魔法使いの道
朝。櫻が目を覚ますと、外は薄曇りに太陽が隠され日差しは弱々しい。
ベッドの中から顔だけを窓に向けると、外はシトシトと霧雨のような細かな雨が降っているようだ。
(あぁ…今日は雨なのか…こういう天気の時は雨音を聞きながら家の中でのんびりしていたい気分だが、流石に自宅じゃないからそうも行かないか…。)
少々気怠い感覚に鞭打つように左手を伸ばし欠伸をし、脳へ酸素を送り眠気を吹き飛ばす。
そしていつものようにアスティアを起こし食事を与えると、血液を水筒へ詰めてから服を着る。近頃は手慣れた物で水筒へ血液を入れる際に一滴も床へ零す事は無く、水筒の口すらも汚す事無く入れられた時には櫻は満足気な表情を浮かべるのだった。
「それで、今日はもうこの町を出て『セガワ』に向かうって事で良いのかい?」
アスティアの髪を整えている櫻にカタリナが声を掛ける。
「あぁ。これから旅に入り用な物を買いに町に出るんだろう?その最中に何かしらのトラブルに遭遇しない限りは、『縁が無かった』って事で出発する事にするよ。」
「ま、そうだよな。まさか町中を周って問題が無いか聞いて回る訳にも行かないか。」
「そういう事。それじゃ早速買い物に出かけるとするかね。」
サイドテールにした髪の根本にリボンを結び、完成の合図に頭にポンと手を置くと、アスティアもそれを受けてにっこりと微笑んだ。そんな二人の様子にカタリナは少し考える。
「お嬢達、何か入り用な物でも有るかい?」
突然の質問に何かと櫻とアスティアは目を合わせた。
「ん?あたしは今の処特に思いつかないね。」
「ボクも特には無いよ?」
「そうか、それじゃこんな天気だし、全員でぞろぞろ外を歩く必要も無いだろ。アタイとミコトで買い物に行ってくるから、お嬢とアスティアはここでのんびり待ってて良いよ。」
そう言うとカタリナは壁際の椅子に座っていた命へ視線を向けた。
「…はい、そうですね。買い物は私とカタリナにお任せ下さい。ご主人様とアスティアお嬢様は暫し此方で御寛ぎ下さい。」
頷き椅子から立ち上がると、命はカタリナと共に早速部屋を出て行く。そして扉が閉まる直前、
「多分一鳴き程で戻って来るから。」
とカタリナは櫻に向けてウィンクをして見せた。
(…はぁ、そういう事か…。)
カタリナの気遣いに気付いた櫻は少々困惑し引き攣った笑顔が浮かんだ。
(確かに昨日はアスティアの甘え具合が強かったからねぇ。暫く二人きりになれるタイミングが無かったからストレスになってたのかもしれないね。)
ここ数日の事を思い返しアスティアに目を向けると、当のアスティアは不思議そうに首を傾げてベッドの上、櫻の隣に大人しく座っている。どうやら何故カタリナ達が二人きりにしたのかを理解していないようだ。
櫻は身体をアスティアへ向けると
「さて、二人きりになっちまったね?アスティア、何かしたい事、あるかい?」
と優しく微笑んで見せた。するとその言葉に
「あっ…。」
とアスティアもやっと状況が飲み込めたのか、少し頬を赤らめた。そして少々おずおずとした後に、「んっ…」と瞳を閉じて顔を近付ける。
(ふふ…普段はもっと積極的なのに、改めてそういう場を用意された事が照れ臭いのかね?可愛いもんだねぇ。)
そんなアスティアが無性に愛らしく思え、櫻はその両肩に手を添えると優しく唇を重ねた。それは触れるだけの口付けであったが、アスティアは歓喜に震え櫻の身体を抱き締める。そしてそのままベッドへと倒れ込んだ。
「お、おい、アスティア?」
「えへへ…サクラ様からして貰っちゃった…ありがとう、凄く嬉しい!」
キラキラとした金色の瞳が櫻の瞳をジッと見つめる。するとその熱く見つめる瞳にまるで魅了されたかのように無意識にその身体を抱き締め返し、そのまま言葉は要らず互いに額、頬、首筋と思い思いの口付けを交わし返した。
サーサーと外から聞こえる静かな雨の音が町の音を掻き消し、世界に二人だけしか居ないかのような錯覚に陥る。
しかしそんな幸せな時間は瞬く間に過ぎ去るもの。
『コンコン』と扉をノックする音が聞こえると、櫻はビクリと身体を震わせ咄嗟にベッドの上に起き上がり、少し肌蹴た服を慌てて直した。
「誰だい?」
冷静な声でノックへ返事をすると『ガチャリ』と扉が開き、ゆっくりと顔を覗かせたのは、シットリと湿った外套を被ったままのカタリナだ。
「あれ?服は着たままなのか。」
「何を期待してたんだい…。」
少々残念そうなカタリナであったが、ベッドの上に横たわったままのアスティアの満足そうな表情にフッと笑顔が浮かぶのだった。
「あ、そうそう。一応ギルドにも顔を出して来たんだけどね、特にこれと言って気になるような依頼も無かったよ。」
「おぉ気が利くね、有り難う。これで安心して町を発てるってもんだ。そういえば命は?」
「ミコトなら買って来た荷物を荷車に積んでる最中だよ。もうそろそろ終わったと思うけど、アタイがお嬢達を呼んで来るって言ったから多分その場で待ってるんじゃないかな?」
「そうか。それじゃそろそろ行くとしようか。ほら、アスティア。」
櫻はベッドの上のアスティアに手を差し伸べ、アスティアもその手を取り身を起こすと、そのまま櫻の背に被さるように抱き付き頬を寄せ幸せそうに微笑んだ。
そうして宿の支払いを済ませ荷車の元へ向かうと、その中で雨宿りをしていた命が櫻達の接近に気付き顔を覗かせた。
「お待ちしておりました。出発の準備は整っております。」
そう言って命は櫻達が荷車に乗り易いように身を引き、櫻とアスティアもそれを受けて乗り込むとカタリナが御者席へ座る。
「ご主人様、コチラをどうぞ。」
命はそう言うと大きな葉に包まれた何かを差し出した。
「これは?」
何か判らないままに櫻は素直にそれを受け取る。
「はい、勝手かとは思いましたが、ご主人様の朝食にと思い屋台で買っておきました。」
その言葉を受けて包みを開いてみると、中には香草と一緒に蒸し焼きにされた魚が一匹まるまる入っていた。30センチ級の鯛のような大きさで、それだけで一食分に充分と思える。
「おぉ…これはまた、食いでが有りそうだね。」
そう言って荷車の床に包みの葉を皿にして下ろし、荷物の中から木製のフォークを取り出して早速食べてみる。蒸された魚の身がフワッと口の中で解れ、香草の香りが鼻腔を抜ける。素材が持つ塩味が程良くクドさが無い為食べ易く、2口3口と食が進む。
「うん、美味い。良い物を選んでくれたね、ありがとう命。」
「気に入って頂けたようで何よりです。」
櫻の満足気な様子に、命は表情を綻ばせた。
「さて、お嬢の腹ごしらえも済ませたし、そろそろ出発と行こうか。」
カタリナがそう言うとピシッと手綱の音が鳴り、同時にホーンスが歩き出し、宿の敷地を抜け大通りへと出る。そしてそのまま町の出口へと向かった。
すると櫻はその道の先の光景に驚いた。何と町の境界から伸びる真っ直ぐな道は、まるでコンクリートで舗装した車道のように綺麗な、継ぎ目の無い道が続いていたのだ。
「何だい、この道の材質は…?」
アスティアの膝の上に抱き抱えられたままの櫻が驚きの声を上げると、アスティアと命も地面に目を向けた。
見ると、しとしとと降り続ける雨にも関わらず水捌けも良く、それ以前に見事に平らなその路面は雨水を貯める窪みすら持たず、乾いた路面の上を歩くかのようにカポカポとホーンスの蹄の音が軽快に鳴る。
「ははっ、驚いただろ?」
御者席から振り向かずにカタリナが言う。
「あぁ…これは一体?」
「コイツはこの島の名物みたいなもんでね。その昔この島に居た『魔法使い』が流通の便を容易にする為に『トガワ』と『セガワ』を真っ直ぐに繋ぐ道を作ったんだとさ。」
「と言う事は、この道の材質は魔法で出来た物なのかい?」
「多分そうなんじゃないかな?アタイらにゃ理解の及ばない物で、長い年月でも風化する事も無くこうして旅人から交易商人達まで世話になってる有り難い道だって話だよ。」
そう言いながらすれ違う人々と手を振り交わす。
「へぇ…『魔法使い』ってのは危険な存在と思っていたけど、ちゃんと人の役に立つ事をするのも居るんだねぇ…。」
「そりゃそうさ。というより、一般に知られる『魔法使い』は大抵人の役に立って知られるようになったもんだよ。確かに瘴気を扱うから注意するのは間違いじゃないし、実際一般の人達からすれば得体の知れない存在だが、そこまで警戒する程のものじゃないって事さ。」
(成程…最初に見た『魔法使い』がアレだったせいで印象が最悪だったが…確かに存在が悪でしか無いのならば魔女狩りのような事が行われていてもおかしくは無い訳だし、人々の生活の役に立つ事をする者もちゃんと居るんだね。)
感心しながらその道を眺める。カタリナが言うように真っ直ぐに伸びた道は自動車なら普通車が余裕で2台すれ違える程度の幅で、その両脇には道が出来た後に島民達が立てたのか、等間隔に隙間を開けた木の柵がガードレールのように整然と立てられていた。
その道を櫻達以外にも交易商や旅人がのんびりと安心して往来する様に、
(こうして人々の役に立つ事をする『魔法使い』と、その技術に使われる『瘴気』…危険には違いないが、人は知恵で困難を克服して糧に出来るんだ。)
と今までの認識を改めつつ、荷車に揺られる。
「処でその『セガワ』の町まではどのくらいで着くんだい?」
「そうだねぇ、歩きだったら途中で一晩明かすけど、ホーンスの足なら今日一日で到着出来ると思うよ。」
「へぇ、随分近いんだねぇ。」
「まぁね。言っただろ?小さい島だって。」
「それじゃまた直ぐに船旅になるのか…中央大陸までは船でどれくらいなんだろうね。」
「アタイが渡った時は渡しの船が丁度泊まってて、それを使って1日半位掛かったかな。まぁ今回はキースが言っていた『クローリア』って女の人が、荷車とホーンスも運べて格安で乗れる船の手配をしてくれるんじゃないかい?どの程度で着くかはその船次第って処だろう。」
「そうだね。折角紹介して貰った事だし、頼らせて貰うとしようか。」
こうして櫻達は街道を進む。いつしか雨は上がり空には太陽が姿を現していた。




