神の裁き
海賊の襲撃から一夜明けた翌朝。空は晴れ日差しも眩しい中で早速キースとウラコン、そしてカタリナと命も手伝い、搬入作業が行われていた。
櫻が昨夜出した案。それは、他の船を襲う為の武装一式を全て取り上げ、海賊達は縛り上げたまま船室に放置し舵も帆柱も壊し、海賊船を海に流すというものであった。
これならば身動きの取れない海賊達は他の船を襲う事も出来ず、海の機嫌次第で何処かに辿り着き生き延びる事が出来るかもしれない。無論そのまま海の真ん中で飢え死にを待つ事になる可能性の方が遥かに高い事は重々承知しているが、それも已む無しと言うのが櫻の妥協点であった。
(いくら人類の神だと言ったって、あたしの気持ちだけで今まで築き上げて来た人類のルールを曲げるなんて事は流石に出来ない…護るべき存在に死を齎す神…か。)
海賊船の中を見渡しながら、櫻は複雑な表情を浮かべた。
「サクラ様、どうしたの?」
「ん?いやぁ、キースがあたしの提案を飲んでくれて助かったと思ってね。」
櫻に背後から抱き付くアスティアの手に手を重ね、優しく微笑む。
「…良い…。」
そんな二人の様子にウラコンがポツリと呟いた。
「ん?ウラコン今何か言ったかい?」
カタリナが何か聞き間違えたかと思わず問うと、
「あはは、ウラコンは可愛いものが大好きなんですよ。声に出すなんて、あの二人の仲睦まじい姿が余程心に響いたのでしょう。」
キースの言葉にウラコンは頬を染めてコクリと小さく頷いて見せた。
「へぇ。見た目からは想像が付かない趣味だね。意外とアタイと気が合いそうだ。…そうか、昨夜突然暴れ出したのは、お嬢達が傷付けられたと思ったからか。」
「あれは僕も驚きましたよ。本当に首を切られたのかと心臓が止まる思いでした。」
「あはは…お嬢は結構お茶目でね、ああいう悪戯を仕込んでる事がたまにあるのさ。」
昨夜の櫻の行動はキース達を驚かせ、事が終わった頃になりその身を案じられた櫻であったが、既に喉に傷等ある筈も無く言い訳に苦しみ、口から出任せで悪戯用に仕込んでいた血袋を使ったトリックだと嘘をついて誤魔化したのだった。
「それにしても凄い度胸でしたね。海賊相手にあれだけの啖呵を切れるとは、余程大人達に揉まれて育ったのでしょうね。」
「まぁそこは余り詮索しないでやっておくれ。」
「えぇ。きっと何か訳ありの旅なのでしょうからね。僕達は旅の幸運を祈るだけです。」
そんな話をしながら海賊船の中から目に見える武装、更には食糧までを全て運び出し終わると、命に舵と帆柱の破壊を頼むと同時に、カタリナに海賊の船長を連れて来て貰った。
「あぁ!?俺達の荷を…!てめぇら!こんな事をしてタダで済むと思ってんのか!」
縛り上げられ床に転がされ、身の自由も無い有様でありながらも、空っぽになった船倉の有様に怒りの声を上げる。
「どの口が言ってるんですか?貴方達が今までやって来た事の報いでしょう。」
キースが冷ややかな声で剣先を眉間に突き付けると、船長はグッと食いしばり声を殺した。
「まぁまぁ。それで船長、これからあたしがする質問に素直に答えてくれれば少しは温情も考えるんだがね、どうだい?」
櫻は船長の鼻先まで顔を近付け、余裕を見せ付けるようにして問い掛ける。
「あ…?あぁ、判った…答える、だからこの剣を引っ込めてくれ。」
不満がありありと表れた表情で渋々返事をする船長に、キースも仕方ないと剣を収め櫻の話に耳を傾ける事にした。
「じゃぁ質問させて貰うよ。この船倉を見れば一目瞭然だがこの船の積み荷は全部頂いた。だけどまだ何か隠してる事は無いかい?それを素直に言ってくれれば、数日分の食糧くらいは返してやるよ?」
「はっ!何を言うかと思えば、自分達で全部持って行っておいてこれ以上何かあると思ってるのか?海賊より性質が悪いガキだぜ!」
呆れたように侮蔑の言葉を投げかける船長に櫻の眉がピクリと動いた。
「ふ~ん…。」
ジトリとした櫻の目が船長を見据える。そして
「カタリナ、そこの床板の下と、そこの壁の中、あとそこの天井裏だ。」
そう言って指差した地点をカタリナが引き剥がすと、その中には予備と思われる多数の武器が隠されていた。
「なっ!?何で隠し場所を…!?」
「そんな事はどうでも良いんだよ。お前さん、嘘を吐いたね。」
その声は子供とは思えない迫力を醸し出し、船長は愚かキース達までがゴクリと唾を飲み込む程であった。
(救いようの無い悪党なんて元の世界でも居たが…こうなっては最早同情の余地無しだね。)
そう思っていると、甲板から『ドドォン!』と何かが倒れる激しい音が響いて来た。
「なっ!?何だ!?てめぇら、俺の船に何してやがる!?」
「なぁに、ただの帆柱の倒れる音だ。もうこの船は波に流されるだけさ。」
出来るならば助かるチャンスをやりたかった。その本心を押し殺すような冷ややかな声。
「ま、待ってくれ!この辺は潮の流れが複雑で流されたら海を永遠に彷徨っちまう!嘘を吐いた事は謝るからお前らの船に乗せてくれ!」
やっと自分達の置かれた立場を理解したのか、船長は芋虫のような状態から起き上がり、命乞いのように膝を折り頭を下げ始めた。しかし櫻の目は冷たくそれを見下ろす。
『クソが!何て事しやがる!この落とし前は命で償わせてやる!コイツら全員ぶっ殺して魚の餌にしたらあの船を奪ってやり直しだ!』
船長の頭の中には反省等と言う言葉は存在しなかった。櫻は目頭を押さえ『はぁ~…』と大きく溜め息を吐くと船長に背を向け
「カタリナ、もういいよ。この男は元の場所に戻して来ておくれ。」
とその場を離れた。背後から船長が何やら情けない声で叫んでいるような気がしたが、櫻は最早聞く耳を持たなかった。
「サクラ様、元気出して?」
甲板に出た櫻にアスティアが寄り添い心配そうに声を掛ける。
「あぁ。大丈夫、心配かけてゴメンよ。」
そう言う櫻の身体をアスティアは正面から抱き締めた。突然の事に一瞬驚いた表情を見せた櫻であったが、その無言の思い遣りに甘えると胸に顔を埋めるようにしてアスティアの身体を抱き返した。
(大丈夫、解ってる。あんな連中は人類の中のほんの一握りの特殊な例さ。)
アスティアの温もりに包まれ気持ちを落ち着けると、顔を上げた櫻はアスティアの瞳を真っ直ぐ見つめ微笑んで見せた。
(獣の神も言っていたね…護るべきは『個』では無く『種』だと。あたしの善悪感だけで裁いて良いものじゃないのかもしれないけれど、きっとこれからもこういう選択を迫られる時は来る…今回の事はその時の糧になる経験だったと思う事にしよう。)
そう心の内で覚悟を決めると、
「ありがとう。今度こそもう大丈夫だ。さ、皆の処に戻ろう。」
そっと身を離し、アスティアのお尻をポンと叩き、船倉へと下りる。
「お、戻って来た。お嬢、どうやら今度こそこれで全部みたいだ。」
カタリナ達の目の前に山と積まれた武器に櫻は呆れた目を向けると、
「それじゃ、もうこれを積み込んでこの船とはおさらばしようか。」
と元気良く声を上げた。その声に先程までの様子を心配していたカタリナも表情を明るくし、運搬は滞り無く完了したのだった。
そうしてキースの船に戻った一行。互いの船を繋いでいたロープを外すと海賊船は波に流され自然と離れて行く。櫻達はその様を暫し無言で見送った。
「これで後はあの連中が助かるかどうかは運次第。まぁ万が一何処かの船が発見しても、海賊を助ける物好きが居るとは思えないが…一応生き残れる可能性は与えた。波に揺られながら今までの行いを顧みると良いんだけどね。」
既に小さく見える海賊船を見つめ、誰に言うでも無く口から零れた言葉。
「全く、お嬢は甘いよねぇ。こっちの航海の予定を遅らせてまであんな連中にチャンスを与えるなんて、普通の船乗りなら考えもしないよ。」
「そうだね…済まないキース、貴重な時間をこんな事に使わせてしまって申し訳ない。」
櫻はキース達に向かい申し訳ないと頭を下げる。
「いえいえ、頭を上げて下さい。こんな可愛いお嬢さん方に頼まれればこの程度の時間は些細なものです。それに、危険な目に遭わせた僕達こそ謝るべきなのですから。」
「いや、それは違うだろう?連中は元々あたしらを狙ってこの船に忍び込んでたみたいだった。迷惑を持って来たのはあたしらの方なんだ。」
「…ふふ、もうこの話はここまでにしましょう。こうなっては何方も譲りそうに有りませんからね。」
「…そうだね。それじゃ、邪魔者も居なくなった事だし残りの航路も宜しく頼むよ。」
「えぇ。後は大船に乗ったつもりで寛いでください。それじゃウラコン、錨を上げて早速出発しよう。」
キースはそう言って操舵室へ向かうと、ウラコンも航海中の雑務を忙しなくこなし始めた。櫻達は潮風に髪を靡かせながら甲板から海を眺め、のんびりとした船旅を堪能するのだった。
その晩、眠れない櫻はアスティアの胸からそっと抱かれた腕を引き抜くと甲板へ出た。頭上には星空が広がり、しかし海は夜の闇に暗く、何も無い世界が何処までも続くように見える。
「ご主人様、眠れないのですか?」
「あぁ。ちょっとね…。」
何時の間にか櫻の背後に立つ命にトンと身体を預けると、命もそれを受け止めるように肩に手を添える。そして何も言わずその身体を包み込むように抱いた。
「命、あたしの判断は正しかったと思うかい?」
「ご主人様は御自身が正しいと思われる事を為さる方です。私はそれに従います。」
「…有り難う。でもね命、あたしを全肯定して思考放棄するのは駄目だよ?今はまだ経験が浅いから判断が難しいだろうけど、自分の考えと価値観を持つ事はこれから先を共に生きる上で大事な事だ。時にはあたしが間違ってると思った時にそれを咎めてくれると、あたしも助かる。」
「善処します。ですが今の私の判断として、今回のご主人様の裁定に問題は無かったと思います。何を気になさるのですか?」
その言葉に少しの間。だが櫻は口を開いた。
「問題…というより可能性を考えちまうのさ。もしあの海賊達が生き延びたら、また人を襲うんじゃないか。あのまま死ぬのだとしたら、矢張り一思いにやってやった方が苦しまずに逝ける分マシだったんじゃないか…ってね。その時々においての最善を模索はするが、結果としてそれが良かったのか、あたしにも判らないよ。」
人の生き死にが自分の手に委ねられる事の重み。神としてこの地に降り立ち旅を続けて来て、今更にそれを感じる。
「…私には今は未だご主人様の悩みが良く理解出来ません。ですが、せめてこうしてご主人様が安らげる場所になる事は出来るよう努めましょう。」
そう言って命は甲板に膝を折り座ると、その上に櫻を乗せ、優しく頭を撫でる。背中に当たる柔らかな感触と優しい手の温もりに、櫻は不思議と久しく忘れていた母の温もりのような物を感じ気持ちが落ち着いて行く。そして瞳を閉じると波の音が妙に心地良く、そのまま命の胸の中でウトウトとし始め、いつしか眠りに落ちたのだった。




