92.セタの実家
しばらくセイラとマリーに会えないし、10時の出発までは2人と一緒にいようと思ったのがいけなかった。
セイラとマリーとリントを見送った後、キダンに送ってもらい、第4の国立宿泊所のロイとミコトの部屋に帰ってきた時には、ロイは部屋でストレッチをしていた。
「おかえりミコト。よく寝たから、もう出発できるよ」
ミコトは文字通り、膝から崩れ落ちた。
「え!? どうしたの? どこか痛い?」
ロイは心配そうに駆け寄る。
「……るの」
「え?」
「何で、もう、起きてるの!?」
早朝打ち合わせの後、朝食をとり、ロイが寝てくると言ったのは、午前9時だった。
今10時を少し回ったところなので、ロイは1時間しか寝ていないことになる。
「ああ、意外と早く回復したみたいで…」
封印を解いたからだろうか。
回復も早くなっているようだ。
しかし、ミコトを見ると、何故かうつむいて半泣きである。
「本当にどこか痛いの?」
ロイはしゃがんでミコトを覗き込む。
ミコトはロイの純粋に心配している顔を見て、寝顔が見たかったとは言えない、と唇を噛み締めた。
それに、このロイは、待望の天然素直イケメンのロイである。
「大丈夫! どこも痛くないよ。私も準備するね」
ミコトはアハハと笑い、出発の準備を始めた。
そう、今日からは、黒髪隠しのために濃い茶色のウィッグをつけるのだ。
それにしても、人って髪型8割なんだなぁと思わざるを得ない。
このウィッグをつけると、顔を変えていないのに、初代聖女に似ていない。
ロイはミコトがウィッグをつけることに、微妙な顔をしている。
「走るから、取れちゃうと思うけど…」
ミコトはウィッグをつけたまま、「え?」と振り返った。
「セタさんの家まで、走るの?」
ロイは頷く。
「セタ兄の実家は、山の中なんだよね。馬車だと、途中までしか行けないし、その途中まででも3時間はかかるんだよ」
「そうだったんだ。私、3時間以上走れるかな…」
走るのは好きだが、さすがに馬車で3時間の距離を走り続けるのは自信がない。
しかもその後、登山なのだ。
「いや、ミコトには走らせないよ。俺がおんぶで走るから、多分、1時間くらいで着くよ」
ロイは笑いながら言う。
「あ、なるほど。馬車で3時間以上でも、走ると1時間なのかぁ…」
ミコトも笑いながら言ってみたが、心の中で、そんな訳あるか! とツッコミを入れた。
規格外にも程がある。
「じゃあ、街を出たら、ウィッグは取ろうかな…」
街中でそんなスピードで走ったら、スピード違反? だ。
きっと速く走るのは、街を出てからだろう。
「うん、そうして」
ロイは嬉しそうに頷いた。
街を出てから、おそらく40分くらい走ったのだろう。
途中1回休憩をとったが、その頃はまだ、ロイと笑顔で雑談をしていた。
ミコトを背負って、山道をどんどん登るロイは、疲れているようには見えなかったが、明らかに口数が減っていた。
実はミコトは、セタについて殆ど知らない。
ロイの腹違いの5歳上の兄で、強くて、頭も良くて、イケメンで、先代聖女と恋人同士で、聖女が元の世界に帰ってしまって心を病んだ、というところまでだ。
ロイはこの5年間、セタのお見舞いには一度も行っていない。
やはり、マリーに、何があったかくらいは、聞いておけば良かった。
ロイを支えるといっても、どうすればいいのか分からない。
ほぼ獣道の山道から、突然視界の開けた場所に出た。
山の中腹に、家が十数軒建っている。
ロイはミコトを背中から下ろすと、赤い屋根の家を指差した。
「あそこが、セタ兄の実家だよ」
ミコトは頷いて、ロイを見た。
予定より早く着いたのに、息切れ一つしていない。
何だか、前より、規格外な気がする。
ミコトは荷物から、ウィッグを取り出してかぶった。
ここは、首都から離れた山中の村ではあるが、第4エラルダ国だ。
用心した方がいいだろう。
今朝までは、ミコトがウィッグをつけると、ロイは難色を示していた。
でも今は、何も言わない。
ミコトがウィッグをつけたことにも気づいていないのかもしれない。
ミコトは唇を噛んで、左手でロイの右手を握った。
支えるんだ。
ロイとセタの事はわからないけど、支えるんだ。
赤い屋根の平屋の家から、1人の女性が出てきた。
青に近いグレーの髪の、50歳くらいの女性だ。
切れ長の髪色と同じ色の瞳に、端正な顔立ち、スラリとしたスタイルの、超美人である。
「ロイ! ああ、ロイ…!」
女性はロイを見るなり、涙を浮かべてロイに抱きついた。
「お久しぶりです。リタさん」
ロイは微かに笑顔を浮かべる。
「久しぶりじゃないわよ! どれだけ顔を見せないつもりよ! 私はあなたの母も同然なのよ!?」
リタはロイから離れると、ロイのお腹を2発、ドスドスと殴った。
「す、すみません。でも元気そうで良かった」
ロイは微笑んだ。
リタも微笑むと、ミコトに目線を向けた。
ミコトは挨拶しなくちゃ! と唾を飲み込んだが、先に口を開いたのはリタだった。
「あなたがロイのお嫁さんね! アレンさんやナラ先生からお手紙できいてるわ! なんて可愛らしいの!」
ミコトは慌てて頭を下げる。
「は、はじめまして! ロイの妻のミコトですっ」
リタはミコトの左手を握ってぶんぶんと上下に振った。
「私はセタの母でリタよ。つまり、ロイの母でもあるの! だから、ミコトちゃんは私の娘ね!」
「む、娘…」
「そうよ。もう1人のお母さんと思って貰えると嬉しいわ」
ミコトの記憶がパチパチと弾ける感覚がした。
もう1人のお母さん。
ミコトはこの言葉を知っている。
ミコトの母の琴子が、セイラに言った言葉だ。
決して自分のお母さんを忘れないで、でも、もう1人のお母さんとして頼ってほしい、と言っていた。
ミコトの目から、涙が溢れる。
「お、お母さん…」
「そうよ」
リタはミコトを抱きしめる。
あったかい。
ロイとも、マリーとも、セイラとも違う。
ミコトは結局、その後、わあわあと泣き出してしまった。
ロイを支えるつもりだったのに、ロイに支えられて家の中に入ったのだった。
「泣いたりして、すみませんでした!」
暖炉と4人が食事できるテーブルセットがある部屋で、温かいお茶を淹れてもらい、少し落ち着いたミコトは、リタとロイに頭を下げた。
ロイを支えるつもりが、支えられるという失態をおかしてしまった。
最近は、国家特別人物の妻として、失格項目が多すぎる。
「いいのよ、ミコトちゃん。ご両親が亡くなられてるのに、ごめんなさいね」
リタの謝罪に、ミコトは首を横に振る。
亡くなっている、も嘘なので、申し訳ない。
「ちょっと緊張してたんだけど、気が抜けたよ」
ロイはミコトの頭を撫でる。
ウィッグがクシャッとなる。
「あ、ウィッグいつのまに、つけてたの?」
やっぱり気づいていなかった!
ロイはミコトのウィッグを雑にバサッと取り外す。
ミコトの黒髪がボサボサになる。
「雑に取った!? ボサボサだよ!」
「ごめんごめん、でもココは大丈夫だからさ」
2人の様子を見ていたリタは、笑顔になった。
「良かった。仲良しなのね。変な噂を聞いたものだから、ちょっと心配していたのよ」
ミコトとロイは、顔を見合わせて「あー」と言った。
第1の国家特別人物夫妻不仲説だろう。
「ロイが浮気してミコトちゃんを放っておいたとか、結婚式も喧嘩で遅延した上に披露宴はミコトちゃんは怒って出席しなかったとか、道の真ん中で殴り合いの喧嘩をしていたとか、いろいろ聞いちゃって…」
リタが話したウワサの内容に、2人は顔を手で覆った。
大体あっているが、脚色がすごい。
「あの、放っておかれたのも、結婚式の遅延と披露宴の欠席も、道の真ん中の喧嘩も、全部本当なんですけど、理由と内容が違うんです」
「ミコト、全部本当って言わないで…」
ミコトとロイは、とりあえず仲良しなことをリタにアピールした上で、噂はそのままにしてあることを言った。
リタは納得してしてくれたようだ。
「あの、リタさん。セタ兄は…」
ロイが言いにくそうにきくと、リタは「あ!」と言った。
「そうよね、セタに会いに来たのよね! 私ったら話し込んでごめんなさいね」
リタは奥の茶色のドアを指差した。
「セタの部屋はあそこなの。話す事は出来るけど、立つ事はちょっと、ね」
リタの言葉に、ロイは目を伏せた。
心の病気で、立つ事が出来ない…?
ミコトは顔には出さないようにしたが、内心驚いていた。
相当、病状は重いのだろうか。
医者でも治す事が出来ないのだろうか。
「まず、ロイだけで会うといいわ。ミコトちゃんは、私とロイの子どもの頃の話をしましょうね」
リタがそう言うのなら、そうするしかない。
ミコトは「はい」と頷くと、テーブル下でロイの手を握った。
ロイはミコトを少し見て、軽く頷いた。
リタは茶色のドアをノックする。
「セタ、ロイが来てるの。入ってもいい?」
ミコトの位置からは、セタの返答は聞こえなかったが、リタはロイに頷いた。
ロイは「セタ兄、入るね」と言うと、茶色のドアの中に入っていった。
ロイ、きっと、大丈夫だよ…!
ミコトは祈るように、茶色のドアを見つめていた。




