想い合い
「大金貨30枚かぁ。」
ギルドを出て大通りを歩きながら、カタリナが手にした袋をジャラリと鳴らし目の前に掲げる。それは『魔人アウルラーネ』を討伐した事に対する報奨金であった。
本来であれば人々に感謝される魔法使いとなっていたかもしれないアウルラーネの、ある意味で被害者とも言える最後に皆は言葉も無い。そんな彼女の事を想うと、とても貰って嬉しい金では無かった。
そんな空気を打ち払うように先頭を歩く櫻がクルリと皆に振り向く。
「さて、問題は片付いた。久しぶりにのんびりしたいね?」
「えっ? あ、あぁ、そうだね?」
突然の櫻の言葉にカタリナは手にした袋から櫻へ視線を落とし、驚いたように目を丸くする。
「のんびりって、何をするの?」
アスティアも櫻を覗き込むようにして首を傾げた。
「のんびりはのんびりさ。皆のやりたい事をしながら、今日一日は町の中をブラブラしようじゃないか。」
櫻はニッと笑顔を浮かべ、再びクルリと振り返ると歩き出す。そんな櫻の後を、アスティア達は慌てて追い掛けるように続いた。
「それで、皆は何かしたい事は無いのかい?」
先頭を歩く櫻が軽く振り向きながら尋ねる。
「ん~、ボクはサクラ様と一緒に居られるだけで良いかな。」
「アタイはやっぱりお嬢達の服を買いたいねぇ。」
「私はご主人様の為さりたい事に御供致します。」
案の定な何時もの事に櫻はハハッと軽く笑うと、
「それじゃ、具体的に意見があるカタリナのヤツからだね。カタリナ、行先は任せたよ。」
と歩く速度を落とし、カタリナに先頭を譲った。
「お、先ずあそこに行ってみようか!」
早速衣服を取り扱う店舗を発見したカタリナがウキウキと足を向けると、櫻達はそんな様子にニコリとした笑顔を浮かべ顔を見合わせて続く。
そう広くも無い店内では所狭しと並べられた様々なデザインの衣服を手に取っては櫻やアスティアに宛がい、楽し気に頭を悩ませるカタリナ。そんな姿に命も何処か楽しそうに微笑みを浮かべていた。
暑い土地柄のせいか、薄手だったり布面積の少ない服が多く、そんな中から夏服のセーラー服のようなデザインの物が選ばれた。
(本当にこの世界は地球の影響が所々に見られるねぇ…。)
感心しながら袖を通すその服は、白を基調にした半袖の上着に、セーラー襟にはしっかりと青いラインがあしらわれ、胸元にはスカーフではなく可愛らしい赤いリボンが添えられている。スカートはスタンダードな紺色の、膝丈のプリーツスカートだ。
流石に同じデザインの物はそうそう無く、アスティアと命には多少デザインの異なる類似品で揃え満足気なカタリナ。
その二人の姿に懐かしむような眼差しを向ける櫻に、
「えへへ~、サクラ様とお揃い♪」
とアスティアは満面の笑みで頬擦りをする。ヒヤリと頬に当たる柔らかな感触に、櫻も自然と笑顔が浮かんだ。
「よしっ、アタイはこんな処だね。」
他にも数着の衣服を購入し店を出て、カタリナが胸を張り満足そうな声を上げる。
「次はサクラ様の番だね!」
背後から抱き付くアスティア。だが櫻もこれと言って特に何かをしたいという案も思い浮かばない。
「う~ん…そうだねぇ…。何も当ても無く町の中をブラブラ歩いてみるのも悪くは無いかもね。」
そう言って周囲に目を向けた。
大通りを櫻の歩幅でのんびりと歩きながら、賑やかな町の人々を眺める。あれ程の戦いが有っても、大半の人々はそれを知らず普段の生活を謳歌し、平和そのものという景色。櫻はそんな光景に自然と微笑みが浮かぶ。
だがそんな中から、ヒソヒソとした声が聞こえて来る事にカタリナが気付いた。
「ねぇ、あれって噂の使徒様じゃ?」「あれが? 子供じゃないか。」「いや…あの白髪、神々しさすら感じる…。」「何でも事故で死んだ者を生き返らせたって話だ。」「流石は神の使徒だ。」
遠巻きにサワサワと、しかし隠し切れないその噂話は尾鰭まで付いて町の中に広がっていた。
チラリと櫻の様子に視線を向けるカタリナ。すると櫻もその声は聞こえているようで少々頬が引き攣っているのが見て取れる。
カタリナは小さく『はぁ…』と溜め息を漏らすと、
「アスティア、その服、背中が窮屈だろ? アタイとミコトはちょっと町の中をブラブラしてるからさ、アスティアはお嬢を連れて一旦宿に戻って、服の手直しして来なよ。」
唐突にそんな事を言い出した。
「お、おい、カタリナ?」
「んでさ、手直しが終わったら、お嬢をどっか涼しい処に連れてってやんなよ。」
パチリとアスティアにウィンクをして見せると、アスティアもカタリナが何を言いたいのかを理解したのか、パァッと表情を明るくし、
「うん! ありがとう、カタリナ!」
と元気な声で返事をしたかと思うと、櫻の手を取り駆け出した。
手を牽かれる櫻はカタリナを振り返ると、少し申し訳ないという風に眉尻を下げた微笑みを向けた。
そんな二人の後ろ姿を見送り、カタリナは腰に手を添えて『やれやれ』と肩を竦めて見せる。
「カタリナ? ご主人様は町の中を見て回りたいと仰っていたのに、何故それを邪魔するのです?」
カタリナの隣に寄り添うように並ぶ命が不思議そうに見上げ尋ねた。
「良いんだよ。お嬢は別にそれが目的じゃないんだから。」
「えっ?」
「お嬢は多分、アタイ達に罪悪感を持って欲しく無いんだろうな。だからこうして皆に好きな事をさせて気分転換になればと思ってさ、本当は目立ちたくないのに自分の事は後回しにしてくれるんだ。」
「罪悪感…ですか?」
「あぁ。実際今回の戦いは…お嬢から話を聞いた後じゃ遣る瀬無いモンが有る。まぁアタイはそんなの引き摺る性質じゃないけどね。」
「そうですね。経緯はどうあれ、彼女は魔人と化し人々の害となった。それだけで討伐するには充分な理由となりました。それを後から気に病んでも仕方の無い事だと思います。」
「ハハッ、ミコトはそういう割り切り方が出来るもんな。だけどお嬢はそんなアタイ達の事を気にかけてくれる。全く…自分が一番納得出来てないんだろうにさ。でも、だからさ、アタイも何かお嬢の助けになりたいと思えるんだ。」
既に姿の見えない櫻とアスティアの立ち去った方角に視線を向けたままで、カタリナは気持ちの良い笑顔を浮かべていた。そんな表情を見惚れるように見上げていた命に、不意にカタリナが視線を向ける。
「それに、こうすればアスティアのやりたい事も一緒に叶うしね。」
ニッとキザギザの歯を覗かせ笑顔を見せるカタリナ。その不意打ちのような表情に、命は胸が高鳴るのを感じ、思わず顔を伏せた。
「さて、アタイ達はどっか適当にブラついてみるか。日が落ちる頃に宿に戻れば、お嬢達も事が済んでるだろうしね。」
「…そうですね。」
顔を上げ、カタリナの瞳に視線を向ける命。その表情は色香を含んだ微笑みを浮かべ、カタリナの胸を高鳴らせるのだった。
宿へと戻った櫻とアスティア。
アスティアは早速裁縫道具を取り出し、一旦着ていた上着を脱ぐと、上半身は裸のままでベッドへ腰掛け服の背中部分に鋏を入れ始めた。
『ショキショキ』と音を立てて背面の生地に大きな切れ目が入ると、そこから縁を内側に二つ折りにして縫い合わせる。小さな通し穴を作って、裁縫箱の中に入っていた紐状の端切れ生地を取り出して通すと、穴が広がり過ぎないようにクロスさせて両側を繋ぎ合わせる。
職人のようにテキパキと進むその作業を楽しそうに熟すアスティアの姿を、
(やっぱりこの娘は、こうしているのが一番似合ってるね…。)
櫻はそんな風に思いながら優しい眼差しを向け眺めていた。
「出来た!」
達成感の有る声を上げてアスティアが仕立て直しの済んだ服を両手で掲げる。そしていそいそとそれを着直すと、道具を仕舞うのも後回しとばかりに櫻に身を寄せた。
「えへへ。サクラ様、待たせてごめんなさい。これで何処にだって行けるよ。さ、サクラ様の行きたい処に行こう?」
横から抱き付くアスティア。そんな彼女の頬に櫻も頬を当てると、ヒヤリと気持ち良い。
「ふふっ、そうだねぇ。あたしは特に行く当ても無いんだが…そうだね。折角だ、アスティアが選んでくれないかい?」
「うん! 解った!」
そう言うとアスティアは再び櫻の手を取り部屋を飛び出す。
宿を出ると櫻を背後から抱き締め、背中に大きな羽根を生み出し一気に飛び上がった。
『バサッ、バサッ』と音を立てる度にグングン地面が離れて行く。顔を上げれば幾人かの鳥人族の者が忙しそうに飛んでいる以外には遮る物の無い解放感の有る世界が広がっていた。
遠く北には点々と採石場が見え、今も沢山のドワーフ達が仕事をしている。西に目を向ければ連なる険しい山々と、煙を吐きだす大きな山。そして東には大海原が広がり、遠くに島々が霞んで見えていた。
「広いねぇ…。」
「うん。」
「こんなに広いと、人は…命はちっぽけなものに思えちまうね。」
「でも、サクラ様はそうは思ってないんだよね?」
櫻を抱き締めるアスティアの腕にキュッと力が込められた。櫻はその腕にソッと手を添えると、何も言わず肩越しにアスティアの頬にその手を伸ばし優しく添えた。アスティアもまた、その掌の温もりを堪能するように頬擦りをする。
するとその時、アスティアは町の南側の海岸沿いに、少しばかりの崖に囲われ隠れるように存在する、入江状になった人気の無い小さな砂浜を見つけた。町からも結構な距離が離れており、一般の人々は中々気軽には足を運べないであろう場所だ。
「サクラ様、あそこ行ってみよう?」
そう言ってアスティアが身体の向きを変えると、櫻も自然とその場所を把握する。
「ん? あぁ、良いね。それじゃアスティア、頼むよ。」
「うん、任せて!」
元気な返事で羽根を羽ばたかせると、スイーと空気を受けて滑空し、砂浜へ降り立った。
その場所はまるで人の手の入って居ない美しい砂浜で、海原は太陽の光を反射しキラキラと輝いている。
太陽の熱を吸収した砂は熱く、地面からジリジリと立ち昇る熱気がまるで南国のビーチを思わせる。するとそんな中でアスティアが徐に衣服を脱ぎ捨て、生まれたままの姿を空気に晒した。
「お、おい、アスティア!?」
「大丈夫だよ、誰も居ないもん。ねぇ、サクラ様。水浴びしよう?」
そう言ってアスティアはタタタと波打ち際まで駆けて行く。振り向き、櫻に大きく手を振るアスティア。その白い肌と金色の美しい髪が海に照り返す光に照らされ輝いて見える。櫻の瞳にはその姿がまるで女神のように映り、思わず見惚れてしまった。
「ね~、サクラ様~!?」
櫻を呼ぶ声にハッとし、
「あ、あぁ。そうだね。折角だ、たまには海水浴も良いか。」
自分に言い聞かせるようにして声に出すと、櫻も衣服を脱ぎ捨てアスティアの元へと駆け出した。ケセランは櫻の頭上からぴょんと飛び降り、風通しの良い日陰に身を隠す。
熱い砂浜から海の中へ足を入れると、海水自体はそれ程冷たい訳でも無い筈なのにスゥーと体温が下がるようで心地良い。足元には小魚が群れを成して泳ぎ、そんな様子を思わず目で追い掛ける。
突然、『パシャッ!』と櫻の身体に水が掛かった。その出処に目を向けると、アスティアが屈んだ姿勢で両掌を水中に沈めて櫻を見上げている。その表情は悪戯心を見せる笑顔を浮かべていた。
「ふふっ、やったね?」
「へへ~♪」
互いが微笑みを向け合うと、次は櫻が水中に手を差し込みアスティアに向けて大きく振り上げた。
『パシャッ!』
櫻の小さな手では余り大量の水を掬い上げる事は出来ないが、それでもアスティアの可愛らしい胸元に水が掛かると、アスティアも気持ち良さそうに笑顔を浮かべた。
「あはは、つめたい! 気持ち良いね、サクラ様!」
そう言いながら今度は再びアスティアが水を掛ける。
「あぁ。良い気持ちだ。」
再び櫻の番。そんな事を繰り返し、時には躱し、追い掛け、パシャパシャと水の中を駆け回ると、楽しい時間はアッと言う間に過ぎ去って行った。
まだ夕暮れという程に陽は沈んではいないが、流石に遊び疲れ息の上がった櫻達は、裸のままで崖の傍に在った比較的平らで大き目の岩の上に身体を横たえ、海風に吹かれながら胸を上下させていた。
「あ~、楽しかった。」
アスティアは微笑みを浮かべ、瞳を閉じて風を感じながら呟く。
「そうだね。こんなにはしゃいだのは久しぶりだ。…有り難う、アスティア。」
顔だけを横に向ける。するとアスティアの瞼がスゥ…と開き、彼女もまた櫻に顔を向けると、何も言わずニコッと明るい笑顔を見せた。
「…っと、そうだ。」
「?」
唐突に思い出したように言う櫻に、アスティアがきょとんとした表情を浮かべる。
「アスティアにはご褒美をあげると言っていたのに、今日まで何もしてあげられてないね。済まなかった。」
「え? あ、うん。」
申し訳無さそうにはにかむ櫻。
「折角だ。どんなご褒美が欲しい? 何でも言ってごらん?」
身体をアスティアに向け、肘を立てて顔を覗き込むように頬杖を突く。するとその言葉にアスティアはパァっと笑顔を浮かべ、ソッと瞼を閉じると両腕を差し出し、控え目に顎を上げて見せた。
その仕草に思わず『ふふっ』と笑みが零れるも、櫻は素直にその期待に応えるように腕の中へ身体を委ね、待ち遠しく震える唇へ自身の唇を重ねた。
ギュッと背中を抱き締めるヒヤリとした両腕。そして口腔内では互いの舌が熱く絡み合う。
『ザザァー…』と、寄せては返す波の音が響く中、櫻とアスティアの耳には互いの呼気と心臓の音、そして官能的に絡み合う水音だけが響き渡り意識が蕩ける。
何度経験しても飽きる事無く、むしろどんどんと深みに嵌って行くようで、櫻は僅かに残った理性を手放してしまいそうになるのを必死に堪えながらも、いつしか自然と互いの身体を重ね合わせるようにして目の前の愛しい存在を全身で感じ取る。
一体どれ程の時間をそうしていたのか。何時の間にか辺りは夕陽の緋色に染まっていた。
「…っはぁ…。」
ツゥーと名残惜し気に互いを繋ぐ糸が、プツリと途切れる。
「…もう良いのかい?」
全身を紅潮させ息も荒い櫻がアスティアを覗き込むようにして尋ねる。それは何処か櫻自身に問い掛けているようにも聞こえる。
「…うん。」
頬を染め、蕩けた瞳で満足気に微笑むアスティア。そんな表情に櫻もフッと微笑みを浮かべると、アスティアの手を取り起き上がる。
服を着て再び岩の上に腰を下ろすと、互いに寄り添うようにして、何をするでもなくただ夕陽を眺めていた。
すると程無くして、アスティアの肩に櫻の頭が寄り掛かる。
「サクラ様…?」
チラリと視線だけを向ける。すると、そこにはスゥスゥと微かな寝息を立てる櫻の姿が在った。
アスティアはクスリと微笑むと、優しくその身体を横たえ自身の腿の上に頭を乗せる。真っ白な髪をサラリと指先で流し、姿を現した可愛らしい頬にソッと手を添えた。
慈母のような眼差しで見つめるその寝顔は、とても安心しきった安らぎに満ちたものであった。