シャイミーの想い
櫻達はその晩、娼館に泊めてもらう事となり、接客用の個室を其々に宛がわれたが、アスティアは櫻と一緒の部屋が良いという事で同衾。命は眠る必要は無いものの説明がややこしくなるという事でカタリナと共に一部屋ずつ借りる事となった。
満腹の腹に酒も回り気持ちよく寝息を立てるカタリナの部屋、静寂の中を息を殺すように扉を開ける人影があった。その人影はそっと寝息を立てるカタリナの傍らに立つと、その寝顔を覗き込む。その時、唐突に人影はベッドの中から延びる手に押さえ付けられるとベッドの上に押し倒されてしまった。
「…っ!?」
何事が起きたのかと息を飲み込む。するとその身体に覆いかぶさるように両手を押さえていたカタリナの顔が、窓から差し込む月明かりに照らされた。
「あ…カタリナ、起きてたの…?」
「いや?ぐっすりと眠ってたよ。扉が開くまではね。」
「あはは…音を立てないように気を付けたつもりだったんだけど…。」
月明かりの元顕わになったその人影はミーシャだ。覆いかぶさるカタリナの姿に思わず目が泳ぐ。
「…それで?どういうつもりで来たのか聞いていいかな?」
カタリナの切れ長な瞳が真剣にミーシャを見据えると、ミーシャは小さく唾を飲み込んだ。
「あのね…アタシ、貴女の事…。」
言いかけたその時、ミーシャの唇にカタリナの指がソっと添えられる。
「さっきも言っただろう?アタイはお嬢と旅をする身だ。アンタの想いには応えられない。」
「そんなにあの娘が好いの…?」
ミーシャの瞳に浮かぶ涙を月明かりが輝かせると、カタリナはそれを指で優しくすくい、何も言わずそっと頬に口付けをし、ミーシャの横になるようにベッドへ横たわった。
「カタリナ…?」
ミーシャがカタリナの方へ振り向こうとすると、その身体を抱き寄せるようにカタリナの腕が背に回されグイッと引き寄せられる。
「キャッ…。」
小さなミーシャの声。驚くと同時にその顔はカタリナの胸に抱き寄せられ、その温かな膨らみが優しく受け止めた。
「…今晩はこうしててやるからさ、もう寝な。」
優しい声と、優しく髪を撫でる掌。そして心が安らぐ柔らかな胸の心地にミーシャは小さく頷くと瞳を閉じ、穏やかな寝息が聞こえてくるまでカタリナはその姿を見守るのだった。
一夜が明け、ベッドの中で櫻がアスティアに血を飲ませていると部屋の扉をノックする音が響いた。
「誰だい?」
「おはようございます。朝食の用意が出来ていますが、皆と一緒でよろしければ如何ですか?」
声の主はシェルミーだ。どうやら娼館に寝泊まりしている皆と一緒の朝食に招待しに来てくれたようだ。
「あぁ、ありがとう。折角だからお言葉に甘えさせてもらうよ。」
アスティアの髪を撫でながら返事をすると、
「あ、済まない。朝食はあたしとカタリナの二人分でお願い出来るかい?アスティアと命はちょっと訳ありで、皆と同じ物は食べないんだ。」
と、少々慌てて付け加える。
「え?あ、はい、承知致しました。それでは食堂でお待ちしてますね。」
少々疑問形ながらも明るい声が返って来た後に部屋の前を過ぎる足音が聞こえた。
「ぷぁ。」
アスティアが首筋から唇を離すと傷跡を癒すように可愛らしい舌を出してペロペロと舐める。櫻ならば牙の痕も瞬時に治す事も可能ではあるが、どうやら傷口を舐めるのはクセのようなものらしいので、時間に追われていない時には好きにさせている。
(う~ん、これはアスティアの癖なのか、ヴァンパイアの習性なのか…男がこんな事してるのは想像したくないからアスティアの癖だと思いたいねぇ…。)
アスティアと重なり合ったまま櫻は心地よさにぼんやりとそんな事を考えるのだった。
ベッドから起き上がり服を着てアスティアの髪を整えると二人揃って部屋を出る。すると丁度隣の部屋の扉が開き、中から出て来たのはカタリナと、カタリナに肩を抱かれたミーシャだ。
「あ、お嬢。おはよう。」
「あぁ、おはようさん。」
櫻は敢えて何も言わず表情にも出す事は無かったものの、その気遣いに逆にミーシャは顔を赤らめると
「あ、アタシはちょっと水浴びしてから行くから、カタリナ達は先に食堂に行ってて!」
と駆け出して行ってしまうのだった。
命も合流し食堂へ顔を出すと、夕べの宴の席とはまた一味違う、新鮮な食材を使った瑞々しい料理が並ぶテーブルに、娼館の娘達も配膳の手伝いや席に着く者など様々に既に賑わいを見せていた。
「あら、いらっしゃい。そこに席を用意してあるからどうぞ座ってください。」
シェルミーの言葉に促され席に着くと程なくしてミーシャも姿を現し、皆が席に着いた所で食前の儀式のような事をする。両手を組み、ほんの数秒静かに何かに祈る。
(この世界は神の存在が実証されているから、祈る対象がはっきりしている分信仰が篤いのかね?もしそうなら対象として挙げられるのはファイアリスか、それとも人類の神のあたしって事も有るが…もしそうならくすぐったいなんてもんじゃないね。)
その光景を櫻は引き攣った笑顔で眺める。
(まぁせめて、こういう信仰に篤い人達を結果として救えたなら、祈りが届いたって事なのかもしれないね。)
そう思いながら、皆を真似て両手を組み静かに瞳を閉じると、これから先も人々を救う事が出来るように…と決心にも似た想いを自らに祈るのだった。
食事を終えると娼館の娘達が四人、櫻達其々の前に現れ後ろ手に隠し持っていた箱を差し出した。
「これは…?」
櫻が不思議そうにそれを受け取ると、他の三人も倣って受け取る。
「ふふ、開けてみて?」
ミーシャが悪戯っぽく微笑む。
促されるままに箱を開けてみると、その中に入っていたのは服だ。取り出し広げてみると、それはこの娼館の制服のようなものなのか同じデザインの物が其々のサイズに合わせて用意されていた。
それはまさに娼婦の為の服とでも言うのか、大きく開き胸の谷間が(在れば)丸見えに協調される胸元、そして前掛けレベルに横のスリットが深く太ももが露わになるスカートのワンピース。しかも向こうが薄っすら透けて見える程に生地が薄い。
「これは…。」
頭に疑問符が浮かぶような表情で櫻が顔を上げる。
「ふふ、私達の『家』を救ってくれたお礼…って言うにはちょっと相応しくないかもしれないけど、私達の気持ちと思って受け取って?貴女達って順番制って訳でも無いんでしょ?これで夜のアピールをすればバッチリよ。」
ミーシャがパチンと可愛らしいウィンクを見せた。
「何がバッチリなんだか…まぁそれはそれとして、有り難く頂く事にするよ。ありがとう。」
未だに妙な勘違いをされ続けている事について最早何も言い訳をする気も無くなっていた櫻は大人しくその好意を受け取るのだった。
いよいよ櫻達が娼館を出る時が来ると、娼館の皆が見送りに並ぶ。
「皆さん、この『家』を護る為の助力、本当にありがとうございました。皆さんのこれからの旅のご無事をお祈りしております。どうかお気をつけて…。」
シェルミーが代表して言葉を述べると、娼館の皆が頭を下げる。
「ありがとう。それじゃ。」
櫻の言葉で一行が店を出ようとすると、
「カタリナ!」
そう呼び止めるミーシャの声。
思わず振り向いたカタリナの首にミーシャの両腕がかかると、そのまま唇が重なる。ほんの数秒の口づけ。
「っはぁ…。」
離れたミーシャの唇から熱い吐息が漏れる。
「ミーシャ…。」
言いかけたカタリナの唇に、ミーシャが指をそっと添えて言葉を遮った。
「…深い意味なんて無いんだから、ただの別れの挨拶よ。…でも…気が向いたらまた来てよね、その時は特別料金でサービスしてあげるわ。」
その声は明るかったが、カタリナからしか見えないその表情は今にも泣き出しそうな我慢を湛えたものであった。
ポンとミーシャの頭に手を置き、もう片方の腕でその身体を抱き寄せる。
「あぁ、楽しみにしてるよ。」
小さく耳元で囁くその言葉にミーシャも小さくコクリと頷くとその身を離し、
「行ってらっしゃい。」
と明るい笑顔で見送るのだった。