107.キダンの失恋
キダンがセタに最後に会ったのは10年前だ。
この頃のキダンは、諜報員としてかなり活躍していて、手が足りないと言われれば、率先して各国を渡り歩いていた。
第1に戻る事は殆どなく、またそれが有り難かった。
父のアレンも、娘のマリーも、キダンとは距離をとりたがっていた。
キダン自身も、アレンはともかく、ルリに似ているマリーとは、何を話していいか分からなかった。
そんな時、報告のために一時帰国した第1で、突然セタに話しかけられた。
「キダンさん、アリアンを調べているそうですね」
ブルーグレーの髪と瞳、長身の引き締まった体躯に恐ろしく整った顔。
11歳で養成所をダブルトップ卒所し、副騎士団長を15歳の頃から務めている。
これは、神様のエコヒイキで出来たとしか思えない人間である。
「なにー? セタ君、情報くれるの?」
キダンがいつものようにおどけても、セタは全く動じない。
「調べるのは構いませんが、ロイには何も言わないで下さいね」
セタは笑顔だったが、目が全く笑っていない。
「言わないけどさ、ロイ君には内緒なの? 弟でしょ?」
「時期がきたら、俺から話したいだけですよ」
キダンは、その時期というのは、愛する人が出来た時だと、直感で分かっていた。
「ロイ君にさっき挨拶したんだけどさぁ、明るくていい子だけど、ちょっと、子どもっぽいよねー。僕の10歳の娘の方が、大人っぽいくらい…」
キダンはそこで話すのをやめた。
セタからヒヤリとした威圧を感じたからだ。
「そこが、ロイの良いところですよ」
セタの言葉に、キダンは慌ててウンウンと頷いた。
セタと話したのはこのくらいだったが、はっきり言って、怖いという印象が強かった。
「…ランさん、コランさん?」
チェコの呼びかけに、キダンはハッとなった。
そうだった。
今夜もヤトラと一緒に、サロン・カラスに来ているのだった。
「ごめん、ちょっとぼーっとしちゃった」
キダンはアハハと笑う。
チェコもふふっと笑い、キダンのグラスにお酒を注ぐ。
今日のチェコは、ダークレッドのタイトなドレスにいつもの真珠のネックレスだ。
隣を見ると、ヤトラと彼女になったヒバリが楽しそうに話している。
「お仕事忙しいんですか?」
チェコはキダンのグラスに水を入れると、マドラーでくるくるとかき混ぜる。
気を遣って、薄めに作ってくれている様だ。
「ん? んー、そろそろ国に帰らなくちゃいけなくて…」
キダンはグラスを受け取り、目を伏せる。
「そうなんですか。第4の方じゃなかったんですね…」
チェコも目を伏せる。
「チェコさんに会えなくなるのが、寂しいなぁって…」
「…私も寂しいです」
キダンはチラッとチェコを見たが、チェコは目を伏せたままだ。
キダンは、心の中で、ロイにゴメンと謝った。
「僕ね、チェコさんを助けたかったんだよ」
キダンはチェコの左手に自分の右手を重ねた。
チェコは重ねられた手をしばらく見つめると、うふふ、と微笑んだ。
「コランさんの、常套手段ですか?」
キダンは、これはダメだな、とガッカリした。
チェコは、再び、重ねた手に目を落とす。
「確かに、こういうお店で働いている女性は、きっと何か困っていると思われるんでしょうね」
しかも、悪い意味でとられてしまったようだ。
キダンはチェコの左手から右手をぱっとあげて離した。
「ごめん、そういう意味じゃなかったんだ」
キダンはヘラッと笑った。
焦りすぎたか。
まぁ、さよならするには、ちょうどいいかもしれない。
チェコはキダンを見て、微笑んだ。
「そういう意味じゃないのに、助けたいだなんて、コランさんは優しいんですね」
「え? えー、そうかなぁ(あれ、いける?)」
「そんなコランさんに、ちょっとだけ私の秘密を教えますね」
「ひ、秘密…?」
キダンはゴクリと唾を飲んだ。
チェコはふふっと笑うと、自分の黒髪を触った。
「コランさん、黒髪の女性に会うのは初めてっておっしゃいましたよね。実は、黒髪の女性には、不思議な力があるんです」
「不思議な力…?」
キダンの脳裏にミコトがよぎったが、ミコトに不思議な力があるかどうかはよく分からない。
チェコは頷く。
「私の力は、男性の本心を見抜く力なんですよ」
キダンは、あれ? と首を傾げる。
これは、営業トークの方かもしれない。
「コランさんは、ご趣味もあるのでしょうが、こんな年齢の私に、本気で好意を寄せてくださっています」
キダンは真面目な表情で頷いた。
伝わってはいるようだ。
チェコは「でも」と、自分の左手をキダンの胸にそっとあてた。
「コランさんのココには、別の女性がいます」
キダンは目を見開いた。
「奥様か恋人かは分かりませんが、きっと、死別されたのでしょう。強い後悔と自責の念をお持ちです」
「…な…ん…」
キダンは愕然とした。
なんだ、これは。
営業トークではない。
本当に分かるのか…?
「立ち入ったことを言ってごめんなさいね。でも、この女性には、誰も敵わないんです。死は永遠の別れのようですが、永遠に断ち切れない縁にもなり得ます」
チェコはキダンを真っ直ぐ見ると、胸にあてていた左手を離した。
キダンはチェコのグレーの瞳を見つめる。
「僕には、チェコさんを助ける事は、出来ないと…?」
チェコはゆっくり頷いた。
「そして、私にもコランさんを助ける事が出来ません。いえ、正しくは、コランさんは助かりたいとは思っていません」
キダンは自分の手に目を落とした。
キダンの両手は、カタカタと震えている。
「チェコさんは、助かりたくは、ないの?」
チェコは弱々しく微笑んだ。
「誰かを犠牲にしてまで、助かりたくはないですね」
それは、キダンのことなのか、ミコトのことなのか…。
キダンは奥歯を噛み締めた。
「す、すごい能力だね…。大体合ってるっていうか…。黒髪? に宿る力なの?」
せめて少しでも情報を、と思うのは、もう職業病かもしれない。
「実は分からないんです。黒髪に宿る力だったらいいな、とは思っていますが」
チェコはそう言うと、自分の黒髪を再び触った。
キダンはその仕草を見て、綺麗だなぁ、と思っていた。
キダンもチェコも、お互いを助けられない。
そういう二人は、一緒にいてはいけないのだろうか。
「どー思う!? ロイ君はっ!?」
第4エラルダ国の首都の宿屋の一室で、キダンは果実水をテーブルにドンッと置いて叫んだ。
ボトルから果実水が飛び出してこぼれる。
ロイはそれを台拭きで拭きながら、壁の時計をチラリと見た。
短い針は、3を指している。
夜中の3時だ。
「キダンさん、もう3時です。寝た方がいいですよ」
ロイはキダンの肩に手を置いた。
キダンはそのロイの手を振り払う。
「確かに僕は今でもルリが好きだよ!? でもチェコさんも好きなんだよ! それじゃあダメなの?」
この話、もう3回目だ。
「俺も最近分かったんですけど、女性はダメみたいですよ、両方好きは」
「ロイ君みたいな恋愛初心者に言われたくないーっ!」
キダンは泣き叫びながら、テーブルに突っ伏した。
ロイは、ハァーと溜息をついた。
キダンがヤトラに連れられて宿屋に戻ってきた時は、まだ落ち込んでいるだけで、ここまで荒れていなかった。
お酒を抜こうと果実水を飲ませて、ちょっと話でもと思ったら、どんどんエスカレートしてこうなってしまった。
それにしても、チェコの能力は…、いや、そもそも能力なのだろうか。
女の勘、かもしれない。
キダンは、振られたという解釈であっているだろうか。
何だか、分かりにくい話だった。
大人の恋愛、というヤツだろうか。
ふとキダンを見ると、テーブルに突っ伏したまま、寝息を立てている。
やっと寝たようだ。
恋愛経験が豊富でも、年齢がロイより15も上でも、失恋するとこうなってしまうのか。
ロイはキダンを抱えて、ベッドまで運び、そっと寝かせた。
「この場面、前にもあったような…?」
ロイは呟いて、ハッとなった。
ミコトだ。
国家特別人物懇親会の日の夜に、ソファで寝てしまったミコトを、同じように抱っこして、ベッドに寝かせたのだ。
なんと今度はオジサンである。
ロイは大きな溜息をつくと、自分も、もう一つのベッドに寝転がった。




