答えはただ、戦場の卓の上にしかない
――入場のアナウンスが響いた瞬間、観客の視線はひとつに吸い寄せられた。
アレス。
他の雀士のように豪快なパフォーマンスもなければ、竜の血を誇示するような異形の体躯もない。
だが、彼が姿を現した瞬間――会場全体が、否応なくその男の存在に囚われた。
冷ややかに観客席を一瞥するだけで、ざわめきが霧散していく。
黄金でも紅でもない、ただ冷徹に研ぎ澄まされた瞳。
それは「全てを支配する王」の眼差しであった。
卓に腰掛ける動作ひとつで、空気が一変する。
まるで場そのものが彼の支配下に組み込まれたかのように、観客は息を潜め、対戦者は思わず背筋を伸ばす。
――ただ座っただけ。
しかし、それだけで「この半荘の命運は彼の掌にある」と、誰もが錯覚した。
まるで運命そのものが、アレスという名の男に服従しているかのように。
牌が彼の指先から離れるたび、観客は妙な感覚に襲われた。
――無駄がない。
一分の隙も、曖昧さもない。
アレスの打牌は、あまりに理路整然としていた。
期待値、確率、形効率。雀士なら誰もが知る基礎を、誰よりも徹底し、誰よりも精緻に磨き上げている。だが、それは単なる教科書通りの打ち筋ではない。
彼の視線は常に対戦者を射抜いていた。
相手の捨て牌はもちろん、指先の震え、牌を握る間の取り方――そのすべてを観察し、「何を狙っているのか」を読み取る。
その鋭さはまるで、牌譜を先読みする神の視点。
そして相手が鳴こうとした瞬間には、すでに手が潰されている。
待ちを構えようとした刹那には、その形は崩壊している。
まるでアレスが「未来を先回りして牌を打ち込んでいる」かのよう。
観客は息を呑み、対戦者は気づいた。
――これは理論ではない。
機械では到達できぬ、“人知の極致”。
アレスは確率の支配者であると同時に、対戦者の心理そのものを手中に収める“王”だった。
卓上に座るだけで、アレスは異様な存在感を放っていた。
対局者が牌を握るたび、指先に冷たい汗が滲む。
――この牌を切れば、必ず読まれているのではないか。
そんな疑念が、喉元を締め付けるように込み上げてくる。
一枚を打つのに、普段なら一瞬で済むはずの思考が、何倍にも膨れ上がる。逡巡、迷い、恐怖。
そのすべてが牌を重くし、動きを鈍らせる。
だが、アレスは何も言わない。ただ冷ややかな眼差しで卓を見つめ、牌を理路整然と並べ続ける。
その静けさこそが、最大の威圧だった。
「……もう、どこにも逃げ場がない」
対局者は心の奥底でそう理解する。
アレスの打牌は理論に基づいている。だが彼が本当に支配しているのは牌ではない。
――人の心そのもの。
観客席の一角から誰かが呟いた。
「まるで……盤上で人を縛る魔王だ」
その言葉に誰も異論を挟めなかった。
卓上に座すのは、理と確率を超え、人の精神を支配する存在――アレス。
アレスは決して、和了れる瞬間に手を止めたりはしなかった。
だが、それでも彼は「勝利」を急がない。
配牌の時点で既に有利を握っているのに、わざと手を伏せ、数巡を重ねる。
まるで獲物が自ら罠へ足を踏み入れるのを、静かに待ち構える捕食者のように。
「……まだ、いける……!」
「今度こそ俺の手が通るはずだ!」
対戦者の心に、かすかな光が灯る。
それはアレスが意図的に残した“隙”に他ならない。
そして相手がようやく手を固め、「ここで勝負だ」と覚悟を決めた瞬間――。
カンッ、と鋭い音を立ててアレスの手から放たれる一打。
直後、静かに牌を倒す。
「ロン」
無慈悲な宣告とともに、相手の希望は粉々に砕かれた。
観客席がざわめく中、アレスはわずかに口元を歪める。
笑みと呼ぶには冷酷すぎる、しかし確かに愉悦を含んだ表情。
それは“勝つための勝利”ではない。
――相手に絶望を刻みつけるための勝利。
その瞬間、観客の誰もが悟る。
「アレスの前で夢を抱くことは許されない」と。
和了の余韻が卓上に漂う。
だが観客席には、勝利の歓声は上がらなかった。
代わりに広がったのは――重苦しい沈黙。
誰もが息を呑み、誰もが声を失う。
「……勝てない」
ぽつりと、最前列の観客が呟いた。
「誰も、アレスには勝てないのでは……」
その言葉は水面に落ちた一滴の石のように、波紋となって広がっていく。
最初は小さな囁きだったはずが、やがて観客席のあちこちで同じ言葉が繰り返され、静かな合唱のように会場全体を覆っていく。
恐怖と畏怖に支配された空気。
それはもはや「一人の雀士を見守る観客」ではなかった。
――誰もが、アレスという存在の支配下に置かれていた。
観客席の一角。
リオはじっと卓を見つめながら、無意識に額へと手を当てていた。指先が触れた肌はじっとりと汗ばんでいる。
「……違う」
低く、彼は自分に言い聞かせるように呟く。
「アレスの麻雀は、ただの確率論じゃない。理詰めで期待値を突き詰めた“機械の打ち方”でもない」
視線の先、無駄のない打牌を繰り返すアレス。
だがリオの眼には、その一打一打の裏に――人間の心を絡め取る冷徹な意志が見えていた。
「……あれは、人の心そのものを縛る麻雀だ」
そう呟いた瞬間、背筋をぞわりと冷たいものが駆け上がる。
自分が牌を握っているわけでもないのに、喉が渇き、心臓が早鐘を打ち始める。
理屈で説明できない支配力。
分析を武器とするリオでさえ、そのすべてを言語化することはできなかった。
ただひとつ、確信だけが胸に残る。
――この男は、確率を超えて“人”を打ち砕く。
クラリッサは客席で息を詰めていた。
卓上に漂う圧迫感が、まるで自分の肺をも押し潰してくるかのようだ。
拳をぎゅっと握りしめる。爪が手のひらに食い込み、鈍い痛みが走る。
けれど、その痛みがかえって彼女を現実に繋ぎ止めた。
「……っ」
喉の奥が強張り、声にならない吐息が漏れる。恐怖は確かにそこにある。
だが、その恐怖を飲み込むように――クラリッサの瞳には確かな炎が灯っていた。
「……絶対に、逃げない」
小さく、けれど誰よりも強い意志を込めて呟く。
「あの人に挑むのは――私だ」
恐怖と闘志。相反する感情が胸の中で激しくせめぎ合う。
だがそれこそが、彼女が次の段階へと歩み出す証であった。
――竜でも王でもない、一人の少女として。
その視線は、冷徹に卓を支配するアレスへ真っ直ぐに向けられていた。
クラリッサの試合は、決して順風満帆ではなかった。
序盤は押され、配牌も流れも思うようにならず、誰もが「ここまでか」と息を呑む。
だが――彼女は折れない。
旗頭として背負った視線の重さも、襲い掛かる敗北の影も、そのすべてを正面から見据える。
「……私は逃げない」
震える指で牌を握りしめ、恐怖を押し殺して切り出す。
その一打は決して派手ではない。だが、一歩ずつ確実に勝利へと近づいていく強さを秘めていた。
やがて、逆転の和了が決まった瞬間――
会場から歓声が弾ける。
「……まだ未熟だが、確かに成長している!」
「旗頭の娘じゃない……ひとりの雀士として戦っている!」
観客の囁きが広がり、クラリッサの存在はただの象徴から、「挑み、乗り越えようとする者」へと変わっていった。
彼女の雀風は、恐怖に押し潰されるものではなく――
恐怖を力へと変え、未来へと繋げる炎へと変貌しつつあった。
クラリッサの試合は、決して順風満帆ではなかった。
序盤は押され、配牌も流れも思うようにならず、誰もが「ここまでか」と息を呑む。
だが――彼女は折れない。
旗頭として背負った視線の重さも、襲い掛かる敗北の影も、そのすべてを正面から見据える。
「……私は逃げない」
震える指で牌を握りしめ、恐怖を押し殺して切り出す。
その一打は決して派手ではない。だが、一歩ずつ確実に勝利へと近づいていく強さを秘めていた。
やがて、逆転の和了が決まった瞬間――
会場から歓声が弾ける。
「……まだ未熟だが、確かに成長している!」
「旗頭の娘じゃない……ひとりの雀士として戦っている!」
観客の囁きが広がり、クラリッサの存在はただの象徴から、「挑み、乗り越えようとする者」へと変わっていった。
彼女の雀風は、恐怖に押し潰されるものではなく――
恐怖を力へと変え、未来へと繋げる炎へと変貌しつつあった。
サラの卓に人々の視線が集まる。
彼女が牌を握るだけで、会場は不思議と明るさを帯びるのだった。
打ち筋は華麗でありながら堅実、そして何より――その笑みが観客を安心させる。
「大丈夫、この人なら勝ってくれる」
そんな信頼が自然と芽生える。
ひとつの和了が決まるたびに、観客席からは歓声が爆発する。
「やったぞ! やっぱりサラだ!」
「サラがいる限り、この大会は希望がある!」
その熱気は勝敗を超えて「祈り」に近い。
サラの勝利は単なる一雀士の勝利ではなく、民衆の願いそのものが形となったかのように響き渡っていた。
卓を離れる彼女に、子どもたちが声を張り上げる。
「サラお姉ちゃん! 次も勝って!」
その呼び声に、サラは軽やかに手を振り返す。
まるで舞台の主役のように――だが、それは演技ではない。
彼女は確かに「人々の味方」であり、勝つたびにその立場を強めていく。
いつしか彼女はただの雀士ではなく、会場全体を照らす希望の象徴となっていた。
サラの卓に人々の視線が集まる。
彼女が牌を握るだけで、会場は不思議と明るさを帯びるのだった。
打ち筋は華麗でありながら堅実、そして何より――その笑みが観客を安心させる。
「大丈夫、この人なら勝ってくれる」
そんな信頼が自然と芽生える。
ひとつの和了が決まるたびに、観客席からは歓声が爆発する。
「やったぞ! やっぱりサラだ!」
「サラがいる限り、この大会は希望がある!」
その熱気は勝敗を超えて「祈り」に近い。
サラの勝利は単なる一雀士の勝利ではなく、民衆の願いそのものが形となったかのように響き渡っていた。
卓を離れる彼女に、子どもたちが声を張り上げる。
「サラお姉ちゃん! 次も勝って!」
その呼び声に、サラは軽やかに手を振り返す。
まるで舞台の主役のように――だが、それは演技ではない。
彼女は確かに「人々の味方」であり、勝つたびにその立場を強めていく。
いつしか彼女はただの雀士ではなく、会場全体を照らす希望の象徴となっていた。
リンドブルムの卓に座る雀士たちは、開始前から顔色を失っていた。
黄金の瞳に一瞥されただけで、体の芯を凍り付かせるのだ。
打牌の音は岩を砕く雷鳴。
和了の瞬間は稲妻の直撃。
跳満、倍満、時に役満――豪快な一撃必殺を連発するたび、対戦者の心は粉々に砕かれていく。
「ひっ……!」
隣席の雀士が思わず声を漏らす。まだ一局目、まだ敗けていないにもかかわらず、体はすでに屈服していた。
観客の反応も異様だった。
熱狂ではなく、沈黙。
そしてその沈黙が、やがて震える囁きへと変わっていく。
「……竜だ」
「人じゃない……あれは“竜王”だ……!」
勝利を重ねるごとに、リンドブルムは一人の雀士ではなく、人外の怪物として観客の心に刻み込まれていった。
卓につく前から敗北を意識させ、恐怖で場を支配する――
それが、“竜王リンドブルム”の麻雀だった。
ラやクラリッサが勝ち上がるたび、会場は大きな歓声に包まれる。
「行け!」「まだやれる!」
声援はまるで光そのもののように会場を満たし、人々の胸に希望を灯した。
一方、リンドブルムの豪快な勝利は歓声をかき消す。
卓に響く打牌の轟音、竜を思わせる圧。
「ひ、人じゃない……」
観客は畏怖に震え、声を上げることすらためらう。そこに広がるのは、希望ではなく純然たる恐怖。
――そしてアレス。
彼が勝つ瞬間、会場は一転して静寂に包まれる。
声援も悲鳴もない。ただ、空気が凍りついたような沈黙。
やがて誰かが呟く。
「……もう誰も、アレスには勝てないのでは」
その言葉が、諦めを伴って民衆の胸に重く沈み込む。
こうして観客の心は分裂した。
サラやクラリッサの勝利に希望を見いだす者。
リンドブルムの力に恐怖しながら畏敬を抱く者。
アレスの圧倒的勝利に心を折られ、諦念を飲み込む者。
三者三様の感情が渦巻き、やがてすべては一点へと収束していく。
――「最終決戦を見届けたい」。
それは希望か、不安か。
答えはただ、戦場の卓の上にしかない。
ラやクラリッサが勝ち上がるたび、会場は大きな歓声に包まれる。
「行け!」「まだやれる!」
声援はまるで光そのもののように会場を満たし、人々の胸に希望を灯した。
一方、リンドブルムの豪快な勝利は歓声をかき消す。
卓に響く打牌の轟音、竜を思わせる圧。
「ひ、人じゃない……」
観客は畏怖に震え、声を上げることすらためらう。そこに広がるのは、希望ではなく純然たる恐怖。
――そしてアレス。
彼が勝つ瞬間、会場は一転して静寂に包まれる。
声援も悲鳴もない。ただ、空気が凍りついたような沈黙。
やがて誰かが呟く。
「……もう誰も、アレスには勝てないのでは」
その言葉が、諦めを伴って民衆の胸に重く沈み込む。
こうして観客の心は分裂した。
サラやクラリッサの勝利に希望を見いだす者。
リンドブルムの力に恐怖しながら畏敬を抱く者。
アレスの圧倒的勝利に心を折られ、諦念を飲み込む者。
三者三様の感情が渦巻き、やがてすべては一点へと収束していく。
――「最終決戦を見届けたい」。
それは希望か、不安か。
答えはただ、戦場の卓の上にしかない。




