112.抗えない
ロイはミコトを背負い、第2エラルダ国領の森の中を走っていた。
ミコトは、薄暗くなってきた森の中で、ものすごいスピードで目の前を過ぎて行く木々を眺めていた。
つい、3時間程前までは、第4のセタの実家にいた。
疲れたと言ったをセタを部屋に連れて行った後、ロイは急に第1に帰ると言い出した。
リタが泊まっていってと言うのを断り、オルバとシェナに素早く別れを告げると、第4の首都にいるキダンにも会わず、ミコトを背負い走り続けているのだ。
ミコトは分かっていた。
また、ロイを不安にさせてしまったのだ。
ミコトの軽率な考えや行動で、ロイは命を落としてしまうかもしれないのに、チェコに会いたいと言い出してしまいそうだった。
国家特別人物の妻として、失格だ。
ふと、ロイはスピードを落として立ち止まった。
「もうすぐ第1に入るんだけど…」
「えっ! もう!?」
早過ぎる!
行きは、一泊したというのに。
ロイを見ると、汗をかいて、少し息が荒い。
「ロ、ロイ! 休憩しよう! もう暗くなるし、第1に入ってすぐの町の宿に泊まろうよ!」
ロイは少し驚いた表情をしたが、すぐに笑って頷いた。
「じゃあ、そうしようか」
第1に入れば、30分程で首都に戻れるが、ミコトと宿に泊まるのも悪くない、とロイはまた走り出した。
およそ15分後、ミコトとロイは、第1エラルダ国の一番北端にある町の宿屋の一室にいた。
小さな宿屋だったが、ミコトは、迷いなくお風呂付きの一番大きい部屋を選んだ。
部屋は、ダブルサイズのベッドが2台、食事の出来る4人用のテーブルセット、ソファや鏡台もあり、割と豪華と言える。
ミコトは部屋に入るなり、お風呂の準備をしはじめた。
この世界の一般的な宿屋のお風呂は、お水だけ用意されていて、沸かすのは、お客が行う。
実はミコトは、この、風呂釜に火を付ける作業が今だに苦手である。
聖女の部屋のお風呂は、マリーや他の侍女が沸かしてくれるし、地球にいた頃は、ボタン一つでお湯が出てきたのだから、慣れないのも仕方がない。
でも、疲れている旦那様のために、苦手でもやるのだ、とミコトは手を伸ばして恐る恐る火を付ける。
ロイは荷物を置きながら、ミコトはそんなにお風呂に入りたかったのかな? と思っていた。
「ロイ、お湯が沸いたら、お風呂に入ってね。私は夜ご飯を宿屋の人にお願いしてくるよ」
ミコトはお風呂場から出てくると、今度は部屋の外に出ようとする。
ロイは、そういう事か、と笑って、出て行こうとするミコトの腕を掴んだ。
「俺を労うつもりなら、一つお願いがあるんだけど?」
ミコトは「お願い」という言葉に、顔を輝かせた。
「何でも言って! 何でもするよ!」
うかつに何でもって言っちゃって、ミコトは可愛いなぁとロイは微笑む。
「じゃあ、お風呂に一緒に入ってほしいな」
「分かった!」
ミコトは笑顔で返して、少し考えて、顔を赤らめた。
「い、一緒に!?」
「うん。いつも聖女と一緒にお風呂に入ってるでしょ? 俺とも入ってよ」
ミコトはパチパチと瞬きをした。
ミコトにとって、セイラは家族だ。
ロイは、旦那様だから、そうか、ロイも家族だ。
ロイも洗いっことか、家族でしたいのかもしれない。
「私、ロイを洗うね!」
あ、いいんだ、とロイはふっと笑う。
「俺はミコトを洗おうかな」
ミコトは笑顔で頷いた。
洗いっこなら、セイラと毎日のようにやっているから、自信がある。
髪の毛を洗うのも、ミコトは上手いのだ。
「負けないからね!」
ロイは、やっぱりちょっとすれ違っているな、と思ったが、ミコトがノってきてくれたのでよしとした。
ミコトは男性とお風呂に入るということが、どういう事かよく分かっていなかった。
お湯が沸いて、脱衣所に2人で入って、初めて、恥ずかしい! と足がすくんでいた。
ロイは躊躇なくシャツを脱いで、上半身裸になり、動かないミコトの顔を覗き込む。
「脱がせてあげようか?」
「うあっ!」
ミコトはサッとロイから顔を逸らす。
裸のロイのイケメンオーラに勝てないということも、完全に忘れていた。
いや、しかし、恥ずかしがっている場合ではない。
疲れている旦那様を労うのだ。
ミコトは意を決して、シャツを脱いで、タンクトップ1枚になった。
ロイは、胸の開きが大きい、ミコトのパツパツのタンクトップ姿を見て、目を見開いた。
このタンクトップは騎士団で支給しているものだ。
ロイも同じ物を持っているが、ミコトが着ると、こんなにもエッチな感じになるのか。
「や、やっぱり、無理…!」
ミコトは赤くなった顔を手で覆って、しゃがみ込んだ。
ロイは、無理かぁ、とガッカリしたが、ミコトが嫌な事を強制するつもりはない。
「いいよ…」
「ま、待って! 国家特別人物の妻だし、無理じゃないよ! あ、後で行く!」
ロイは、しゃがみ込むミコトの隣に同じようにしゃがんだ。
「あのさ、前から思っていたんだけど、国家特別人物の妻だからって、無理をしなくていいんだよ」
ミコトは顔を上げる。
「ちょっと、どんな妻教育を受けたのか分からないんだけど、俺の言うとおりにする必要は全くないし、嫌な事は嫌って言っていいんだよ」
ロイの優しい青い瞳に、ミコトはかすかに頷いた。
「俺も国家特別人物教育? を受けたけど、何にも覚えてないし、ミコトも気にしないで…」
「何にも!?」
ミコトは驚いてロイの言葉を遮った。
ロイは「うん、何にも」と頷く。
ロイがそう言うのなら、本当に何も覚えていないのだろう。
今まで、国家特別人物の妻だからと頑張っていたのに、当の旦那様は、何も分かっていなかったのだ。
ロイはふっと笑う。
「ガッカリした?」
ミコトは首を横に振った。
「ちょっと、安心した。私は国家特別人物の妻というよりは、ロイの妻なんだなって…」
「うん、そうだよ」
ロイはミコトのシャツを脱衣籠から取り出してミコトに着せた。
「ちょっと残念だけど、風呂は俺が先に入るね」
ミコトは立ちあがろうとするロイのズボンの裾を引っ張った。
「……無理じゃないかも…」
「いや、でも…」
ロイは、ミコトはいつもこうだ、と思っていた。
こちらが我慢しているのに、ひょいと飛び越えてくるのだ。
そして、吸い込まれそうな黒い瞳で、誘惑にも近い言葉を言うのだ。
「一緒に入りたい!」
本人は分かっていないのだ。
ロイがそれに抗えないということを。
次の日の朝、ロイとミコトは、宿屋の食堂で、朝食を、大食い選手権かというほど、食べていた。
食堂には4人掛けのテーブル席が8つあり、カウンター席が6つあった。
ロイとミコトの他に、5〜6人いた客は、驚いて2人を見ている。
と、いうのも、2人は昨夜、夕飯を食べ損ねたからだ。
結局、ミコトはロイと一緒にお風呂に入り、その後は朝まで、ロイに離してもらえなかった。
食堂に来た時は、ミコトは空腹と寝不足で、フラフラだったのだ。
「すみません、パンのおかわりを、あと10個下さい」
ロイは宿屋の人に追加注文をする。
ロイもお腹がかなり空いているようだが、ミコトのようにフラフラには見えない。
昨日、馬車で10時間はかかる距離を走り通し、夕飯も食べずに、朝までミコトに、いろいろやっていたくせに、何故こんなに元気なんだろうか。
ミコトはロイを、睨むように、じぃっと見つめた。
ロイはミコトの視線に気づいて、苦笑した。
「ごめんって…。ほら、パン食べて?」
ロイはミコトの口にパンを近づける。
いくらなんでも、追加の分までは食べられない。
「もう、お腹いっぱいだよ!」
「そう? でも、ちょっと痩せたよね? たくさん食べないと…」
せっかく痩せたのに!
というか、そういうの、分かるんだ?
ミコトは赤面して、んんっと咳払いをした。
「ロイは平気なの? あんなに走ったのに、全然寝てないよね?」
「うん、まあ、頭を使わなければ、大丈夫。それに、ミコトがすごく可愛かったし…」
ミコトは顔をバッと両手で覆った。
この、天然素直イケメンがっ!
ロイは、気にした様子もなく、運ばれてきたパンを黙々と食べている。
昨晩から今朝にかけて、ミコトは、はっきりと分かってしまった。
今まで、かなり、容赦してもらっていたという事と、ロイは体力が規格外なので、本当は、こんなものじゃない、ということが。
そして、他の奥さんを作らないでと暗に言ったのはミコトなのだから、ミコトはそれを全て受け止めなくてはいけない、ということだ。
帰ったら、体力強化メニューに取り組もう。
セタの言った、力を抜く癖も直して、もっと強くなろう。
襲撃を全て返り討ちにして、ロイに負けない体力をつけて、他の女を寄せ付けない!
「ロイ、私、頑張るね! 男も女も、寄せ付けない!」
ロイは、今の話の流れで、何故誰も寄せ付けないことなったのかよく分からなかったが、とりあえず、頷いた。
「でも、頑張るのは明日からでいいよ。今日は聖女棟まで送るから、ゆっくり休んで?」
確かに、ミコトは殆ど寝ていないので、休日にしてもらえると助かるが…。
「ロイはその後どうするの?」
「俺は騎士団に行くよ。リントも休ませないと…」
「ロイも休まないとダメだよ?」
ミコトの黒い瞳を見ながら、ロイは頷いた。
「そうだね。今夜は寝ようかな…」




