不穏
その日の晩、櫻達は櫻の体調を案じもう一泊して行く事としてシトレインの家の中で身体を休めていた。
一脚しか無い椅子にはシトレインが座り、櫻とアスティアはベッドへ腰かける。
「それにしてもまさか地中から魔物が出て来るなんてねぇ。」
櫻が首をコキコキと鳴らしながら身体を確かめるように肩を回す。
「僕もあんなの初めて見たよ。でもそう言えば、たまに来る行商人から『最近魔物の出現頻度が増えてる』っていう話を聞いてたな…ここから南の『ウィンディア・ダウ』でも最近魔物の大襲撃が有ったなんて話も耳にしたし…世界に何か起きてるのかな?」
そのシトレインの言葉に櫻達は顔を見合わせた。
「魔物の出現頻度が増えてる…って、それは世界中でなのかい?」
「え?うん、そうらしいよ。中央大陸でも西大陸でも同様らしいからね。」
(何だ…?あたしを目当てに瘴気が増えているというのなら、魔物の発生頻度上昇もあたしの周囲だけに限定されると思っていたが…良く解らんが『良くない』事だけは解るね。)
考え込む櫻を横からギュっと抱き締めるアスティア。
「ん?どうしたんだい?」
「サクラ様がいつ襲われても大丈夫なように、ボクこれからずっとこうしてるよ。」
「ははっ、それは有り難いが、それじゃ身動きが取れないよ。なぁに、あんな事はそうそう無いだろうし、これからはもっと周囲に気を配るようにするから、そこまで過保護にならなくて良いんだよ。」
そう言って優しくアスティアの頭を撫でると、アスティアの表情がふにゃりと綻んだ。
(う~ん…このお嬢ちゃんが中心人物っぽいけど、身形や周りの人達の言動からすると何処かお金持ちのお嬢様だったのかなぁ?没落して魔物ハンターに身を窶さなけらばならなかったとか…?うん、深く追求するのは可哀想だ、触れないでおこう。)
そんな櫻達の様子を見ていたシトレインは勝手に櫻達の境遇を想像し、瞳に薄っすらと涙を浮かべ小さく頷くのだった。
夕食はシトレインを交え家の中で摂る事となったが、食事を遠慮するアスティアと命に関してはシトレインは不思議そうな表情を浮かべながらも何か事情があるのだろうと何も言わずに居た。
「へぇ。エルフってのはてっきり木の実や植物を食べて生活してるのかと思ってたけど、普通に肉も食べるんだねぇ。」
カタリナが獲って来たリトの肉の丸焼きを三人で分けつつ外の畑に植えてあった作物と共に食べていると、櫻が意外という風に声を漏らした。
「うん?そりゃぁそうさ。確かに森の中で生活してると木の実とかが多くはなるけど、普通に狩猟だってするよ。」
「何だいお嬢、また何処かで聞いただけの話を鵜呑みにでもしてたのかい?」
「いやぁ、ははは…。やっぱり『百聞は一見に如かず』だねぇ。」
照れ笑いを浮かべ頭を掻く櫻。
(矢張りこうやって地に足を付けて世界を自分の目で見て歩くってのは大事だね。)
しみじみとそんな事を思いながら食事を済ませると、櫻達は水を分けて貰いテントへと戻った。
テントの中でアスティアの食事、荷車の中で命との行為を済ませ、再びテントへ戻るとやっと身体を横たえる。
「カタリナ、あたしと一緒のテントで寝ていて怖くは無いかい?」
テントの天井を眺めながらポツリと言葉を漏らした。
「何を突然言い出すんだい。そんなの今更な話じゃないか。」
「いや、あたしやアスティアと違ってお前さんは大きな怪我をしたら取り返しが付かないじゃないか。言っていなかったが、実はあたしの傍に居ると今日みたいに魔物に襲われる可能性が高いんだ。せめて野宿の時はあたしとは離れて寝ていた方がいいかと思ってね。」
「ハハッ、そんな事か。お嬢が魔物に狙われてるのは何となく判ってたよ。理由は解らないけどね。それを知ってて今までだって一緒に寝てたんだよ?今更そんな事気にしないって。」
「…気付いてたのか。」
驚きの表情を浮かべカタリナへ顔を向ける。その表情は瞳を閉じ睡眠準備に入っては居るものの笑みを浮かべているように口の端が上がっている。
(何よりこんな可愛い二人と一緒の空間で寝られるんだから、恐怖より寧ろ感謝しかないって!)
そんなカタリナに櫻は何を考えているのか何となく察するが、最早それに突っ込むのも野暮と思い今度はアスティアの方を向く。
「アスティアは?あたしと一緒に居るのが怖くなったりはしないのかい?」
「ボクはさっきも言った通りだよ。サクラ様が襲われないようにずっと一緒に居るって。そしてもし襲われたら、その時はボクが助けるよ。」
そう言って櫻の腕にしがみ付き、唇に触れるだけの口付けをした。
「ア、アスティア、そういうのは二人きりの時だけにしろと…。」
不意打ちに驚き顔を赤らめ、アスティアにだけ聞こえる小さな声で注意をすると、アスティアは悪戯に成功した子供のように小さくペロリと舌を出して見せるのだった。
「…二人ともありがとう。それに命も。」
『いえ、私はこの身が朽ち果てるまでいつまでもご主人様と共に在る事が存在意義です。お気になさらず。』
テントと幌の生地越しに少々くぐもった命の声が返って来た。
「さ、それじゃ寝ようか。」
「は~い。サクラ様、おやすみなさい。」
「あいよ。」
こうして仲間達の気持ちを改めて知った櫻は、恵まれた自らの境遇を噛み締めるように笑顔を浮かべ眠りについた。
《やっほ~、サクラ。今日は大変だったみたいね。》
眠りの中に最早馴染みの声が聞こえて来た。
《お、ファイアリスか。山登りの最中はずっと話し相手になっててくれただけに、数日声を聞かなかっただけで随分久しぶりな気がするな。》
《あらぁ、寂しかった?》
《いや、別に寂しいとかは無いな…で、今回はどうしたんだい?》
《んもぅ、いけず。》
拗ねた声を出すファイアリスに櫻はクックと小さく笑みを零した。
《まぁいいわ。実は風の主精霊の傍で発生した魔物の大群の事が気になって世界を見て回っていたのだけどね、その事を少し伝えておこうかと思って。》
《ん?あぁ、何でも世界中で魔物の発生頻度が高くなっているとか言う話だったな?》
《あら、もう知ってるのね。えぇ、それなんだけど…ざっと見た限りでは特に『穴』がそんなに急速に増えているとかいう様子も無いのよねぇ。》
『穴』…表の世界『現世』と裏の世界『魔界』の境界を隔てる『壁』に出来る綻びであり、生物を魔物化させる魔界の瘴気が漏れ出るポイントの事だ。
《何?それなのに何故魔物の出現が増えているんだ?》
《それなのだけど、どうも逃げ出してくる瘴気だけじゃなく、彼方側から押し出されて来ている瘴気も居る感じなのよ。》
《押し出されている…?どういう事だ?》
《それが解らないのよね~。私も彼方側には不干渉だし内部事情が知れないもの。案外、穢れた魂が多くなりすぎて溢れちゃったのかもしれないわね。》
裏の世界『魔界』。それは所謂『地獄』であり、現世での行いにより穢れた魂が死後に落とされる場所なのだ。
《裏が溢れるなんて…この世はそんなに悪人ばかりだとでも言うのかい?》
《別に人類に限った話じゃないわよ。動物だって植物だって菌だって、生命に差なんて無いんだから。》
《植物や菌にも善悪って有るのか…?》
《当然じゃない。なぁに?人類だけが特別だと思ってたのかしら?それはちょっと傲慢が過ぎるというものよ?》
《あぁ…いや、そうじゃないんだが…確かに少々傲慢と取られる考えだったかもしれないね、反省するよ。》
《うふふ、貴女って素直よね。そういう所大好き。》
(瘴気が増えてるって話なのに、随分と呑気だねぇ。)
楽し気なファイアリスの声に櫻は呆れつつも、向けられるその好意に悪い気はしない。
《で、結局魔物の大群に関しては理由は解らなかったけど、これから先魔物の数が多くなる…つまり貴女の旅も、貴女が護るべき人類にも、危険が多くなるという事は覚えておいて欲しいという訳。》
《成程ね。忠告感謝するよ。》
《どういたしまして。私は現状もう今以上の情報は得られないだろうし静観する事にするから、後は貴女達で宜しくね~。ちゅっ。》
投げキッスのような音を残してファイアリスの気配が消えた。
(何だかどんどん俗物っぽくなっていく気がするが…あれが本当に世界の神で良いんだろうか…。)
呆れながらもその馴染み易さが良い所でもあると思うと、それが良いか悪いかは兎も角これからも良い付き合いが出来そうだと笑みが零れる櫻であった。
「よ、おはようさん。」
「あ、カタリナさん、おはようございます。」
櫻の耳に昨日と全く同じ会話が聞こえて来て目が覚める。
昨日と同じように薄っすらと瞼を開けると、やはりまだテント越しに見える外の色は薄暗い。
(シトレインにとってはこの生活サイクルが身体に染み付いているんだろうねぇ。)
そんな事を考えつつ顔を横に向け、可愛らしい寝顔を見て微笑むとテントの天井へと目を向けた。
(さて、どうやらシトレインは危険視する必要も無かったし、今日で此処は発つ事にしようか。)
そうして再び瞼を閉じると、アスティアのすぅすぅという寝息のリズムが心地よく何時の間にか二度寝をしてしまっていたようで、気付けばテントの外は明るくなっていた。
今度は流石にパチリと目が覚めた櫻。
「お、起きたかい?」
いつもの様に櫻とアスティアの寝顔を楽し気に眺めていたカタリナと目が合う。
「あぁ、おはよう。シトレインは?」
「おはようさん。もうとっくに発掘現場に出掛けちまったよ。」
「そうか。今日で此処を発とうと思ってる。朝食を済ませたら挨拶に行って、それから出発しよう。」
「あいよ。」
カタリナはシンプルな返事でテントを出て行くと朝食の支度を始めた。その間に櫻はアスティアに優しく声を掛け揺り起こす。
「アスティア、もう朝だよ。」
その声に金色の瞳が姿を見せると、
「サクラ様…おひゃようございます…。」
と未だ眠た気ながらも嬉しそうな声が返って来た。
「あぁ、おはよう。さ、今日はもう此処を発つから、急かすようで悪いけど朝食を済ませてしまおう。」
そう言って櫻は肩を露わにしアスティアの身体を抱き寄せた。するとその時、アスティアの唇は首筋では無く櫻の唇へと重ねられる。
「…!?」
ほんの数秒の間。
「えへへ…二人きりの時なら良いって言ったよね?」
悪戯っぽく微笑むその顔は、11歳の少女とは思えない程に色気を感じ、櫻も思わず唇に手を添えると顔を赤らめ動揺してしまう程であった。
「いただきます。」
そんな櫻の反応に満足してかアスティアは櫻の首筋に唇を被せると、いつもの様に舌を這わせ吸血を始める。
「やれやれ…悪い娘だ。」
そう言いつつも櫻は優しくその身体を抱き締め、美しい金色の髪を撫でる。そんな穏やかな時間の中、
「あ、もう始めてた…!」
カタリナが見逃したとばかりにテントに入ってくると、思わず櫻とアスティアはビクリと身体を震わせた。
「ん?どうしたんだい?そんなに驚いて…?」
「いや、突然そんな声を上げて入って来たら驚くだろう?」
「あ…?あぁ、済まないね?」
何となく普段と態度の違う二人に首を傾げながら、カタリナは思わず流れで謝るのだった。
吸血を終えたアスティアの髪を整えテントの外に出ると、命が朝食の仕上げを済ませ準備は整っていた。
「おはようございます、ご主人様。お食事は出来ていますよ。さぁどうぞ此方へ。」
何処から持ってきたのか手頃な大きさの石を椅子にし、その上にアスティアが座り、更にその膝の上に櫻が抱えられるように座るいつものポジションが出来上がる。
「どうぞ、ご主人様。」
「あぁ、ありがとう。」
命から手渡された器を受け取りスープを一口啜ると『ほぅ』と一息。
「それでさっきも言ったけど、今日でもう此処は発つ。食事を終えたら準備を整えてからシトレインに別れの挨拶をしに行こう。」
「もう少し長居するかと思ったけど、案外早かったねぇ。」
「まぁね。本当はもう少し余裕を持って観察しようとも思ったんだが、やはり町以外で長く留まるのは危険なようだ。あたしらは兎も角として無関係な人に危険が及ぶ可能性は出来るだけ低くしたいからね。」
やれやれと自らの神気を放つ身体に溜め息をつきながら、残りのスープを飲み干すのだった。
テントを片付け火の始末もしっかりと済ませると荷物は全て荷車に積み込み、念の為にケセランを留守番に残し櫻達はシトレインの元を訪れた。
「お~い、おはよう。」
櫻の声に、擂鉢の底で発掘作業に夢中になっていたシトレインが顔を上げる。
「あ、皆さん、おはようございます。」
ずっとしゃがんで居た身体を伸ばすように腰に手を添え立ち上がると、『う~ん』と上体を反らした。
「実はあたしら、もう此処を出発しようと思ってね。挨拶に来たんだ。」
「おや、もう行っちゃうのかい?まぁ最初に此処に来た理由を考えれば長居する理由は無いからね。」
「ははっ、本当はもう少しのんびりもしたかったんだが、一応目的も有っての旅なもんでね。水を分けて貰った事と、面白いモノを見せて貰った事、感謝するよ。」
「なぁに、そのくらいお礼を言われる程の事じゃないよ。でも態々ありがとう。」
「まぁそんな訳で、あたしらはこれで失礼するよ。今更言う事も無いとは思うけど、瘴気や魔物には気を付けて達者でな。」
「うん、ありがとう。また会えたらいいね。あ…。」
「うん?」
「お嬢ちゃん、キミはまだ若いんだ。これから先やり直せる機会はきっと幾らでも有るから、挫けちゃ駄目だからね!」
櫻達の境遇をずっと勘違いしたままのシトレインはそう言うと瞳に涙を浮かべていた。
「あ…あぁ?ありがとう?」
今一言っている事に理解が追い付かなかったものの、互いに手を振り交わし、別れは素っ気無く済んだ。
荷車に戻るとカタリナがホーンスの手綱を手に取り、命が再びフォークリフトのように腕を変化させ荷車を持ち上げる。
「何だか簡単な挨拶だったね。」
アスティアがぽつりと漏らす。
「別れの挨拶なんてのはあの程度でいいのさ。余り長く言葉を交わすと余計に後ろ髪を引かれるもんだからね。」
そう言って林の中の一軒家を一度振り返り、再び前を向くと来た道を戻るように林の中を抜け、丘の下の草原まで辿り着いた。
「さて、それじゃまた街道まではあたしが運ぶかね。アスティア、また頼むよ。」
「うん、任せて!」
喜びの声を上げパァっと表情を明るくしたアスティアは背中に羽根を生やすと、櫻を背中からキュッと抱き締め空に羽ばたく。そんなアスティアに全幅の信頼を預け、櫻は荷車を運ぶ事に集中するのだった。
無事に街道まで荷車を運び終えた一行は、ホーンスを荷車に繋ぎ再び旅を再開する事となった。
「ふぅ、精霊術を使う事で疲れるという事は無いんだが、それだけに余計に残りの精気がどの程度あるのか解らないのが不安だねぇ。」
荷車の中で一息つく櫻がアスティアに凭れ掛かりながら愚痴を零す。
「お嬢の場合、風の精霊術だから目に見えるモノでも無いうえに、風の系統ならどんな事でも出来ちまうから特定の術の回数で計る事も出来ないもんな。こればっかりはもう勘で使うか、極力使わない事しかないね。」
御者席のカタリナが軽く振り向き声を掛けた。
「そうだねぇ。まぁ少なくとも昨日の魔物に対して使った程度の事は出来るってのは理解したし、戦闘は今まで通りお前さんがたに頼る事にはなると思うが、多少の手助けは出来ると思うよ。」
「まぁ少しは頼りにさせて貰うよ。ただねぇ…お嬢のあの使い方じゃ魔物がバラバラになっちまって素材としても討伐証明としても活かせないのが難点だね。」
ニシシと牙を覗かせながらカタリナは苦笑いを浮かべた。
「あ~…。」
昨日の魔物、そしてウィンディア・ダウでの戦いの結果を思い出し櫻の表情が引き攣る。
「う~ん、確かにねぇ。使うにしてももう少しピンポイントな技にしてみるか。」
「ご主人様、それならば刃物のように鋭い風を生み出す事は出来ないのでしょうか?」
命はそう言って自らの肘から先を鋭い偃月刀の刃のような物に変化させて見せた。
「あぁ…確かにそれなら…というか、それを出来る事は理解してるんだが少々抵抗が有ったというのが正直な処だね。」
風の主精霊と出会う際にスッパリと首を切り落とされ、自らの身体を細切れにされた光景を思い出し、櫻は軽く身震いをしてハハハと乾いた笑いを漏らした。
(アレが案外トラウマになってて使うのを無意識に躊躇ってた節があるんだよねぇ。)
固まった笑顔のままで冷や汗が浮かぶ。
「だがまぁ、そうだね。皆に迷惑ばかりかけても居られない。今度機会が有ったら試してみよう。」
うんと決意を固めたように頷く櫻。
「ボクは全然迷惑だなんて思ってないよ?」
「アタイもまぁ、お嬢が自衛出来るならそれに越した事は無いと思うけど、そうで無くても別に迷惑とか足手まといとは思ってないよ。」
「私は寧ろご主人様にもっと使って頂きたい程です。」
「ははっ、皆ありがとう。勿論今まで通り頼らせて貰うさ。そのうえで、あたしに出来る事があったら言っておくれよ?あたしだって皆の役に立ちたいんだからさ。」
「うん!」「勿論。」「では今晩にでも…。」
こうして楽し気な声が響く荷車は街道を進む。次の町、港町『オーシン』を目指して。




