楽しさの化身
リンドブルムの咆哮のような和了が卓上を揺らした瞬間、観客席は一斉に竦み上がった。
重苦しい空気が会場を覆い、誰もが竜王の威圧に押し潰されそうになる。
――だが、そのただ中で。
「ふーん、やるじゃない」
サラは涼しい顔で、軽く口笛を吹いてみせた。まるで観客の怯えを鼻で笑うかのように。
笑顔を崩さぬまま卓を見据えるその姿は、竜王の圧すら遊びに変えてしまう。
張り詰めていた空気がわずかにほどけ、観客の間から小さな笑いと安堵が広がる。
――そうだ、この卓にはまだ「楽しむ者」がいる。
それだけで、会場全体の空気が少しだけ救われていった。
サラの手元に並んだ牌は、どう進めても悪くはない。
普通なら最短で聴牌を目指すところだろう。
――だが、彼女は迷わず「遠回り」を選んだ。
すぐに切るはずの牌を抱え込み、逆に安全そうな牌を捨てる。
誰もが首を傾げるような打牌。けれどそこには確かな意志があった。
「ほらほら、簡単に読ませてあげないよ?」
サラがにこりと笑うたびに、場の空気がざわめく。
捨て牌の意図が掴めず、リンドブルムがほんのわずかに眉を動かす。
アレスでさえ、その眼差しに氷のような硬さを増した。
クラリッサだけがぽかんと彼女を見つめる。
「……わからない。でも、なんだか楽しそう」
理解できない打ち筋。だが、その混乱の奥に、確かに心を揺さぶるものがあった。
それは「勝つための効率」ではなく――「楽しむための自由」。
サラの一打ごとに、卓がかき乱されていく。
サラは目の前の牌を見た瞬間、迷いなく口を開いた。
「――ポン!」
その声はまるで舞台の幕開けを告げる鐘の音。
観客席からどよめきが広がる。
「えっ、そこで鳴くのか!?」
「普通なら見送るだろうに……!」
続く一巡後、またも彼女は軽快に声を上げる。
「チー!」
立て続けの仕掛け。しかも和了に直結するわけではない。
だが、テンポよく場を揺さぶるその動きは、観客の鼓動さえも操っていた。
「ふふっ、ほら、盛り上がってきたじゃない」
サラが軽くウインクする。
その瞬間、卓の空気が一気に明るく跳ね上がった。
彼女の仕掛けは勝つための最短ルートではない。
むしろ――「みんなで楽しむための最善手」。
和了を狙うのではなく、場そのものを踊らせる。
サラの打ち筋は、まるで音楽のリズムのように卓を揺らしていた。
サラの手は確かに進んでいた。だが最後の最後、和了へ届くはずの一牌は来なかった。
代わりにツモったのは、まるで彼女をからかうような無関係の牌。
「――あらら、そっち来ちゃったか」
軽く肩をすくめると、そのまま場へと切り捨てる。
当然、和了には至らず、逆に他家に点を奪われた。
会場の空気が一瞬、張り詰める。だが――
「ほら、盛り上がってきたじゃない!」
サラがにかっと笑って軽口を飛ばした瞬間、空気が弾ける。
観客席からは驚き混じりの笑い声が上がり、続いて温かな声援が飛び交った。
「サラ、いいぞー!」
「楽しいのはお前のおかげだ!」
誰も彼女を責めない。むしろ「彼女は楽しむために戦っている」という確信が広がっていく。
勝ち負けの天秤をも軽やかに超えて、サラの存在は卓を鮮やかに彩っていた。
まるで「楽しむことこそ最大の力」だと、彼女が全身で証明しているかのように。
サラは再び配牌を手に取り、無造作に指先で弄ぶ。
竜王リンドブルムの威圧も、勇者アレスの冷徹な支配も、彼女の笑顔を一切揺らすことはなかった。
「ふふ、いいねぇ……ますます楽しくなってきたじゃない」
彼女の声は、不思議と卓上の緊張を解きほぐす。
本来ならば竦み上がるはずの圧に、観客は彼女の無邪気さを通して、逆に息をつけるのだ。
――強い。
観客は思う。ただ楽しんでいるのではない。
どんな局面でも崩れないその笑顔こそ、彼女の強さの証明だった。
竜王は畏怖で場を支配し、勇者は冷酷な支配で圧を広げる。
だがサラは違った。
「楽しさ」そのものを武器にし、希望を乗せて場を掌握する。
観客の胸に刻まれたのは――
彼女が確かに「楽しさの化身」であるという、揺るぎない確信だった。




