1
ガラッと扉が開く音に天宮は振り返る。
戸口に立つ背の高い男子と目が合った。
「今日も早いですね」
「まあな」
「あ、もう食べてる。ちょっとくらい、待っててくれてもいいのに」
背の高い男子――城島明は天宮の隣の椅子に座り、購買で買ってきたパンを広げた。
ここは校舎の隅にある小さな教室。
文芸部の部室であり、唯一の部員であるアキラの憩いの場でもあった。
アフリカの一件以来、二人の間には奇妙な友情が芽生えていた。
天宮は今まで力の存在を知られることを何よりも恐れていたのだが、いざ知られてみると、開き直って気兼ねなく接することができた。
アキラ側も似たようなものだった。
最初は怖くて媚びるような態度を取っていたけれど、天宮が適度にアホなので、いつしか緊張しなくなっていた。
今では「喧嘩はメチャクチャ強いが頭が悪くてどこか憎めにところがある先輩」くらいの認識だ。内心では少し見下していた。
「そういえば兄貴」
「誰が兄貴だ」
「もう、いい加減慣れて下さいよ」
「お前もいい加減やめろ、その呼び方」
アキラの中二病はほぼ完治したものの、未だに後遺症に悩まされていた(主に周りが)。
中二病とは、かくも恐ろしい病気なのである。
「なんでいつもカーテン閉め切ってるんですか?」
「え、いや、別に……」
「理由がないなら開けますよ」
「あ、ちょっと」
アキラは窓に近づき、シャッとカーテンを開いた。
途端に、見たくないものが天宮の目に飛び込んでくる。
それは巨大な穴だった。
「いやあ、いい眺めですねえ」
「……そうかな」
「一年と半年前に起きた、突然山脈が消し飛んだ大事件。その跡地。……古傷が疼きますね」
アキラは左腕を押さえた。
もちろんそこに古傷などはない。
彼が患っていたのは中二病なのだ。
押さえるべきなのは頭か胸のどちらかだろう。
「もういいだろ。早く閉めろよ」
「なに言ってるんですか。俺はあの跡地を眺めるために、文芸部に入ったんですよ。本当は地学準備室が部室だったんですけど、部員が誰もいないのをいいことに、無理を言ってここに移したんですから」
「なんでこんな校舎の隅にって思ってたら、そんな理由なのかよ……」
「そもそも、俺がこの高校を選んだのも、あの跡地から近かったからなんですよ」
アキラの学力なら日本有数の高校でも簡単に入れただろう。
そもそもアキラは名門の私立中学に通っていて、本来ならエスカレーターで大学まで行けるはずだったのだ。
それを捨ててまで、彼はこの平凡な公立高校を受験したのだ。
アキラは厳しい両親に育てられた。
父親は何代も続く大企業の社長で、母親も名家の出だった。
そんな城島家の長男として生まれたアキラは、子供の頃から熱心な教育を受けていた。
それも生半可な教育ではない。
一流大学に行くことなんて大前提。
その上で、将来の城島グループ総帥として、人の上に立つべき素養を叩き込まれた。
学問だけでなく、各種のスポーツや芸術も学んだ。
アキラはずば抜けて優秀だった。
それはある意味で、とても不幸なことだった。
アキラは両親の期待に全て応えることが、いや、期待以上の成果を出すことができた。
学問でもスポーツでも芸術でも、抜きん出た才覚を見せ、それに伴い両親の期待もさらに膨らんでいく。
アキラの生活に自由なんて微塵もなくて、ただ敷かれたレールの上を、常人の何倍ものスピードで走り抜けるだけだった。
アキラは退屈していた。
全ての分野に才覚を持つせいで、何に対しても情熱を抱くことができなかったのだ。
アキラの明晰な頭脳は、これから自分が送るであろう人生を、ほぼ完璧に思い描くことができた。
エスカレーターで大学にまで上がり、留学をして見識を広め、卒業後は父の会社で働き始める。
ゆくゆくは社長の席を譲り受け、城島グループをさらに成長させる。
親が決めた好きでもない相手と結婚して、かりそめの家庭を築く。今の城島家と同じような……。
どうでもいい、とアキラは思った。
どうせ自分の人生に、劇的なことなどなにも起こらないのだから。
中学生にして人生を儚んでいたアキラだったけれど、中学二年の冬のある日、突然転機が訪れる。
学校帰りのリムジンの中から、信じられないような大爆発を見たのだ。
遠くの山脈が消し飛び、アキラは死を悟った。
これほどの爆発だ。
衝撃波だけで、何万もの命が奪われるだろう。
爆心地から、それほど近いわけではないけれど、アキラもその『何万もの命』の中に含まれているのは明らかだった。
(あと十八秒……)
目測から、衝撃波が襲ってくるまでの時間を瞬時に計算する。
当時のアキラには厭世的なところがあったけれど、決して自殺志願者というわけではなかった。
自らの身に危険が及べば、それこそ死に物狂いで抵抗するだろう。
でも聡明なアキラは、それら全ての抵抗が無駄であることを悟っていた。
今からできることなど、せいぜいビルの影に隠れることくらいだ。
そんなことをしたところで、生存確率は大して変わらない。
むしろ即死できず、無駄に苦しむ結果を招くだけだ。
それなら、潔く死を受け入れよう。
アキラは、そのように考えた。
「車を止めろ」
パニックになっている運転手に命じ、アキラは車外に出た。
爆発に体を晒すように、車に体重を預け、そっと目を閉じる。
(あと二秒……)
でも衝撃は、いつまで経っても襲ってこなかった。
(……どういうことだ?)
もちろん爆心地との距離は目測でしかないから、多少の誤差はある。
それでも、これほどのズレはあり得ない。
「アキラ様、車に戻ってください。早く逃げないとっ」
運転手の焦った声。
アキラが素直に車内に戻ると、運転手はほっと胸を撫で下ろした。
それも束の間……。
「爆心地に迎え」
「……は? なにを言って……」
「いいから行け」
有無を言わせぬアキラの迫力に、勤続二十年の運転手は、従わざるを得なかった。