避けられぬ戦いが、確かにそこにある。
勇者王国の最大都市。その城門は威圧感に満ち、通り抜けようとする者たちを兵士の鋭い眼光が一人残らず射抜いていた。
クラリッサ一行は、旅商人や巡礼者、薬売りといった姿に身をやつし、人々の流れに紛れ込む。外から見れば、どこにでもいる取るに足らぬ一行にしか見えない。――だが、彼らの背に隠されているのは、「麻雀を取り戻す」という使命の炎だった。
門前の兵士が声を張り上げる。
「荷を改めよ! 麻雀牌の持ち込みは、勇者陛下の法により固く禁じられている!」
検問を受ける旅人たちの顔には、恐怖と諦念が交じる。牌を持っていた者はその場で没収され、時には無慈悲に地面へ叩きつけられて砕かれていく。
列に並びながらクラリッサは唇を噛んだ。腰袋の奥には、彼女が打ち継いできた大切な牌がある。見つかれば一巻の終わりだ。
その時、隣に立つゴルド爺が静かに囁いた。
「心配するでない。わしの手にかかれば――」
検問の直前、爺は懐から不思議な細工道具を取り出し、素早く牌を布袋へと仕舞い込む。あっという間に、それは乾いた薬草や丸い石片へと姿を変えてしまった。表面には護符のような刻印まで浮かび上がり、誰が見てもただの旅装の道具にしか見えない。
「老いぼれの手品も、たまには役に立つじゃろ?」
爺はにやりと笑う。
兵士が袋を覗き込む。
「……ふん、ただの薬草か。通れ」
危うい瞬間を難なくすり抜けた一行は、無事に城門を越えた。クラリッサは胸の奥で小さく息を吐き、爺に目を向ける。
「ありがとう、ゴルド爺」
「礼などいらん。これからが本番じゃからのう」
――こうして、彼らの潜入は静かに始まった。
城門を越えた瞬間、クラリッサたちを迎えたのは――異様な沈黙だった。
本来ならば賑わいで満ちているはずの市場に、笑い声も、商人の呼び声もない。代わりに耳に届くのは、鎧の擦れる音と、兵士たちの冷たい視線だけ。
中央広場には巨大な掲示板がそびえ立ち、血を思わせる赤文字が突き刺さるように刻まれていた。
《麻雀禁止》
《弱者に麻雀の資格なし》
その異様な文言に、クラリッサの胸は怒りで灼ける。
目の前では、兵士が通行人の荷物を荒々しく検めていた。中から取り出されたのは、小さな麻雀牌のセット。
「……見つけたぞ!」
兵士はそれを地面に叩き落とし、無慈悲に踏み砕いた。割れる乾いた音が、市場に重く響く。
周囲の人々は誰一人声を上げない。ただ俯き、恐怖と諦念を顔に刻みながら、その光景をやり過ごすしかなかった。
――かつては牌の音が響き渡っていた市場。だが今、そのリズムは完全に消え失せている。
ゴルド爺が小声で呟いた。
「……麻雀が、これほど歪んだ形で禁圧されるとは……」
その声には、長年麻雀を愛し続けてきた者の深い嘆きが滲んでいた。
クラリッサは拳を握り、無言のままに広場を見据える。彼女の瞳は、燃えるように揺らいでいた。
雑踏を離れ、薄暗い路地へと足を踏み入れたそのときだった。
――カチャッ。
どこか懐かしい響きが、クラリッサの耳に届く。
「……今の音は……?」
振り向くと、そこには数人の子供たちが輪になり、木の葉や木片を牌に見立てて並べていた。
「リーチ!」
「ロン!」
小さな声に抑えながらも、子供たちは無邪気に笑い合う。
その光景は、この荒んだ街ではあまりに異質だった。
一瞬だけ、路地裏は〈本来の街の姿〉を取り戻したかのように見えた。
麻雀を楽しみ、笑い合う――かつては誰もが当たり前に享受していたはずの文化。
クラリッサの胸に、熱いものがこみ上げる。
「……そうよ、麻雀は……本来こうあるべきなのに……」
だが、その束の間の幸福は、轟く怒声によって打ち砕かれた。
「貴様らァ! 何をしている!」
兵士が駆け寄り、子供たちの即席の牌を乱暴に奪い取る。
そして、その木片を容赦なく地面に叩きつけ、踏み砕いた。
「麻雀は勇者陛下のものだ! 弱者ごときが触れる資格はないッ!」
甲冑の響きとともに振り下ろされた怒号に、子供たちの笑顔は一瞬で凍りつく。
「やめてください!」
母親が子を庇って身を投げ出した。
だが次の瞬間、兵士の拳が容赦なく彼女を打ち据える。
母親は地に倒れ、血が石畳に散る。
子供は泣き叫び、周囲にいた民衆は――誰一人、助けようとはしなかった。
恐怖に押し潰され、ただ俯き、気配を消す。
その沈黙が、街全体の諦めを物語っていた。
クラリッサの指が、震えるほど強く拳を握りしめていた。
怒りが胸を焦がし、今にも飛び出して兵士を殴り倒しそうになる。
「……許せない……!」
声が漏れる。
「麻雀は――誰もが打っていいはずよ!」
その瞳は、まるで燃える炎のように揺らめいていた。
だが、隣に立つゴルド爺が静かに頭を振る。
「クラリッサよ……抑えよ。ここで刃を抜けば、民を危険に晒すだけじゃ」
その声は低く、しかし苦悶に満ちていた。
「……ここまで徹底的に麻雀を支配の道具にした王国は、わしも初めて見る。強者のための麻雀――それは、もはや麻雀ではない……」
仲間たちは沈黙していた。
だが、その眼差しはすでに決意に満ちている。
この街の光景は、彼らの胸に深く刻み込まれた。
――麻雀を取り戻さなければならない。
――この地に、本来の牌の音を取り戻すために。
避けられぬ戦いが、確かにそこにある。
 




