序章「別れ」第一節
ブラウンの髪、薄紫色の瞳と紅色の唇をもつ女性――原田奈美は、隣で眠っている息子の原田都を起こした。彼女は遺伝子学研究所の副所長として腹立いている。今でも、地下ではデザインズ・ベイビーの実験が行われている。試作品第一号として誕生したのが都だった。都を実験台にするとは、聞いていなかった。実の息子を実験台にするとは許せないし、夫の孝との間に溝ができていった。気持ちはすれ違ったままである。
研究所を脱走するのも、十歳になる都の兄――湊も連れて行ける余裕がなかった。湊も都もお互いが、兄弟とは知らない。話してしまえば、二人とも動けなくなってしまう。振り切るためにも、隠しきる必要があった。湊と都の血のつながりは、何があっても切れはしない。仲のいい二人を引き離すのは心苦しい。十歳とはいえ優秀な湊は、生き残る術を見つけてくれるだろう。
靴を履かせて部屋を出る。都は緊急事態だと察したのだろう。何も言わずに、無言のまま後をついてくる。昨日、出入り口のセキュリティーを、書き換えておいた。徹夜でプログラムを変更したのである。自分にはありきたりな方法しか、思いつかなかった。一刻も早く窮屈な研究所から逃げ出したい。逃げ出さなければ「自分」が「自分」でなくなってしまいそうだった。もしかしたら、壊れてしまう一歩手前だったのかもしれない。
「やめて……私の子供を返して! 普通の生活に戻してよ!」
「研究が進んでいるのに嬉しくないのか?」
「嬉しくないわ! 実験は間違いだったのよ!」
「忘れるなよ。お前も共犯者だ」
思い出すのは逃げ出す前の孝との会話だった。都と湊をいつでも殺せるという警告でもある。
彼人は壊れていたのだ。
サイコパスだったのだ。
化けの皮がはがれていった。夫婦としての修復は不可能だと奈美は思った。楽しかった日々には戻れない。自分の声は届かない。聞こうとしない。都の命を守るためには、逃げ出すしかなかった。全部を投げうってでも、研究所から逃げ出す決意をした。奈美は手を引いて必死に逃げる。
「おい……いたぞ」
二人を追っているのは孝の部下たちだった。パスワードの書き換えに、気づいたようだった。奈美は追われる立場となり、反逆者となる覚悟はしていた。連れている都にも無理をさせていると、分かっている。デザインズ・ベイビーとして生まれてきた限り、長生きはできないだろう。今のうちに外の世界を、見てほしかった。知ってほしかった。もしかして、自己満足なのかもしれない。
そう言われてもいいし、思われてもいい。
嫌われてもよかった。
母親失格だとしても、最後まで都と一緒にいたかった。奈美がまいた種はいつか、芽吹く時がくるだろう。大輪の花でなくてもいい。野原に咲く名もなき花だとしても、咲いてくれればいい。
銃弾が奈美と都の横を通り抜けていく。相手は孝の部下である。相手が家族であろうと容赦はしない。奈美は足を撃たれて、衝撃で握りしめていた手が離れた。銃弾が奈美の体を貫通していく。目の前が血で染まっていった。