イカサマ賭場を潰す
次の村に足を踏み入れたクラリッサ一行を迎えたのは、晴れやかな笑顔ではなく――沈痛な空気だった。
広場の片隅で腰を下ろしていた農夫が、俯いたまま彼らに声をかける。
「……旅のお方か。すまねぇな、この村はもう終わりなんだ」
サラが不安げに首を傾げる。
「終わり……って、どういうことですか?」
農夫は顔を上げ、ひび割れた声で答えた。
「この村の金は、みんな賭場に吸い取られてるんだよ……」
彼の言葉に、一同は眉をひそめる。
聞けば、夜ごと開かれる賭場では胴元が必ず勝ちを手にしていた。サクラを潜ませ、牌を積み込み、勝負は常に彼らの思い通り。純粋に麻雀を打つ村人はカモにされ続け、気づけば田畑を手放す者すら出てきているという。
「麻雀の名を借りた、ただの搾取じゃな」ゴルド爺が吐き捨てるように言った。
リオは鼻で笑い、肩をすくめる。
「くだらねぇ。どうせ勝てない博打に群がる方が悪いんだ」
だがクラリッサの瞳は氷のように鋭く光っていた。
「……許せない。麻雀を、そんな風に穢すなんて」
彼女の胸の奥に、久しく眠っていた炎が再び揺らめき始めていた。
村人の話を最後まで聞き終えると、クラリッサは静かに瞼を閉じ――そして拳を強く握りしめた。
「……麻雀は、人を食い物にするための道具じゃない」
その声音は低く、しかし胸の奥に秘めた炎がはっきりと滲んでいた。
かつて雀帝と呼ばれた女の矜持が、歪められた“麻雀”の名を許せずに燃え上がる。
沈黙を破ったのは、リオだった。壁にもたれたまま、冷めた瞳で彼女を見下ろす。
「……大層なことを言うな。だが口だけじゃ意味がねぇ。だったら、証明してみろよ」
「証明……?」クラリッサが顔を上げる。
「“正しい麻雀”ってやつで、イカサマを打ち砕いて勝てるってな。できもしねぇ理想を掲げたところで、誰もついてきやしねぇさ」
その挑発は棘のように鋭く、周囲の空気を張り詰めさせる。
だがクラリッサは怯まない。むしろその瞳はさらに強く燃え、唇からはっきりと言葉が紡がれた。
「いいわ……この手で、証明してみせる」
胸に宿るのは怒りと、忘れかけていた“雀帝”の誇り。
その視線の先には、必ず潰さねばならぬ不正の賭場があった。
夜の賭場。油の匂いと濁った酒気が漂う中、クラリッサたち一行が堂々と足を踏み入れた。
ざわり、と場の空気が波立つ。見慣れぬ顔ぶれに、サクラの見張りたちが眉をひそめた。
クラリッサは真っ直ぐ、卓の奥に座る胴元を射抜くように見据えた。
「勝負をさせてもらうわ。――正しい麻雀で」
ざわつく場内。胴元は鼻で笑い、金の指輪を光らせながら椅子にふんぞり返る。
「ほう……よそ者が大口叩くじゃねぇか。ここは俺たちの庭だぜ。勝てると思ってんのか?」
村人たちは不安げに顔を見合わせた。だがその眼差しの奥には、どこか期待の火が灯りつつある。
胴元もその視線を感じ取っていた。観客の前で挑戦を断れば、支配の威光に傷がつく。
「フン……いいだろう。相手をしてやる。ただし――泣くなよ?」
勝負を決める言葉が放たれたその瞬間、低く響く声が場を切り裂いた。
「待て」
ゴルド爺がゆっくりと前に進み出る。懐からパイプを外し、白い煙を一つ吐き出してから、重々しく告げた。
「ワシが立ち会おう。目の前で見張るからには――イカサマは通用せんぞ」
その宣言は稲妻のように場内を貫き、ざわめきは一瞬にして静まり返った。
胴元の顔がわずかに引きつる。村人たちの胸に、希望の鼓動が強まっていく。
そして、舞台は整った。
正義と不正が卓上でぶつかり合う、一世一代の勝負が――幕を開けようとしていた。
卓上に牌が並ぶ音が響く。観客の村人たちは固唾を飲み込み、その一手一手を見守っていた。
胴元の側には、裏で暗躍するイカサマ師が控えている。積み込み、サクラの合図――汚い手口で勝ちを奪い取るのが常だ。
だが今夜は違う。
向かいに座るのは、かつて雀帝と呼ばれた女と、無貌の挑発者。
空気そのものが、賭場の連中の想定を越えていた。
最初の局、リオは無言で牌を送り出す。鋭い瞳が捉えるのは、卓の外まで含めた流れそのもの。
「……その待ち牌は作られたもんだな」
冷徹な声が走り、胴元の口元が一瞬引きつる。
観客がざわついた。リオの指摘は核心を突いていた。
積み込んだ牌――つまり“仕組まれた罠”が露見しつつある。
クラリッサはリオの横顔を見て、ふっと口元を上げた。
次の瞬間、彼女はためらいなく牌を切る。
――パシィン!
乾いた音が賭場を震わせた。
その眼差しには、かつて雀帝と呼ばれた頃の鋭さが甦っている。
「……ふふ。やっぱりいいわね、この感覚」
彼女の手は迷いなく揃い始める。流れを掴み、配牌の中から勝利への筋道を描いていく。
堂々たる姿に、村人たちの胸に熱が宿る。
クラリッサの一打ごとに、失われかけた“麻雀の誇り”が――卓上に蘇っていった。
勝負が進むにつれ、胴元の顔に焦りが浮かび始めた。
リオの冷徹な読みと、クラリッサの堂々たる打ち筋――そのどちらも、これまで食い物にしてきた村人とは次元が違う。
だが、追い詰められた賭場の連中は手を止めない。
ついに、イカサマ師が仕込んでいた積み込みを強行した。
――都合よく引かれる“勝ち牌”。
この場を覆す切り札……のはずだった。
その瞬間、観客の輪の中から高い声が響く。
「待ってください!」
皆の視線が向いた先に、サラが立っていた。看板娘の小柄な身体が、異様な熱を帯びている。
「見てください! あの牌の裏……印がついてます!」
ざわり、と村人たちがどよめいた。
サラは一歩前に出て、勇気を振り絞って指をさす。
「私、さっきから見てました! 同じ印のついた牌だけ、妙に都合よく揃ってるんです!」
観客が騒然とする。
胴元の顔色が変わった。
「……っ、戯言を!」と否定するが、既に遅い。
村人たちはざわめきながら、真実を悟り始めていた。
賭場を支配していた“イカサマ”の正体を――。
騒ぎが広がる中、ゴルド爺が立ち上がった。
老いた声に似合わぬ、堂々たる響きが賭場を貫く。
「――不正は無効! この場は真剣勝負で決めい!」
観客が息を呑み、場の空気が一気に張り詰める。
もはや誤魔化しは効かない。胴元とその配下は、冷や汗を浮かべながら牌を握り直した。
リオの瞳は氷のように冷たい。
「……お前の読み、全部バレてんだよ」
相手の待ちを逆手に取り、誘うように牌を切る。
そして――。
「ロン」
クラリッサが指先で牌を叩き、凛とした声を響かせた。
卓の上に広がる、美しく整った和了形。
その瞬間、観客の静寂は爆発した。
「おおおおおっ!」
「勝ったぞ!」
歓声が天井を揺らし、賭場は熱狂に包まれる。
胴元たちの顔は蒼白に染まり、逆に村人たちの瞳には生気が戻っていた。
クラリッサはゆっくりと牌を片付けながら、静かに呟く。
「――これが、誇りを懸けた麻雀よ」
勝敗が決した後、賭場の喧騒は一変していた。
胴元たちは観客の前で不正を暴かれ、信用を失い、逃げるようにその場を去っていく。
煌びやかな帳場は、もはや空虚な残骸でしかなかった。
残された村人たちは、互いに顔を見合わせ、そして歓声を上げる。
「勝った……! 本当に勝ったんだ!」
「これで、あいつらに搾り取られずに済む!」
一人の老人が涙ぐみながらクラリッサの手を取った。
「麻雀は……人を騙す遊びだと思ってた。だが違ったんだな……! 本当は、誇りを懸けて戦うものだったんだな!」
クラリッサはしばし黙ってその瞳を見つめ――ふっと微笑む。
「そうよ。麻雀は人を貶めるためのものじゃない。誇りと誇りを競うためのもの……」
彼女の言葉に、村人たちは深く頷いた。
その夜、村の空気は解放されたように明るく、広場には久方ぶりの笑い声が響いていた。
賭場の熱気が静まり、片付けが始まる。
リオは腕を組んだまま、ちらりとクラリッサの横顔を盗み見た。
「……今のあんた、ちょっとだけ“雀帝”に見えたな」
その一言に、クラリッサは一瞬動きを止める。だが次の瞬間には、顔を逸らしながら無言で牌を片付け始めた。
「ふん……調子に乗るな。まだまだよ」
けれど、その耳の先がほんのり赤く染まっているのを、リオは見逃さなかった。
サラはきらきらとした目で二人を見つめ、ゴルド爺は煙管をふかしながら静かに笑う。
クラリッサは手にした牌を箱へ収めると、視線を遠くに向けた。
「次の村でも……証明してみせるわ。麻雀の本当の姿を」
夕陽の下、四人の影は長く伸び、大陸を巡る旅路の先へと続いていた。
 




