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世界に存在する全ての原子の位置と運動量を知ることができれば、未来を予測することなど容易いだろう。
フランスの数学者、ピエール=シモン・ラプラスが提唱した、神にも等しい超越的な存在。
後世では『ラプラスの悪魔』と呼ばれている。
天宮悠斗は擬似的にではあるものの、それと同じことができた。
*
天宮は五感の全てを駆使し、テストに臨んでいた。
一問一問、細心の注意を払いながら解き進めていく。
クラスメイトたちの息づかい、脈拍、視線の動き、ペン先のリズム。
天宮はその時、間違いなく世界の真理に一番近い場所にいた。
*
「はい、それまで。一番後ろの席の人はテスト用紙を回収して下さい」
チャイムが鳴ると同時に、大きなため息がそこら中から漏れた。
遠野ゆかりは、自分が学生だったころを思い出し、生徒たちにバレないように静かに笑った。
数年前までは彼らと同じ立場だったはずなのに、今では自分が生徒に苦行を科している。
それがおかしかったのだ。
阿鼻叫喚のクラスをしみじみと眺めていると、一人の生徒が気になった。
みなが疲れたり絶望したりしている中、その男子生徒だけが満足げな顔をしていたのだ。
(よほど出来がよかったのね)
自然と名簿に目が行った。
(あの子は……。天宮悠斗くん、か)
少し遅れて、その名前に覚えがあることに気がついた。
(ああ、あの子が、あの……)
天宮は「問題児」として職員室でも有名だった。
入学式の日に騒動を起こし、その後、無断で早退&二日間の無断欠席。
次に登校してきた時には、放課後に全校生徒の前で一人芝居を披露し、喝采を浴びた。
ゆかりは研修のために学校を離れていて見逃してしまったけれど、同僚たち曰く、今まで見たどの創作物よりも心に響いたというのだ。
本来なら注意しなければならない立場なのに、見入ってしまったのだと。
興味が湧いて誰か撮影していないかと聞いてみたけれど、誰も撮影していなかった。
まあ教師が生徒を盗撮なんてするわけないか、と納得し、生徒たちにもそれとなく聞いてみたのだけれど……。
「スマホを取り出すことすら思いつかなかった」
その言葉を聞いた時、鳥肌が立ったものだ。
入学式の新入生代表の挨拶で、やらかして停学になった生徒もいて、
「今年の一年は厄介そうだ」
というのが教師陣の共通認識だった。
でも、まだ教師になって日の浅いゆかりにとっては、問題児はむしろ大歓迎で、面白い一年になりそうだと気楽に構えていた。
ゆかりはテスト用紙の束をまとめながら、天宮をそっと盗み見る。
(彼が、あの天宮くん……)
名前と顔が一致したことで、天宮悠斗の存在は、より強く印象に残った。
*
「完璧だ……」
最終科目のテストを終え、天宮は確かな手応えを感じていた。
解放されて浮かれるクラスメイトたちをよそに、一人余韻に浸っている。
「そんなこと言って、あんたいつも微妙な点数じゃん」
そう話しかける由紀の口調に、疲れの色はない。
普段からこつこつ勉強するタイプの由紀にとって、テストは特段疲れるイベントではないのだ。
むしろ早くに学校が終わる分、体力的に余裕があるくらいだ。
「いいんだよ。俺にとってはベストなんだ」
「まあ赤点さえ取らなければいいって考えもありだと思うけど。でも一度くらいは、満点目指して勉強してみてもいいんじゃない?」
「満点になんて興味ないんだよ」
「なにその強がり」
「強がりじゃねえよ。俺が望むのは――目立たないことだけだ」




