訓練
「拡散ができてないな」
一週間が過ぎた。
フレイはシュアの魔力の動きを見られるようになった。
タブランに頼んでそんな魔法石を用意してもらったのだ。
シュアのお腹にある魔力は、あれから大きくなることはなかった。だが力強くはなった。
それなりに自由にも動かせる。
猫サイズの鼠が俊敏にシュアの手足を行き来するような感覚だ。
身体強化も、瞬時に手や足に魔力を移動させその内部を強化するということはできる。
魔力の塊を二つに分離して両足を同時に強化し、瞬間的に速度やジャンプ力などをあげることもできる。
それについてはかなり器用だと言われた。
ただ持続的な運用はできない。部分強化も複雑になると不可能になってくる。
例えば、目に魔力を集めつつ同時に両足を強化、みたいなことだ。訓練を積めばできるが、実用向きではない。
それをするにはフレイが言う通り、全身に魔力を行き渡らせること、すなわち拡散が必要になってくる。
無理矢理全身に行き渡らすことはできる。
だがその状態で動いても、いつの間にか元の塊に戻っている。
「さ、どうするかね」
尋ねられる。
指導法は終始こんな感じだ。目指す目標はくれるが、あくまで上達のきっかけはシュア自身でつかむ。
フレイは、質問には答えられるものなら答えてくれる。
それからほんの少し、見えるか見えないかのところで助言やサポートをくれる。
「フレイ様は、どんな風に魔力を捉えているのですか?」
「私の感覚を聞いたって何もならんよ。お前のように魔力を捉える者を見るのは初めてだ」
「それでも、聞きたいです」
藁にもすがるというやつだ。
「拡散という言葉を使ったが、正直そういう意味では使わない。初めから魔力は全身から出るものだから」
ああなるほど。
何にもならんとはそういう意味か。
「ええと、じゃあ私みたいに、水の塊みたいな魔力が身体を行き来するなんてことは……」
「ないな。たぶん、初めにポーションで捉えたからかも知れないな」
おお。
さらっとあのポーションが原因かもしれないなんて言ってる。
だがなんとなく分かったことがある。
シュアが液体、あるいはスライム状で魔力をとらえているのに対して、フレイを含め、ほとんどの人たちは、気体、あるいは霧状で捉えているのではないか、ということだ。マンガみたいな迸るような感じで。
つまり、自分もそう捉えればいいのではないか。
……どうやって?
やろうとしたが、イメージが湧かない。
だって気体にしたら魔力そのものをとらえられなくなるのでは?
そもそもフレイの話は、それは一般的な人の話なのでは?
それでふと思う。
「そういえば、私のお腹にある魔力はもう大きくならないのですが」
お腹が大きくならないみたいな言い方だが。魔力が増えていかないのも確かだ。
「それがお前の実効魔力ということだ。潜在的には増えてはいる。例えば、初日以降魔力を使っても、お前の中の実効魔力の量はさほど変わっていない。つまり補給されている。それはお前にもわかるだろう」
ああなるほど。持久力みたいなことだろう。少し休むと回復できるようにもなった。
つまり、こうやって使っていくうちに魔力は増えていくということか。筋トレみたいに。
「ええと、それなら、とりあえずできるだけ全身に魔力を広げながら生活してみようかと」
マンガの教えだ。
「それがいいのかな。ただ、一つ条件がある」
「はい」
「それをする場合私の目を離れて訓練することになるが、やめろと言ったら即やめるように」
シュアはうなづく。
どうもその魔力の出力がかなり厳格に制限されている。
なぜだろう。
それほど魔力欠乏というのは大変なことなのだろうか。
まあ確かに、シュア自身経験もある。あるいは一度空っぽになると、復活するまで時間がかかる、みたいなことなのか?
いずれにせよそうした方が効率的なのだろう。
「ある程度方向性がつかめてきたので、寝てきます」
ちらりとフレイは窓の外を見る。夕日はもう暮れかかっている。
「ああ。それがいいだろうな」
さぼっているわけではないと、シュアは自分に言い聞かせている。
眠るのはかなり効率的だし、子供の身体にとってもかなり必要だ。
これで女王のお眼鏡に敵われなければお払い箱になるのは自分なのだ。
数歩歩けばベッドだ。
そこに行きつくまでの、何気ない思い付きだった。
この『魔力の塊を感じる』、というベースがそもそもいけないんじゃないの?
そう思った。
なら試しに消してみよう。
だが消すってなんだ?
少し考えて閃く。
すでに私は魔力を消している。みんなが魔力を『消す』、つまり体の外に出さない状態が自分の平常なのである。
でも普通の人は、自分の魔力を消しても、体内にある魔力の認識は私のように液体でなく気体状なのでは?
要は言葉の違いだ。拡散ではなく、気体に変えるという感覚。
そこまで思考を整え、シュアはまず液体魔力をお腹のニュートラルポジションに。
これを気体に。
分割や伸ばすのではなく、沸騰し、湯気が出て、煙が全身に広がっていくイメージ。
音が聞こえる。
心臓の音だ。渓谷を流れる川のような血液の流れ。それから外の風の音。
フレイを見る。彼女の身体は魔力にうっすらと覆われている。
体が軽い。
試しに部屋の向こう、フレイのベッドがある辺りまで行ってみる。
床を軽く一蹴り。
いつの間にか部屋の半分の場所にいた。
もう一蹴りで、あっという間にフレイの方へ着いてしまった。
身体が煙のようだ。
出入り口に近くに立つフレイはシュアの移動に気づいていない。
シュアの視線に気づき、そちらを向いた。
驚いた顔をしている。
「今、何をした?」
***
魔力は気体か、あるいはお湯のイメージ。それが身体にめぐると、文字通り自分の身体の流動性が飛躍的に上がる。
これがおそらく、一般的な感覚に近いものなのだろう。
ただ、消費が大きい。
気体にした場合だと、数秒から一分程度でガス欠になってしまう。だから正規の使い方ではないのだろう。
フレイに尋ねると、普段使いで魔力が足りなくなるなんてなったことはないという。他の者に尋ねても同じということだ。
「だから魔力は常に身体に充満しているものなんだよ」
金持ちに節約術を聞くみたいなものか。
これが常識で、平民などは必要に応じて部分強化みたいなことをするが、魔力の使い方は同じらしい。
だがシュアの場合、そのやり方でも高燃費に思える。
問題は、まだある。
このまま動くと、関節や筋肉を無視した動きになる。身体を痛めるどころか下手をすると壊してしまうだろう。
出力感がないだけに余計怖い。
たぶんこうならないために、身体の外も魔力で覆う必要があるのだろう。
同時に外部の攻撃から身を護る鎧になるのだから理に適っている。
だからシュアの場合、フレイをはじめとした魔力の使い方、もっと一般的にいえば、マンガみたいなエネルギーが体外へほとばしるイメージでの使い方は、たとえ魔力が外に出ない体質だからといって、使わない方がいいということだ。
一番いいのは、身体の重さを頼りに少ない魔力で動く。魔力のイメージ的には常温や、少し冷たい水だ。
もともと魔力で守れないから防御不要。紙装甲のスピード重視、低出力持続型というわけだ。
もちろん諸々問題があるが、念じただけで身体を動かせるような楽な運動ができそうだ。
ゆくゆくは、ということだが。
まだまだ身体の使い方が追いついていかない。
極めれば、おそらく老人になっても若い頃みたいに走ることができる気がする。
***
「やはり、私たちのやり方には合わないな」
さらに一週間、全身を常に気体、沸騰した水の魔力で満たし、高燃費で動くというやり方を試していた。だがやはりシュア、というか、内魔流持ちには合わないという結論に両者は達した。
成長して身体がしっかりしたら、50パーセントくらいの出力は出せるかも知れない。
さらに全身の内部を強化すれば70%くらい引き上げられそう。だが超高燃費で、現実的ではない。
緊急脱出時に使えるが、あまり選択肢にはいれたくない。
身体の重さをとらえるやり方は、やはり液体の魔力で捉える方がやりやすい。
だが調整が難しい。
全身をめぐる魔力の気体を液体に変える。途端に腹の方に集まっていくが、それを少しずつ、全身にとどめる。
現在はその訓練だけで毎日が終わる。
一応新しい技術はできたが。
「動きだけ見れば、気体の動きは寮生の運動試験にお情けで受かる程度かな」
という評価らしい。
なるほど、レベルが高すぎるな。
シュアの前世の実感としては、スーパーマンにでもなったような心境なのだが。
山から山へ飛び移り、木々の間を風のようにすり抜ける。
おそらくそんなこともできる。筋肉や腱や関節がぼろぼろになってしまうだろうが。
それに、枝に身体が引っかかろうものなら、結構な怪我になりかねない。
「骨や筋肉も魔力で強化できるが、お前はまだ子供だ。その辺も成長に合わせてやっていく」
「はい」
フレイも似たような見解のようだ。
「だが、何とか女王への手土産にはなったかな」
おお。やはり、切り札ができたことが心の余裕になっている。
「ということで次の段階。その前に、気づいているとは思うが、今までお前の魔力を制限していたんだが、理由は分かるか?」
「魔力が枯渇することを警戒していたのではないですか?」
かすりもしないとフレイの顔が言っている。
「内魔流というのは普通に治せるんだ。魔力を皮膚の外に出せばいいんだから。
だがそうなるとお前は普通の人だ。そうならないようにしてきた」
なるほど。
「私がここの人と会わなかったのも?」
「お前がどうというより、寮生にちょっかい出されるとな」
「じゃあ、次の段階というのは……」
顔合わせ、ということか。
「もちろん、それで駄目になってしまう場合もある。だが、ここの一人になるんだろう」
「私の力でこれからずっと魔力を外に出さない努力をしなければいけない、ということですね」
そこに自分の価値があるということらしい。
「その通りだ」
「どうしてそこまで魔力を外に出してはいけないのです?」
うすうす気づいていることもある。だがやはり、指導者の口からちゃんとした説明をもらいたい。
「まず、他人から一切の魔力を感じない存在というのは、とても貴重で役に立つ」
「私はどんな任務に携わるのでしょう」
でもフレイはそれについては答えることを避けた。
「第五王女の騎士の一人が死んだ件は聞いているな?」
「は、はい」
「それに伴って、再び騎士を選ぶことになった。現在は三人。で、追加でお前だ」
「はい?」
「タブランによれば、お前にもその適正があるらしい」
シュアの予想ではてっきり諜報とか下手をすると暗殺者かと思っていたが、だいぶ予想が外れた。
騎士ということは、ロイエと同じということか?
「今のところそういうつもりで鍛えて、お前もその結果を出している」
「あの、私、今まで何の訓練も受けていないのですが……」
「それについては皆同じだ。王宮女子寮の生徒は大体はお前のような年端もいかない小娘たちだ。それを私たちが一から育てる」
フレイはシュアの不安を取り去ろうとする。しかしシュアはあまり聞いている風には見えない。
つまり、これは結構な待遇ということなのではないか。
と、シュアはそんなことを考えている。
その喜びの気持ちはフレイにもわかる。
だが、きついのはここからなのだ。
「ということで、今日からは寮生と一緒にすごしてもらうことになる」
もう?
ノックがあったのはそんなときだ。
「はい」
「失礼します」
ドアが開がれる。
「どうしたお前ら」
大勢の少女たちがそこにいる。




