村の子供たちと麻雀教室
陽に焼けた畑と、埃っぽい空気が広がる小さな農村。
人々の顔には笑みがなく、広場で遊ぶ子供たちさえも、どこか覇気がない。
彼らの手にあるのは、薄汚れたカードの束。
「いち、に、さん……ほら、そろった!」
「お前の負けー」
ただ数字を並べるだけの単純な遊びに、かすかな笑い声が混じる。だがそこに熱狂も工夫もなかった。
サラはその様子を見て、胸の奥が締めつけられるような寂しさを覚える。
「……この子たち、麻雀を知らないんですね」
呟きは自然と零れ落ち、言葉に滲む哀しみを隠せない。
ゴルド爺は煙草の代わりに木の枝を咥え、遠い目をしながら低く答えた。
「勇者アレスの支配で文化は押し潰された。難しい遊戯は“無駄”とされ、娯楽も単純なものしか残っとらんのじゃ」
クラリッサは一言も発さず、ただ子供たちをじっと見つめていた。
彼女の視線は、かつて人々が熱狂し、夜を徹して卓を囲んだ“麻雀黄金期”を思い起こしているようだった。
やがて、彼女は小さく息を吐き――
「……このままじゃ、本当に麻雀が消える」
低く、胸の奥から漏れた声は、痛みと悔しさを孕んでいた。
その言葉に、リオもサラもゴルド爺も沈黙する。
ただ、埃っぽい風だけが村を抜けていった。
クラリッサは一歩、広場の中央に進み出た。
カードを握る子供たちに、真っ直ぐな声を投げかける。
「――その遊び、面白い? もっと頭を使って、もっとワクワクする遊びをしてみない?」
子供たちは一斉に目を丸くした。
「え?」「なにそれ?」
単純なカード遊びしか知らない彼らにとって、それは未知の響きだった。
クラリッサは微笑むと、村の物置へ向かう。
「ちょっと借りるわね」
古びた木の板や石ころを運び出し、手際よく並べていく。
やがて、即席の簡易卓が姿を現した。
「わあ……!」
子供たちは好奇心に目を輝かせて集まってくる。
サラは袖をまくり、木片に墨で絵を描き始めた。
「ほら、これで“牌”の代わりです!」
線や丸、文字が刻まれた即席の麻雀牌。雑ながらも、不思議な魅力が漂う。
リオはというと、腕を組んだまま溜息をついた。
「はぁ……オレが説明役かよ」
ぼやきながらも卓の端に腰を下ろし、子供たちを見回す。
「いいか。これは“揃える”遊びだ。数字を並べたり、同じのを集めたりして、“役”を作ったやつが勝ち――シンプルだろ?」
子供たちは「揃える?」「役?」と首をかしげる。だがその目には、すでに好奇心が灯り始めていた。
クラリッサは、広場で数字合わせに興じる子供たちへと歩み寄った。
その眼差しは柔らかくも、どこか挑むような光を宿している。
「――ねえ、その遊びも悪くないけど……もっと頭を使って、もっとワクワクする遊びをしてみない?」
その一言に、子供たちは一斉に顔を上げる。
「え?」「なにそれ?」
未知の遊びの予感に、小さな瞳がきらめいた。
クラリッサは微笑んで、村の物置へと足を向けた。
古びた木の板や石を抱えて戻ってくると、手際よく並べ、即席の簡易卓を形づくる。
「ここに座って……こう、囲んで遊ぶの」
サラもすぐに加勢した。
袖をたくし上げ、木片に墨で簡単な模様を描いていく。丸や棒、漢字――
「これで“牌”の代わりです!」
即席ながら、それらは確かに麻雀のかたちを成していた。
子供たちは「すごい!」「絵がいっぱいある!」と目を輝かせ、自然と卓のまわりに集まる。
ただ一人、リオは腕を組んでそっぽを向いていた。
「ったく……面倒くせぇな」
そうぼやきつつも、結局は席につき、子供たちを見回す。
「いいか、よく聞け。これは“揃える”遊びだ。数字を順番に並べたり、同じのを集めたりして、“役”を作ったやつが勝ち――単純だろ?」
その説明に、子供たちは首をかしげながらも、胸の奥で何かがざわめくのを感じていた。
――見たこともない、新しい遊びの匂い。
最初は、てんでバラバラだった。
牌の代わりの木片を、順番も考えずにぽんぽん出したり、勝手に拾い直したり。
ある子は「役って……薬のこと? のんだら勝ち?」と真顔で尋ね、仲間が大笑いして卓が揺れる。
それでも、笑いは絶えなかった。
木片をつまむ小さな指はぎこちなくも真剣で、子供たちの瞳は一局ごとに輝きを増していく。
「――あっ! 三つ同じのが揃った!」
一人の少年が声を張り上げた瞬間、仲間たちは一斉に立ち上がった。
「すげえ!」「やったじゃん!」
広場には、大人顔負けの大歓声が響き渡る。
その様子を少し離れた場所で見守っていたクラリッサは、腕を組み、静かに口角を上げた。
「……いいわね」
小さく呟いたその声は、誰にも届かなかった。
だが彼女の胸の奥には確かに――忘れていた温かさが芽生えていた。
勝ち負けを超えて、誰かと笑い合える喜び。
“麻雀の楽しさを伝えること”の意味が、彼女の心にゆっくりと甦り始めていた。
最初、大人たちは眉をひそめていた。
「ガキの遊びに、何を大げさに……」
広場の隅で腕を組み、冷ややかな視線を送るだけ。
だが――。
子供たちの笑い声は、田畑の疲れを吹き飛ばすほどに大きく、眩しかった。
「ロンだ!」「すごい、揃った!」
そんな叫びが飛ぶたび、輪の中の瞳が輝きを増していく。
気がつけば、大人たちは農具を持つ手を止め、輪の外からそっと覗き込んでいた。
「……なあ」
ぽつりと、一人の農夫が声をあげた。
「俺にも、やらせてくれねぇか?」
その言葉に、広場の空気が変わった。
ゴルド爺がパイプを外し、にやりと笑う。
「ほっほ、いいじゃろう。ワシが教えてやるわい」
そうして始まった“大人の麻雀教室”。
最初は戸惑いながら木片をつまんでいた男たちも、やがて夢中になり、声を張り上げていた。
「おおっ、揃ったぞ!」「なんだこれ、頭使うなぁ!」
笑い声と歓声が重なり、いつしか村の広場は熱気に包まれていた。
かつて静まり返っていたこの村に――、確かに“麻雀”の灯が戻りつつあった。
子供たちの笑い声から始まった小さな火は、大人たちへ、そして村全体へと広がっていった。
数日後――。
村の片隅に、長い間使われていなかった空き家があった。
そこを村人たちが力を合わせて掃除し、木の板を削って簡易卓を整え、椅子を並べる。
そして、その夜。
小さな建物の中に灯りがともる。窓からこぼれる光の下では、男も女も、若者も老人も、同じ卓を囲んでいた。
「ロンだ!」
「くそっ、またやられたか!」
笑いと悔しさの入り混じる声が響き、そこにはかつて失われた“場”が蘇っていた。
村の人々にとって、それはただの娯楽ではなかった。
一日の仕事を終え、皆で顔を合わせ、知恵と運を競い合う――そんな時間が、再びこの村の中心に戻ってきたのだ。
クラリッサは少し離れた場所で、その光景を黙って見つめていた。
酒ではなく、勝負の熱気に酔う人々。かつて彼女が愛した世界の縮図が、確かにそこにあった。
「……麻雀の火は、まだ消えてなんかいない」
その呟きは、誰に聞かせるでもない誓いの言葉。
胸の奥に、小さく、しかし確かな確信が芽生えていた。
卓を囲む村人たちの笑い声を背に、四人は広場の片隅で小休止を取っていた。
リオは腕を組み、わざと気だるげな顔をしながらも、目だけは楽しそうに卓を追っている。
「……ま、子供の遊びにしては悪くねぇな」
その口ぶりに、クラリッサは小さく肩をすくめる。
だが横でサラが、ぱっと笑顔を咲かせた。
「クラリッサさん、やっぱりすごいです! こんなにすぐ、村の人たちが夢中になるなんて!」
感情を隠さずに言葉を投げてくる少女に、クラリッサは少し気恥ずかしそうに視線を逸らす。
「……私は、ただきっかけを与えただけよ」
そこへ、ゴルド爺がパイプを燻らせながら、どこか遠い昔を懐かしむように言った。
「ふん。昔はどこの村でもこんな光景があったもんじゃ。――それが、いつの間にか消えちまっただけよ」
夜風が吹き抜け、笑い声を運んでいく。
クラリッサはその音を胸の奥に刻み込みながら、かつて失われた文化を必ず取り戻すと、改めて心に誓った。
――そして、語りが重なる。
「こうして――小さな村に麻雀の火が灯った。その炎はやがて、大陸全土を照らす光へと育っていくのだった」
 




