ミシュ
(さて、ああは言ったものの…結局現状は相手の居場所を掴まない事には始まらん訳だよなぁ…。)
薄っすらと瞼を開き、寝顔を覗き込んでいたカタリナと視線を合わせる。
「よ、おはよう。」
「あぁ、おはようさん。」
眠い目を左手で擦り、そのまま腕を伸ばして眠気を吹き飛ばす。そして右側を見ると、未だにスゥスゥと眠気を誘う可愛らしい寝息を漏らすアスティアの姿。
「アスティア、もう朝だよ。」
優しく肩を揺すり声を掛けると、
「ぅ…うぅん…。」
何処か艶めかしい声を漏らし、スゥ…と金色の瞳が姿を見せ、櫻と視線を合わせるとニコリとした微笑みを浮かべた。そしてそのまま櫻がヒヤリとした身体を抱き寄せると、自然と重なり合うようにして首筋へ唇を被せ、吸血となる。
そんなアスティアのスベスベとした背中に手を滑らせながら部屋の中へ視線を向けると、命の姿が見当たらない。
「ん? 命はどうした?」
不思議に思い、櫻とアスティアの姿をだらしない表情で眺めているカタリナに尋ねてみる。
「あぁ、ミコトなら何か調べたい事が有るとか言って、珍しく一人で出て行ったよ。」
「へぇ? そりゃ確かに珍しい。」
少々驚き、思わずアスティアの柔らかなお尻をキュッと揉み上げると、その身体がピクンと跳ねた。
(だが、そうやって自分の判断で行動出来るようになって来たのは良い事だ。)
フフッと微笑む櫻。するとアスティアが首筋から牙を抜き、『む~っ』とした表情で櫻の額にコツンと額をくっつけた。
「あはは…ごめんごめん。あんまり触り心地が良くてつい…。」
申し訳ないと苦笑いを浮かべる。すると、アスティアの唇が櫻の唇に覆い被さり、その中で熱い舌がペロリと舐めた。
「おかえし!」
そう言ってニコリと悪戯な笑みを浮かべるアスティアに、櫻は目を丸くして頬を染める。そしてチラリと横に視線を向けると、そこには目を皿のようにしてその様子に見入るカタリナの姿が在った。
「あ…あ~…それで、その、命は一体何を調べに行ったんだい?」
誤魔化すようにコホンと咳払いをし、話題を逸らす。
「え? あ、あぁ。特に何って言ってた訳じゃないから良くは判らないけど、そんなに遅くなる事は無いって言ってたよ。」
涎の垂れかけただらしない顔をキリリとさせ、カタリナも背筋を伸ばす。
するとそこに丁度扉が開き、命が姿を現した。
「おはようございます、ご主人様、お嬢様。」
二人のいつもの姿に命は頭を下げる。
「あぁ、おはよう。何か調べ物が有ったとか? 何処に行ってたんだい?」
櫻とアスティアは互いを支えるように身を起こし、カタリナに差し出されたワンピースを頭から被るとベッドの縁に腰かけた。
「はい。昨日の話に少々気になる事が有りましたので、町の人達から情報を聞き出して来ました。」
「情報?」
「はい。昨日聞いたあの話なのですが、私の知識の中に同じような効果を齎す薬草の組み合わせが有りまして、この近辺にその草が生えている場所が無いかと訊ねてみました。」
「へぇ、それで結果はどうだったんだい?」
「はい。結論としては、この町から南の『マッカリ』へ向かう途中に通る林の中に生息する事が確認されました。ただし、私の中の知識と昨日の話から聞いた効果には多少の差異がありますので、それが同一の物であるという保証は出来ません。」
報告を終えペコリと頭を下げると、命はその場で両手を正面に揃えて姿勢良く控える。
「ふむ…。」
その報告に櫻は口元に手を添え考えを巡らせた。
(そういえば地球でも、古代人は薬物を用いてトリップする事によって『神』と交信したと言う説が有ったな。ひょっとするとそういう事なのか。となると、例の『使徒』はその効果を確信犯的に利用して何かの為に人を集めているという事か…?)
「よし!」
『パンッ』と気持ち良い音を立てて櫻は自らの太腿を叩くと勢い良く立ち上がった。
「その薬の材料が採れる場所の近くに例の『使徒』が居る可能性は高い。待ち構えるよりコッチから出向いてみるとしよう。」
その言葉にアスティア達も頷き、一同は早速と宿を出る。だが、その直後に櫻とカタリナの腹から『ぐぅ~』という音が揃って聞こえた。
「ははっ…取り敢えず朝飯だねぇ。」
思わず音の出処に手を添えて頬を染める櫻に、カタリナも釣られて笑みが浮かぶ。
「あぁ、そうだな。今日はたっぷり動く事になりそうだし、腹一杯食って行かないとね。」
こうして馴染みになった食堂へと向かい、相も変わらず賑やかな店内にもすっかり慣れたように食事を済ませる櫻達であった。
先ずは町の南口へと向かう。暖かい地方独特の緑の濃い植物が、海の匂いに負けない程に香り立つ草原が広がり、点々と生えるミシュの木や『マナナン島』の森の中でも見かけた木々が此方でも見受けられる。
櫻はアスティアに身体を預けると『風の意識』となって空から道の先を眺める。すると、林と呼べる程の場所は結構な遠方に見られた。
(ふむ…空を飛べば8鳴き程度という処か…。)
意識を戻した櫻がその事を皆に伝えると、早速櫻の周囲へと集まり、その身体がふわりと風に包まれ地面を離れる。
「この感じも久しぶりだね。『ライタリア・ダウ』に向かう時には風が冷た過ぎて大変だったけど、こっちは暖かいから気持ち良い位だ。」
頬を撫でる風にカタリナは気持ち良さ気な声を上げながら流れる景色を眺める。
「そうだねぇ。もう冬に入ってる筈なのにこんなに暖かいなんて、流石は火の主精霊の近くだね。」
しみじみと零す櫻。
「そうだな。でも冬でこんなに過ごし易いんじゃ、夏になったら一体どれだけ暑いのか考えたくも無いや…。こっちに来たのが今で本当に助かったよ。」
カタリナはそう言うとげんなりとした表情を浮かべて見せた。
「ふふっ、暑いなら暑いなりに地元の人達の知恵が有るもんさ。また別の季節に来てみるのも良いねぇ。」
「ハハハ…それまでに暑さに慣れる修行でもしておいた方が良いかね…?」
苦笑しか浮かばないカタリナ。そんな様子に皆の楽し気な笑いが空に響いたのだった。
林までの道中はミシュの木が点在し、そこを中心として草叢が形成され草原が出来上がるという開けた土地が続いている。
「あの木は本当に点々と生えてるんだねぇ。」
「はい。ミシュの木は地中の水分を多く吸い上げ、それによって生み出される霧によって自身を守る生態をしています。その為に、競合する根を深く張るような樹木が茂る場所には生える事が有りません。」
「成程ねぇ。上手く環境に適応した結果って訳だ。」
命の説明を聞きながら独自の進化を遂げたこの世界独特の植物に関心し、その生命が広がる大地を眺めながら飛行速度を上げる。そうして程無くして目的の林が眼下に見えて来た。
「ふむ、ここが例の林か。」
一度全体を軽く見回し、スゥと林の入り口となる街道の傍へ降り立つ櫻達。空から見た様子でも意外に広いその林であったが、木々の密度はそれ程でも無く地面へも心地よい日差しが射し込み草花が生い茂っている。
辺りに視線を流す一同。すると何かに気付いた命が徐に数歩その中へ足を踏み入れると、草を掻き分けしゃがみ込み、地面に生えていた草を一つ引き抜いて見せた。
「これが私の知る薬の原料となる薬草の一つです。主に身体に少量の痺れを齎し、感覚を鈍らせる働きが有ります。」
ギザギザとした堅い葉を持つその植物を指先でクルクルと回しながら説明をし、更に周囲に目を向けると再び林の中へと入って行く。
「此方は強い興奮作用の有る薬草です。『スピナ』よりも強力ですが、摂取の分量によっては強い幻覚作用が有るとされ、心臓への負担も強い事から取り扱いが難しく一般に普及する事も無い物です。」
プツリと摘み採って見せるそれは、何処にでも有るような何の変哲もない葉っぱのよう。
そんな命の知識に櫻は感心し、『うむ』と自然に頷いた。
「成程ね。そういう物を組み合わせれば、何某かの薬が出来上がるって訳だ。」
「はい。ですが、『神の存在を理解する』という点について、私の知識では思い当たる植物が存在しません。申し訳ありません。」
「なぁに、それは追々『使徒様』から聞く事にするさ。さて、それじゃ早速中を探してみるとしようじゃないか。」
こうして櫻の号令で林の中へと踏み入る事となった。
結構な広さの有る林の中。それでも視界は有る程度通る為に四人は各々の姿が確認出来る程度に間隔を開けて進む。
「なぁお嬢。空から見ればもっと楽なんじゃないのか?」
ガサガサと下草を踏みながら、視線は周囲に注意深く向けつつカタリナが問う。
「いや、下りる時に林を軽く見回してはみたが、誰かが生活しているように不自然に空いている場所は見当たらなかった。行方不明になっているドワーフ達の事も有るし、もし集団で生活するならそれなりに土地を使う事になる。そう言う点から少なくとも堂々と住処を晒しているとは考え難い。」
「じゃぁこの林の中には住んで無いとか?」
アスティアの声が少し遠くから聞こえる。
「その可能性も否定は出来ないがね。だがこういう視界を遮る環境でも無ければ誰かの目に付いて、とっくに『使徒様』の家は知られて居る筈だろう? 材料が採れるこの林からそう離れているとも思えないし、あたしならこの環境は持って来いだと思うね。」
「となると、怪しいのは地面か。洞窟でも在るのかね?」
「それが一番現実的かねぇ? ともあれ、今の処はこうやって地道に探すしか無いさ。」
そう言って櫻は腰程までも高さの有る草を掻き分けながら前へと進むのだった。
林の中を進み、既に辺りから刻鳥の鳴き声が6度程も聞こえていた。
「全然見つからないね~…。」
林の中、ミシュの木の根元に腰を下ろし、櫻達は一休みしていた。櫻とアスティアは流石に疲れたように互いに凭れ掛かり、カタリナはその間に林の中に生る黄色い果実を摘んで来てそれを櫻へ手渡した。
「お、済まないね。」
「あぁ。それよりどうする? まだ探すか?」
「う~ん…そうだねぇ…。今回はあたしの予想が外れたかもしれないし、もう少しだけ探して見つからないようなら今日は引き揚げるとしようか。」
そう言って貰った果実に齧り付くと、それはシャリッと洋梨のような食感を持つパイナップルのような味。甘味と酸味、そしてたっぷりの水分が疲れた身体を癒してくれる。
アスティアにも血をあげる為にと抱き寄せると、その肩越しに林の中を見渡した。
(総合的に考えればこの林の中が怪しいと思うんだがなぁ…一つの考えに固執するのは良くないが、他に思い浮かぶ候補が無い…さてどうしたものか…。)
ふぅ、と溜め息を漏らす。すると首筋から牙を抜いたアスティアが櫻の顔を覗き込んだ。
「ねぇサクラ様。ちょっと空の散歩、しよ?」
「へ? どうしたんだい? 突然…。」
「えへへ…。」
アスティアはニコリと微笑みを浮かべると、背中に4枚の羽根を生やし、徐に櫻を背後から抱き締めそのまま空へと飛び上がった。
「お、おい、アスティア!?」
驚きの声を上げる間に、眼下には二人を見上げるカタリナと命。そしてそこから更に視界を周囲に向ければ広がる広い林。その外側には広大な土地が広がり、遠方には雄大な山々や町の影も見える。
「サクラ様、いつも一人で悩んでばっかり。たまにはボクにも何かさせて?」
少し拗ねたような声が櫻の耳元に掛かった。
櫻はその言葉に少しばかり驚いたような表情を浮かべる。が、
「アスティア…ふふっ、そうだね。一人で悩むより二人で悩んだ方がきっと良い答えが出る。」
ヒヤリと気持ちの良い頬にソッと手を添え、優しく撫でる。
周囲に目を向けると広がる景色を眺め解放感を覚える。そして再び林へ視界を戻すと、フと何か違和感に気付いた。
(…?)
そしてハッとする。林の中に巨大なクローバーのような木、『ミシュ』が不自然に生える箇所が在るのだ。
本来ならば開けた土地に点在し一つの環境を作り出すそれが、まるで円を描くように配され林の木々に紛れ存在しているのだ。
「アスティア! あれだ!」
「うん!」
櫻が指差すと、アスティアも頷き真っ直ぐにその円の中心へと向かい降り立つ。林の中からそれを見上げていたカタリナと命もその動きを追った。
円の中心に下りた櫻とアスティアは辺りを見回した。周囲は何の変哲も無い林だが、その中心地はよくよく見てみると何処か景色が陽炎のように揺らいで見える。
「お嬢、何か見つけたのか?」
カタリナ達もガサガサと音を立て駆け付けると、櫻はそれに頷いて見せた。そして揺らぐ景色へ向けて手を翳すと、その地点を中心として風を巻き起こした。
すると、今まで見えていなかった霧が掻き消されるように辺りに散り、それが有った場所にはポッカリと、地下へ向けて傾斜した大きな穴が口を開けているではないか。
「光の精霊術のように景色を歪ませて隠していたのか…。だがコレは精霊術じゃない、恐らく魔法だね。」
その地点を囲う様に不自然に周囲に生えるミシュの木に視線を向ける。
「じゃぁ、偽物の使徒の正体は魔法使い…?」
「そう見て間違いは無いだろうね。後はソイツの目的が何かって事か。」
地下へと続く穴を見つめ、皆に一つ頷いて見せると櫻はその中へと足を踏み入れた。