《麻雀禁止》 ――《弱者に麻雀の資格なし》
勇者王国――その最大の都市は、かつて牌の音と笑い声が絶えぬ活気に満ちていた。
だが今は違う。
広場の至るところに打ち立てられた掲示板には、血で染めたかのような赤文字でこう記されている。
《弱者に麻雀の資格なし》
その一文は、見る者の心臓を握り潰すかのような威圧を放っていた。
兵士たちは街を巡回し、牌を隠し持つ者を見つけては容赦なく捕え、石畳の上に叩きつける。
砕かれるのは麻雀牌――だが、その音はまるで人々の希望が踏みにじられる響きだった。
市場にはもう、かつてのような卓を囲む音はない。
代わりに漂うのは、重苦しい沈黙と怯えきった民の吐息だけ。
勇者アレスの掲げる理念――「強者のみが麻雀を打つ資格を持つ」――は、この都市から文化も笑顔も奪い去り、恐怖だけを残していた。
石畳の隅――。
子供たちが木片を削って作った簡素な牌を並べ、笑いながら「ごっこ遊び」をしていた。
「リーチ!」
「ツモー!」
無邪気な声が響いたその瞬間。
甲冑の軋む音と共に兵士が駆け寄り、怒声を轟かせる。
「貴様らッ! 麻雀は勇者陛下のものだ! 弱者が触れる資格はないッ!」
兵士は子供たちから木片を乱暴に奪い取り、その場で粉々に踏み砕いた。
乾いた破裂音が広場に響く――まるで夢そのものを叩き潰すように。
「やめてください! ただの遊びなんです……!」
必死に庇い出た母親は、容赦なく兵士の拳で地面に叩き伏せられる。
頬に鮮血が滲み、子供の泣き声が空気を震わせた。
だが――群衆は誰も動かない。
目を逸らし、ただ沈黙の中で立ち尽くすしかないのだ。
勇者王国の都市を覆うのは、もはや希望ではない。
あるのはただ「恐怖」という名の沈黙だけだった。
広場の中央――。
木枷にかけられた罪人たちが、兵士に囲まれて晒されていた。
罪状はただひとつ。
《麻雀を打った罪》
顔には殴打の痕が残り、衣服は泥にまみれている。
しかし彼らの目はまだ、ほんの僅かに「牌を囲んだ日の記憶」を宿していた。
「……見せしめだ」
兵士の冷酷な声が響く。
群衆は視線を逸らしながらも、その場を立ち去ることはできない。
石畳に伏す影の中で、誰かが震える声で呟いた。
「……もう麻雀なんて、夢に見ることすらできない」
その囁きは波紋のように広がり、民衆の間に暗い沈黙を生み落とす。
希望はすでに、赤い牌のように踏み砕かれ、血の色をした絶望だけが街を覆っていた。
処刑を待つ罪人の呻き声と、兵士の怒号に満ちる広場。
その隅で、一人の背を丸めた老人が小さく呟いた。
「……麻雀は、もともと皆で楽しむ遊びだったはずなのに」
声は風に紛れるほどか細く、誰も聞き返す者はいない。
しかしその一言は、重苦しい空気にかすかな異音を刻んだ。
踏みにじられた希望の中に残された小さな記憶。
それはやがて、この地に潜入するクラリッサ一行の役割を際立たせる――。
「麻雀を奪われた民に、再び卓を囲む喜びを取り戻す」という使命の布石として。
勇者アレスの支配する最大都市――その巨大な城門の前に、旅人の一行が姿を現した。
粗末な外套を纏い、背に荷を背負う彼らは、一見すればただの行商人や巡礼者。だが、その正体は……クラリッサ一行。勇者打倒を胸に秘めた、反逆の麻雀士たちだった。
「止まれ!」
鋭い声とともに、門兵たちの槍が行く手を遮る。
兵士の目は血走り、荷袋へと鋭い視線を向けた。
「麻雀牌の持ち込みは禁止だ。隠しているものはないな?」
緊張が走る。
麻雀を持ち込もうものなら即刻処刑――それがこの国の掟。
クラリッサの胸が高鳴る。だが、隣に立つゴルド爺は微動だにせず、ふっと口の端を吊り上げた。
「ほっほ……わしらが持ち歩くのは、ただの旅道具にすぎんよ」
そう言って荷袋を差し出す。
兵士が袋を開けると、中には奇妙な小道具がいくつも詰め込まれていた。木製のコマ、旅用の占い盤、子供用の玩具――どれも無害にしか見えない。
しかしその中には、巧妙に偽装されたクラリッサの麻雀牌が紛れていた。
牌の一つひとつは、表面に旅用の「木札」を貼り付けられ、玩具のように見える仕掛けだ。
兵士はしばらく怪しげに睨みつけたが、鼻を鳴らすと袋を放り投げ返した。
「……通れ。ただし、この国では麻雀を打つことすら許されぬと肝に銘じておけ!」
門が開かれる。
クラリッサは息を潜め、仲間たちと共に城門をくぐった。
――かくして彼らの潜入作戦は、危うくも成功を収めたのだった。
城門を抜けた瞬間、クラリッサの視界に広がったのは、異様な静けさに支配された大都市の光景だった。
広場の中央には、黒鉄の枠で固められた巨大な掲示板が立ち並ぶ。そこには血のように赤い文字で書かれていた。
――《麻雀禁止》
――《弱者に麻雀の資格なし》
その掲示の前には重装備の兵士が立ち、無言で通行人を睨みつけている。
クラリッサは息を呑んだ。
市場の通りは一見すれば整然としている。だが、そこには本来あるべき賑わいがなかった。
石畳に響くのは、荷車の車輪が軋む音、そして人々が靴音を殺して歩く気配だけ。
かつてどこにでもあったはずの――牌の打ち鳴らす音は、完全に消え去っていた。
「……」
クラリッサの拳が自然と強く握られる。
その横で、ゴルド爺がひそやかに口を開いた。
「……麻雀が、これほど歪んだ形で禁圧されておるとはな。ここまで根こそぎにされておるとは……」
老練な声には、怒りよりも深い嘆きが滲んでいた。
クラリッサは静かにうなずく。
――この国で、希望を取り戻さねばならない。
 




