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透明な転生少女  作者: 森の手
第一章

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天啓

 馬小屋で生まれたシュアが連れていかれたのは、教会風の白い建物だった。


 修道服をきた中年の女が彼女を引き取った。

 明け方近くのことだ。そのまま部屋に連れていかれ、何人かの赤子と一緒に寝かせられた。甘い匂いに紛れ、体臭と糞尿の臭い。


 それから当たり前みたいにそこでの生活が始まった。

 乳母から乳をもらい、出す物を出す。もよおす前に泣いて知らせると、えらいねと褒められた。

 廊下を子供たちが駆け、洗濯物や掃除道具を持った女たちが忙しく通り過ぎる。

 隣の部屋では、教師らしい男が小さな子供たちに授業をしている声が聞こえてくる。

 そこは教会が運営する孤児院だった。

 『シュア』が馬という意味だと知ったのは、だいぶあとのことだ。


 こんなに何もしない日常は、おそらく小学生以来だ。いや、工場の電話番や家のことをやらされていた。

 ……赤子のとき以来かもしれない。

 とにかく、観察する時間と考える時間がたくさん与えられた。


 周りの人の顔立ちは西洋風で、髪は金髪や茶色、赤毛、黒も多い。話している言葉はわからない。知っているどんな言語でもない。


 抱き上げられると窓の外が見える。

 中世風の木造の街並みである。

 世話人の多くは中年から老人の女性だ。

 手のかかる赤子はひどい文句を言われたりもしている。

 シュアはかなり聞き分けのいい赤子だったので、ある程度放っておかれた。


 ハイハイができるようになるころには、すっかり言葉は分かるようになった。

 移動できるようになると情報量が一気に増えた。

 乳幼児の部屋で彼女は暮らしている。

 その部屋には彼女も含め、五人の子供がいた。

 亡くなる赤子も多くいた。記憶に残らないくらい。

 多くが初めから傷だらけだったり、病気だったりするが、孤児院側でも衛生観念というものがほとんどない。


 シュアも全身のかゆみに襲われた。

 シーツはダニとシミとふけだらけで、朝冷たくなっていた子供のベッドをそのまま新しい子にあてがったりもする。

 

 でもとにかく自分以外の子供は我慢している。なら自分も郷に従う。この世界で生きるなら、これが通常なのだと言い聞かせて。


 だが完全に歩けるようになったとき、つい、身体が動いてしまった。

 シーツをはいで窓の外で払うくらいいいだろう。

 食器だってきれいな方がいい。自分のいる部屋の床くらいならきれいにしよう。

 それに赤ちゃんだって清潔な環境は大切だ。

 そこで気づいたが、ちゃんと水道があり、トイレも水洗である。

 あまりにも当たり前すぎて、気づくのが遅れていた。


 彼女の勝手は多くの者が煙たがった。掃除の意味は分かる。だが何もそこまで、というのが周りの意見のようだ。

 それでなくても赤子の相手をしている者たちは疲れている。


 そのような要因が合わさり、ある日乳幼児室への出禁を言い渡された。


「でも、汚い手でご飯を食べると、その汚れは口に入るんです」


 たまらずそう言った。

 職員の老婆が一瞬たじろいだ。まさか口を利くどころか反撃が来るとは思っていなかったのだ。


「はいはい分かったよ、いったいそんなこと誰に聞いたんだい」


「ルティ・エンベリス様です」


 それを聞いたとたん、白濁している老婆の瞳が、どこか恐れにも似た色に変わる。


「あんた、どこでそのお名前を?」


 知恵者で有名な神の名前だ。

 シュアは赤子のころから隣の部屋で行われていた授業に興味を持っていた。

 そこで神話のような話を聞かされる。


 この島には巫女兼女王みたいな現人神がいて、彼女は亡くなると神になる。

 そのため歴代巫女を崇める多神教みたいなことになっている。

 ルティは三代目の巫女兼女王だが、知恵をつかさどる神として有名だった。

 

 とまあ、そこで得た知識の一部を披露したわけだ。


「夢の中で、汚い女たちにそう言ってやりなと言われたんです」


「なんて口の悪い。ルティ様がそんなことをおっしゃいますもんかね」


 持ち直す老婆。


「ああ、いや、もっと厳かで優しく言い含めるような言い方です」


「……じゃあなんて言われたんだい?」


 咳ばらいをして、それっぽく声を作る。


「シュアよ、あなたがきれい好きだということはよく分かったので、そんなあなたの前に現れました。

 私の言葉を皆に伝えなさい。そうすれば子供が病気で死ぬことは減り、この施設はとても有名になり、優秀な女たちは尊敬され、独身の者が男の貰い手に困ることはなくなるでしょう」


 床に尻餅をつく老婆。文字通り腰を抜かしていた。

 とっさに思いついたような言葉ではない。

 老婆からすれば歩いたばかりの、今までまともなことを喋るなんて思いもしない子供が、開口一番口にしたのが女王のお言葉なのだ。


 それもお声を聞いただって? そんなことができるのは……。


 その考えに至ったとき、老婆は即座に姿勢を正し、跪き頭をたれる。


「ルティ様は私たちに何とおっしゃられたのですか?」


 その豹変に戸惑いながら、シュアはゆっくりと続きを始める。


「とりあえず、毎日部屋の掃除をせよと。それから赤ちゃんの汚物桶をきれいに。身体も毎日きちんと拭いてやること。食器は使うごとにお湯で洗って。下着も毎日取りかえる。

 特に乳母は髪や身体は当然、爪の中まで毎日洗うこと。他の人も二日にいっぺんは洗ってください。あとの細かいことはこのシェアに聞いてください。

 さすれば清潔になって、男たちにもモテるでしょうし、結婚してもこれを続ければ、子宝にも恵まれるでしょう」


 子育て経験はないが、まあ清潔を保っていれば今よりはましだろう。


 おお。


 と、誰かが言った。ような気がした。

 そんな声が聞こえた気がする。

 気のせいではなかった。

 いつの間にか彼女たちの周りには、多くの使用人たちがいた。


 シュアが口にした神の名前は効果てきめんだった。

 いや、てきめんすぎた。


 まともに喋れない子供が突然巫女の名を口にし、今そのお言葉を伝えた。


 初めはそこにいた者同士のささやき合いだった。しかしその様子に何事かと、人が集まりだす。

 油の浮いた水に洗剤を一滴落としたかのように、シュアの言葉を伝え聞いた者の表情が消え、それを見てさらに人が集まり、そうして周囲が異様な静寂に飲み込まれていく。


 なんかやばいことが起こってる。


 近くにいる大人たちの彼女を見る目が、どこか敬意や恐れの色を持ち始める。

 そしてあるとき、老婆と同じように跪く者が一人。それを見た者がまた一人と倣っていく。


 あれ、なんだろう、これ。


 子供たちは何が起こっているのかと、呆然と立ち尽くしている。

 いまや廊下の奥まで人が詰めている。


 よし、泣くか。


 赤子時代に培われたスキル。周囲の壁に反響するように大声で泣くのがコツ。

 なんとかこれでうやむやにしてしまおう。


 パン


 手が鳴った。

 修道服姿の中年女性が人垣をかき分け、跪く者たちを踏まないよう、シュアの前までやってきた。


「みんな、仕事」


 施設長だ。厳しい顔つきでそう言って、群衆の解散を告げた。


「シュア、ちょっと」


 そのまま彼女に呼ばれた。

 助かったと思いつつ、何がなんだか分からない子供の顔をしてそれに従う。

 案内されたのは一階の客室だ。対面の革のソファに座らされた。


「ちょっと待ってて」


 施設長はそう言ってどこかへ行ってしまう。

 三十分くらいして戻ってくる。


「話は聞いたわ。その巫女様の『声』はいつもきこえるの?」


 思わず本当のことを喋りそうになったがそれを喉元にとどめ、小さく首を横に振って相手の反応をうかがう。


「その話は誰から聞いたの? よくチップ先生の授業を聞いてたみたいだけど」


「……うん」


「どんな話? 教えてくれる?」


「イアリア様は最初の巫女様で、始まりの十一人とともに島に秩序を。その子供のフェリア様は五大領主とともに安定を。ルティ様は、島に知恵をもたらしました」


 とりあえず、そんなところでやめて顔色を窺う。


「なるほど。頭のいい子だね。なんでルティ様があなたに教えてくれたの?」


「ルティ様ならこうおっしゃるんじゃないかって」


 ルティ・エンベリスは全国に学校を作ったのだ。そのおかげで、王国は全国民に教育が行き届いたらしい。


「つまり、部屋をきれいにっていうのは、あなたの考えなのね」


 おそるおそる、うなづく。


「わかった。もう戻っていいわ。ありがとう」


 意外とすんなり解放された。

 その日はおとなしく過ごした。

 シュアがいつも通り無言なのを見て、周囲も表面上はこれまでと同じように接することにしたようだ。


 数日経ったが、巫女の声云々という話はシュアの前では聞こえてこなかった。

 ホッとしながら彼女は終始おとなしくしていた。


 ただ、使用人たちは毎朝の掃除をきちんと行うようになった。もちろん老婆たちも。

 部屋は驚くほど清潔に保たれ、さらに自分たちの身体も清潔に保ち、赤子をぞんざいに扱う者は担当からはずされ、より丁重な者がつけられることになった。




 半年が過ぎた。

 朝早く、四頭立ての馬車が孤児院の前につけられる。

 馬車自体は変哲のないものだが、馬は見事な駿馬だ。

 御者は一般的な服装だが、屈強な30代ほどの男である。

 馬車の扉が開く。

 現れたのはジャケットコートに身を包んだ身なりのいい一人の壮年の男と、同じく身なりのいい二人の少年だった。

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