ごきげんよう犬です。
稚拙な文ではありますが、最後まで書ききれたらいいなと思います。
どうか温かく見守っていただければ幸いです。
『愛されなかった悪女が冷血公爵のペットになって溺愛される』
人生何が起こるかわからない。現実は小説よりも奇なりなんて言うけれど、これは誰に言っても信じてもらえそうにないとネフィリアは死んだ魚の目をしながら他人事のように思った。
目の前の現実…というか奇行を受け止めるには些かハードルが高い。
「私の可愛いリリィ、今日も君の瞳はルビーの如く美しいな」
口から砂糖が出そうな甘い言葉を社交界でも”冷血公爵”と有名なあのカーライル・グレイが、冷徹・冷酷でその血さえ凍るとまで揶揄されるあのカーライル・グレイが、まるで乙女のように瞳を潤ませて頬を染めているなんて一体誰が信じるのだろう。解釈違いもいいところである。
艶のあるブルネットの髪に、グレイ公爵家特有の灰青の瞳。
冷たい印象の灰青の瞳が光の加減でこんなにもたくさんの色で煌めくことを知るのはきっとごく限られた者だけだろう。
「リリィ」
全く、こんな声で迫られたら世の女性はひとたまりも無いでしょうね。ネフィリアはとてつもなく他人事のように思う。だって、
「若様!!いい加減に執務を再開して下さい!!リリィ殿に構ってばかりで手が止まっていますよ!!!」
「うるさい!!明日から数日間は王城に呼び出されるのだ、いまのうちにリリィを出来るだけ吸っておかないと…!!(スーハー)」
犬の姿で好き放題構い倒されて体を吸われまくっていたら嫌でも遠い目になる。
もう既に三刻ぐらい前からネフィリアの瞳から光は消えていた。
”リリィ”こと貴族令嬢歴17年のネフィリアは現在進行形で犬だった。正確には精霊獣というものだがその姿は犬以外何物でもないので犬だ。貴族令嬢と言っても、没落した家紋のだが。幼い頃は両親と生まれたばかりの弟がいて、両親と弟の洗礼式を受けるために神殿へ行く道中に不幸な馬車の事故で亡くなった。
生き残ったのはたまたま直前で熱を出して屋敷に残っていたネフィリア一人、領地など殆どない名ばかりの貴族に等しくおそらくそのまま野たれ死ぬだけだった筈だ。だが曾祖母が王族に連なる者だったおかげでネフィリアはクリスティナ公爵家に養女として引き取られた。
そこでの生活は凄惨なものだったが、死ぬことは無かったからネフィリアは幸運だったと思っている。世間では傲慢でバカで男遊びが好きなネフィリア・ブラック。家庭教師の前で賢く振舞えば振舞うほど、義妹のアイリーンより貞淑に振舞うほど、クリスティナ家の虐待は酷くなった。心無い噂話を他の令嬢に流すアイリーンに、ネフィリアはその噂通りに外では振舞った。ネフィリアが18歳になって成人すればブラック家の正当な後継者として、あの小さな領地を国から継承して戻ることができる。そうなればひっそりと家族が眠る思い出の領地で慎ましく暮らすだけだ。辺境地に社交界の噂などどうでもいい。ならば最低限の衣食住の恩返しぐらいはしてやろうとネフィリアはアイリーンの引き立て役として社交界のバカな悪女役で舞台に立っていた。
けれども、17歳を迎えた日、アイリーンに毒を飲まされ湖に沈められ代わりに目が覚めた時にはこの姿になっていた。森を彷徨っていたネフィリアが魔獣に襲われそうになった時に助けてくれたのがこの冷血公爵カーライル・グレイだった。
「はあ、リリィ殿。申し訳ございませんが若様が使い物になりませぬ故、暫く庭園でも散策されるのは如何ですか? メイドがリリィ殿のお好きなスイーツをご準備しているそうですよ」
主人の奇行にも動じない執事長がガミガミとカーライルを叱り倒す光景はグレイ公爵家の通常運転で、他の者たちは苦笑しながら黙々と書類仕事をこなしている。
気苦労の多そうな執事長でもある老執事が丁寧に退室を願ってくるのを見て、ネフィリアは犬の私にそこまで遜ることもなかろうにと同情めいた視線を老執事に送りながらストンっとカーライルの膝から下りた。「リ、リリィ…!?」捨てられた仔犬みたいな視線と声がしたが無視だ。ほら早く仕事をしなさい。皆が困っているじゃない。
そういえば新婚ほやほやの書記官がいた筈だ。メイドの誰かが言っていた。目に見えて顔が明るくなった男性がいたのでおそらく彼に違いない。ネフィリアが扉までくると「リリィ様どうぞ」と護衛騎士が扉を開けてくれた。カーライルの溺愛のせいか、グレイ公爵家では「リリィ殿」とか「リリィ様」なんて仰々しく扱ってくれる。貴族令嬢だった頃より大切にされているのは何だかとても不思議な気分だ。