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「お前、なにやってんだよ」
家を出ていく日。
両親とはすでに致命的なほど仲違いしていて、玄関に見送りに現れたのは、弟のタクトだけだった。
使用人たちも、父親の命で現れない。
そのタクトも、好意的とはとても言えず、視線も声も冷たかった。
そもそもタクトがアキラのことを、「お前」なんてぞんざいな呼び方をするのは、これが始めてのことだった。
「なにってなんだよ」
靴紐を結ぶ手を止めないまま、アキラは肩越しに振り返った。
アキラは上り框に腰掛けていて、タクトは廊下に立っている。
どうしても視線に高低差が生じてしまうけれど、それにしたって、タクトの見下すような目はアキラの感情を逆撫でした。
「お前、家から出てってどうする気だよ」
「お前には関係ないだろ」
対抗するように、冷たい言葉を返してしまう。
タクトの顔が、より険しくなった。
アキラとタクトは、もともとは仲のいい兄弟だった。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」とタクトはいつもアキラの後ろをついて回っていた。
アキラもそんな弟を、誰よりも可愛がった。
両親が厳しかったぶん、二人は寄り添うように兄弟仲を深めていった。
その関係に亀裂が入り出したのも、皮肉なことに、やはり両親が原因だった。
タクトは優秀な子供だった。
勉強も運動も、人並み以上にできた。
秀才と呼んでも、誰も否定しないだろう。
でも兄のアキラは、誰もが認める天才だった。
どれだけ努力をしても、兄の背中は遠く離れていた。
それだけなら、タクトも兄を嫌ったりはしなかっただろう。
むしろ尊敬し、兄を誇りに思ったはずだ。
でもそんな仲のいい兄弟を、両親は常に比較し、タクトを不出来だと責めたのだ。
「どうして兄のようにできない」
何度その言葉をぶつけられたことか。
悲しみはやがて屈辱に変わり、いつしか兄を憎むまでになっていた。
二人は喧嘩をしたわけではなかった。
ただ自然と距離ができて、気づいた時には取り返しのつかい軋轢を抱えていたのだ。
だから、仲直りもできなかった。
そもそもまともに会話すること自体、ずいぶんと久しぶりなのだ。
「城島家の跡取りじゃなくなったお前に、なんの価値があるんだよ」
タクトは吐き捨てるように言う。
アキラは苦笑した。
久しぶりの会話が、そしてもしかしたら最後になるかもしれない会話が、これかと。
「俺はやりたいことを見つけたんだ。城島グループは、お前に任せるよ」
「……ふざけんなよ」
怒気を孕んだ声。
「なにがだよ。お前にとってもよかっただろ? 目の上のたんこぶがなくなって、将来が約束されたんだから。城島グループの次期総裁だぞ? はは、よかったな」
「……」
タクトの返事はなかった。
「じゃあな」
靴を履き終えたアキラは、振り返りもせずに言う。
扉を開け、外に一歩出た時だった。
ボソリと、背後から声がする。
さっきまでの棘のある声音ではなく、今にも泣き出しそうな、弱々しい声だった。
「行かないで……」
アキラの脳裏に、幼い弟の姿が浮かぶ。
二人がまだ仲がよかった頃の、「お兄ちゃん、お兄ちゃん」とずっと背中を追ってきた弟の姿を。
そして、両親に罵倒されて涙を流す弟の姿を。
アキラは足を止め、振り返った。
タクトは深く項垂れていて、表情は見えなかった。
でも肩がかすかに震えていて、その姿には悲壮さが漂っていた。
アキラは反射的に、弟に声をかけようとした。
でも言葉は出てこなかった。
どんなに優しい言葉だろうと、どんなに正しい言葉だろうと、行動が伴わなければ無価値あることを、聡明なアキラはすでに知っている。
長い逡巡の末に、
「ごめん……」
とだけ言って、アキラは弟に背を向けた。
パタンと扉が閉じ、兄弟の間に、致命的な隔たりを作った。
それ以来、二人は顔を合わせていない。