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職員室。
ゆかりは自分の席で、軽いパニックに陥っていた。
(これは、どういうこと?)
机の上のノートパソコンに、先日のテストの結果が表示されていた。
「遠野先生、どうかされましたか」
年配の数学教師がゆかりに声をかけてきた。
ゆかりは顔をあげ、
「いや、その……」
と曖昧な返事をする。
「悩みがあるなら聞きますよ。先輩として、放ってはおけませんから」
「俺も、よければ相談に乗りますよ」
横から若い体育教師が割って入る。
「いやいや。ここは私が。教師歴の長い私のほうが、的確なアドバイスができますからね」
「いえいえ。遠野先生からすれば、年齢が近い俺の方が、安心して話ができるはずです」
「体育教師に、相談役なんて務まるんですかねぇ。人の心の機微とか、理解できます?」
「あはは。数学教師にだけは言われたくないですよ」
ゆかりを挟んで火花を散らす二人。
そうこうしているうちに、続々と男性教師が参戦してくる。
理科、社会科、国語ときて、収拾がつかなくなってきたところに教頭が現れる。
「こらこら。遠野先生が困ってるじゃないか。彼女の相談には私が乗るから、みなは仕事に戻りなさい」
緊張感がさらに高まる。
あわや殴り合いか……。
というところで、相沢和美が話に入ってきた。
「ゆかり、どうしたの?」
和美が現れたことで、男たちは我に返った。
恥いるように、バツの悪そうな顔をする。
そんな男たちの様子を眺め、和美は苦笑を漏らした。
そっとゆかりに耳打ちする。
「あんたねえ、もう少し男のあしらい方を覚えないとダメよ?」
「ご、ごめんなさい……」
「別に謝らなくてもいいけどさ」
二人は職員室の二大アイドルだった。
でもゆかりと違って和美には隙がなく、男が寄ってくるのはいつもゆかりだった。
ゆかりは裕福な家庭の出で、小学校から大学まで、ずっと女子校だった。
しかも由緒ある、名門の女子校だ。
異性の目がないせいでゴリラ化した女子が闊歩するなんちゃって女子校ではなく、男が夢見るタイプの本格的なお嬢様学校だ。
そんなところでぬくぬくと育ったゆかりは、当然男に免疫がなく、話しかけられるだけであたふたとしてしまう。
そんな魅力的でありながら隙だらけのゆかりを前にすると、男たちは理性を失ってしまうらしかった。
対照的に、和美は貧乏な大家族の中で育った。
毎日喧嘩が絶えず、強くならねば、晩飯の唐揚げも守れなかった。
経済的にも厳しかったから、高校時代はバイトに明け暮れた。
底辺高校をギリギリの成績で卒業し、そのまま日本を飛び出し、二年かけて世界を見て回った。
どこでもいいから、とにかく遠くに行きたかったのだ。
できるだけ遠くに、そして息苦しくない開けた場所に。
曽祖父の代に建てられた古びた日本家屋で、自室も与えられずに育った反動だと、和美は自己分析していた。
そして日本に帰ってきた和美は、色々と心境の変化があって、中学の勉強からやり直し大学に進学した。
そこで教員免許を取得して、こうして教師として働いているのだ。
まるで違う人生を歩んできた二人だったけれど、不思議と馬が合った。
まるで違う人生を歩んできたからこそ、惹かれ合うものがあるのかもしれない。
歳は和美の方がいくつか上だけれど、二人は友達のような関係だった。
仲のいい姉妹のようでもある。
週末は、必ずどちらかの家で、二人だけのパジャマパーティーが開かれるほどだ。
「それで、どうしたの?」と和美は改めて尋ねた。
「あ、えっとね、和美ちゃん。その、実は天宮くんのことなんだけど……」
「天宮くんって、あの天宮?」
「うん。あの天宮」
天宮の名が出たことで、まだ未練がましく二人の周囲をうろうろしていた男たちが、蜘蛛の子を散らすように離れていく。
「またあの天宮か……」と露骨につぶやく者さえいた。
教師生活が長いと、その手の危機回避能力が身につくのだろう。
ゆかりに頼りにはされたいが、厄介ごとは抱え込みたくない。
それが彼らの本音だった。
「あの天宮がどうしたの?」
「えっとね。この前、彼のクラスのテスト監督を務めたんだけど……。そのとき天宮くんが、とても満足そうな顔をしていたの。テストが終わったからとか、そんな理由じゃ説明できないくらい、満ち足りた顔を。やり遂げたというか、成し遂げたというか……。それで、ちょっと気になって調べてみたら、全然大した点数じゃなくて……」
これがその点数、とノートパソコンの画面を和美に向けた。
「ふうん。平凡な点数ね」
「そうなの」
「まあでも、赤点さえ回避できれば、それでいいって子もたくさんいるから」
「うん。私も、そう思ったんだけど……」
ゆかりは言いよどんだ。
「どうしたの?」
「えっと……。実はね、天宮くんの点数、小数点以下の誤差はあるけど、全教科がクラスの平均点で……」
和美は一瞬、黙り込んだ。
ゆかりが感じたのと同じ気味の悪さを、和美も感じたのだ。
それを払い除けるために、あえて明るい声で言う。
「ふふ、それは逆にすごいわね。普段の言動も、それぐらい大人しければいいんだけど」
でもゆかりは乗ってこなかった。
依然、暗い顔のままだ。
「なんでそんな顔してるのよ」
つい、強い語調になってしまう。
「そんなの、ただの偶然でしょ?」
「うん、そうだよね。そうなの。偶然……。偶然のはずなんだけど……」
言葉とは裏腹に、ゆかりの顔は、みるみる青ざめていく。
「実は、どうにも気になって、彼の出身中学に連絡してみたの。知り合いがいたから。それで、調べてもらったんだけど……。天宮くんの中学三年時のテストが、全てクラスの平均点だったらしくて……」
ゆかりは、あはは、と乾いた声で笑った。
「これも、偶然かな?」
蝋燭を吹き消したあとの静寂のような、なんとも言えない空気が漂った。
ゆかりの話は、すぐに職員室全体に広まる。
そして、緊急の職員会議が開かれた。
悪意なく入室してきた哀れな生徒が、叱責と共に追い出される。
教頭と学年主任を中心に、話し合いが行われる。
「偶然、じゃないんですか?」
「いや、さすがに偶然ではありえないでしょう」
「まさかカンニング?」
「平均点が出るのはテストが終わってからじゃないですか。どうやって」
「あとで改竄するとか」
「平均点にですか? リスクとメリットが釣り合っていないでしょう」
「天宮だけでなく、クラス全体でなにかしているとか……」
「目的はなんですか。それに、それが事実なら、私たちの管理責任も問われかねませんよ」
「……」
「……」
重い沈黙を、予鈴の音が寸断する。
「ま、まあとりあえず様子を見ましょう」
「そ、そうですね」
「とにかく、みなさん天宮の動向には、これまで以上に注目しましょう」
「わかりました」
こうして天宮は『問題児』を超えて『要注意人物』として、全教師からマークされることになる。
天宮の頭脳は悪魔並みだが、基本的には馬鹿だった。
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