献身・Ⅱ
「サクラ様、あの道具って、あの山の中で見たヤツだよね?」
ギルドを後にして大通りを歩く櫻達。アスティアは櫻の横を歩きながら顔を覗き込むように尋ねた。
「あぁ、恐らく間違い無いだろうね。」
櫻もアスティアの顔を見て頷いて見せると、
「ん? 何の事だ?」
二人の会話にカタリナが不思議そうに口を挿む。
「あぁ、カタリナはあの時は留守番をしてたから現物を見てないのか。ほら、『オートムント』を発った後にさ…。」
そうして櫻がカタリナに話し聞かせると、
「へぇ…そういう事だったのか。」
と納得したように頷いて見せた。
「だとすると、益々彼女…アウルラーネだっけ? の研究とは違う分野だね。その入れ替えの器具を何の為に手に入れたのか、気になる処だ。」
「そうだね…アレを手に入れたのが彼女の意志だったのかすら怪しい処では有るが、そもそもとしてどうやってあれ程距離の離れた魔法使い同士が接点を持ったのか…恐らくその手引きをしたのが、例の『声』だろうね。」
(そしてその『声』…アシュロンの手記に有ったものと同じかもしれない…一体何者なんだ…。)
櫻とカタリナは口元に手を添え『う~む』と唸る。だが結局今推察出来るのはそこまでだ。
「…ま、それは追々考えるとしよう。」
そう言って櫻は顔を上げた。空を見上げて見れば太陽が随分と高い。
「時間が半端だけど、朝食を抜いたからそろそろ腹が減ったね。先ず飯を食ってからドワーフ達の様子を見に病院に行く事にしよう。」
お腹を摩りながらそう言う櫻に、皆は笑顔を浮かべ頷いた。
馴染みになった食堂へ行くと、時間が半端なせいか客の数は少ない。櫻達は選り取り見取りな座席から適当に選んで座ると、壁に並べ掛けられたメニューに視線を向ける。
「アスティア、何かこう…薬草を使ったような料理は無いかい?」
「え? う~ん…。」
突然の注文にアスティアは慌ててメニューに目を滑らせた。そして、
「あ、在ったよ。」
と声を上げた。が、
「…でも、『スピナ』が入ってるみたいだけど、良いのかな?」
少々不安そうに櫻へ視線を向ける。
『スピナ』とはホウレン草に似た植物で、精力剤の原料にもなる程に栄養豊富な植物だ。以前櫻とカタリナが命に盛られた際には目が冴えて一晩中寝付く事が出来なかったという事が有った。その為にアスティアも少々薦めて良いのかを迷ったようだ。
「はははっ、良いよ。今は何だか元気になりたい気分なんだ。それで頼むよ。」
「うん、それじゃコレを頼むね。」
そうして店員に注文を頼むアスティアとカタリナ。櫻はそんな様子を眺めながら何と無しに下腹部を優しく摩った。
既にそこにアウルラーネの魂は居なかった。恐らく櫻が意識を失っている間に浄化が済み、天へと昇った後なのだろう。だが、せめてもの手向けとして彼女が目指すように薬草で元気になって見せようと思う櫻であった。
食事を終えて腹も膨れた処で、櫻達は早速ドワーフ達が運ばれたという病院へ足を向けた。
そこは大通りからは少し路地に入った先に在ったが、大通りからでもその姿が見える程の大きな、5階建てにもなる煉瓦造りの病院だ。正面入り口を入ると直ぐにホールが広がり、今も怪我をした者や体調の悪そうな者達が、それでもガヤガヤと賑やかにしている様子が見える。
「さて…。」
櫻は爪先を伸ばすように人混みの中をキョロキョロと見回し、受け付けを探す。すると、
「こっちだよ。」
そう言ってカタリナが呆れたように櫻を担ぎ上げ肩車をして歩き出した。
「お、おぉ。済まんね。」
「気にすんなって。」
ニッとギザギザとした歯を覗かせて笑みを浮かべるカタリナ。
(あ~…このスベスベの太腿…あんな雑に食い千切っちまって勿体無かったなぁ…。やっぱこういうのは食うよりこうして肌触りを堪能した方が断然良いや…。)
『はぁ…』と溜め息を漏らしつつも首筋に当たる柔らかくスベスベもちもちとした櫻の内腿の感触を堪能するように、少し強めにその脚を押さえる両手に力を込めると、頸動脈が絞まるのではないかと言う程に首筋を締め付け、口元の緩んだだらしない表情を浮かべていた。
そんな事をしながら受け付けまで到着すると、早速ドワーフ達の入院している部屋を聞き出す。身内でも無い者に素直に教えてくれるかは不安であったが、自分達がドワーフ達を保護したという事を伝えると案外簡単にその部屋を教えてくれた。
そこは3階の入院病棟。六人部屋を3つも埋め眠るドワーフ達は、未だに一人も目を覚ます事無く、しかし穏やかに眠り続けて居るという。
「未だ目は覚まさないか…。」
櫻を先頭にして病室へ入る一行。ベッドに横たわる彼等の顔を一人ずつ覗き込んでみる。すると櫻はフと気付いた。
(ん? あの時より顔色が良い…?)
辺りを見ても点滴のように栄養を摂取する設備は無くただベッドに寝かされているだけで、眠り続ける彼等が口から栄養を取り入れる事も出来ない。それなのに洞窟の中で見た時よりも少しばかりだが顔色が確かに良くなって見えるのだ。
「背中の傷はどうなってる?」
「少々お待ちを。」
櫻の声に命が目の前のドワーフを抱き上げ、衣服を捲り上げて背中を見せる。すると、
「…これは…。」
思わず驚きに言葉を失う。
救出時には木目のような傷痕となっていた部分が明らかに小さくなって来ており、その部分に人の肌が再生しているのだ。しかもその境目から見るに、どうやら木の部分から人の細胞へと置換されて行っているようにすら見える。
「あの根は、元々こうなるように仕組まれていたのか…?」
ポツリと呟き、ソッとその部分へ指先を添える。
(あの時彼女には既に意識は無かった…恐らくドワーフ達から養分を吸い取ったあの時には彼等の身を案じていたとは思えない。それでも尚、その芯に有った彼女の想いがドワーフ達を生かす力を残したのかもしれないね…。)
本当の処は判らない。だが櫻は何故かそうなのだろうと確信を持って思えた。それは櫻の中に残り香のように微かに残る、今はもう居ないアウルラーネの気持ちを感じていたからなのかもしれない。そして櫻はその想いを信じ、木目の部分へと手を添えると『活性』の力を流し込み始めた。
するとほんの僅かだが、その木目部分の外周がドワーフの肌の色へと変化したように見えた。それは1ミリにも満たない極小の変化。しかし確実に効果が見て取れる。
櫻はそれに手応えを感じ小さく頷くと、
「よし、全員にこれを続けてみよう。皆、済まないが暫くこの町に滞在する事にするぞ。」
とアスティア達に向き直った。
アスティア達は一度顔を見合わせると、櫻にコクリと頷いて見せ、早速残りの患者達にも『活性』を施し始める。
先ずは少量ずつ。全員に行き渡るようにして『活性』を施し、様子を見ながら光の精気が尽きるまでそれを続ける。精気が尽き意識を失い、次に櫻が目を覚ますと、目の前にはアスティアの慈母のような眼差しが迎えてくれる。
無理はせず、1日に1回意識を失ってはアスティアに目覚めさせて貰う。雨の日も風の日も休む事無くそんな事を何日か続けていると、連日意識を失っては供の者に抱えられ運び出される少女の姿に、何をしているのかと病院の職員達もその様子を覗き見るようになっていた。
そして櫻の、患者に向け優しく温かな光を放つ神秘的な姿に、いつしか病院の中で『彼女こそ神の使徒なのではないか』と噂されるようになっていた事を、櫻達は知る由も無かった。
そんな事を続け、既に15日もが経っていた。
櫻が翳す掌の先、淡い光が照らすドワーフの背中から、スゥ…と木目が消えた。
「…どうだ…?」
一同は固唾を飲んで患者を見つめる。病室の入り口からは沢山の職員達がその様子を遠巻きに見つめていた。すると、
「う…うぅ…ん…。」
命に両肩を支えられて身を起こしていたドワーフの口から、眠りから覚めるような声が漏れ聞こえ、眩し気に眉間に皺を寄せ瞼がピクピクと動いた。
「お、おぉ!? おい、起きたかい!? 自分が誰か判るかい!?」
櫻は思わず肩越しに大きな声で問い掛ける。
「おわぁ!? 何だお前ぇ!? いきなり耳元で怒鳴るな!」
その瞬間、とても今まで眠り続けて居たとは思えない程に腹の底から出る大きな声で、ドワーフは飛び跳ねるように驚いて見せたではないか。
その様子に病室の外から様子を見守っていた職員達も驚き顔を見合わせ、次の瞬間には小さく歓声のような騒めきが起きると病室の中へ雪崩れ込んで来た。
「有り難うございます!」「矢張り本物の使徒様なのですね!?」「神様が救いの手を差し伸べて下さった!」
思い思いに感謝の言葉を述べ群がる職員達。突然の事に櫻達は驚き目を丸くしながら、職員に容体を訊ねられながら何が起きているのか把握し切れていないドワーフの姿に視線を向けると、自然と安堵の微笑みが浮かんだ。
それからは確証が持てた事で治療のモチベーションも上がり、次々に患者へ『活性』を施して行く。
個人差や力の注ぎ斑等により治療の進行具合にバラ付きこそ有ったものの、それからほんの数日の間に次々と回復して行くドワーフ達に、病院は連日歓声が沸き起こった。
漸く全員の回復を終えた櫻達はその事をギルドへ報告に行くと共に、ギルド側で既に進めていた、先に目覚めたドワーフ達からの聞き取り調査の結果を訊ねる事とした。
「…という事でして、彼等に共通するのは、例の偽の使徒と出会った直前辺りから記憶がボヤけ、その後の記憶に至っては何も覚えて無いという事なのです。」
ギルド2階の応接室。再び櫻達と対面するようにソファーに座るギルド長は、大した成果が無い事に申し訳無いという風に汗を拭いながらそう言った。
「矢張り、自我も失った状態だったか…。」
採掘場の中で無心に壁を掘り続けていたドワーフ達の姿を思い浮かべ、小さく溜め息を漏らす。
「ただ、目覚めるまでの間、とても幸せな気分だった気がする…と皆が口を揃えて言うのです。」
「幸せな気分?」
「はい。それが具体的にどのようなものなのかは、本人達にも上手く表現出来ないらしく、ただ『幸せに満たされていた』というのです。中には『神の姿を見た気がする』…という者も…居りました。」
言い辛そうに口籠るその言葉に櫻の眉がピクリと動き、
「…また『神』か…。」
口元に手を添え呟くと、ギルド長はビクリと肩を震わせ背筋が伸びる。蟀谷の辺りからツツーと冷たい汗が一筋垂れ、ゴクリと喉を鳴らし唾を飲み込んだ。神の使徒の眼前で偽の神を語るその畏れ多い恐怖たるや、生きた心地のしないものであった。
だがそんなギルド長の様子に櫻も気付くと、ニコリとした笑顔を向けて見せた。
「分かったよ、有り難う。」
そう言って櫻がスックと立ち上がると、両脇に控えていたアスティア達も釣られて立ち上がる。
「え…もう宜しいのですか…? その、彼等に罰などは…。」
驚きの目を向けるギルド長。
「罰って…彼等は騙されて操られていただけだろう? むしろ被害者、犠牲者と言える者すら居るんだ。夢の中で偽の神を見た程度で罰を与えるなんて、大げさだよ。」
「しかし…い、いえ、使徒様がそう仰られるのであれば、私からこれ以上は何も申しません。寛大な処置、有り難う御座います。」
ギルド長はピシッと姿勢良く立ち上がると、腰を90度も曲げる程に頭を下げた。その余りに堅苦しい態度に櫻は呆れたように苦笑いを浮かべる。
「そうだ、その代わりって訳じゃないんだが、一つ頼まれ事をしてくれないかい?」
その場を立てる為に櫻がピンと人差し指を立てて見せると、ギルド長は驚いたように顔だけを上げて櫻に視線を向け、
「は、はいっ! 何なりとお申し付け下さい!」
と、再び姿勢良く背筋を伸ばして見せた。
そうして櫻が頼んだのは、こうであった。
先ず第一に、病院を中心に広まり始めていた櫻達の噂の修正だ。
病院の中では櫻達がすっかり『使徒』だと信じられてしまっており、それを本人達がいくら否定した処で埒が明かない。
なのでギルドから『彼女達は中央大陸から来た薬売りで、たまたま向こうでも似たような病に効く特効薬が在ったので試してみた処、それが上手く行っただけだ』という風に噂を広めて上書きして欲しいという事だ。
そして第二に、アウルラーネの研究所だった、今は採掘場となってしまった穴の管理をギルドが取り仕切って欲しいという事だ。
あれ程大きな穴となると埋め戻すにしても大きな労力となる。一筋縄では行かないだろう。しかし魔法使いの研究所だった場所だ、下手をすればダンジョンと化してしまう恐れも十分に有る。
その為、その穴の活用方法についてはギルド側に一任するとしても、人の管理が有った方が良いだろうというのが櫻の考えであった。
「そ、それで宜しいのですか…? 新たに誕生した人類の神の威光、それを知らしめる良い機会かと思うのですが…。」
「良いんだよ。新たな神はその姿を見せず所在を知られず、その使徒もどんな姿で何処に居るか解らない方が、あたし達としても活動し易いんだ。その為にアイディの町のギルドにはあたし達の事を内緒にしておいてくれって頼んだんだよ? なのに何時の間にか世界中のギルドにあたし達の容姿が事細かに伝わってるみたいじゃないか。全く困ったもんだよ。」
やれやれという風に両手を上げてわざとらしく首を振って見せると、
「そ、それは申し訳も御座いません! どうかお許しを!」
とギルド長が全身から汗を噴き出さんばかりにして頭を下げる。
「はははっ、それはもう良いんだよ。そのお陰でこうしてイザという時はギルドを頼る事も出来る。結果としては助かってる事の方が多いんだからね。だから頭を上げておくれ。」
余りに過剰な反応に櫻は少々引き気味に頬を引き攣らせ苦笑いが浮かぶ。
「でね? 話を戻すが、あたし達の事を知ってるのはギルド関係者だけに留めて置いて欲しい。町の人達には、あたし達を普通の小娘として素の顔を見せて欲しいのさ。そういう思惑も有って、まぁ騙すようで良い気もしないが正体は知られたくないんだ。」
「な、成程…。」
どうやら納得行ったようで、ギルド長は汗を拭いながらも頷いて見せた。
「そういう事でしたらお任せ下さい! 必ずや使徒様方のご期待に応えられるよう、全力で事に当たらせて頂きます!」
ドンッ! と力強く胸を叩いて見せるギルド長に、櫻達は顔を見合わせ笑顔を浮かべた。