領主、ヴァイン・フルーロード
イケメンだった。
イケオジだ。
厚手のジャケットにシャツにズボン。宝石のついた高価そうな指輪をいくつか。さりげなく首にスカーフを巻いている以外は目立った物はしていない。
切りそろえられた金髪が左右に分けられている。
大変上品で清潔な身なりだ。
40代くらいか。少しくたびれているが、りゅうとした立ち姿。柔らかな物腰。
表情には涼しくも熱いものがある。
でも繊細な感じもある。女が入り込めそうな感じもある。
何だこの脂ののったいい男は。
これがシュアの前に立った領主、ヴァイン・フルーロードの第一印象だった。
彼は早朝やってきた。御者を兼ねた護衛一人と、彼の子供二人を連れて。
来訪の旨はあらかじめ施設には伝えてある。だが極秘ということにしてもらったので、領主用の馬車は使わない。
ざわつく使用人たちをそのままでとなだめ、やってきた施設長に周囲への説明も兼ね訪問の目的を告げる。
「ランディアで流行り病が広がっているのだが、それがこの領内にも少しずつ広がってきていてね」
施設長もうなづく。流行り病は大体都市部か貿易都市であるフルーロードから広がる。
「わざわざこのような地区にまで領主様自らがお出でくださること、大変ありがたく思います。ですが、ご子息様までお越しくださるとは」
予期していないことをほのめかす。ヴァインも分かっているというように鷹揚にうなづく。
「愚息にも領地に生きる者たちを知るいい機会だと思ってね。お前たち、ご挨拶を」
領主に促され、年長の一人がみぞおちあたりに手を当て、頭を下げる。
「サロモンと申します」
理知的な鋭い目を持つ金髪の少年だ。十代前半くらいだというのに、表情には隙がない。
文字通り彼にとっては視察なのだ。
「……オウカ、です」
こちらは兄とはまるで違う。
赤髪のくせ毛で、コートの上からでもわかるほど太っている。
母親似なのか。とにかく隣の金髪の親子とは似ても似つかない。
まだ初等教育を受けている年だろう。全体的におっとりしているが、やはり赤毛から覗く目は鋭い。それは性格を物語るものではなく、領主の子供には生来からそのように備わっている特徴のようだ。
「ご丁寧にありがとうございます」
施設長は深く頭を下げ、自分の紹介をした。
あとの会話をヴァインが引き継ぐ。
「領内でも亡くなる子供が増え始めた。だが、ここの子供にはほとんど病人はいないと聞く。たしかにいるようには見えないな」
「ただ時間の問題ということなのでは?」
「それを知りたくてな。少し中を見させてもらえないか」
「もちろんです」
やり取りの間にも、玄関には人が増え続けていた。
中には食事中と思われる子供もいたが、止めるはずの彼らに給仕をする大人たちも出てきて、歯止めが利かないようだ。
施設長が使用人の一人に子供を連れて戻るよう言い渡し、それを機に少しずつ集団がはけていく。
一応落ち着いたとき、領主と子供、その護衛は、施設長の案内で中の様子を見て回った。
シュアはそのとき食事中だった。
食事は戦場である。常に仲間たちのスプーンの先を警戒しなければならない。
そんな中、みんな食事そっちのけで行ってしまったものだから、今日ばかりはスープやフルーツを大量にせしめていた。
だから廊下の前を領主一行が過ぎ去っても、彼女は特に気には留めていなかった。
一行はそれから客室に案内された。
「いかがでしたか? たしかに、どこにも病の兆しは現れておりません」
「我々が驚いているのは、この施設の清潔さだ。詳しく言うのは控えるが、職員や子供たち含め、他の施設では鼻どころか目が痛むようなところが多くてな」
「ありがとうございます」
「なぜここまで清潔に? もちろん、きれいにしておくことはいいことだが、これほど徹底させるわけはなんだ?」
「実は、きれい好きな子供がおりまして。彼女が言い出すまでは、おそらくここも他とそう変わりないようなところでした」
「なるほど、だが子供の声一つでここの全員が言うことを聞いてしまったと?」
「いえ、彼女は、少し知恵を使ってみんなの心をすっかり入れ替えてしまったんです」
「差し支えなければそれを話してくれないか」
ということで、三代巫女ルティの名をかたり、衛生指導をした件が領主に伝わった。
「ああ、やはりここだったか。私の耳にも入っていた。それは知恵というか、場合によっては大問題だ」
施設長もうなづく。巫女の名をかたるなんて、下手をすると重罪だ。
ただ、教育を受ける前の、それも普段からほとんどしゃべらない子供が突然口にしたものだから、異様な真実味が出たのだと思う。
施設長も火消しには大変骨を折った。だが結局噂は領主の耳に入っていたようだが。
「彼女には言い含めてあります」
「わかっている。それについては何も言わん。その子を連れてきてくれないか」
こうして、領主の前にシュアが連れ出されることになった。
***
領主を前になんだか必要以上にかしこまっているシュアを見て、施設長はこみあげてくる笑いをこらえる。
彼らの案内で建物を回っているとき、周囲の喧騒には目もくれず、彼女だけは部屋でご飯をむさぼっていたのを見ていた。
思えば、理より実を取るようなところがある子供だ。
だかかなり年上だぞ。まああと十年もすれば結婚できる年齢ではあるが。
おそらくそういう目でこの子はこの領主様を見ている。
隣に同年代の息子たちがいるのに、そんなものには目もくれず。
領主はその熱い視線には気づいているが、その辺の女が自分に向けるものと思っているだけだろう。
だがその目は、なんというか、恋心というような生易しいものではない。
もっと切実な、結婚適齢期ギリギリの女がどストライクに出会った時の、そんな獣めいた何かだ。
本当に巫女が乗り移ったのではないか?
シュアは知らないだろうが、ルティといえば、恋に生きる女性だったのだ。
そんな疑念が脳裏をかすめる。
彼女は興味を持って、それぞれに腹に一物抱え対峙する二人を見守る。
「始めまして。私はヴァイン・フルーロード」
「シュッ、シュア、です。は、はじめまして」
そう言った。前世の口調だった。施設長がほうという顔をしている。
一瞬やめようと思ったが、思い直す。
女の勘である。この男のお眼鏡にかなう必要性を感じた。断固この姿勢をキープ。
続けて何か言おうとしてみる。だが何を言えばいいんだろう。
***
使用人に呼ばれたシュアは、一階の客室に連れていかれる。そこに彼らがいた。
革のソファには施設長が座り、向かい合う席にダンディ男、隣に子供二人。壁際には屈強な男が一人。
この何とも言えない雰囲気。相当偉い人だという結論が一瞬ではじき出される。
彼らがどうして自分を呼んだのかはわからない。もちろんここは孤児院だ。だがどうも親になってくれるような雰囲気ではない。だって子供が二人もいるのだ。
ここは慎重に行こう。返答次第で天国にも地獄にもなる。
「君の功績は聞かせてもらった。熱湯で食器を洗うというのは面白いね。君が思いついたのかい?」
なんて言っていいのか。これについては説明に困る。もう跪かれるのはごめんだ。
だが殺菌とかそういうのはまだこの世界にはないだろう。たとえあったとしても、子供がしゃべる内容ではない。
黙ってうなづくだけにする。
「今、首都を中心に流行り病が蔓延している。幸い王宮は大事ないようだが、ひどいところだと死者も出ている。だがこの施設はその影響がみられないと報告があって、こうして見せてもらっていたんだ」
意見を求められているのか? いやいや、違うだろう。だって子供なのだ。流行り病のことなんて今知ったくらいだ。
「それで見てみると、どうもこの施設だけ他と比べてだいぶ清潔だ。思えば確かに掃除に気を配っている場所では罹患する者はいない。それについて君はどう思う?」
率直に意見を求められた。そしてその目は、一心にシュアを見ている。熱い視線を感じる。
思わず施設長を見る。でも彼女は平然とした顔をしている。
シュアの発言を心配している様子は見られない。どことなくだが、信頼、いや、今の自分の気持ちを見透かされている感じがあったので目をそらす。
「私は孤児で、物心ついてからほとんど外に出たことがありません。だから他のところがどうなっているのかわかりません。
でもこの施設がきれいかというならまだ不十分だと思います」
そこまで一気に言って言葉を切る。続けてというように、ヴァインは彼女を見る。
「床はきれいにしていますが、土足の床を子供や赤ちゃんは、地べたを素手や裸足で平気で歩いています。またその床に寝具を直に置いたり、落ちた食べ物は当たり前のように皿に戻されたりもします」
なんだか言っているうちにどんどん腹がってきた。
「外だって馬の糞が落ちています。来客はその足でこの場に上がり込んでくるのです。水の水源だって、子供ながらに大丈夫かと思ったりもしました」
これ絶対子供が言う言葉じゃない。でも止められない。
だがここへきてずっと我慢していた不快感が噴出してきた。だってちょっと気を付ければよくなるのだ。
「なるほど」
突然ヴァインは立ちあがった。
壁に立つ護衛を呼ぶ。
「城に魔法で注意喚起してくる。
シュアさん。貴重なご意見をありがとう。もしかしたらこれからも伺うようなことがあるかも知れない」
そんなことを言って、彼は護衛とともに部屋を出て行ってしまった。
シュアはぽかんとしている。残された者たちも似たようなものだ。
ただ、おそらくシュアだけが違うことを考えている。
魔法?
孤児院にそれらしきものはなかった。
火も竈だし、水は水道がある。
でも、聞いたら変に思われる?
いや、と思い直す。
今まで暮らしていて魔法に触れていない。つまり私は、今魔法という言葉に初めて出会ったのだ。
「まほーって、なんですか?」
恐る恐るそう切り出す。
「お前はそんなことも知らないのか!!」
突然声を上げたのは、年下の赤髪ぽっちゃりの男の子。
「はい、ごめんなさい」
素直に謝る。
少年は一層向きになってまくしたてる。
「さっき父上とあんな世情の話をしていたというのに魔法も知らぬだと? お前は変だ」
シュアが発した質問に納得がいかなかったようだ。
でも誰も何も言いださない。子供の身分が高くて口出ししづらいということもあるが、何というか、うっすら彼の言うことも否定できないというような雰囲気があったから。
少しして口をはさんだのは年長の子供だった。
「オウカ、失礼な態度は改めなさい。シュアさんも驚いているだろう。失礼しました」
そう言って頭を下げる。
キザで面倒くさそうな子供だと思っていたが、礼儀正しさに少し見直してしまった。
「いいえ、私の方こそ変なことを言ったみたいで」
「確かに施設には魔道具なんかは置いてないですからね」
そこで施設長が助け舟を出す。
オウカがすかさず質問する。
「なぜだ。便利なのに」
「はい。盗まれてしまうのです」
その言葉で納得したようだ。
「申し遅れました。私は長兄のサロモン、そして彼は弟のオウカです。シュアさん、魔法というのは、簡単に言うと人間が使える小さな自然の力のようなものです」
「そうなんですか?」
「ええ。我々には魔力というものが備わっています。その魔力を、魔法が封じられた魔法石や魔具などに流すことで魔法が現れます」
魔法石? 魔具? さっき魔道具とか言ってたけどまた違うものか? とにかく知らない言葉がでてきたぞ。
「まあそれを使って生活に必要な火や水を出したり、またそれ以外の様々な便利なことにも使えます」
言いながら手のひらを上に向け、そこから小さな水を出して形を変えたり周囲を旋回させる。
最後にもう一方の手で火を出して、その水の塊を蒸発させてしまった。
「すごい」
素直に感心する。俺に惚れるなよというような目でシュアを見ていることをのぞけば。
「私にもできますか?」
「初等教育で習いますよ」
そのあとで領主が戻ってきて、ほどなく彼らは帰っていった。
オウカが何か言いたげにシュアをにらんでいたが、結局何事もなく彼らは別れた。
シュアに会いに領主が来た。
少しして街にはそんな噂が飛び交うことになる。




