トツマを後に
朝の小鳥の囀りに櫻が目を開くと、またしても枕元に立つ命に言葉無く驚く。
「…お前さん、いつからそこに?」
「はい。ご主人様がお休みになられてからずっとお傍に居りました。」
「確か昨夜はベッドに入ったよな?」
「はい、ご主人様のご命令通りベッドへ入りました。」
「…寝て無いのか?」
「はい、私は睡眠を必要としません。故にベッドへ入る事に意味は薄く、自らの考えとしてご主人様の安眠をお護りすべく、こうしてお傍に控えさせて頂いております。」
テキパキとした受け答えに櫻は頭を抱えた。
(まぁ…自分の考えだと言うならそこは尊重しておくとしよう…。)
身を起こすと既に櫻と命のやり取りに目を覚ましていたアスティアとカタリナもベッドから起き出し、櫻の枕の横で丸くなっていたケセランも櫻の頭の上に飛び乗り落ち着く。
そのまま横に居たアスティアを抱き寄せ朝食を与えると、ふと疑問が浮かんだ。
(そういえば、あたしの心臓を与えた命の身体は使徒と言えるんだろうか?別に食べた訳では無いしなぁ…。)
《おーい、ファイアリス。今ちょっといいかい?》
思い立ったが即行動の櫻は早速疑問に思った事を聞くべくファイアリスに念を飛ばした。
《はいはーい。どうしたのかしら?》
《実はな…。》
命が同行するまでの経緯を説明する。するといつもならうるさいファイアリスの言葉が途切れた。
《ファイアリス?どうかしたのか?》
《…いえ、私の世界でそんな前例は聞いた事が無いものだから、ちょっと困っちゃってね。ごめんなさい、私もその件に関しては解らないわ…。》
《全知の神かと思ったが、お前さんでも知らない事があるんだねぇ。》
珍しく神妙な声のファイアリスに櫻も驚く。
《そりゃそうよ。そもそも何でも知ってるなら貴女の前任の人類の神が姿を消した時にすぐ気付いてる訳だし?》
《確かにそりゃそうか。》
《でも知らない事が起きるから、世界はいつまでも見てて飽きないのよね~。》
ファイアリスの楽しそうな声が櫻の頭の中に響く。
(何ともポジティブだねぇ…。)
《まぁ解ったよ。この件はあたしの方で様子を見るとする。時間を取らせて悪かったね。》
《いいのよ~。また何かあったら声をかけてね~。》
念話を切るとアスティアの肩越しに命に声をかける。
「命、何か体調に不具合が生じたらあたしに包み隠さず知らせるんだよ。」
「…?はい。承知致しました。」
櫻の言葉の意図をいまいち理解出来なかった命であったが、それが自身を気遣う言葉である事は理解出来た為にそれ以上を追求しようとは思わなかった。
こくこくと喉を鳴らし血を飲むアスティア。飲み終えると口を離し、ヴァンパイアの習性なのか傷口を癒すようにその周囲を子猫のようにペロペロと舐めるのが習慣だ。不思議と人の唾液特有の匂いというものも無く、よくできたものだと毎度感心する。
「さて、ギルドに行くにはまだ時間があるが、それまで何をしていようかね?」
食事を終えても櫻にベッタリのアスティアの頭を撫でながら天井を眺める。
「そうだねぇ…報奨金を貰わないと飯代も苦しいし、正直する事が無いね…。」
カタリナも同じように天井を見ると小さく溜息をついた。
するとその時、コンコンと部屋の扉をノックする音が聞こえたかと思うと、櫻達の返事も待たずに扉がガチャリと無遠慮に開かれた。
「おぅ!お嬢ちゃん達起きてるかい?」
入って来たのは自警団の団長だ。だがベッドの上、裸同士で櫻に密着しているアスティアの姿を目にすると慌てて部屋の外へと飛び出し
「済まねぇ、まさか朝っぱらからお楽しみとは思ってもみなかった…!」
昨日の豪快な声と同じ人物から出ているとは思えない動揺した声が壁向こうから聞こえてきた。
「…女性の部屋に無遠慮に飛び込んでくるのは感心しないねぇ。」
呆れながら服を着る櫻が言う。何か誤解をされているのは重々承知しているが、どうやらこの世界では同性でもおかしな事では無いらしいので訂正する必要も無いと考えた。
「それで?こんな朝っぱらから何の用だい?」
「あ、あぁ、そうだ。ギルドからお嬢ちゃん達を呼んで来て欲しいってんで言伝をな。何でも査定が思いの外早く終わったらしいぜ。」
「おぉ!そりゃ助かる。ありがとう団長。」
「おぅ…邪魔したな!」
遠ざかる声と共にドカドカと走り去る音が聞こえた。
「お嬢、ありゃ完璧に誤解してるよ?」
「まぁいいんじゃないか?それより早速報奨金を受け取って朝食と行きたいねぇ。」
そう言う櫻の腹がグゥーと鳴ると、カタリナも共鳴するかのように腹を鳴らした。
「…そうだね。旅立ち前に美味い物を食い溜めしとくとするか!」
こうして一同は部屋を引き払うと会計を済ませ、ギルドへと向かった。
ギルドへ到着すると、昨日の受け付けと共に町のギルド長が姿を現す。
「お待ちしておりました。どうぞ此方へ。」
妙に丁寧な案内に櫻達は顔を見合わせ首を傾げた。
ギルドの奥へ通されるとそのままギルド長室へ。まるでVIPのような扱いでクッション性の良い椅子へと誘導されると言われるがままに腰を下ろした。
「一体何事だい?」
ギルド員の様子に少々戸惑い気味のカタリナ。
「はい、実は報酬が結構な高額となりまして、窓口でおいそれと渡す訳にも行かないかと思いまして此方へお通しさせて頂きました。」
ギルド長が丁寧に頭を下げると、櫻達も釣られて下げる。
「へぇ?そんなに?」
「はい。まずはこちらをご覧下さい。」
ギルド長が差し出したのは、いつもの報酬明細だ。だがそこに書かれている数字を見てカタリナが息を飲んだ。
「…この額、本当にこんなに貰えるのか?」
「はい。昨日所員からお聞きになったと思いますが、被害者の数と、魔人の驚異度から算出した処このような額となりました。他の町のギルドの会計とも照らし合わせを行ってもらいましたので過不足無い額です。」
櫻がその明細を覗き込むと、大金貨の部分に数字が書き込まれており、読む事は出来ないものの2桁の記載があるように見える。
「なぁアスティア。あれは幾らと書いてあるんだい?」
こそりとアスティアに耳打ちするように尋ねると
「う~んとね…わ、大金貨50枚だって!凄い!」
思わず大声を張り上げそうな処を我慢するように、だがその興奮を抑えられないのが如実に判る声が返って来た。
「何と…そりゃぁカタリナも目を疑う訳だ…。それにしても端数は出ないんだねぇ。どういう計算なんだか?」
「ギルドの報酬は端数切り上げだから払う方も貰う方も面倒が無くて楽なんだよ。」
「へぇ。そういえばアスティアも少しはギルドの仕事を手伝った経験があるんだったか。」
「うん、ちょっとしたお使い程度の仕事だから余り大きな額を貰った事は無いけどね。ボクはどっちかって言うと血を貰えたら良かったんだけど、ギルドはお金しか出してくれないから余り仕事をする事は無かったし。」
そんなアスティアの話を聞いていると、カタリナの手続きも無事終了したようでテーブルの上に大金貨50枚がドンと置かれる。
小貨幣が五百円玉程度のサイズなのに対して大貨幣はソレを更にふた周り程大きくしたようなサイズになる。積み上げられた10枚が5山と、その価値も相まってなかなかの迫力を醸し出した。
「これだけあるなら…。」
カタリナが財布にジャラジャラと金貨をしまう様を眺めながら櫻はポツリと呟いた。
職員の見送りを受けギルドを後にすると予定通り食堂へ向かい、少々遅めの朝食を取る事にする。
カタリナは相変わらず肉の山。様々な味付けをしてあるので飽きる事は無いらしいが、栄養の偏りは大丈夫なのだろうかと櫻は少々身を案じた。だが元々ライカンスロープ族は口の中をリセットする程度にしか葉物や果実を食さないという事を聞くと、そういうものなのかと何となしに納得行くものであった。
「そういえば命、お前さん文字は読めるのかい?」
櫻の席の背後に控える命に振り向く。
「はい、専門的な知識以外の生活に必要な知識はほぼ習得しております。」
「そうか。折角だから今日はお前さんにメニューを選んで貰おうかな…それと、その堅っ苦しい話し方を何とかしてくれないか?あたしゃ確かに立場的には主人かもしれんが、お前さんを召使として傍に置いてる訳じゃないんだ。」
「ですが…。」
命はその先を口に出そうとして思い止まる。『主人の命を守る』『自分で考え最良と思う行動をする』双方の指令が相反し、口をぽかんと開けたまま暫し動きが止まった。
「いえ、承知しましたご主人様。それでは私がご主人様に対し少々砕けた言葉を使う事をお許しください。」
「あぁ。遠慮しないでアスティアやカタリナみたいに接してくれればいいよ。」
「はい。ではご主人様…このメニューなどどうでしょう?肉と様々な野菜を一緒に煮込んだスープで栄養も満遍なく取れますよ。」
そう言ってメニューの文字を指し示す命。
(まぁまだ少し堅い感じはするが、言われてすぐにここまで変化出来るのは中々に柔軟だね。)
そんな事を考えつつ注文を決定すると、運ばれてきた料理を堪能するのだった。
食事を終えると次に向かったのは自警団詰所だ。
「おーい。お邪魔するよ。」
櫻は最早遠慮無く扉を開け中へずかずかと入ると、奥の机で何やら書類仕事をしていた団長が櫻とその隣りに寄り添うアスティアを見て慌てる。どうやら今朝の光景を思い出してしまったようだ。
「お、おぉ。お嬢ちゃん達、どうしたんだ?」
「いや、報酬を貰ったんでね。犠牲者の塚を建てる費用を渡しに来たんだ。」
「あぁ、その事か。既に町の外の森を切り開く作業は始めている。人夫に払う賃金の他は、どういう塚を建てるかってのはまだ決まってないから、お嬢ちゃん達の出資次第って処だし…幾ら出してくれるんだい?」
その言葉に櫻は頷き
「カタリナ、30枚出しておくれ。」
と言うと、
「あいよ。」
カタリナは平然と財布の中から大金貨を30枚取り出し団長の前に並べて見せた。
「なっ!?こんなに!?」
団長の反応も当然だろう。つい先日まで食うに困って森へ狩りに出かけようとしていた連中が何の躊躇いも無くこれだけの大金を差し出したのだ。小金貨と大金貨を見間違えているのでは無いかと思わず目をこする。
「あたしらはこれから旅立つからね。資金面でしか協力出来ない。これで出来るだけの供養をしてやって欲しい。」
「あ…あぁ。当然だ。心遣い感謝する。…それと、旅の無事を祈る。」
「ありがとさん。それじゃまた、縁があったら。」
共に笑顔で別れを告げると自警団事務所を後にし、食料等の買い出しと共にテントを新調、更にはカタリナの趣味で櫻とアスティアの衣装の買い足しを行い、いよいよトツマの町を出発する事となった。
「たまたま選んだ二択の内の片方で、こんな大事に遭遇するとは思って無かったが…お陰で犠牲を増やす事も阻止出来た。これから先も何かトラブルがある場合は首を突っ込むかもしれないが、その時は大目に見て欲しいかな。」
櫻が振り返り、三人を前に言う。
「ボクはサクラ様がしたい事何でもしてあげるから遠慮しないで言ってね。」
「アタイも人が困ってるのを見捨てるのは気分の良いモンじゃないからね。そういうお節介なら言ってくれよ。」
「私はご主人様の御心のままに…。」
三者三様の反応を見せつつも皆が自分を尊重してくれる事に、櫻は頼もしく思う。
「さてそれじゃ、次の町を目指して出発と行くか。」
こうして櫻達一行はトツマの町を旅立ち、北へと歩みを向けるのだった。