フレイミア・ダウ
夜が明け、櫻達はテントを片付け街道へと戻った。
「今朝も何から何まで任せてしまって。有り難う、カタリナ。」
荷車の中、命は少し申し訳ないという風に言う。
坂道を乗り越えた事で荷車の自走機能は不要となった為に、命の両腕は元に戻したのだが、それでも両脚が無い状態では荷車の中に座っているしかなかった。
「ハハッ、言っただろ? 気にすんなって。足りない処を補い合うのが仲間だ。それにこうやって荷車が順調に走ってられるのはミコトのお陰なんだから、一番役に立ってるとも言えるよ。」
カタリナは御者席で手綱を握り、前を向いたままでそう言い笑う。その言葉に命も自然と微笑みが浮かんだ。
やがて旅路は拍子抜けする程に何事も無く進み、畑地帯を抜けると黄昏時になり遂に火の主精霊を祀る精霊殿の在る町、『フレイミア・ダウ』を囲う堅牢な防壁を備えた入り口へと到着した。
「ほ~…『ウィンディア・ダウ』や『ライタリア・ダウ』もそうだったが、精霊殿の在る町ってのは皆こんな物々しいのか。」
いつものアスティアの膝の上から防壁を見上げ、櫻は感嘆の息を漏らした。
茜色に照らされたその防壁は、切り出された巨大な石のブロックを積み上げ造られた頑強な物であった。
ただし『ウィンディア・ダウ』の防壁とは違い、横に伸びる距離は然程無い。その理由は、街道を挟むように存在する山々の為だ。
岩肌を剥き出しにして高く切り立った山々が天然の防壁として町を囲うように存在し、町の最奥に恐らくは火の主精霊が居るであろう巨大な山が煙を上げながら存在感を示していた。
門の両脇に控える番兵達に手を振り、この町唯一の出入り口である門を潜ると、小さなトンネル程の距離の在る厚い防壁を抜け町の中へと踏み入る。
その姿を闇の中から見送る者が居た。
(町へ入ったか…此処からではこれ以上は追えんな。後は仕込みが上手く働くかどうか…信徒達よ、私を失望させるなよ…?)
闇の中、その者が手を翳すと、目の前に映し出されていた夜の闇に沈み始めた門の映像はフッと消え、再び手を翳すとまた何処か別の景色が映し出された。その中には何かに苦悩するような金髪の女性の後ろ姿が映し出されていた。
その町は、周囲を山に囲われながらも土地一杯を使った大きな町であった。更には周囲を囲う山々の中を刳り貫くようにしても家々が掘られ、『地上に在る地下街』のように町が広がっている部分も在る。
「凄いね、こりゃ。」
「わ~、お家がみんな四角い。」
櫻とアスティアは目を輝かせてキョロキョロと周囲を見回す。アスティアの言うように、町の建物はマンションのような背の高い集合住宅も、平屋のような店舗も、目に付く建物は軒並み勾配屋根の物が見当たらず、平らな陸屋根の物ばかりだ。
「この土地は雪が降らないんだろうね。流石は火の主精霊様のお膝元だ。」
カタリナも初めて訪れた土地に興味深げに視線を動かしながら大通りを進んだ。
カポカポと足音を鳴らす地面もまた切り出した石を利用した物なのか、整然と形の整えられた白く四角いブロックを使った石畳で綺麗に舗装されており、流石は精霊殿を有する大都会という貫禄。
町の中は既に陽も落ちる時間だと言うのに未だに人々の喧騒で溢れ返り、大通りも路地も様々な種族の人々で賑わっている様子が見受けられる。
「さて、先ず宿を探す前に車輪を買いに行かないとな。」
カタリナは辺りを見回しながら大通りを進んだ。すると、
「お!? お前達、ひょっとして今着いたのか?」
と、聞き覚えの有る声が聞こえて来た。
「ん? 今の声は…。」
櫻が周囲を見回すとアスティアも釣られてキョロキョロと首を動かす。周囲は沢山の人が行き交い、見知った顔を探すのも一苦労という有様。
「おーい、こっちだこっち。」
「あ、サクラ様。あそこだよ!」
そんな中で声の出処に気付いたアスティアが櫻をギュッと抱き締める。櫻はアスティアの向く方へ視線を向けると、そこには屋台のような出店の中で何かを摘まみながら酒を飲んでいる魔物ハンター達の姿が在った。
「おぉ、そっちも無事に着いたようだね。」
荷車を軽く寄せて上から声を掛ける。
「あぁ、車輪、助かったよ。お陰様で依頼は達成、こうやって酒を飲む事が出来る。」
コップを掲げて見せるその表情は既に出来上がっているのか赤く染まり上機嫌だ。
「そいつは良かった。…っとそうだ、丁度良い。車輪を買いに行きたいんだが、店が何処に在るか知ってるかい?」
「ん? あぁ、それならこの大通りを進むともう一つデカい通りが交差してる処が在って…。」
こうしてハンター達から店の所在を聞いた櫻達。
「有り難う、早速行ってみるとするよ。」
「あぁ、ただそろそろ閉まる頃だろうから、急ぎなら早く行った方が良いぞ。」
互いに手を振り合い荷車は動き出した。
そして教えられた通りに道を進むと、そこには丁度閉めようとしている目的の店が在った。
「あっ! おーい、待ってくれ!」
カタリナは慌てて大きな声で呼び止めると、手綱をピシリと鳴らしウララを急かした。
何とか車輪を買い付ける事に成功し、カタリナは『ふぅ』と安堵の息を漏らしながら町の中、宿を探し進んでいた。
「何もそこまで急がなくとも、明日になれば普通に買う事が出来たでしょうに。」
命が呆れたように言う。
「んな事言ったって、そうなったらまたミコトは一晩そのままで荷車の中だろ。」
「私は別に苦では有りませんが…。」
その言葉にカタリナは少しだけムッとした表情を浮かべた。
「…カタリナ?」
荷車の中からでは背中しか見えないカタリナ。だが命は何故か彼女が少し不機嫌を顕わにしているように思えた。
その内に大通りに面した適当な宿を見つけると、宿の裏手に在る駐車場に荷車を留め、接続具を外されたウララもブルルと首を振って疲れた身体をリラックスさせる。
そんな中でカタリナは無言で車輪の交換作業を行い、取り外したソレを命へと突き出すように手渡した。
「…?」
命はカタリナの様子に首を傾げながらもソレを受け取りスカートの中へ挿し込むと、車輪の姿はアッと言う間にスラリとした美しい脚へと戻ったのだった。
漸く宿へと入る。その宿は石造りでありながら3階建ての大きな建物。厚い石のブロックを使って組み上げている為か内部の空気はヒヤリとしている。
3階に借りた部屋は家族連れ用の四人部屋となっており、窓は『チョナツ』でも見た何らかの繊維を使った網戸のようなメッシュ状の物で風通しも抜群だ。足元には茶色のカーペットが敷かれており、室温の調節にも一役買っている様子。
部屋の左右の壁際にベッドが2台ずつ、部屋中央には大きな丸テーブルとそれを挟むように湾曲した2脚の長椅子が配置されていた。
「お~、良い部屋だねぇ。少し長居したくもなるが、またウララと荷車は此処に預けて、明日は精霊殿だね。」
櫻は早速ベッドへ腰を下ろし、久々の柔らかな感触にゴロリと横になった。すると当然のようにアスティアもその隣に寝転がる。
そんな様子にカタリナは自然と『フッ』と微笑みを浮かべた。命は先程からのカタリナの不機嫌そうな態度に疑問を残しながらも、いつもの様子に戻ったようで一先ず意識を櫻達へ向けるのだった。
宿の一階は併設された隣の食堂と内部で繋がっており、夕食はそこで食べる事とした。
メニューの半分程はドワーフ用のものであったが、それでも流石に巡礼者の訪れる都会という事もあって他種族用の食事も豊富に用意されている。
「あ、サクラ様。この『ヒンメのスープ』って言うのはどうかな?」
「ふふっ、アスティアの目に留まったのならそれにしてみようかね。」
メニューを覗き込みながら櫻とアスティアは楽し気だ。カタリナと命もそんな様子を微笑ましく眺める。
やがでテーブルの上に並んだのは、枝豆程の緑色の粒が入ったとろみの有るスープと、付け合わせに添えられた硬い丸パン状の食品『テサ』。そしてカタリナが頼んだ大量の肉料理の数々。
「これが『ヒンメ』?」
スープの中に浮かぶ枝豆のような物を木製のスプーンで掬ってみる。するとスープがトロリとした粘性を見せた。どうやらこの『ヒンメ』という食材自体が持つとろみのようだ。
早速口に含んでみると、食感は多少硬いがコリコリとした歯応えが良く、スープもトロっとしたクリーミーな塩気が暑い土地柄に良く合う。細かく裂いた肉も入っており味わいも『テサ』に良く合う物だ。
(ふむ、少々硬めの茹でた枝豆みたいな味だ。塩味が利いてるから尚更そう感じるのかね?)
「うん、美味い。良い物を選んでくれたね。有り難う、アスティア。」
「えへへ、聞いた事無い食べ物だったからどうなるか心配だったけど、サクラ様が喜んでくれて良かった♪」
櫻に頭を撫でられ、嬉しそうに肩を竦めるアスティア。
「アタイも『ヒンメ』なんて聞いた事無いな。この大陸でしか育たない作物なのかね? お嬢、一口くれないか?」
「ん? あぁ、ほら、あ~ん。」
「あ~。」
興味を持ったカタリナが大きく口を開くと、櫻もスプーンで一掬いしてそのまま口の中へ運ぶ。そんな様子に命は思わず手を伸ばしそうになるが、その手を胸元へ戻すとキュッと小さく握り込んだ。
食事を終えると、久々の宿という事で皆で揃って風呂を使わせて貰う事とした。宿の主人に声を掛け風呂場へと通して貰う。するとそこには、いつもの様に東屋のような屋根の下に井戸と浴槽の大きな桶。だが櫻達が思わず視線を向けたのは、その直ぐ近くの岩壁から『トトトト…』と細く流れ出る湯気を立てた液体であった。
「これはまさか…。」
櫻がソッとそれに手を伸ばしてみると、触れた指先にじんわりと広がる温かさ。
「おぉ、温泉か! 流石火の主精霊のお膝元だ、こういうのも当然のように有るんだねぇ。」
その傍には手桶のような物も用意されており、櫻が早速それを使い湯舟にお湯を移し始めるとアスティアも真似てせっせと汲み始めた。カタリナと命は顔を見合わせると、両手に手桶を構えそれを手伝い、数往復すると湯舟の中には温かなお湯が満ちていた。
こうして久しぶりの温かな風呂を堪能すると、櫻とアスティア、カタリナと命でいつものように身体を洗い合う。しかし命はカタリナの態度が何処かぎこちない事に違和感を覚えていた。
身体の芯まで温まり満足して部屋へ戻ると、櫻はアスティアに血を与えてからチョナツで購入した小さなコップに1杯の酒を飲み、気持ち良く眠りに就いた。
温かな気温の為か、櫻とアスティア、裸で寄り添う二人は掛け布をお腹にだけ掛けてスヤスヤと気持ち良さそうに寝息を立てている。そんな様子を隣のベッドに座り眺めていたカタリナは、スッと立ち上がると、椅子に座っていた命の傍へ静かに歩み寄った。
「なぁ、ここ、屋根の上に出られるんだってさ。ちょっと行ってみないか?」
櫻達を起こさぬように静かな声。だが何処かその声は強く訴えかけるようだ。
「…はい。」
命も素直に頷くと、二人は揃って静かに部屋を抜け出した。
廊下の突き当たり、梯子が掛けられた壁際から上に昇ると木の板で蓋をされた天井を開き屋上へと出る。
「へぇ、町が良く見えるね。」
3階建てのこの宿は、この町ではそれ程高い建物では無い。それでもその上に立ってみれば意外と見通しは良く、町の建物の隙間を縫って遠くに精霊殿らしき建物も僅かにだが確認出来た。
二人は何を言うでも無く自然と屋上の縁へ歩み寄ると、柵も何も無いそこに並んで座り、町の景色を眺めた。
篝火が灯されぼんやりと浮かび上がる町の中は、夜中だと言うのに意外にも人通りがそこそこに有る。友達、同僚、恋人…様々な関係性を持っているのであろう人々が町を賑わせていた。
「「あの」さ。」
町の様子に視線を向けていた二人の声が重なった。思わず互いに顔を見合う。
「な、何だ?」
「いえ、カタリナこそ…。」
何となく気まずい空気になり、二人は視線を下げる。だが、
「カタリナは…何か私に対して不満を抱いているのですか?」
命が先に口を開いた。
「え?」
「この町に入ってから、貴女は何か不機嫌でした。ですがそれはご主人様やお嬢様へ向けたものでは無い。ならばその原因は私に有るという事でしょう?」
チラリと上目遣いの視線をカタリナに投げ掛ける。するとその仕草にカタリナの胸がドキリと鼓動を高めた。
「私は何か貴女の気分を損ねる事をしたのでしょうか?」
その言葉を発する艶の有る唇に視線が吸い寄せられる。
「…カタリナ…?」
黙り込むカタリナを覗き込むように首を傾げる命。するとその時…。
『ガッ』と力強い腕が命の身体を正面から抱き寄せた。一瞬驚きの表情を浮かべた命であったが、直ぐにその表情は優し気な眼差しで目の前の肩に掛かる赤い髪を見つめ、逞しい背中へと両腕を回した。
「…こうしたかったんだよ。なのにミコトは、荷車の中で一人で居ても構わないような事を言う…。アンタにとってアタイはその程度なのか!?」
命の身体を締め付ける程にカタリナの両腕に力が込められる。だが命はそんな彼女の背中をポンポンと優しく叩いて見せた。
「ふふっ…そんな事で機嫌を損ねていたのですか?」
まるで拗ねる子供をあやすように優しい声。
「あぁ、そうだよ…『そんな事』だよ。でもアタイにとっちゃ大事な事だ…。」
叫びたい衝動を堪えるように命の耳元で囁く。そしてその唇が小さく耳朶を食んだ。
「私を…抱きたいのですか?」
「…あぁ。」
「貴女が望むのであれば…。」
命はそう言ってカタリナの胸に両手を添え、一旦身体を離そうとした。だがカタリナはその身を更に力強く抱き締めた。
「カタリナ?」
困惑する命。するとその首筋に『かぷっ』とギザギザとした歯の先が甘噛みするように触れ、そして身体が解放される。目の前にははにかむカタリナの顔が月明かりに照らし出されていた。
「へへ…今すぐ押し倒したいけど、こんな流れで抱いたって格好悪いだろ? アタイらしくない…。『その時』は、アタイの方がミコトをリードしてやるさ。」
そう言ってバツが悪そうに苦笑いを浮かべて見せるカタリナに、命はクスリと笑みを零した。
「ふふっ、そうですね。カタリナらしくもない。…でも、そんな姿を私にだけは見せてくれるのですよね。」
スッと瞼を閉じると、命は小さく顎を上げて見せた。カタリナもそんな彼女の両肩に軽く手を添えると、月明かりに照らされた艶やかな唇を優しく重ねるのだった。




