70.痴話喧嘩
「ミコト! 待ってミコト!」
ロイは、逃げるミコトの右腕を掴んだ。
政務棟の代表室から飛び降りて、まだ数十mしか走っていない。
「足を怪我しているのに、飛び降りるなんて、何を考えてるんだ!」
ロイの口調が、珍しく、強い。
怒っているのだろう。
でも、もう、怪我なんて、いいじゃないか。
どうせ、抱っこも終わったのだから。
ミコトは掴まれた腕を、もう片方の手で掴み、両腕の力で、グルンと回した。
ロイの手がぱっと離れる。
「なっ!?」
まさか外されるとは思わなかったのだろう。
二人きりが嫌なくせに、追いかけてくるなんて、何を考えているのかなんて、こっちのセリフだ。
ミコトはロイを睨みつけた。
「もう、もう、私と2人が嫌なんでしょう!? だったら、追いかけて来ないでよ!」
ロイは驚いた顔をする。
「な、何言って……」
「態度に全部出てるから! 2人になるのが嫌だって!」
ミコトの目から、涙がボロボロと流れる。
「昨夜、私がお酒飲んで暴れたからなの? それとも、1回抱いたら、イマイチだったから、もう二度とごめんなの!?」
「ええっ!?」
その瞬間だった。
ものすごく大きな殺気が、急に現れたのだ。
ロイはすぐさま剣を抜くと、ミコトを守るように立った。
ミコトも一瞬で涙が止まり、剣を抜いて構えた。
殺気の持ち主が、街路樹の影から現れる。
ロイより一回り体が大きく、黒髪の端正な顔立ちの男だ。
「ソ、ソマイ……さん!?」
ミコトの言葉に、ロイは「コイツがソマイ……」と呟いた。
ミコトは混乱していた。
ソマイは、ミコトを攫いに来たのだろうか?
でもこの殺気だ。
もしかして、ミコトを殺しに!?
「ロイさん、ですね。ミコトさんを散々放っておいたうえに、手を出して、捨てるおつもりとは、同じ騎士団長として、許せません!」
ソマイはそう言うと、剣をスラリと抜いた。
『……え?』
ロイとミコトの声が重なる。
「私はロイさんとの1対1の試合を希望します。ミコトさん、危ないので、離れていて下さい」
「ちょ、ちょっと待った! 何か誤解が……」
ロイは慌てて剣を下げて左手を前に出した。
「女性があんなに泣いている時点で、誤解ではないでしょう!」
「え、えーと……」
ソマイの言葉に、ロイはミコトを見た。
ミコトはロイの視線を感じ、ハッとなった。
かなり、頭の中が大混乱になり、この状況を夢にしかけていた。
「あの! ソマイさん!」
ミコトはロイの後ろから、ソマイに声をかけた。
誤解です! と言おうとして、誤解なんだろうか? と悩んだ。
実際、ロイは、ミコトと二人きりになるのを嫌がっていたのだから。
でも、この状況はマズイ。
二国の騎士団長同士が、私闘? はマズすぎる。
「ロ、ロイじゃなくて、私と一戦お願いします!」
『えっ?』
今度はロイとソマイの声が重なる。
「で、でも、今はまだ怪我が治りきっていないので、また今度、お願いします! とりあえず、みんな、剣は収めましょう!」
ミコトはそう言うと、自分の剣を鞘に収めた。
ロイとソマイも、顔を見合わせて剣を収める。
これで、私闘は防げた? と思ったところで、「ロイさん!」というリントの声が聞こえた。
「ああ、もう会ってたんですね!」
小走りでロイとミコトの隣りまで来たリントは、息を整える。
「会ってた?」
ロイが聞き返すと、リントは頷いた。
「俺もさっきなんですが、報告を受けたんですよ。騎士団にミコトを訪ねて、黒髪の大きな男が来たって。不在だと伝えると、立ち去ったって」
ミコトを訪ねて?
正面から堂々と?
ミコトはソマイを見た。
「はい。ミコトさんに、謝ろうと思いまして、引き返して参りました」
「え? あの、カーサさんは?」
カーサの恋人で護衛騎士なんですよね?
「もちろん、許可をもらってから来ました。そもそも、謝ってこいと言ったのは、カーサ姉さんですので」
ソマイの言葉に、ロイとリントは、目配せをした。
「姉さん? え? お二人は、ご姉弟なんですか?」
あのイチャイチャは、やっぱり演技?
「いえ、イトコなんです。昨日は誤解されるような行動をして、申し訳ありませんでした」
イトコ!
ミコトとセイラと一緒なのか。
そういえば、髪色も、カーサが金髪でソマイは黒と、まさにミコトたちと一緒だ。
「あの、何で恋人のフリをしたんですか?」
ミコトの素直な質問に、ソマイは少し困った顔をした。
「身内を悪くは言いたくないのですが、カーサ姉さんは、今、若い女性に、少し、いろいろありまして、でも、ミコトさんに、本当に失礼な事をしたと、反省していました。だから私に謝りに来させたんだと思います」
ミコトは、この流れで、何となく分かってしまった。
カーサの本心はともかく、ソマイは、馬鹿正直でいい人だという事に。
そして、イトコ仲は良いという事に。
「私を攻撃したのは?」
ソマイは頭を下げた。
「攻撃のつもりは全くなかったんです。でも、大変失礼な事をしました。本当にすみませんでした」
なんか、もう、いいか。
というか、驚いてソマイに気がいっていたが、ロイと本当は話をしなくてはいけないのだ。
「謝罪は受け取りました。私も生意気な態度をとって、すみませんでした」
ミコトも頭を下げた。
ソマイも再び頭を下げた後、ロイを見た。
「あの、先程の話ですが……」
ソマイが何かを言いかけたので、ミコトは慌ててソマイとロイの間に入った。
「ソマイさん! これは、夫婦間のちょっとした痴話喧嘩? ですので、大丈夫なんです! 私、本当に子どもで、すぐ、文句言っちゃうんです!」
こんなところで、国家特別人物であるロイの評判を、妻であるミコトが落とす訳にはいかない。
ソマイは「そうですか」と言った後、ミコトに向き直った。
「それでは、ミコトさんとの試合はいつにしましょうか」
本当に真面目な人のようだ。
しかし、模擬戦をやってくれるなら、ミコトにとっては嬉しい話だ。
「1ヶ月後に第1でお願いしたいです。真剣ではなく、木剣で……」
「ミコト!」
ロイは反対なのだろうけど、流れ的に仕方ない。
「承知しました。それでは、お時間とらせてしまい、申し訳ありませんでした。失礼いたします」
ソマイはミコトとロイとリントに礼をすると、踵を返して去って行った。
引き際アッサリである。
ソマイを数秒見送った後、ミコトとロイとリントは、ハァーと息を吐いた。
いや、ソマイの事はもういい。
こっちの問題は何にも解決していない。
でも、ここからまた泣いて、わあわあ言うのも何か変である。
リントは、先程の痴話喧嘩という話と、ミコトがロイと目線を合わせようとしない事を鑑みて、2人は予想通り、すれ違っているのだろうと思い、溜息をついた。
「ロイさん、俺、間に入った方がいいですか?」
ロイは顔を輝かせて、首を縦にぶんぶん振った。
「お願いっ! ソマイの件より、先に!」
「優先順位高いですね……」




