はじめての獲物?
街の長い城門を抜けると草原であった。
肌を撫でる風の質感。
地平線の彼方まで広がる圧倒的な緑の世界。
「うわ、めっちゃVRMMOやん……!」
タクミが少しテンションを高めに声を上げる。
「いたいた! あそこ!」
「あれが最初のウサギか!」
「ちっちゃ! かわい……うおっ!?」
「速っ! 待っ――ぶっ!?」
あちこちで派手な突進音が響き、悲鳴が上がる。
草原のあちこちを跳ね回っているのは、頭部に一本の硬い角を生やした巨大兎――初期モンスター『ラビル』。
そんな喧騒から少し離れた丘の上で、俊一は静かに立ち止まった。
手にしたボウガンを構え、簡易スコープに片目を押し当てる。
「……」
数秒。指先一つ動かない。
タクミが隣でじっと息を潜めて待つ。
「撃たへんの? 絶好の的やん」
「……」
「俊一?」
俊一は無言のまま、システムメニューを目の前に開いた。
……閉じた。
一拍置いて、もう一度開き直した。
「……」
「どうしたんや、さっきから」
「弾が、ない」
一瞬、草原の風だけが二人の間を通り過ぎた。
「……はぁ?」
「弾、買い忘れた」
「……」
「はははははッ!!」
タクミが盛大に吹き出した。
「お前っ……! 何しとんねん効率厨!」
「いや、武器受け取ったら最初から初期弾くらい入っとると思うやん普通! 仕様が不親切すぎるわ!」
「入っとらんかったなぁ! 0.5秒削って弾忘れるとか最高にアホやろ!」
タクミが腹を抱えて爆笑する。その声につられて、近くでラビルと戦っていたプレイヤーたちが冷ややかな視線を送ってきた。
「何やあいつら……」
「弾丸のバグでも踏んだん?」
露骨に苦い顔をして、ボウガンを下げた。
「……」
「どうする? 俺の短剣、一本貸したろか?」
「いらん。間合いが変わる」
「なんでやねん」
「それに、今はモーション観察する方が大事やし」
「負け惜しみのレベルが高すぎて引くわ」
タクミは呆れながらも、腰の初期短剣を引き抜いた。
「安心せえ。ウサギのTAランキングなんか、流石にまだ無いから」
「今は、な」
「あるんか?」
「知らんけど」
「怖いわ。お前と話してるとゲームの目的見失うわ」
タクミは苦笑しながら、一歩前へと足を踏み出す。
「ほな、普通の初心者やってきます。初ドロップ拝んでくるわ」
「頑張れ」
「他人事やなぁ!」
タクミが草原へ進み出ると、近くを跳ねていた一匹のラビルがこちらに気がついた。
長い耳がピンと直立し、ピタリと足が止まる。
次の瞬間、小さな身体が弾丸のように地面を蹴った。
「うほっ、速――」
真正面からの容赦のない突進。
「ぶはっ!?」
タクミの身体が盛大に後ろへ吹き飛んだ。
勢いよく草の上を転がり、もふもふの地面に激突して土煙が上げた。
周囲でも、似たような初心者の悲鳴が絶え間なく響いていた。
「いったぁ!? 何これ、追尾してくる!?」
「ちょ、待って曲がった! 避けたと思ったのに!」
体が小さい分、予備動作が見切りにくい。多くのプレイヤーが突進の餌食になっていく。
その混沌のすべてを、俊一はスコープ越しに追い続けていた。
「……」
レンズの向こうで、ラビルが着地する。
素早く向き直り、再びタクミを目がけて地面を跳ねた。
タクミが慌てて横へと泥臭く転がる。今度は紙一重で回避成功。
「おぉ」
「感想それだけか観戦勢! 助けてや!」
俊一は答えない。ただひたすらに、ラビルの四肢の動き、耳の角度、重心の移動を網膜に焼き付けている。
突進の直前、右の耳だけがわずかに――。
踏み込む瞬間、前脚の軸が半歩――。
そして、急激な方向転換の時だけ――。
「……なるほどな」
「何が『なるほど』やねん!」
起き上がったタクミが必死に短剣を振る。しかし、ラビルはすでにその場におらず、空振りの風切り音だけが響いた。
「ちょ、すばしっこすぎて当たらへん!」
「振るんが早い。あいつが着地した瞬間を狙うんや」
「言うのは簡単やっちゅーねん!」
三度目の突進。
ラビルの角が、タクミの初期服の裾を激しく掠めていく。
「おっ」
「今のは完全に避けた!」
「いや、判定の半分は当たっとる。エフェクトが出とる」
「細かいねんお前は!」
すれ違いざま、タクミががむしゃらに振るった短剣が、ラビルの脇腹を鋭く切り裂いた。
赤いダメージエフェクトが小さく弾ける。
ラビルが体勢を崩して跳ねる。そこへ、タクミがさらに一撃、二撃ともつれ込みながら叩き込んだ。
ほとんど執念の横薙ぎ。
ラビルの身体が、光の粒子となって草原に霧散した。
【経験値を獲得しました】
【ラビルの毛皮を獲得しました】
【ラビルの角を獲得しました】
「はぁ……はぁ……、クソッ……」
タクミがその場にへたり込み、肩で大きく息を切らす。
「始まったばかりのゲームの、最初のウサギがこれって……普通に強すぎやろ……」
一方で、俊一はボウガンを肩に担ぎ、ラビルが消滅した地面へと歩み寄っていた。その瞳には、未だに奇妙な熱が宿っている。
「突進の前、右耳だけ先に動くんやな」
「……え?」
「あと、右に曲がる時だけ、後ろ足が妙に沈む。軸脚の癖や」
「……」
「だから、真正面で待つより、あいつから見て斜め前の位置をキープした方が、全ての攻撃を最少のフレーム数で避けられるわ」
タクミは地面に座り込んだまま、限界を迎えた目で俊一を見上げた。
「お前、一匹も倒してへんやろ」




