一時の休息を
「気分転換に散歩でも行きましょう」
彼女がそう声をかけてきたのは、僕の家で一緒にテスト勉強をしている最中、
僕が一人悶々としている時だった。
「いいね、でも、もうちょっと進めてからでいい?」
とにかくペンを走らせてはみるものの、
やってもやってもどこか満足出来ない状況に自分でもドツボに嵌まってるな、
と思いつつも席を立つ気分にはなれなかった。
「あー、疲れちゃったなー、
甘いものが欲しくなっちゃったなー、ケーキが食べたいなー」
彼女は棒読みの台詞を言いながら、わざとらしく脚を投げ出した。
薄い黒色のパンストに覆われた脚の爪先をちゃんと僕の目の前に向けている辺り、
弱点を知り尽くし的確に攻めてくるな、と思った。
彼女の脚を覆う黒ストッキングは10デニールも無い程薄々で、
キメ細やかなナイロンから美白の肌が透けて見えており、
白と黒のコントラストが織り成すエロスの塊に、
もう男を誘惑するために穿いているとしか思えなかった。
ストッキングの爪先で妖艶さが強調される先縫いラインから覗く、
おみ足の小さな足指たちは綺麗にマニキュアが塗られ整えられており、
下から上に、搾るように躍りながら蠢く様は、蠱惑に微笑む彼女の表情と相まって、
さながら『小悪魔の誘い』と表現して差し支えが無いだろう。
特に、黒ストッキングの先縫い部分から透けて覗く、
ぷっくりとした丸みの小さな親指は、
むしゃぶりつきたいほど美味しそうに見えた。
「足にしゃぶりついてもいい?」
既に僕の頭の中は煩悩で埋め尽くされており、
あれほど唸っていたテスト勉強の事など、どうでもよくなっていた。
「先にケーキをご馳走して頂戴」
彼女は悪戯が成功したからか、嬉しそうにクスクスと笑いながら言った。
「よし行こう、すぐ行こう、そして直ぐに戻ろう」
僕は立ち上がり、急いで外出するための身支度を整えようとした。
「ホント、単純ねぇ」
彼女は呆れを含んだ表情をしながらも、僕を連れ出すという目的を果たし、
満足そうなでありながら、どこか安心した様に見てとれた。
気を使わせた事に感謝し、
普段は行かない高めだけど、美味しくてお洒落なケーキ屋さんに連れていくか、
と心の中で思った。
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「ケーキ、美味しかったわね」
夕暮れの河川敷を彼女と二人で並びながらのんびりと歩いていると、
ポツリと彼女が呟いた。
「そうだね、お店の雰囲気も良かったね」
早く帰ろうと思っていたが、
結局夕暮れ時まで彼女とマッタリしながらパティスリーで時間を過ごしてしまった。
想定よりも遅い時間になり過ぎて、
僕はテスト勉強が思うように進んでいない事に不安を覚えていた。
「焦ってるの?」
並んで歩いていた彼女はズイッと一歩前に躍り出て、
後ろ手を組みながら振り返り、
微笑みながら上目使いで僕の顔を覗きこんできた。
「あぁ、早く君の蒸れた足先にむしゃぶりつきたくてウズウズしてるよ」
僕は内心を見透かされているような気がして、恥ずかしくなり、
おどけながら肩を竦めてイヤらしい顔をしようとした。
「大丈夫、もう出来ているじゃない」
ふざけようとする僕を一顧だにせず、彼女は聖母のような微笑みで言葉を重ねる。
「たまには息抜きも必要よ?根を詰めなくても大丈夫だから安心して?」
絡み合う彼女の視線からは心配する色が濃く見えた。
「百点満点じゃないてもいいのよ?無理しないで」
彼女は後ろ手に組んだ手を解し、僕に歩み寄り、
その白魚のように細く、白い、たおやかな指を僕の胸にそっと労るように添えた。
「貴方は頑張っているわ、私が知っているもの」
僕と彼女はお互いの吐息が感じられる程の距離から、
更に彼女はゆっくりとした動作でコツンとおでこをくっ付けてきた。
身長差から彼女は少し背伸びしており、健気さと愛おしさを感じた。
「もっと自分を褒めてあげて」
そう言って彼女は目を閉じ、両腕を伸ばし、僕を優しく包み込んだ。
互いに言葉は発せず、周りの雑音は消え去り、吐息のみが耳朶を打つ。
彼女から漂うのは上品な薔薇の香りが、
ケーキの糖分を纏い何とも表現し難い甘さだった。
そろそろ互いの心臓の音が聞こえてこようかと錯覚するくらいに、
彼女はおでこを外し、ヒシッと僕の横に寄り添ってきた。
言葉は発しなかったが、彼女から気遣う気持ちが伝わってきた僕は、
無言で彼女の手を握り、自身の気持ちを示した。
握り返してきた彼女の手のひらから確かに通ずる絆を感じた僕は、
言葉を発する事なく、そのまま歩き出した。
二人で並んで歩く河川敷からは、
秋に感じられた金木犀の香りが無くなっていることに冬の到来を予感しつつ、
寄り添う彼女の温もりがあれば、どんなことも乗り越えられる気がした。
届くといいな。