昔の話だ。三金星が一番活躍してたのは、俺たちがお前達ぐらいの歳だった頃だ。三新星なんて呼ばれてるお前達三人みたいに、ほんとに仲が良くてな。」
カールはちらりとビーツの顔を見たが、ビーツが特に嫌がる素振りも見せなかったので、話を続けた。
「それが、そんな三人の仲を引き裂く事件が起こった。まぁ、よくある話だよ。マークとビーツが、同じ女を好きになったんだ。相手はお前の母親、エンナ・カレントだ。勝敗は誰の目が見ても明らかだった。身分が違いすぎたからだ。オラインドは超名門貴族。対してエンナは破産すれすれの、貧しい下流貴族の娘だった。」
ナインアータは古くからある騎士階級の家系だが、あくまで武家であり、貴族ではない。たしかに身分としてはカレント家とナインアータの方が釣り合う。
「エンナがどっちの方を好きだったのか、俺は未だに分からん。でも、結局エンナはビーツと結婚したんだ」
スコットは、初めて知る親の昔話を、多少居心地の悪い気持ちで聞いていた。母は一度もそんな話を口にしたことなどなかった。
「それから、三金星はバラバラになっちまった。俺はいつまでも昔のことに拘り続ける二人が歯痒くてならなかったよ。そんなの、よくある話じゃねぇか。あんないい女、取り合いになるのも無理はねぇ。だが、こいつはたぶん、後ろめたい気持ちをずっと引きずってたんだろうな。正々堂々と戦って勝ったわけじゃないってことが、ずっと後ろめたかったんだろうな。だからこそお前はあの時、家族も身分もすべて捨てて逃げ出した。違うか?……ビーツ、俺もきちんとあの日の真相を知ってるわけじゃない。話してくれないか、あの日、お前達の間で何があったのか」
ビーツ・ナインアータは当時のことを思い出そうとした。
あの頃、ランサーの西海岸に位置するリベラ海での海賊行為が残虐で、マーク・オラインドの部隊とビーツの部隊が偶然一緒に討伐に派遣されたのだった。
ビーツは何年かぶりにマークと肩を並べて戦った。その戦いの中で、ビーツとマークはお互い昔と同じような絆を思い出していた。マークは何も変わってはいなかった。だからそれが余計に切なかった。どうしてもっと早く、そのことに気付けなかったのか。もっと早くそのことに気付けていたなら、何か変わっていたかもしれないのに。
「あいつは、土壇場で俺をかばったんだ。俺の、ミスだった」
ミルラ海の海賊は卑劣かつ残忍だった。奴らをあなどっていたわけではない。しかし、深追いをし過ぎた部下を救う為に、ビーツは危うく命を落とし掛けた。
「あいつは俺をかばって死んだんだ。俺は馬鹿やろうって言ったよ」
ビーツは感情的になることなく、あくまで淡々と語った。
「なんでお前が俺なんか助けるんだって。お前を裏切った俺を、なんでお前が助けるんだって。そしたら、死の間際にあいつは言いやがったんだ。『お前が死んだら、エンナが悲しむ』」
狭い厨房を、痛いほどの沈黙が支配した。
「……俺はそれで分かったよ。ああこいつは、今だにずっとエンナのことを、思ってたんだな、ってな」
カールもスコットも、何も言えず、身じろぎも出来なかった。
だから、ビーツはそこから逃げ出したのだ。エンナを悲しませたくない、エンナを幸せにしてやってほしい、そう願ってビーツをかばったマークの気持ちが痛いほど分かってはいながら、それだからなおのこと、彼を差し置いて、自分だけ幸せになるなどと言うことに、耐えられなかったのだろう。マークを裏切った卑劣な自分だけが生き残って幸せになるなどと言うことに、耐えられなかったのだろう。
「おおいに笑ってくれて構わねぇ。情けない父親だって、罵ってくれよ。こんなくだらねぇ私情に流されて、国を護る仕事をおっぽりだして尻巻いて逃げ出すなんてな。とんだ恥さらしだ。騎士の風上にも置けねぇ」
ビーツはつらつらと自嘲の言葉を並べ立て、悔しげにうつむいた。
「俺は、」
ビーツはうつむいたまま続ける。
「俺は、償いのつもりで国へ帰っては来たが、お前に会うつもりはなかったんだ。情けなくてとても……会わす顔がねぇ。」
スコットも正直、聞きたくはなかった。ずっと、真相を知りたいと思ってはいたが、こんな話を聞きたくはなかった。認めたくなかった。父親と別れた時、スコットはまだ十六の少年だった。スコットにとって、十六の時から変わらず、父ビーツは、輝かしい名声に彩られたランサーの英雄ビーツ・ナインアータだった。それは今日まで、少しも色褪せずスコットの心の中にあった。だから、認めたくなかった。そんなビーツ・ナインアータも、やはり一人の男であったのだと言うことを。強く誇れる父親であり英雄である前に、弱さも兼ね備えた一人の男だったのだと言うことを。
「お前に、会うつもりはなかったんだ。だが、……俺は、やはり、もう一度お前に会えてよかった。」
ビーツはスコットの頭に手を遣り、不器用に引き寄せながら言った。
「……立派になったな。俺は、お前を、誇りに思う」
父親のその腕が震えていたので、スコットは、顔を上げることが出来なかった。