中央大陸へ
翌朝。ベッドの中で横たわったまま身体を重ね、アスティアに血を飲ませながら櫻は天井を眺める。
カタリナと命は宿を発つ前に入り用な物を買い出しに町へ出ており、部屋の中には櫻とアスティアの二人きりだ。
「ふぅ、今日でこの天井ともお別れか。」
そう言いながらアスティアの若々しく肌触りの良い背中を撫でると、何となくそのまま手を下へ伸ばし、お尻をムニッと掴んでみる。
柔らかくも張りと弾力が有り、スベスベとして手触り良く、それでいて吸い付くようにきめ細かいモチモチとした感触。瞳を閉じてその掌に感覚を集中させる。
(あ~…何だか落ち着く感触だねぇ…。)
ひと揉みする度にアスティアの身体がピクピクと反応を返し、それを面白く思った櫻はつい何度も不規則に掌に力を込めて反応を楽しむ。
「も~、サクラ様、食事に集中出来ないよ~。」
堪らず首筋から牙を抜いたアスティアが『む~』っとした顔を櫻の鼻先に近付ける。
「あぁ、ごめんごめん。嫌だったかい?もうしないから許しておくれ。」
流石に調子に乗って機嫌を損ねてしまったかと反省する櫻。しかし
「ううん、嫌じゃないよ。サクラ様がしたいならもっとしてくれても良いくらい。でも食事中は止めて欲しいかなぁ…。」
そう言うと、チュッと唇を重ねた。
「こら、アスティア…。」
「えへへ、お返し。」
悪戯っぽく微笑むその表情は何処か妖艶で、櫻は思わずドキリとしてしまうのだった。
その時、部屋の扉がガチャリと開きカタリナと命が帰って来た。思わず櫻の身体がビクッと跳ねる。
「あれ?まだ食事中だったのか?」
「ご主人様、買い出しと荷物の積み込みは完了しました。いつでも出立可能です。」
「あ…あぁ、ご苦労様、有り難う。」
跳ねあがった心臓を落ち着かせるように深呼吸をして身を起こすと、アスティアも続いて起き上がり櫻の肩に凭れ掛かった。
『ふぅん?あの娘がお嬢ちゃんの本命って訳だ?』
昨日のクローリアの言葉がフと脳裏を過り、アスティアの横顔を見つめる。
(本命…か。そういう感情かは判らないけど、確かにこの娘と離れるなんて考えられなくなってるのは確かだねぇ。…それにしても、あたしはそんなに露骨に表情に表れてるもんなのかね?)
思わず自分の頬を『むにー』と引っ張ってみると、そんな様子を三人は不思議そうな顔で眺めるのだった。
長らく世話になった店主に礼を告げ、櫻達は宿屋を引き払うと荷車に乗り込みクローリアの店へと出発した。
事前に場所を教えて貰っていたそこは港沿いの並びに有り、店とは言うものの商品をディスプレイしている訳では無く巨大な倉庫のような建物であった。
「お、来たね!」
店先で待ち構えていたクローリアが元気な声で御者席のカタリナに手を振る。杖を突き巻き布を巻いた姿は変わらずだが、その声だけを聞けば誰が怪我人だと思うだろうか。
「やぁ、此処がお前さんの店かい?随分デカいねぇ。」
櫻が荷車から下りて建物を見上げる。
「まぁねぇ。店とは言うけど、やってる事は交易の中継ぎみたいなもんでね。食料品や嗜好品、民芸品や芸術品まで様々な品を交易商から目利きして仕入れて、それをまた別の商人に売るって商売をしてるんだよ。だからそう言った品を一時仕舞っておくのがこの建物、アタシの店なのさ。」
(成程、仲卸業者みたいなもんなのか。)
「お前さん一人で切り盛りしてるのかい?旦那はどうしたんだい?」
店内を見回すが大量の荷物の中、他に人影は見当たらない。
「あぁ。旦那は…死んじまったよ。交易船の船員をやってたんだけどね、テニが産まれて間も無く、海賊に襲われて生命を落としちまった。…全く、あんな可愛い子達を残して逝っちまうなんて薄情な男だよ。」
店の外で仲良く遊ぶ兄妹を見つめ、寂し気な微笑みを浮かべるとクローリアは小さく溜め息を漏らした。
「…済まない。」
櫻はそんな様子に迂闊な事を聞いてしまったと肩を落とす。
「ふふ、何を謝るんだい?お嬢ちゃんが気にする事じゃないだろう?」
落ち込む櫻の背中をバンと景気よく叩く。そしてニコリと微笑むクローリアに、櫻もはにかんで見せた。
「それに旦那と一緒に仕事をしてた連中はそれを機に独立したりもしてね、キース達もそのクチさ。あの当時は気落ちもしたもんだけど、色々と元気付けて貰ったりもしてね。」
「そういう繋がりが有ったのか。」
「ふふ、それでそんな仕事をしてると船乗り達とは貸し借りが色々と出来てね。コネや伝手が出来る顔の広さもアタシの売りって訳さ。キースもそれをアテにして紹介したんだろうしね。」
「済まないね、見ず知らずのあたし達の為に手間を取らせちまって。」
「何言ってんだい!今じゃ見ず知らず処かアタシと子供達の命の恩人だよ?この恩を返せなきゃ恩知らずの恥知らずも良い処さ!そんな訳で、アタシが知る限りの信頼出来る船を手配しておいたよ!」
そう言ってクローリアは櫻達の後方、遠く店とは反対側の港の端を指差す。するとそこには、巻き上げられた帆の間に見覚えの有るマークのチラリと見える大きな武装船が停まっているではないか。
「あれは…。」
「流石に噂位は聞いた事が有るんじゃないかい?『グレイグ武装船団』の旗船さ。丁度昨日この港に入って来てね、即行で声を掛けてキープさせて貰ったよ。そこらの客船より豪華で、何より安心感が違う、今この港に居る船の中じゃ最高級だよ。」
自慢気にフフンと鼻を鳴らすクローリア。
「あ…あぁ。知ってるともさ。だがあの船は可也高いだろう?値引きも受け付けないと思ったが、まさか言い値であたしらの人数分を支払ったのかい?」
「ふふん、そこはちょいと内々にね。余り深くは聞かないでおくれよ?」
ニヤリと含みの有る貌を浮かべるクローリアに、櫻達は何も聞くまいと笑って返す。
「それで、荷車も牽いて来たって事はもう出発の準備は出来てるんだろう?それなら早速船の元に行くと良いよ。話は通して有るからアタシの名前を出してくれれば直ぐに乗れる筈さ。アタシはこんな足だし仕事も有るから見送りに付いては行けないけど、旅の無事を祈ってるよ。」
「有り難う。その言葉だけで充分過ぎるさ。子供達と達者で。」
互いに手を振り合い別れの挨拶を交わした櫻達は、早速武装船の元へとホーンスを走らせた。そして船の根本、乗り入れ口に辿り着くと、そこには見覚えのある船員が腕組みをし、何人も進入させまいという風に立ち塞がっていた。
(あの船員、アレが役目なのか…?)
ミウディスの町で見た情けない姿を思い出しながら少しばかり懐かしい感覚を覚える。
しかしそんな船員も、御者席のカタリナの姿を見た途端に顔色を変えた。
「よ。アタイら、クローリアから紹介されて来たんだが、話は通ってるかい?」
「はっ、はいっ!お話は伺っております!只今船長を呼んで来ますので、少々お待ちを!」
そう言うと船員はまるで逃げるようにその場を離れ、船の中へと姿を消してしまった。
「何だいありゃ?」
幌の中から顔を覗かせた櫻が不思議なものを見るように呟く。
「何だろうねぇ?」
カタリナとアスティアも首を傾げるばかりであった。
それから程無くして船長が姿を現す。
「よう。クローリアから紹介された客がまさかお前達だったとは、妙な縁も有ったもんだな。」
「全くだ、こっちも驚いたよ。」
一行の代表としてカタリナが御者席に座ったままで言葉を交わす。
「そっちのお嬢ちゃんも元気そうでなによりだ。」
幌の中から顔を覗かせていたアスティアに目を向ける。しかし
「ん?後の二人のお嬢ちゃんは初顔だな。俺はこの船の船長をしている『グレイグ』ってモンだ、宜しくな。」
そう言ってアスティアの横に居た櫻と命を覗き込んだ。
「…あぁ、初めまして、だね。」
「初めまして。宜しくお願い致します。」
櫻と命は軽い会釈を交え挨拶を述べた。
(矢張り覚えては居ないか…。人の生き方を変える程の出会いなんて、そうそう無いって事だねぇ…。)
少し寂しく眉尻を下げる。アスティアとカタリナも何かを言いた気な気持ちを押し殺したような複雑な表情を浮かべていた。
「まぁ立ち話も何だ、もう出発しても良いんだろう?早速乗ってくれ。」
そう言うと船の後部が大きく開き、スロープが出来上がる。そこから荷車を中へ入れ車輪をしっかりと固定させると、ホーンスを繋ぐ金具を一旦外し、用意してあった柵の中へと移す。しっかりと敷き藁も敷いてあり餌となる新鮮な青草も用意されていた。
「へぇ…こんな準備までしっかりしてあるんだねぇ。流石、高い金を取るだけあってサービスが良いね。」
(この草ならケセランの食事にもなるね。)
感心したように櫻が頷くと、そんな様子に船長も機嫌が良い。
「当然だ。料金に見合うだけの事をしなけりゃ信用ってのは得られ無いからな。さ、お客人方の部屋はこっちだ。」
そう言って櫻達を先導するように歩き出す。
(う~ん…この小さい嬢ちゃん、前に遇ってる気もするんだが…気のせいか?)
カタリナとアスティアの横に誰かが居たような、霞みがかったようにボンヤリとした記憶にもどかしく首を傾げる船長であった。
そうして船長に案内されたのは、以前にも使った四人部屋であった。久しぶりに見るその部屋の様子は以前と全く変わらず、下手な宿屋よりも豪華な内装に思わず溜め息が漏れる。
「どうだいお嬢ちゃん、立派な部屋だろう?クローリアからも上客として扱ってくれと言われてるからな。中央大陸まではのんびりと寛いで居てくれ。」
櫻の肩にポンと手を置き、船長は部屋の扉を閉めると足音が遠ざかって行く。
着替えと財布という最低限の荷物をベッド脇に置くと、各々が思い思いのベッドへ腰を下ろした。当然のようにアスティアは櫻の隣だ。
「まさかまたこの船に乗る事になるとはねぇ…。あの時も島を出る為だったが、妙な縁も有ったもんだよ。」
「そうだね。あの時はサクラ様の指示でボクとカタリナで魔魚を退治して、その時に手を貸して貰った縁だったんだよね…今回は魔獣を退治してクローリアさんを助けたのが切っ掛けなんて、本当に凄い偶然!」
(ははっ、『袖振り合うも多生の縁』とは良く言ったもんだ。流石にこの世界にこんな言葉は無いだろうけどね。覚えて居なくても再び巡り合う事ってのは有るもんなんだねぇ。)
感慨に耽って居ると、扉をコンコンとノックする音が聞こえ、
「お客様、船長がお呼びですので、お手数ですが船長室まで御出で下さい。」
と船員が言葉を残し去って行った。
「あぁ、乗船の注意説明か。律儀に毎度やってるんだねぇ。」
櫻が感心してベッドから降り扉を開くと、三人もそれに続き部屋を出た。そして勝手知ったる船内を船長室まで迷いなく歩く。
船長からは以前にも聞いた乗船中の注意事項を端的に説明を受け、船長室を後にすると部屋へと戻る前に甲板に出て海を、そして港を眺めた。
するとそこに、クローリアと子供達の姿がある事に気付く。
「あんな事を言っておいて、態々見送りに来てくれたのか…。」
思わず笑みが零れた。そして船の上から覗く櫻達にクローリア達も気付いたのか、三人共が大きく手を振って見せる。
櫻達もそれに応えるように大きく手を振る。するとその時、船全体を巡る伝声管から『出港ー!』と大きな声が響いた。それと同時に船がググッと大きく揺れたかと思うと岸壁を離れて行く。
「いよいよこの島ともお別れか。そしてやっと中央大陸だねぇ。」
櫻は手を振りながら感慨深く口にする。見る見る遠ざかる港とクローリア達。その影が港を離れるのを見届けると櫻も手を下ろし振り向く。
「さて、少し海の景色を眺めたら部屋に戻ってのんびりしようか。」
「うん。」
「アタイはちょっと酒を貰えないか聞いて来ようかな。ついでに食事の人数について言って来ておいてやるよ。」
「あぁ、助かる。それじゃここで待ってるよ。」
「あいよ…そうだね、ミコト、アンタも一緒に来なよ。」
「?…はい。」
カタリナと命が離れると、アスティアが櫻の肩に寄り掛かるように身を寄せる。
「サクラ様、ボク達が居るからね。」
「…あぁ。有り難う。」
その少ない言葉が櫻の心を潤してくれる。海風が心地好く、アスティアの金の髪がサラサラと櫻の顔に触れると、くすぐったくも傍に居る実感に心が安らぐ。
しばし二人寄り添い優しい海風に吹かれながら海原を眺めていると、カタリナと命が其々手に木製のコップを持って戻って来た。
「お待たせ、お嬢。」
「ん?命も飲むのか?」
「いえ…これは…。」
「はは、部屋に戻ろうか。これはお嬢の分だよ。」
周りに聞こえないようにカタリナがこっそりと耳打ちする。
「お前さん、その為に態々命を?…済まないね、二人共気を遣わせたみたいで。」
「さて何の事やら。アタイは一緒に飲む相手が欲しかっただけでね。ほらほら、こんな所でまた酔い潰れられちゃ周りの目が有るんだ、早く戻ろうじゃないか。」
「そうだね。折角の機会だ、のんびり飲ませて貰うとしようか。」
こうして客室へと戻った櫻達は、ベッドに腰掛け細やかな酒盛りを行った。案の定櫻は酔い潰れたものの、その寝顔は幸せそうであった。
(やっと町を出たか…随分と長い事滞在していたようだが何をやっていたのだ…?町の中に居られては様子を見る事も出来ないのがもどかしい…!)
暗い闇の中、櫻達の様子を窺う影が苦々しく歯を食いしばる。
(くそ!自由の利かぬこの身が忌々しい…早くあのヴァンパイアを手に入れ、神の身体を産ませ我が物としなければ…!)
その影は海を往く船をただ遠くから見つめるのだった。




