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それから三日後の放課後。
アキラと由紀は喫茶店のテラス席で向き合っていた。
『天宮、脱引きこもり作戦』の会議のためだ。
喫茶店も天宮の自宅からほど近いところを選んだ。
とりあえず飲み物を注文し、アキラはルーズリーフとボールペンを取り出した。
「じゃあまずは」
由紀が切り出す。
「天宮が引きこもった原因からいきましょう」
「原因もなにも……」
アキラがぼやくと、由紀がキッと睨んできた。
「なによ。言いたいことがあるならハッキリ言いなさいよ」
「姉御が全部悪――」
「やめて! 聞きたくない!」
「情緒」
由紀は耳をパタパタと叩きながら「あーあー」と変な声を出す。
ここぞとばかりに、アキラは由紀に対して暴言を放った。
ガッツリ禁止用語だ。
隣の席の老婦人が顔をしかめるほどの。
特に意味はない。
今回の件で怒っているわけでもなくて、本当にただの悪ふざけだ。
アキラはこの手の、無意味でリスキーな行いが好きだった。
だから天宮とも友達でいられるのだ。
「そうじゃなくて、原因はあんたたちが付き合ってるって噂が広まってることでしょ。広めた私を裁くのは、天宮を部屋から連れ出してからでも遅くないでしょ」
「ま、そっすね」
アキラは素っ気なく言い、ノートに、
『原因。俺と兄貴が付き合ってると学校中に広まっていること。』
と書いた。
今さらだが、とんでもない状況だ。
「というか、元はと言えば、あんたたちが私をからかったのが悪いんじゃん」
由紀に関しては、すでに誤解を解いていた。
そこでも一悶着あったのだが、説明すると長くなるのでまたの機会に。
「まさか広められるとは思ってなかったんで」
「ぐっ……」
この一言で、簡単に由紀を黙らせることができる。
相手の弱点を見抜き的確に突く技術を、アキラは小三の時にはすでに身につけていた。
由紀は本気で申し訳なく思っているのだ。
天宮やアキラに対しては当然のこと、そして何より天宮の母親である恵子に対して。
天宮が引きこもるのはこれで二度目だ。
一度目は、一年と少し前。
事情も話さず部屋から出てこなくなった天宮に、母親の恵子はどう接していいかわからず困り果てていた。
その時、救いの手を差し伸べたのが由紀だった。
由紀は根気よく天宮と対話し、そして脱引きこもりさせることに成功したのだ。
同じクラスの委員長だから、というのは建前で、本当のところは由紀の「困った男を放っておけない」という性癖によるところが大きかった。
それでも恵子が由紀に心から感謝し、全幅の信頼を寄せるには十分すぎる出来事だった。
その由紀が、天宮が引きこもる原因を作ったのだ。
明確な裏切りであり、恵子が知れば、きっとショックを受けるだろう。
由紀を責めたりはせず、ただただ悲しむのだ。
その姿を想像するだけで、由紀の心は痛んだ。
そういう事情もあって、由紀は恵子に真実を告げられなかったのだ。
できることなら、原因がバレる前に問題を解決し、全てを無かったことにしたかった。
「とにかく、天宮を連れ出す方法を考えるわよ」
「俺も被害者なんだけど?」
「それはマジでごめん」
「いいよ」
アキラはあっさりと由紀を許した。
「ちなみに前回は、どうやって脱引きこもりさせたんですか?」
「特別なことはしてないよ。頻繁に会いに行って、少しずつ仲良くなって、外に連れ出しただけ」
「でも今回は、そもそも会ってくれすらしない」
「そうなんだよね……」
由紀は重いため息をつく。
「私は仕方がないにしても、なんであんたとも会わないのかな」
「俺と付き合ってるって噂されてるんだから、思うところがあるんじゃないですか」
「うーん……。でも他の人に頼むわけにもいかないもんね」
「兄貴がまともに話せるのって、家族を除けば俺たちだけでしょ? で、片方は付き合ってるって噂されてる相手で、もう片方はその噂を流した張本人。……詰んでません?」
「あ、諦めるのはまだ早いわよ! なにか方法があるはず!」
力強く言ってから、由紀は肩をがくっと落とした。
「噂を流した私が言うのもなんだけど、そこまで気にすることかなぁ? 噂なんて、ほっとけばいいだけじゃん」
「仕方ないですよ。あの人のメンタル、そぼろ豆腐ですから」
「柔らかい以前に最初からボロボロじゃん……。あんたは平気なの?」
アキラは、ふんと鼻で笑う。
「俺が入学式でやらかしたことに比べりゃ、ゲイ疑惑の一つや二つ」
「あんたはもう少しナイーブになった方がいいんじゃない?」
由紀の忠言を聞き流しつつ、アキラはルーズリーフをひっくり返し、そこにイラストを描いた。
布団にくるまり、ガタガタと震えている天宮の絵だ。
可愛らしくデフォルメされている。
「上手ね」
褒められて気をよくしたアキラは、
『こわいよぉ~』
なんて吹き出しも付ける。
『うんこメンタル』と書いて矢印も飛ばした。
「あはは。ねえねえ、中学時代のあいつも描いてよ」
「いいですよ」
由紀のリクエストに応え、天宮の奇行の数々をイラストにしていった。
三階の窓から飛び降り、そして無傷で生還する天宮。
川にぷかぷかと浮かぶ天宮。
体育の時間、横から飛んできたボールに驚き失神する天宮。
運動会の騎馬戦に遺書を残して参加する天宮。
などなど……。
気づけばルーズリーフの片面が、絵で覆われていた。
「いやいや、こんなことしてる場合じゃないんですよ」
我に返ったアキラがルーズリーフをまたひっくり返す。
「そうね。ちゃんとしよう」
それから二人は真面目に話し合った。
どうすれば天宮を部屋から連れ出すことができるのか。
二人はさまざまな意見を出したけれど、結局同じところで壁にぶつかった。
そもそも、会ってもらえないことには話にならない。
説得も交渉も脅迫もできない。
会議はすぐに行き詰まり、由紀は少しやけっぱちになって言う。
「もういっそ、力づくで引っ張り出してみる? 昔の熱血ドラマみたいに、扉をぶっ壊して、思いっきりビンタしてさ」
「約束破って噂広めた上に、それはヤバい」
「じゃあ、あんたに任せる」
「無理無理。二億倍返しにされるわ」
「なによ二億倍って。小学生か」
天宮の力を知らない由紀は、アキラの発言をジョークだと受け止める。
それからも議論を続けたけれど、やはり名案は出てこなかった。
結局のところ、
「あまり刺激をしないように、少しずつ距離を詰めていく」
なんて毒にも薬にもならない結論が出ただけだった。
最初は飲み物だけで粘るつもりだったのだけれど、話し合っているうちに小腹が空いてきて食事も取った。
高校生の二人にはなかなかの出費だ。
その割に得られたものは少なく、二人の間に徒労感だけが残る。
「はぁ……」
アキラは一つため息を吐く。
ルーズリーフをファイルにまとめ、鞄に詰めた時、由紀が小さく、
「あ」
と言った。
視線はアキラの背後に向けられている。
その視線を辿るように振り返ると、テラスの外、歩道を歩く天宮と目が合った。
「げっ」
一瞬の間の後、三人は同時に動き出した。
脇目も振らず逃げる天宮。
柵を飛び越え追う二人。
「食い逃げだー!」
料理をひっくり返しながら店員が叫ぶ。
足がもつれ、天宮は何度も転びそうになった。
焦っているせいもあるけれど、理由はそれだけではなかった。
天宮はその気になれば、音速を超える速さで走ることができるのだ。
だからこそ「常識的な速さ」で走ることが難しかった。
ジェットエンジンを積んだ自転車で徐行するようなものだ。
今にも追いつかれるんじゃないかと焦りながらも、力が露見することを恐れて速く走れない。
夢の中での逃走劇みたいに、空回りするようなもどかしさがある。
天宮は肩越しに背後を振り返った。
アキラと由紀は、二メートルの距離にまで迫っていた。
そしてそのさらに後ろに、立ち漕ぎで迫ってくる制服警官と、轢き殺さんばかりのパトカーの姿。
「えぇっ⁉︎」
「そこの三人! 止まりなさい!」
「俺もっ⁉︎」
アキラと由紀は、天宮を追い抜き、そのまま走り去った。
「お、おい待て! 俺を置いていくなっ」
「おい! 止まれっつってんだろ、そこの三人! 聞いてんのかコラァ!」
拡声器のひび割れた声が、のどかな街を掻き乱す。
「ち、ちょっと。おい、アキラ! 由紀! 待てって……。本当に待ってっ」
天宮は半泣きになり、末っ子のような必死さで二人の背を追いかけた。




