4 美味しい卵
次の日、春風が吹く厳しい山道を、一人俺は歩く。
昨日隠しておいた、どんぐりの実を回収するためだ。
朝もまだ明けやらぬ薄暗い山道だ。
つぎはぎだらけの上着。藁で編んだわらじを、脱げないように紐で縛り、てくてくと歩いて行く。
素足にわらじだけの足は、あかぎれてチリチリと痛むが、そんなことは気にしない。小さな傷など気にしていては、この世界では生きていけない。
背中には背負子を背負っているし、ずた袋も狩りのためのパチンコも樹液を受け止める皿も、忘れず入れてある。
荷物が軽いため、俺はしっかりした歩幅でスタスタと歩く。
帰りには、背負子はずっしりと重くなるはずだ。
どんぐりと獲物で一杯になった重さを想像し、俺の顔がにまにまと自然とほころぶ。
「雪兎、まだいるかなあ……」
山はなだらかで、7歳の俺でもたやすく登れる。
獣道のような道なき道だが、道の両側の藪は、去年の秋に大人たちによって払われているし、春まだ浅いこの時期は草木は芽生えたばかりだ。
昨日の場所に着いた。
空は明るく輝きだしている。急がないと、村の子らが上ってくるだろう。
俺はまず、木の洞に隠しておいたどんぐりの回収をした。
ずた袋半分くらいになった。
その後、洞に潜り込み、樹液を受け止める皿を設置しておく。
帰る頃には、皿一杯に樹液が溜まっているはずだ。
木の陰にどんぐりの入ったずた袋を隠し、雪兎の気配を探る。
昨日見た足跡は何かに踏み荒らされていて、ぐちゃぐちゃになっていた。
俺は足跡を見て、危険を察知した。
「まずい、これ、狼か? 大っきい狐かも……」
残された足跡を見たくても、春の溶けかけた雪。
そこがあまりにも踏み荒らされていて見分けがつかない。
それでも、僅かに残った足跡は七センチほどもあった。
狐ならば、五センチほどだろう。狼なら十センチくらいはあったはずだ。
どちらとも決められず、俺は狩りを諦める決心をした。
その時、山を登ってくる、子らの声が聞こえてきた。
獣道を一列になってこちらを目指してくる。十人くらいいる。
俺に気付いたようだ。足取りが速まった。
「奴ら、年長者ばかりの集まりか……」
村の子らの中では、十二歳は大人に差し掛かる年だ。
十三歳になれば大人の仲間入りをする。
その十二歳から十歳の子らの中でも、大柄なゴンタが先頭を歩いていた。
ゴンタは身長百六十センチはある。
村の平均身長を上回る大きさだった。
「おい、コウタロウ。ずいぶん早いな。誰と上ってきた? 母ちゃんか?」
「……俺一人で来た……」
「お、そうか、じゃあ、俺達と来いよ。仲間に入れてやる」
「……」
俺は少しだけ考えて、こう答えた。
「この先は危険だと思う……狼が出たかも。俺……帰るよ」
「この辺に狼はいないんだ。狐だろう。まあ、チビは帰れ帰れ。早く帰って母ちゃんのおっぱいでも飲んでろ」
周りの子らが一斉にはやし立て、笑う。
俺は、どんぐりを入れたずた袋を背負い、奴らが見えなくなるところまで山道を下った。
「まだ、樹液が溜まっていない。少し時間を潰すか……」
子らの声は聞こえなくなった。
そろりと獣道に戻り、さっきのところを目指す。
奴らは木の洞なんか見ないだろう。山菜や、雪兎目当てなはずだ。
用心して獣道を逸れ、急な近道を使う。
俺は岩が所々突き出る坂を、よいしょっと声を掛けながら上っていった。
足下は滑るが、わらじは優秀だ。
地面の感覚がじかに足裏に伝わり、足が岩を掴む感覚だ。
たまに爪が岩に当って血が滲むが、そんなのは気にしない。
登り切って周りを見る。
この近道は、去年の秋父ちゃんに教えてもらった。
獣道を一緒に歩きながら――ここを上がれば半分の時間で山のてっぺんに着く――と教えてくれた。
だが、俺は今日、初めて上った。
この低い山は、てっぺんまでしか行ってはいけない。
山を越え隣の山まで行くと、”穴”があるからだ。
“穴”は、村長が話してくれた話の元だ。
村長の話は全く意味が分らなかったけど、大人たちは口々にいう。
「山越えしてはいけない。危険だ」と。
山のてっぺんにやっと辿り着き、狭い足場から周りを見まわす。
山の東側は俺が上ってきた方だ。未だ芽が出ていない木々から村が見える。
振り返って西側を見れば、岩がゴツゴツとむき出しの荒れ地が広がっていた。
山は細い稜線で南北に繋がっていた。
「あれ、不味かったかな。サトウカエデがあるのは隣の山だった」
俺は尾根伝いに歩き出した。
だが、足を滑らせ転げ落ちてしまった。
足の置き場にあった石ころを踏んでしまったようだ。
岩の隙間に挟まり、転落は免れたが、足をくじいたようだ。
見上げると十メートルくらい転げ落ちたらしい。
何とか立ち上がろうとしたが、ズキリと痛みが走り、立てそうにない。
「まずかった、無茶をしなけりゃよかった……」
ここを上らなければ家には帰れないだろう。
二時間ほど岩の間でじっと考えるが、良い案は浮かばない。
「暗くなれば、父ちゃんたち、来てくれるかな……」
しばらくして、腹が減ってきた。朝、食べたきりだ。
昼飯まで帰れると思って、軽く考えていた。
お日様は真上まで来ている。
背中に背負っていた荷物は遙か下の方まで落ちていた。
岩から身を伸ばし、バラバラに散らばったどんぐりを、歯を食いしばって眺めるしかなかった。
俺の側に、鳥がうろうろしている。
ここには人が滅多に来ないからだろうか。
恐れる様子は見られない。
飛べない鳥。前世で見た雷鳥に似ていた。まだ冬毛が残って白っぽい見た目だ。
雷鳥よりも二回りも大きいが、大人しそうな鳥だった。
円らな瞳でこちらを伺っている。
「何だよ、何か用か?」
「クルル」
雷鳥に似た鳥がしきりに俺の足下を探る。
見ると巣があった。
巣には卵がある。
「食いもんがある!」
巣には、五個程の卵があった。灰色や茶色など様々な色をしている。
その中の一番大きな卵の殻にひびが入っている。
「これ、もらうぞ。どうせもう孵らないだろう?」
俺は雷鳥もどきに言い訳をしながら、ひびから穴を広げ、そのまま飲み込もうとした。
だが、中身がドロンとしていて中々流れ出てこない。
仕方がないので、腰に差していた小刀で中身をかき混ぜた。
かき混ぜる途中でコキッと下手応えがあり、途端に緩くなった感じが伝わる。
「もう飲めるかな」
俺は殻を逆さにして、ごくごくと卵の中身を飲み干した。
どろりとしているのに、口に入れるとしゅわっとした。まるで薄いジュースみたいで、美味しかった。
小一時間ほど経つと、身体が軽くなった気がした。
くじいた足も痛くない。
これなら岩を上れそうだ。
俺は急いで、でも慎重に岩を上った。
日はまだ明るい。
急いで獣道まで降り、山を登ってサトウカエデの場所に来た。
洞を覗くと、深皿一杯に樹液が溜まっていた。
腰にぶら下げていた竹筒の水をすべて捨て、皿から移し取る。
また洞に皿を置いて、俺は山を下りた。
どんぐりがなくなってしまって今日の獲物はなかったけど、命が助かったのだ。気を切り替えるしかかなかった。
身体は軽く、行きの半分もかからずに家に辿り着いた。
――この時の俺は、まだ気づいていなかった。
身体の奥で、何かが目を覚ましたことに。




