雀姫伝説の誕生
卓上に、最後の牌が音を立てて沈んだ。
その瞬間――世界が止まったようだった。
クラリッサの指先はまだ震えている。
自分が何をしたのか、頭では理解しているのに、心が追いつかない。
アレスの完璧な“理”を打ち砕いた、奇跡の和了。
静寂。
張りつめた空気が一拍の間、凍りついたのち――
「……っクラリッサァァーー!!!」
地鳴りのような歓声が、世界を覆った。
割れんばかりの叫び、踏み鳴らされる足音、手を叩く音。
観客も、審判も、運営も、皆が立ち上がり、ひとりの少女の名を呼んでいた。
「クラリッサ! クラリッサ! 雀姫だ!」
「新しい時代の女王だ!」
天井から紙吹雪が舞い落ちる。
光を受けて輝くそれが、まるで星屑のように彼女の金の髪に降り注ぐ。
白と金のきらめきが、勝者の姿を幻想的に包み込んだ。
クラリッサはゆっくりと卓に手を置く。
熱く、痛いほどに現実を感じるその感触。
そして――静かに目を閉じ、微笑む。
「……ありがとう。みんなと、私の勝利だよ」
その呟きは歓声にかき消された。
けれど、その小さな声は確かに届いていた。
仲間たちの胸にも、観客の心にも、そして――アレスの沈黙の奥にも。
それは、一人の少女が世界に示した、“人の勝利”の瞬間だった。
世界は、その瞬間を確かに見ていた。
巨大なスクリーンに映し出されたクラリッサの笑顔が、各地の都市を照らす。
歓声は国境を越え、夜空を震わせた。
貧民街の広場でも、豪奢な王都のサロンでも、人々は息を呑み――そして、笑った。
「見たか? あの娘……! 本当に勝ったんだ!」
「理を超えた……“心”の勝利だ」
「麻雀は、ただの勝負じゃない。あんなふうに、楽しんでいいんだ」
実況席の声が震える。
「強さだけではない。“楽しむ心”こそが、勝利を呼んだ――」
その言葉が、翌朝には全世界の見出しになった。
――“雀姫、理を超える。”
――“人の心が、牌を動かした。”
麻雀という競技が、ただの勝ち負けの遊戯から変わり始める。
人と人をつなぎ、共に笑い、共に悔しがる――“心の言葉”として。
会場の観客席では、かつて敵国と呼ばれた民が涙を流していた。
その隣で、貧民街の子供たちが興奮のあまり飛び跳ねる。
「ねぇ、見た!? クラリッサ、すごかったね!」
「僕もあんなふうに、楽しんで打つ!」
人々の胸に灯った火が、境を越えて広がっていく。
それは勝敗を超えた“希望”の連鎖――
一人の少女が放った、笑顔の力だった。
静まり返った卓上――。
歓声が遠のき、まるで時間そのものが息を潜めたかのようだった。
アレスはゆっくりと立ち上がる。
その動作には依然として王者の風格があったが、かつてのような“無機の威圧”はない。
長い沈黙ののち、彼は卓上の牌を一つ手に取り、静かに見つめた。
「……理に、穴があったわけではない。」
その声は、敗者のものではなかった。
むしろ、静かな確信を湛えていた。
だが――彼の瞳に一瞬だけ、微かな“揺らぎ”が宿る。
それは感情。
人としての痛み。
そして、初めて“心”を理解しかけた者の色だった。
「お前の心が、私の理を超えた。」
その言葉に、クラリッサは息を呑む。
挑戦でも、嘲笑でもない。
それは純粋な“敗北の認知”だった。
アレスは静かに背を向ける。
その背は、孤高の王者でありながらも、どこか人間的な寂しさを帯びていた。
「だが次こそ――私は“人の理”をも取り込む。
感情すら支配し、完全な王となろう。」
その低い呟きが、静寂の空気を震わせる。
去りゆく背中を照らす光は、どこか影を帯び、
まるで新たな嵐の胎動を示すかのようだった。
クラリッサはその背を見送りながら、胸の奥で感じる。
――これは終わりではない。
理を超えた者と、理に人を組み込もうとする者。
二つの“道”が、いずれ再び交わる時が来る。
歓声の波がまだ鳴り止まぬ中、
ステージの上へ駆け上がる一人の影――リオだった。
「クラリッサ!」
その声に振り向いた瞬間、クラリッサの目が潤む。
リオは息を切らしながらも、満面の笑みで彼女の手を強く握った。
「やっぱり君は……俺の誇りだ。」
言葉の端が震え、彼の目から涙がこぼれる。
それでも隠そうとせず、まっすぐに笑った。
「……でも、ここからが始まりだよな?」
クラリッサは少しだけ目を細め、静かに頷く。
「うん。今までは“ひとりで戦う麻雀”だった。
でも――これからは“共に歩む麻雀”を、だよ」
二人の手が離れないまま、
視線の先には、まだ見ぬ世界と、新たな卓が広がっている。
そこには敵も、仲間も、未来も――すべてが待っている場所。
照明が二人を包み込み、舞い落ちる紙吹雪が光を反射する。
その中心で、クラリッサは静かに微笑んだ。
「行こう、リオ。次の勝負は――みんなと一緒に」
歓声が再び沸き起こり、
新たな“雀姫伝説”の幕が、静かに、そして確かに上がった。
――この日、世界は一人の少女を“雀姫”と呼んだ。
勝者の名が歓声と共に歴史へ刻まれる瞬間。
けれどそれは、終わりではなかった。
アレスが去り、リンドブルムとサラの想いが空に還り、
そしてクラリッサの微笑みが――新しい時代の幕を開けたのだ。
「強さだけじゃない。楽しむ心で、私たちは繋がれる」
その言葉は風となって世界を駆け抜け、
遠く離れた町にも、貧民街にも、子どもたちの夢にも届いていく。
人と人が心で繋がる、“新しい麻雀の時代”。
理ではなく、想いが牌を導く時代。
――そして、伝説は始まった。
クラリッサはゆっくりと空を見上げる。
夜明け前の淡い光の中、ひとひらの紙吹雪が舞い落ちる。
彼女はその手の中で、一枚の**白牌**を握りしめた。
それは、終局を告げる白ではなく――
新たな始まりを象徴する、純白の輝きだった。
彼女の唇が、静かに微笑を形づくる。
「さあ、次の卓へ――」
朝日が差し込む。
その光の中で、雀姫クラリッサの伝説が静かに歩み出す。




