世界の在り方
身体を洗い終え池から上がると、草むらの中にある手頃な岩に腰掛け自然の風で身体を乾かし、アスティアは衣服を広げた。
その衣服は櫻も前の世界で見た事があるような所謂『ゴスロリ』と分類されるようなデザインの真っ黒なワンピースであった。
ただ特徴的なのは背中が大きく開いている事である。
長い金髪で隠れているものの、尾てい骨辺りまでが大胆に開いており、その間は二本の紐でクロスに繋がっている程度である。
幼い身体に見合わぬその官能的な背中に櫻が思わず『ツツー』と指を這わすと、
「ひゃぁ!?」
とアスティアの可愛らしい悲鳴が森の中に響いた。
「ななな、何をするんですか突然!?」
「いや、すまん、こんな大胆に背中が開いていると『つい』な。」
余りの驚きように驚かせた本人すらも目を丸くした。
「あ、この服?これはボク用の物なんだよ。」
そう言いながら、見える筈の無い背中を覗き込むように首を後ろに向けるアスティア。
「アスティア用?」
櫻がその言葉を反芻するように口にする。
「うん、ヴァンパイアは羽根を出せるんだけど、その羽根を出す時に背中が塞がった服は不便なんだ。ほら、こうやって…。」
と言いアスティアが軽く力を入れると、肩甲骨の間辺りの肉がググッと盛り上がり、そこからまるで超高速の細胞分裂のように羽根が形成されて行くではないか。
その羽根は黒く、蝙蝠の羽根によく似ているが、そのサイズは片翼だけでアスティアの身長の二倍はあろうかという大きさ。折り畳むと丁度身長と同じくらいの高さか。
「ほぅ…それじゃお前さんは空を飛べるのか?」
少々驚きながらも、元の世界でも聞いた事がある知識の為にそこまで衝撃を受けずに済んだ櫻が疑問を投げかける。
「うん、でも疲れるから必要な時以外はあまり飛ばないかな。」
羽根を大きくバサっと羽ばたかせて見せる。
「でも、そうだ。折角だし、神様を空の散歩に連れてってあげようか。」
「出来るのかい?」
「うん、あまり重い物は持てないけど、神様くらいの重さだったら抱えて飛ぶくらいは出来るよ。」
細い腕をグっと曲げ、殆ど目立たない力こぶを作ってニカっと微笑む。
「そうかい、それじゃお言葉に甘えて…とその前に、あたしも何か羽織る物が欲しいんだが…。」
そう言いながら視線を全裸の自分の身体に向ける。見事に平坦な胸と、子供特有の丸みのあるお腹に手を這わせ
(やれやれ、本当に子供時代の身体だね…これから気の遠くなる時間をこの身体で過ごす事になるのか…。)
小さく溜息を漏らすと
(だがまぁ、もう戻る事は無いと思っていた若さが手に入ったと思えば僥倖か。)
と前向きに捉える事にしたのだった。
「う~ん、そうは言ってもボクもこの服しか持ってきて無いしなぁ…。あ、そうだ。」
アスティアは何かを思いついたようにポンと手をつく。
「こうすればどうかな?」
櫻の背後に立ち突然スカートを持ち上げたかと思うと、それを櫻に被せ一気に下ろす。
櫻の背中にアスティアの冷たく柔らかな肌が密着すると、そのままズポっという音と共に襟から顔を覗かせた。
「ちょっと首が絞まるかもしれないけど、少し我慢してね?」
背後からギュっと両腕で抱きかかえられ、更に肌が密着する。
そこで櫻は今更ながらに気付いた。
「なぁ、お前さん、下着は穿いて無いのかい?」
そう、櫻の背に当たるその感触が、素肌のそれそのままなのだ。
「?シタギ…って何?」
「ブラ…は要らないとして、パンツとか…何か服の下に穿く物だよ。無いのかい?」
「そんなの聞いた事無いよ。別にこの辺りは寒く無いし、そんな何枚も重ね着はしないよ?」
(…この服装から文明は似通ってると思っていたが、下着は存在しないのか…となると、無事に町に到着出来たとしても、あたしも下着無しの生活を送る事になる訳か。いや、それ以前にどうやって衣服を調達したものか?)
この世界に来て未だに出会ったのがアスティア一人では解らない事が多すぎる。当面の問題点に櫻は軽く頭を抱えた。
「それじゃ行くよ~。ボクが抱えてるから、力を抜いて、暴れないでね。」
そう言ってアスティアは櫻を少し強めに抱き締め、大きく羽根を羽ばたかせた。
すると『ブワッ』と風が巻き起こり、大きく視界が跳び上がる。続け様に二度、三度と羽ばたく度に高度がグングンと上がり、あっという間に今までいた森が眼下に広がった。
「おぉ…。」
その光景に言葉にならない声を漏らす。
今まで居た森の先の開けた草原、その中に恐らくアスティアの言う町らしき集落が見え、小さめの山や、更に向こうには海が広がっているのも見える。
元の世界でも空を飛ぶ体験をした事はあるものの、目の前に広がるような雄大な自然と不可思議な景色は櫻に異世界に来た事を強く実感させるものであった。
「あの町まで行くのかい?」
「うん、あそこがボクの住んでる町、『ファート』だよ。」
言いながらアスティアの身体はスイーと空を飛ぶ。
どうやら上昇するには羽ばたく必要があるが、一度高度を取ってしまえば羽根を広げる事で空気を受け飛行が可能なようだ。しかし櫻を抱えているからか、その動きはどこかフラフラとしている。
「おい、本当に大丈夫か?無理せずに歩いて向かっても良かったんだぞ?」
「大丈夫大丈夫!神様くらいの重さは時々荷物運びとかで持ったりもするから。」
恐らくは痩せ我慢なのだろう。櫻を支える細腕がプルプルと震えている。しかし櫻もその厚意を無下には出来ないと、それ以上何を言う事も無く大人しく身を任せた。
程なくして町が随分と近付いて来た。
アスティアは徐々に高度を下げ、町の外れにありつつも恐らく町の中でも比較的大きい、レンガ造りの屋敷の庭に降り立つ。
櫻を離し肩から力を抜くと、背中から生えていた羽根は白いモヤのような霧状になり、空に溶けてしまった。
(あたしの知ってるヴァンパイアは確かコウモリになったり霧になったりするが、部分的に似ている所はあるんだねぇ。)
感心しながらその光景を眺める。
「ここがボクの家だよ。」
「ほ~、結構なお屋敷だねぇ。」
そう言って見回すと、だがその様子は、草は伸び放題、庭木も荒れ放題、よく見れば建物も結構なガタが来ていてまるで幽霊屋敷のようであった。
「お前さん、ここを手入れしたりは…?」
櫻に指摘されるとギクっとした様子で
「あはは…。」
と頭を掻きながら笑って誤魔化すアスティア。
(そういえば両親が亡くなって50年近いような事を言っていたし、それから一人暮らしともなればこれだけの敷地を収入も無さそうなこの娘が一人で管理なんて出来る筈も無いか…。)
「あ、でも家の中は、普段使う所くらいはちゃんと片付けてるから安心して入って!」
あわあわと手を振り櫻を建物の中へ導く。その様子に櫻は思わず笑いが零れた。
玄関扉を潜り建物の中へ入ると、櫻が想像していたヴァンパイアの屋敷とは趣が異なり窓からは陽の光が屋内を照らし、不気味な肖像画も無いごく普通の家屋と言った感じだ。
しかしアスティアの生活範囲らしき場所以外は埃が目立つ。家人がまだ健在だった頃にはそれなりの数の使用人が居り隅々まで綺麗だったのだろうと思うと、その光景にアスティアの寂しさを見るようであった。
「取り敢えずその格好のままじゃ困るよね。ボクの服しか無いけど、それを着て町に買い物に行こう?」
アスティアに通された、恐らくはアスティアの自室のクローゼットから適当な服を見繕い櫻に着せる。しかし矢張りサイズの違うその服はブカブカで、スカートの裾が床に広がり袖はぶらりと余る。果ては背中が大きく開いている為に後ろはほぼ裸同然の有様である。
「流石にこの格好では町に出たら好奇の目に晒されかねんのだが…。」
ブラブラと袖を振りながら呆れると
「うーん、そうだね…あ、それなら。」
何かを思いついたように傍の机の引き出しを開け、そこから出したのはハサミだ。
「おい、まさか裁断するのか?お前さんの服だろう、あたしの一時の為にそれは…。」
「いいんだよ。ボクはこれから神様と一緒に旅に出るんだし、ここにある服を全部持って行く訳にも行かないんだから一着くらいどうって事ないよ。」
そう言って余った布地にジョキジョキとハサミを入れて行く。背中の生地にも軽く切れ目を入れて穴を作ると、切り落とした生地から紐を作りソレを通して結びリボンのようにする。
多少不格好ではあるものの、見事に櫻の身体のサイズに合った仕上がりとなった。
「ほー…意外と器用だね。」
「えへへ。あまり収入が無いから、傷んだ服を自分で直したりしてる内に出来るようになったんだ。」
「そんな大事にしていた服を態々済まないね。」
「いいんだって。さ、それじゃ早速神様の服を買いに行こう?」
意気揚々と部屋を出て行くアスティアを追って櫻も部屋を後にした。
町へ出ると恐らくメインストリートと思われる場所には、様々な店が立ち並ぶ。
建物を構成しているのは木材の柱にレンガ。地面も石畳で舗装されており、よくある中世ファンタジーのようなイメージだ。
(ほー、ガラスがある辺りそれなりに文明は発達しているようだが、科学技術のようなものは余り見受けられないな?)
建物にはめ込まれた窓ガラスを見て感心する。その窓から見えるのは食堂か酒場か。日が傾き夕刻を告げる中で男達が酒盛りをしているのが見える。
(コップや食器は木製か…日本人にはああいうのを作る技術の方が難しく感じるな。)
建物の他にも露店が並び、町の大きさよりも活気に満ち溢れているようだ。
「この町はそんなに大きくないようだが随分賑やかだね。」
「うん。ここはこの島の中心みたいな町だから、島中の集落や町から人が来るんだよ。」
「島?ここは島なのか?」
「そうだよ。空から海が見えたでしょう?」
(あぁ、一方しか見てなかったから気付かなかったのか…。)
空から見た景色を思い浮かべる。
「あ、あそこが服屋だよ。」
アスティアが指差した先に確かに何やら店舗のようなものが見えた。
その建物に近付いてみると看板のようなものが掲げてあるが、何と書いてあるのか全く読めない。
「…アスティア、ここに書いてあるのは文字なのかい?」
看板を指差し尋ねる。
「?うん、『衣料品店』って書いてるでしょ?」
(う~む、さっぱり解らん…言葉は通じるのに文字は読めないというのはどういう理屈だい!?)
難しい顔をしたまま店内に入ると様々な衣服が並べられているものの、そこに添えられた札には恐らく数字と思しき文字と、そこに売り文句らしい何かが書かれていると判る程度で、何が書かれているのかはサッパリ理解出来ない。
「アスティア…すまんがちょっとあたしに見合う服を見繕って貰って良いか?あたしは少し話があるヤツが居てね。」
「?うん、解った。」
そう言うと櫻は店の隅に寄り壁に寄りかかる。
《お~い、ファイアリス、ちょっと聞きたい事があるんだが?》
《あら、また?まぁいいわよ、どんどん聞いて頂戴。》
話の相手は勿論、女神ファイアリスだ。
《あたしはこの世界に来てから普通に現地の住民と会話をしていたので言語は共通のものかと思っていたんだが、文字がさっぱり読めん。これはどういう事だ?》
《あぁ、そういう事ね。それは簡単な話で、現地の言葉が解るのは貴女の読心術のせいよ。》
《何?あたしは能力を使って無いぞ?》
《そうねぇ…貴女は神になったのでその特殊な能力の幅が広がっているの。というよりも、本来持っていた能力が開放されたと言えるわね。そのお陰で周囲から発せられる意思を持った言葉を自然と読み取り理解出来るようになっているのよ。》
《全く自覚が無いんだが、血の力といい見えない部分で意外と変化してるもんなのか…。で?あたしの言葉が相手に通じるのはどういう理屈か聞いても良いかい?》
《それは貴女が『人の神だから』よ。神の言葉は種族を超えて万人に等しく届くものだもの。貴女が発する言葉は人なら誰でも自分の知る言語として認識するわ。》
《はぁ…そういうもんなのかい。》
店内で櫻の服を吟味しているアスティアに目を向ける。
《じゃぁ質問ついでにコレも聞いておこうかね。この世界はあたしが元居た世界と共通する部分が多々あるようなんだが、他の世界も似たようなもんなのかね?》
《う~ん、私のこの世界は貴女の元居た世界と物凄く近い位置にあるのよ。勿論物理的にという訳では無いけれどね。お隣さんと言っても良いくらい。それで、生物の中にはたまに無意識に近くの世界を『受信』してしまう者が居るのだけれど、それをインスピレーションとして創作を行ったり文化のブレイクスルーを起こしたりする事があるのよね。それは人類に限らず様々な生物や物質までもが進化や変化の切っ掛けとする事もあるわ。》
《成程ねぇ。それでヴァンパイアって存在を受信したあたしの元の世界の誰かが創作として生み出し、そこから設定を盛ったら現実のソレとは違うモンスターになっていったって感じか。》
《そうね。人類は他の生物と情報の扱い方が違うから、見てて面白いわよね。》
《それにしては此方の文明レベルは全然と言って良い程あたしの元の世界の影響を受けて無いようだが?》
《それは精霊の存在の有無によるものね。》
《精霊?そういえば会いに行けとは言われたが、まぁそれが何か関係あるのかい?》
《大有りよ。私の世界は精霊の存在が世界の在り方に強く根ざしているの。でも貴女の元の世界では精霊なんて概念だけで、存在を認識出来ない希薄なモノだったでしょう?だから人類は科学を発展させて世界を変化させて行っている。その積み重ねが互いの世界の差になっているのね。》
《ふむ…確かに、元の世界じゃこんな自然を残しながら人類の繁栄は無理だろうね…あ、そういえば。》
《あら、まだ何か?》
《森の中で『魔獣』とか言うのと遭遇したぞ。アレは何だ?》
《あぁ、早速出会ったのね。実はアレが悩みの種なのよねぇ。》
《まぁ楽観視出来る存在では無さそうだね。》
《この世界には今貴女が居る『表』と、対になる『裏』があるのだけれど、アレはその『裏』から溢れ出る瘴気に蝕まれてしまった生物の成れの果てなのよね。》
《『表』と『裏』?》
《イメージとしてそう捉えておいてね。それで、本当はそんな『裏』は私的にも厄介の種なんだけど、世界のバランスを維持するうえでどちらか片方を無くす事は出来ないのよね。アッチ側は私も全貌を把握出来ないし干渉も出来ないからもどかしいのよぉ。》
《『この世界の管理をする』神ってわりには意外と万能じゃないんだね…。》
《まぁね~。私は言ってしまえば『表』の主神。『裏』担当は多分他に居るんじゃないかしら?恐らく貴女の元の世界にだって同じように表裏があったと思うわよ。》
《何にしても自然災害のようなものって事か。解ったよ、長々と済まなかったね。この礼にあたしに出来る事なら何か頼みを聞いてやるから、何かあったら言っておくれ。》
《解ったわ。それじゃ何かあったら、その時には宜しくね♪》
その言葉を合図に櫻の脳内に、繋がっていたファイアリスの受話器が置かれたような感覚が走る。
(まだ出会ってそんなに間がない筈なんだが、随分フランクな奴だねぇ。)
フゥっと息を吐くとアスティアの元へ歩み寄る。
「あ、神様。これなんてどうかな?」
一着の服を、両肩をつまみ上げて見せる。
「いや、これは…。」
それはアスティアが着ているようなゴスロリ服のサイズをそのまま小さくしただけのようなデザインで、ご丁寧にヴァンパイア用なのか背中が大きく開いている。
どうやらアスティアの服はヴァンパイアだからとか言う問題では無くアスティア自身の趣味でもあるようだった。
「済まんが、もうちょっとおとなしい感じの服がいいな。あと人前で『神様』はやめてくれと言っただろう。」
「あ、ごめんなさい神さ…サクラ…さん?」
「あぁ、それで頼むよ。」
そう言いながら手近な衣服を手に取ると、櫻も自ら物色を始めた。
どうやらこの世界の女性物衣服はスカート文化のようでズボンのように足を通す衣類は無いらしい。
「まぁ、この辺でいいか。」
薄い紫がかった上下セットのシンプルな衣服を手に取る。肩口が紐で綴じられており、解けば肩を露わにする事も出来るデザインだ。スカートは膝下丈のシンプルなフレアスカートながら腰の両脇に小さなリボンがアクセントとなっている。
結局櫻自身が適当に見繕った服を購入し、その場で着替える事とした。
各話毎に長さがバラバラになってしまうのですが、これは自分なりにキリの良いと思う処までで区切る為です。なので他と比べ長かったり短かったりというのが見られると思います。