アウルラーネ
林の中に隠されるように存在した地下への入り口。それはそう古くも無く人の手で掘られたような穴であった。
内部も人が歩き易いように地面は均され、穴の径も余裕を持って作られており、所々には切り出した石を使った柱による補強も見られる。
「こりゃまた、木材じゃなく石でこんな柱を作れるとは凄いねぇ。」
それは大小様々な岩を軽く加工し、嚙合わせるような形状にして一本の柱にするという技法であった。そっと手を添えてみるが、その柱はビクともしない。
(日本の古い建築物の木製の柱の補修なんかでこういう技法は見た事が有ったが、まさかそれを石でやるとは。)
感心しながら奥へと向かうと、徐々に土の匂いが濃くなり、やがて外からの光は届かなくなった。
「ランタンを持って来なかったのは失敗だったねぇ。」
櫻は掌の上に淡い光の玉を浮かび上がらせ辺りを見回す。万が一敵対者が潜んでいた場合に先手を取られないように、光量は控え目だ。
穴はどんどんと深くなって行き、まるで地の底を目指しているかのようであった。しかしどれ程下りた頃か、穴の奥から『カーンカーン…』と堅い物がぶつかり合う音が聞こえて来た。それと同時に薄っすらとした明かりが見え始る。
櫻は光の玉の光量を互いの顔が辛うじて認識出来る程度まで絞り、皆に振り向くと小さく頷く。皆もそれを受けて頷き返すと慎重に歩を進めた。
そぅっと覗き込むようにしてその音の出処を窺う。するとそこには、巨大な人工の空洞が出来上がっていた。それはドーム球場かと言う程に広く、中では点々と地面にランプを設置して明かりを確保しているものの、その明かりが届かぬ程に高い天井はまるで闇夜に続くかのようだ。
そんな空間の中でドワーフ達が一心不乱にツルハシを振り、穴を広げ続けて居る様子が見て取れる。
「案の定…って処か。」
「だけどドワーフ達だけみたいだね。例の『使徒』は何処だ?」
櫻の頭の上から覗くカタリナがキョロキョロと周囲を見回すが、話に聞いたエルフの女らしき者の姿は見当たらない。
「サクラ様、どうする…?」
声を発する事も無く、ただ只管に同じ動作を繰り返し穴を掘り続けるドワーフ達の姿に空恐ろしい物を感じ、アスティアは思わず櫻の腕に縋る。
(今出て行ってドワーフ達を解放したとしても、大本の『使徒』を何とかしないとな…それにアレはまるで催眠術にでもかかってるみたいだ。まともに声をかけて反応が有るかも怪しいぞ?)
どうしたものかと考えを巡らせる櫻。すると、一人のドワーフが突然バタリと倒れてしまった。
「!?」
櫻は思わず飛び出しそうに一歩踏み出す。しかしその時、洞窟の中に声が響いた。
『皆様、お疲れ様です。さぁ、我らが神からの恵みをお受け取り下さい。』
若い女の声だ。それは優しく穏やかで、人の心にするりと入り込むような妖しさを秘めていた。ドワーフ達はその声にピタリと労働を止めると、僅かに空間の中央側に集まり、天を仰ぐかのように両手を広げ洞窟の天井を見上げた。
そして洞窟内に響いたその声の反響が収まった次の瞬間、ドーム状に掘られていた天井の中心部分から『パァッ』と、スプリンクラーで噴霧するかのように液体が降り注がれたではないか。
それは働き続けていたドワーフ達、そして倒れたドワーフにも降りかかる。すると彼等は、まるで今働き始めたかのように溌剌とした動きを見せ、倒れていたドワーフまでもが元気を取り戻し作業を再開し出したのだ。
その様子に櫻はキッと天井を見上げる。ランプの灯りも届かず薄暗い闇の中目掛け、光の玉を生み出し投げ付けるように届けると、そこには天井から逆さまに生える巨大なミシュの木のような物が浮かび上がった。だが今まで見て来たミシュの木とは明らかに違う。その幹は巨木の如く余りに太く逞しい。
更にそれは、植物と言うには余りに異様で、血管が通っているかのように幹から葉に至るまで太い筋が浮かび上がり脈動しているように見える。
『何者です?』
再び女の穏やかな声が何処からともなく響く。しかしドワーフ達はそれに何の反応も示さず黙々とツルハシを振り続けて居る。
櫻達は顔を見合わせ互いに頷くと、空洞の中へと姿を晒した。
「お邪魔するよ。」
『子供…? どうやってこの場所まで? 迷い込んだのでしたら悪い事は申しません、今すぐ立ち去りなさい。此処は貴女方のような者には関係の無い場所ですよ。』
櫻の姿に一瞬驚いたような声色を滲ませたその声であったが、直ぐに先程までの落ち着いた口調へと変化した。
「いやいや、折角噂の『使徒様』に一目お目にかかりたいと此処まで来たんだ。良ければその御尊顔を拝見させてくれないかい?」
天井に向けて声を上げる櫻。
『…では、貴女方にその資格が有るか、試させて頂きましょう。』
女の声がそう言うと、天井から生えたミシュの木のような物からブワァと、水のように透明な液体が霧雨のように降り注いだ。そしてそれが櫻達へと降り掛かると、アスティアとカタリナに異変が起きる。
「うぅ…何か頭がクラクラする…。」
「っ…!? 何だコレは…!?」
二人は頭を抱え足元をフラ付かせた。
「アスティア! カタリナ! どうした!? 大丈夫か!?」
慌てる櫻。だが、
「う、うん…少し眩暈みたいなのが有っただけ…。」
「あぁ、アタイもだ。身体に深刻な異常は無いよ。」
と何事も無かったかのように櫻に苦笑いを浮かべて見せた。その様子に櫻はホッと安堵の息を漏らす。
しかし、
『…貴女方にはこの場に留まる資格は無いようですね。そしてそこの少女…貴女方の存在は神に仇成す危険性が有ります。よって、この世から排除させて頂きます。』
恐らくは櫻と命に向けてであろう、突然に女の声が不快感を顕わにし、それと同時に天井から無数の植物の根のような物が生えたかと思うと、それらが櫻達目掛けて襲い掛かって来たではないか。
「うぉ!?」
触手のように自在にうねるソレらは、的確に櫻達を串刺しにしようとするかのように鋭い先端を差し向けて来る。櫻は紙一重でそれを躱すと片腕を振り上げ『風の刃』を放った。するとソレは思いの外呆気なくスッパリと切断され地面へと転がり、僅かにピクピクと蠢いた後に沈黙した。
「何だ? 意外と脆いね。」
呆気に取られる櫻。だが問題はその数だ。
「お嬢、そんな悠長な事言ってる場合じゃないぞ! 数が多いし倒しても次から次へとどんどん沸いて来やがる!」
カタリナが言うようにその数は数え切れず、手足を総動員して漸く身を護る程度に捌ける有様。更には切り口から新たに先端が生え再び襲い掛かって来る。櫻はその根元を辿り憎々しい視線を向ける。
「ちぃ! 二人共、血を飲んでしまいな! 先ずアレを何とかしないと話もさせてくれなさそうだ!」
「うん、解った!」「了解だ!」
櫻が風の刃を放ち襲い掛かる根を切り払う内に、アスティアとカタリナは腰に下げた水筒を一気に飲み干す。
戦闘態勢を整えると、アスティアは4枚の羽根から鎌鼬を放ち襲い来る根を切り払い、カタリナの爪の真っ赤な炎が焼き払う。しかし、
「くそっ…本体に攻撃が届かないと埒が明かないね…。」
いくら根を始末し続けてもその攻撃が止む事は無く、徐々に櫻達が疲弊して行く。
「済みません、私が弓矢を持って来ていれば…。」
命が申し訳ないという風に呟く。元々戦いをするつもりは無かった今回の調査。話し合いが前提だっただけに武器を持っていては警戒心を持たれると、敢えて弓矢は荷車の中へ置いて来ていたのだ。
「なに、武器を置いて行こうと言ったのはあたしだ。気にするんじゃないよ。それより、あたしがあの本体にデカいのを撃ち込む。命はそれまであたしを護っててくれ。」
「はいっ、お任せ下さい!」
風の精気を練り上げ始める櫻を護るように命は両腕を巨大な盾へと変化させ、襲い来る鋭い根をガンガンと音を立てながら弾き返す。
すると、その様子に根の動きがまるで驚いたように乱れたではないか。
『その身体…まさか、神の器…!?』
女の声が動揺を顕わにする。しかし、
『いいえ、そんな筈は有りません…! それは私が神様へ捧げるべき物…私以外の者がそれを生み出すなど、有ってはなりません!』
再び勢いを持って根が襲い掛かって来る。それは今までよりも更に激しさを増し、大部分の攻撃は命へと集中し始めた。
「アスティア! 道を作ってくれ!」
「うん! 分かった!」
櫻の声にアスティアが大きく羽根を扇ぐと、最大級の鎌鼬を振り撒き根の触手を切り払い、天井から生える妖木までの道筋を作り上げた。その瞬間を逃さず櫻は命の陰から飛び出すと、全身のバネを使うかのように全力で両腕を振り上げた。
するとその両手の先から激しい風が渦を巻き、一直線に妖木目掛けて放たれた。本体を護ろうと根がその進路に集まるが、それらはバリバリと音を立て引き裂かれるように辺りへ降り注ぎ、遂に風の渦が本体を包み込みその根元の天井を崩し始める。
『キィヤアァァァァ!!!』
突然、女の悲鳴のような声が響き渡った。そして崩れた天井からメリメリと妖木の根が剥がれると、風で切り刻まれ傷だらけになった妖木は全体から白濁とした半透明の樹液のような液体を噴き出しながら地面へと落ちて行く。
「やったか!」
カタリナがグッと拳を握り締めその様子を見つめると、『グチャァ!』と、とても樹木とは思えない音を立て妖木は地面へと叩き付けられた。
しかしそれでも未だ妖木はビクビクと全身に巡る血管のような筋を脈動させ、根がズリズリと動き出す。そして立ち上がったかと思うと、何とクローバーのような四つ葉の中央が『くぱぁ』と開き、中からズルリと何かが姿を現したではないか。
それは半透明の白い粘液に塗れた裸の女、その上半身であった。ヌラヌラとした粘液が包み込むその姿は、若草色の長い髪を持つエルフの女のようだ。
『おのれ…神の使徒に仇なす不届き者…貴女達には神の裁きが下るでしょう!』
苦し気に身を震わせ、樹木部分からは未だに樹液…いや、体液が噴き出すように漏れ出て居る。既に戦いは決着したと見て良い状態であった。
「こ…この木…いや、コイツが『使徒』だったのか…! まさかこんな変異をして尚使徒を名乗るとは…!」
異形の姿に驚きを隠せない櫻。その前にアスティア達が進み出る。
「何が使徒さ! 魔人になってドワーフ達を操って、そんな事を神様が望んでるとでも言うつもりなの!?」
「いっそその神様をアタイ達の前に連れて来て欲しいもんだね。もしそんな事が出来るなら甘んじて裁きでも受けてやろうじゃないか。」
強く睨み付けるアスティアとカタリナ。命は櫻を護るように控える。そんな様子に魔人は『ふぅ…』と、何かを憐れむかのような眼差しを向け小さく溜め息を漏らした。
『何という無礼者達…『神の水』が効かなかったのも頷けます。』
その声は何処か悲し気に櫻達に向けられた。
(何だ、コイツは…? 何かにつけて神、神と…。魔人としての我欲が見受けられない…。)
今までに出会って来た魔人達と比べ、余りに言動や行動が違う目の前のソレに、櫻は戸惑いながらも既に話の通じる段階では無いと読心術を試みる事とした。
そして見えて来る魔人の記憶。
女の名は『アウルラーネ』と言った。彼女は元々この洞窟を研究所としている魔法使いであった。だが彼女の研究する魔法とは自らの私利私欲では無く、多くの肉体労働者達を癒す為の万能薬を創るという崇高な物であった。
彼女は林の中に生える様々な薬草を摘んでは組み合わせや分量の妙に頭を悩ませながら研究に勤しんでいた。そして研究所としている穴の傍らには一本のミシュの木。
それは彼女の目指すシステムに必要な植物。開発した万能薬をミシュの木を使い噴霧する事で多くの労働者達を効率良く癒す事が出来ると考え、薬品の開発と共にミシュの木の改良も研究していた。
そんなある時、林の中で薬草を摘んでいたアウルラーネの耳に人の声のような何かが聞こえて来た。
(こんな林の中に?)
彼女は不思議に思いながらも、街道から外れた旅人が迷ったのかと声のする方へと向かってみる。だがその方角は自身の研究所の方向だ。研究所の中に迷い込まれては大変だと慌てて足を早めるが、到着してみてもそこには誰も居ない。
聞き間違いか気のせいだったのか…長く人と話をしていない事で幻聴でも聞こえたのかと、フッと自嘲するアウルラーネ。
だが突然、その背後から再び声が聞こえた。いや、それは脳内に直接響くような声だった。だがその声の出処だけはしっかりと認識出来るのだ。驚き振り向くと、何と研究に使っていたミシュの木から声がするではないか。そして驚きの表情で目を見開く彼女の前でミシュの木は言った。
『私は人類の神。だが今は未だその世界へ降り立つ為の肉体を持たない為に、この木を使い声を届けている。私は其方を見ていた。其方は他者を慈しみ、その為に我欲を捨て去る事の出来る素晴らしき者。よって、私の使徒となる事を認めよう。』
その声にアウラルーネは身構えた。それはそうだろう。突然に自分の研究対象であった木が人類の神を名乗ったのだ。疑う方が正常な反応だ。
だが困惑する彼女を前に、更に驚くべき事が起きる。目の前のミシュの木が、植物とは思えない柔軟性を持ってうねるように動いたかと思うと、幹の天辺、葉の中心が『くぱぁ』と口を開くようにしてアウルラーネに襲い掛かり、そのまま頭から飲み込んでしまったのだ。
そこでアウルラーネの記憶は一度途切れ、次に流れ込んで来た記憶はまるで別人のようになっていた。
彼女は森の中で目覚めると『神の使徒』となっていた。神の声を聴き、神に仕え神の為に働く。神の言葉が絶対であり、それを疑う事は無い。そのような意識へと変貌を遂げていたのだ。
(何だこれは…!? まるで洗脳されているようだ…。)
アウルラーネから流れ込む記憶に違和感を覚える。更に記憶を読み進めようとする櫻。だがその時だった。彼女の記憶が、意識が霧の中へ隠されるように消えて行く。
『あ…あぁ…か、神…カミ…カミ ノ カラダ ヲ…。』
ハッとし、櫻がその声に顔を上げると、一瞬、アウルラーネの背後に黒い靄のような物が見えた気がした。すると既に力無く死に体だった筈の彼女の身体が天を仰ぐかのように仰け反り、ビクビクと痙攣のように蠢き出したかと思うと、それと同時に周囲に力無く項垂れていた木の根がズルズルと動き始めたのだ。