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天宮は遠い目をする。
「本当に大変だったよ。大国の姫の浴室に落っこちてさ、地下牢に放り込まれて……。俺一人だけなら、すぐに帰ってくることもできたんだけど、行方不明の人たちを放っておけないだろ? お前は悪くないって言ってくれたけど、でもそう割り切れるものでもないし……。俺はただ、行方不明の人たちを連れ帰りたいだけなのに、勇者パーティに勧誘されるわ、姫に求婚されるわ、跡目争いに巻き込まれるわ、国際指名手配されるわ、悪の組織に捕まって改造されそうになるは、本当に散々で……。魔王が一千万の軍勢を引き連れて攻め込んできた時は、さすがにもうダメだって思ったよ。……まぁ、いざ覚悟を決めて戦ってみたら、圧勝だったんだけど」
「ち、ちょっと待ってくださいっ」
「ん? なんだよ?」
「いや、なんだよじゃなくて……。え? 兄貴、異世界に行ってたんですか?」
「だからそう言ってんだろ。この穴は、異世界に通じてんだよ。魔法のある、コテコテの中世ヨーロッパファンタジーに。暦どころか、一日の長さすら違ったから正確な時間はわかんないけど、十年近く向こうにいたんだぞ」
「十年? でも……」
「だから、レカルドの秘術を使ったんだって。エルフ族に伝わる禁呪なんだけど、村を救ったお礼に教えてもらってさ」
「…………」
アキラは絶句する。
天宮の口から語られるのは、アキラが夢見た中二世界そのものだ。
「どうやら、全員無事のようだね」と成美の安堵した声がする。「誰一人、傷すら負っていない。ただ……。一人少ないね」
アキラも目で人数を数えてみる。
確かに、十五人しかいなかった。
「兄貴。もう一人は?」
「ああ、その人は……」
天宮は言いづらそうにする。
それだけでアキラは察した。
「あ……。そうですよね。いくら兄貴でも、死んだ人を生き返らせることまでは……」
「あ、違う違う。めちゃくちゃピンピンしてたよ。なんなら一番元気だった」
「え? じゃあなんで」
「なんかめっちゃ運よく異世界で成功したみたいでさ。異種族ハーレム築いてぬくぬく暮らしてたんだよ。無理やり連れて帰ろうとしたら『あんな生き辛い世界に帰りたくなーい!』って泣き叫ばれて。だから仕方なく置いてきた」
「あぁ……。そっすか」
アキラはそっけない返事をする。
(いや、そんな奴のことより……。兄貴の言ってることは、本当なんだ……)
ハーレムには全く興味ないが、異世界には興味津々のアキラ。
「兄貴っ! もっと詳しい話を……」
「いや、でもよかった。みんな無事みたいで。これで心置きなく、記憶を消せる」
「え?」
「本当、思い出すだけで辛い記憶ばっかだからな……。よっと」
天宮は自販機のボタンを押すような気楽さで、自分の額に指を突き刺した。
「あばばばばばばっ」
「うわぁ! 頭に指突っ込んで脳みそいじってる! グロ!」
アキラは慌てて天宮を止めた。
「ちょっと! なにやってるんすか!」
「うばば……。ん? どうしたんだよ、そんな慌てて」
「それはこっちのセリフですよ! 記憶を消すってなんですか。まさか、異世界での記憶を……」
「記憶を消す? 異世界? なに言ってんだ、お前」
「な……。ほ、本当に忘れちゃったんですか? 異世界での出来事を」
「はぁ? だから、異世界ってなんのことだよ」
断片を聞いただけでも、天宮の異世界での生活が、相当濃密なものだったとわかる。
元中二病のアキラにとって、その冒険譚はなにより貴重なものだ。
それなのに天宮は、あろうことかその記憶は丸々消してしまった。
「…………」
「あぁ? なんだよ、その放心した顔。一族郎党皆殺しにされたみたいな顔しやがって」
「ちょっと、男子」と由紀が声をかけてくる。「あんたたちも手伝いなさいよ」
「手伝うって?」
「人命救助に決まってるでしょ!」
「人命救助? えっ⁉︎ その人たちって、もしかして……」
「なに今更驚いてるのよ。だから手伝ってって言ってるでしょ」
「わ、わかった。ほら、アキラも手を貸せ」
「…………」
「おい、アキラ。聞いてんのか」
「うぅ……。お、俺も異世界行くぅ!」
「アキラっ⁉︎」
涙を流しながら穴に飛び込もうとするアキラを、天宮が寸前のところで羽交締めにする。
「離せぇ! 俺も異世界に行くんだぁ! 冒険するんだぁ!」
「はぁ⁉︎ いきなりなに言ってんだお前。頭イカれてんのか」
「うるせえ! 頭に指突っ込んで脳みそイジるような奴に、イカれてるとか言われたくねえんだよ!」
「だからお前さっきから、なななにぃ、わげわがががんねえごど言っでぇえ!」
「うわぁあああ! 本当にちょっとイカれてる!」
「あばばばばば」
「直れ! 直れ!」
アキラは天宮の頭を、ブラウン管みたいにガンガンと殴りつける。
その様子を、成美は呆れながら眺めていた。
「……なんか、小学生の頃を思い出すね」
「あ、わかります。合唱コンクールの時とか」
「私は掃除の時間かな」
「はぁ……。こんな大変な時に……。成美さん、なんとかできませんか? 私の言うことなんて、聞きやしない」
「確かに、この状況でふざけるのは感心しないね。なにより危険すぎる」
とはいえ成美に、二人を罰するような権限はない。
成美にできることと言えば……。
「二人とも」
成美はピシッと、揉み合う男子を指さした。
「出禁ね」
二人は駆けつけてきた警備員によって、強制的に下山させられた。




