対面
大きな音を立てて開かれた扉。その中に、朝陽を背に受けて三人のシルエットが姿を現わした。
「サクラ様~! 急いで飛んで来たよ!」
櫻の姿を見つけ、真っ先に駆けこんで来たのはアスティアだ。直ぐに櫻に抱き付くと、櫻もそれに応えるように『よしよし』と頭を撫でる。
「案外早かったね。」
「あぁ、『コイツ』が案外マメな性格でね。しっかり日記に書いてあったよ。」
アスティアの肩越しに声を掛けると、カタリナも隣に立つ人物と共にギルド内に踏み入った。そうして揃った四人の姿に、流石にその正体に気付く者も出て来たのか、ギルド内がいよいよザワザワと騒がしくなって来る。
だが、ホーヂュだけは違った。その見開かれた眼が、視線が、カタリナの隣に立つ人物から離れなかったのだ。そこに居たのが、自身が手にかけた筈の女性、マリベルだったからだ。
陽射しを背に受けてハッキリとした姿は見えない。だが、陽の光を受けて浮かび上がるシルエットの輪郭に見える青い髪と青い翼は、確かに己が欲した女性のソレだ。見間違い様が無い。
(ま、まさかマリベル!? だが、あの時…確かに私は彼女が死んだ事を確認した。何故彼女が動いて…生きている!?)
動揺に震える握り拳。だが、ハッとすると再び平静を装い、ニコリとした柔らかな表情を作った。
「そ、そこに居るのはマリベルさんではありませんか? 確か皆さんが言うには彼女は亡くなったという事でしたが…はははっ、これは私を驚かせる為の余興か何かだったのですかね?」
だがその声は動揺を隠し切れず、微かに震えていた。
「あぁ、余興…いや、茶番さ。」
櫻の言葉にホーヂュの眉がピクリと動く。
「茶番…ですか?」
「そうさ。元々お前さんが犯人だってのはボリス達の証言で想像が付いてた事だ。だがお前さんの言う通り、証拠が無い。だから舞台を整えさせて貰ったんだ。皆の見ている前で全てを明らかにする為の、ね。」
「な、何を言って…彼女は生きているではありませんか。一体、何の犯人だと言うのです!?」
「そうだね、『今』は確かに生きているさ。だけど、彼女の瞳を見てしらばっくれる事が出来るかい?」
「瞳…?」
ホーヂュは櫻の言葉に促されるように、カタリナに隠れるようにして立つマリベルの瞳を見つめた。すると、彼は驚いたように息を飲んだ。
それは、彼が欲した宝石のような青い瞳では無かった。見たことも無い不思議な輝きを放つ虹彩を持つ金色の瞳。そして彼はそれが意味する処を知っていた。
「まさか…ヴァ…ヴァンパイア…!?」
「ふん、流石はギルドの要職。そのくらいの知識は有るか。そうさ、この娘は一度死んで、ヴァンパイアとして蘇ったんだよ。そしてその死因は…ホーヂュ、お前さんだ。」
その場に居た全ての人々の視線が、ホーヂュに集中する。
「ばっ、馬鹿な事を言わないで下さい。だからどうして私が、そのような事をする必要が有るのですか!?」
遂にホーヂュの冷静な仮面が剥がれ始める。
「それはアタイから説明してやるよ。」
そう言って前に出たのはカタリナだ。その手にはマリベルの日記が数冊携えられていた。彼女はペラペラと1冊のページを捲ると、徐にとある箇所を読み上げ始める。
『今日は金払いの良い上客が付いたわ。なんてったってあのホーヂュだもの。随分アタシの事を気に入ってくれたみたいで、アタシの青い髪や翼を凄く褒めてくれた。』
カタリナがホーヂュにチラリと視線を向けるとホーヂュは僅かにビクリと身体を逸らした。そんな様子を横目にカタリナは再び日記のページを捲る。
『数日ぶりに『あの客』が来た。今日もアタシの青い髪が素敵だって言って激しかったわ。』
『『あの客』、随分アタシに入れ込んでるみたいで嬉しくは有るんだけど、何だかアタシを見る目が最近怖い。』
『今日の『あの客』は物凄く激しくて、最中に目に指を突っ込まれそうになって危なかったわ。幸いそんな事にならずに済んだけど、普段冷静なクセにヤッてると乱暴になるのは勘弁して欲しいわね。』
『何だか最近、『あの客』が怖い。今日突然に『私の物にならないか』なんて言われたわ。アタシはこの仕事が好きだから結婚なんて考えて無いし、どう断ろうかしら。』
『もう! いい加減『あの客』がしつこいわ! 何だか段々独占欲が強くなってるみたいで、『他の客と一緒の所を見た』って暴力まで振るうようになって来た! 金払いが良い上客だったけど、もう相手をしたくない!』
『はぁ、『あの客』が何処から見てるか判らないから仕事もロクに出来ないわ。けれど相手は商業ギルドの偉いさん。『親父』に相談するのも難しいだろうし、どうしたら良いのかしら。』
ここまで読み上げ、カタリナはパタンと日記を閉じた。辺りの視線は信じられない物を見るようにホーヂュに向き、その注目の的の表情はピクピクと頬を引き攣らせ、額に脂汗を滲ませ始めていた。
「さて、ここまで『感想』を残されておいて、まだ何か言いたい事は有るかい?」
両手を腰に添えて櫻が見上げる。するとホーヂュは引き攣った頬のままで口の端を吊り上げるようにし、『ククッ』と笑った。
「参りましたね。確かに私は勤務中には品行方正を貫いて参りました。それはギルド職員という栄誉有る職務に責任を持って取り組む為の心構えだからです。しかしながら、プライベートで羽目を外す事を咎められる謂れは無いではないですか。それに、その日記には確かに私の恥ずかしい所業が記されているようですが、果たしてそれは本当の事なのですか?」
この期に及んで白を切るホーヂュに、櫻はその神経の図太さを呆れると共に感心してしまう。
確かに彼の言う通り、日記の記述は決定的な物的証拠には成り得ない。だがそんな事を言ってしまえば、この世界では科学捜査など存在しないのだ。全ての事が現行犯でしか成立しなくなってしまう。それ故に、多少強引では有るが強硬手段に出る必要が有るのだ。
櫻は『ふぅ』と溜め息を吐く。すると、マリベルの耳に掛かる髪の毛がふわりと風に靡いた。
「確かにお前さんの言う事も尤もだ。だがね、その結果として『殺された』者が、今ここに居る。その者の証言こそが、何よりの証拠だ。」
櫻の言葉と共にマリベルが前へ歩み出た。そして金色の瞳で、怯えながらも強くホーヂュを見据えると、スッと指差す。
「アタシは、この男に殺されました。その時の事をハッキリと覚えています。」
迷いの無い声がギルドの中に響き渡った。
「なっ!? 何を言っているのです!? ヴァンパイアは以前の記憶を持たない筈! 出鱈目を言うのも大概にしてください!」
予想外の言葉にホーヂュの声が震えた。そこに追撃を掛けるようにマリベルは更に一歩踏み出すと、
「えぇ、確かに『鳥人』マリベルの記憶は殆ど無いわ。けれどね…貴方に殺されたその直前の記憶は、この怨みと共にハッキリとアタシの中に残っているのよ!」
胸に手を添えて怒りの形相を浮かべ、力強い言葉と視線がホーヂュに突き刺さる。その気迫にホーヂュは思わず一歩を後退るが、その周囲には何時の間にか衛士達が取り囲むように立ちはだかっていた。
「くっ…!? あ、貴方達はギルド職員の私と、こんな売女の言う事の何方を信じると言うのです!?」
声を荒げるホーヂュ。だが周囲の視線は冷たく彼を見つめるのみだ。
「何なら、アタシがどうやって殺されたか、今この場で丁寧に説明してあげましょうか!?」
マリベルが詰め寄ると、ホーヂュの顔が激昂に赤く染まる。そしてその拳を握り締めたかと思うと、大きく振りかぶった。
「貴様ぁ! 粗悪品の分際でぇ!」
怒号と共に振り下ろされる拳。マリベルは突然の事にギュッと目を閉じ身を竦めた。だが、想像した痛みはいつになっても襲って来る事は無かった。
恐る恐る目を開くと、その眼前に迫る拳はカタリナの掌で易々と受け止められていた。その掌がホーヂュの拳を握り込むと、中からメキメキという音が聞こえ、ホーヂュの表情が歪んでゆく。
「ぐ…ぐあぁ!」
握り潰される拳がそのまま捻り上げられると、ホーヂュの片膝がガクリと床に突く。そしてその眼前に櫻が歩み寄った。
「往生際が悪いね。そろそろ観念したらどうだい?」
幼い少女に軽蔑の眼差しを向けられ、ホーヂュは悔し気に歯を食いしばると、
「くっ…! 何故です!? 私は神の供物としての価値を自ら棄損した愚かな女を、慈悲の心で拾い上げて差し上げようとしたのです! それをあの女は拒んだ! 全てあの女の愚かさ故の不幸だったのですよ!」
それでも取り繕おうと言葉を吐き出し、苦々しい表情を浮かべて櫻に視線を向ける。だが櫻の視線は冷ややかなまま…いや、更に蔑んだものとなっていた。
「神への、供物…だって?」
「そうです! 貴女様方であればご存知でしょう!? この町の娼婦達は本来、神への捧げ物として純潔を守り通すべき存在! それなのに、その教えを破り快楽に身を委ねる愚かな女共が町に溢れ、今や神のお休み処としての役割を忘れ去ろうとしている! そんな女共を私が救ってやろうというのですよ!? 何故私がこのような目に遭わなければならないのですか!?」
「へぇ、そうかい。過去の人類の神が残した言葉を敬虔に守るお前さんの考え方は、一つの見かたとしては正しいかもしれない。」
「そ、そうです! 私は正しい事をしているのです!」
ホーヂュの往生際の悪さに、櫻の慈悲の心がどんどんと消え失せて行くと共に、その表情に静かな怒りが浮かび上がる。
「だがね…その崇拝する神を出しにして自らの欲を満たそうとする者を見て、神が喜ぶとでも思って居るのかい!?」
櫻の、子供とは思えない怒号がギルドのホールに響き渡ると、事の成り行きを見守っていた周囲のギルド員達までもが息を飲み、辺りは静寂に包まれた。
その中で櫻はホーヂュの耳元に顔を寄せると、囁くように言う。
「神はあたしを通して今この状況を全て把握しているんだよ。そしてお前さんの記憶も、心の内も、全てお見通しだ。そのうえで、お前さんの良心を試させて貰ったんだが…残念だよ。」
その言葉を聞いたホーヂュは顔面を蒼白とさせると、今までの威勢は何処へやら、絶望の表情を浮かべてガクリと項垂れた。
元々使徒であるとバレる事は想定の内であった為、神の名を出せばそれで簡単に解決する事では有った。だが人を信じたい櫻は出来る事ならばそのような『権力』に頼る事無く、自らの罪を認め真摯な姿勢を示す事を期待していた。しかし、そんな櫻の想いも虚しく、目の前の男は謝罪の言葉一つも出す事は無く、自失しブツブツと何かを呟くばかり。
そんなホーヂュの様子に櫻は一つ溜め息を漏らすと、クルリとマリベルに向き、
「さ、コイツをどうする?」
と問う。
「え?」
突然の事に目を丸くするマリベル。
「お前さんが一番の被害者だ。この男を裁く権利はお前さんに有る。どうしたい? あたしは何も咎めはしない、好きにすると良い。何だったらこの男の血を全て吸い尽くしてしまっても構わないよ。」
ホーヂュの肩がビクリと震え、バッと顔を上げると、その表情は恐怖に歪んでいた。だがマリベルはそんな事に気付く事も無く首を横に振ると、
「えっ!? い、いえ! 流石にそんなに飲める気がしませんよ! それに…。」
「それに?」
「いくらお腹が空いてても、そんな男の血なんて御免です!」
困ったように眉尻を下げながら、頬をほんのり膨らませた。その様子に櫻達が思わずプッと吹き出してしまうと、釣られてボリス達にも微笑が浮かぶ。
「それに、確かにアタシが被害者では有るんでしょうけど…本当に怨みを晴らしたい『マリベル』はもう…。」
何かを想うようにマリベルは胸元に拳を添えて俯き、ギュッと瞼を閉じる。そして意を決したようにカッと瞳を見開いたかと思うと、握った拳を精一杯の力で振り抜き、ホーヂュの顔面に叩き込んだ。
『ゴッ!!』
鈍い音と共にホーヂュの身体がグラリと揺れ、そのまま床に倒れ込む。白目を剥き倒れたその顔面は鼻の頭が潰れ、両の穴からは鼻血がタラリと滴っていた。
「だから、アタシはコレで充分です。後の事はギルドの対応に任せる事にします。」
少し痛めたのか手首をプラプラとさせるマリベルは、そう言って僅かばかりの悲し気な笑顔を浮かべたのだった。




