採石場の風景
翌朝。
「さて、それじゃ今日は例の21採石場とやらに行ってみるとして…カタリナ、場所は判るかい?」
ベッドの上、一糸纏わぬ姿でアスティアに朝食を飲ませながら、肩越しに櫻が問う。
「いや、流石にそういう流れになるとは思ってなかったから、そこまでの話は聞いて来てないね。」
カタリナはベッドの上に胡坐をかいて座ったままで、少し済まなそうに肩を竦めて見せた。
「まぁそりゃそうか。となると、先ずは場所の把握からだが…さて何処から攻めるか。」
そう言うと櫻はアスティアのサラサラの金髪を優しく撫でながら天井を仰いだ。すると、
「まふぃおひほはひはらひっへふんひゃはひほ?」
唐突にアスティアが首筋に噛み付いたままで何かを言うと、本来なら痛い筈の首筋だがヴァンパイアの唾液によって快楽だけが強まり、脳髄に直接響くようなゾクゾクとした快感に櫻は頬を染めてブルリと身震いする。
「そうだね、確かに町の人に聞いてみれば手っ取り早いか。」
クスリと微笑みアスティアのすべすべとした背中を撫でると、アスティアもにこりと微笑みを浮かべ吸血を再開した。
その余りに自然に成立した会話にカタリナと命は感心したような表情を浮かべつつ、
「それじゃ朝飯のついでだし、昨日の食堂に行って誰か適当なヤツに聞いてみるとするか。」
と言うと、ポンッと太腿を一叩きして立ち上がり、ウキウキと今日の櫻達の衣装を引っ張り出すのだった。
櫻とアスティア、お揃いの真っ白な半袖のワンピースを身に纏い、髪はポニーテールにして首元も涼し気な姿で町を歩くと、周囲の人々も可愛らしいものを見るように温かな目を向ける。
そんな町の中は、偽の使徒が現れている事等さして感心の無いように平和そのものだ。
目的の食堂に到着すると店内は朝から賑わいを見せていた。どうやらこれから仕事に出る者達が腹ごしらえに来ているようで、まるで鉄火場のような騒がしさだ。
空いている席を探してキョロキョロと辺りを見回すと、そこに見覚えの有る顔を見かける。それは昨日使徒の噂話を尋ねたドワーフ達であった。
彼等はガツガツと、米の代わりに砂を使った炒飯のような料理を掻き込みながら、賑やかに食事をしていた。
「丁度良い、あそこに相席させて貰うか。」
櫻の言葉にカタリナが頷くと、早速彼等の元へ歩み寄り声を掛ける。
「よぅ、ここ良いかい?」
ドワーフ達はその声にカタリナの姿を見上げるようにして視線を向けると、
「おぉ、昨日の姉ちゃんか。遠慮なんて要らねぇよ、ほれ、座んな。」
と椅子を引いてくれた。
櫻達は席に着くと、櫻とカタリナは適当に注文を済ませ、アスティアと命は先に食事を済ませているという事にした。
「アンタ達、これから仕事かい?」
食事を終え水をゴクゴクと飲み干し、軽く膨れた腹を摩るドワーフ達にカタリナが尋ねる。
「あぁそうだよ。今日も元気に石掘りだ!」
まるで楽しい事のように溌剌とした笑顔で言うドワーフ達に、櫻は思わずクスリと笑みが浮かぶ。
「良かったらアタイらも、その現場に行ってみて良いかい?」
「「へ?」」
突然の申し出にドワーフ達は目を丸くしてカタリナに視線を集めた。
「あ、あぁ…別に良いがよ? 何も面白いもんなんて無ぇぞ?」
「あはは、いやぁ、この子が採石の仕事がどういうものなのか興味を持ってね。ちょっと見学させて欲しいのさ。」
カタリナが小さく櫻を指差して見せると、今度は全員の視線が彼女に集中する。櫻は突然振られ、思わず苦笑いを浮かべると人差し指で頬をひと掻きした。
「へぇ? 『人間』の子供が随分妙な事に興味を持つもんだな。見たって何の足しにもならねぇと思うぜ?」
ドワーフ達は奇異な者を見るように櫻を見る。しかし彼女はそんな視線に『チッチッチッ』と、人差し指を立てて小さく振って見せた。
「いやいや、知らない事を知る事は充分に『足し』になるさ。例えその知識を自分で使う事は無かったとしても、知らないよりは知っている方が良いに決まってる。」
そう言って目の前に運ばれた来た料理にペロリと唇を舐める少女に、ドワーフ達は驚いたようにポカンとした表情を浮かべる。
「さて、頂きます。」
早速料理に手を付ける櫻。カタリナの注文した山盛りの肉も到着し食事を始めると、ドワーフ達は席を立ち始めた。
「それじゃ俺達はもう仕事に行くぜ。現場に来たかったらこの町の北口から出て…。」
採石場までの道のりを手短に話すと、その集団の代表なのであろう、昨日も話を聞いた跳ね上がった髪のドワーフが、
「俺ぁ『バンガリオ』だ。一応21採石場で頭領やってる。現場に来た時に何かあったら声でも掛けてくれ。忙しくなけりゃ相手してやるよ。」
そう言って手を振りながら、部下と思われる皆を連れてゾロゾロと店を出て行く。その姿を見送ると櫻とカタリナは互いに視線を交わし、掻き込むように食事を手早く終えて席を立った。
「それじゃ、早速行ってみますか。」
櫻の一言に皆が頷き、一行は教えられた道を辿り3鳴き程の時間を費やし現場に到着した。
そこは大きく抉れた岩肌を顕わにする岩山の中腹であった。辺りは元々緑の少ない岩山地帯のようで、現場以外にも余り植物は見当たらない。
だがそんな環境の中でも所々に『ミシュ』の木が生え、その根元には薄っすらと草が生え揃い、ミシュの木を中心に一つの環境が出来上がって居る事が窺えた。
(ほ~…まるで特撮モノの決戦現場みたいだね。)
少し高台になっている部分に目を向け、そこにヒーローが立って居る姿を思い浮かべる櫻。
「あ、居たよ、ドワーフの人達。」
アスティアの声に視線を現場に向けると、そこでは先程別れたドワーフ達が一生懸命にツルハシで壁面を掘り、楔をハンマーで打ち込み、石を切り出しては運搬する様子が見られた。
彼等は掘り出された石を性質毎に選別し、ある程度の大きさに切り分けては荷車に積み込み何処かへ出発して行く。
櫻達も現場に近付きその様子を窺っていると、白い石や灰色の石、斑模様の石等、同じ場所から掘り出されているとは思えない程にバリエーションに富んだ石材が目の前を次々と通り過ぎて行く。
「おぅ、来たか。見てるのは構わねぇが、仕事の邪魔にならねぇようにしろよ?」
食堂で別れたバンガリオが櫻達を見つけ歩み寄って来た。
「あぁ、気を付けるよ。処でこの石は一体何処に運んでるんだい?」
櫻が運ばれて行く石を目で追いながら尋ねる。
「ん? この辺で掘り出されるのは大抵『チョナツ』か『フレイミア・ダウ』だな。後は北の『ジョウシ』、南の『マッカリ』とかの近くの町にも行くし、必要としてる処に様々、さ。」
「へぇ、フレイミア・ダウまで行くのか…そこまではどのくらいの距離なんだい?」
「ん~…普通に移動するだけならホーンスの足で6日程だが、俺達の場合だと『オルハルコ』を運ぶからな。荷が重くて8日位は掛かっちまう。」
「『オルハルコ』?」
「あぁ。ほれ、あそこに積んで有るのが見えるか? あの真っ黒な塊。」
聞きなれない単語に首を傾げる櫻にバンガリオが指差して見せる。そこでは掘り出した石を割り、その中から取り出される黒い塊が積み上げられていた。中には大きな物も有るが、その殆どは大人の握り拳程度のサイズの物だ。
「アレは何に使う物なんだい?」
「アイツは特殊な金属でな。武器に加工すると魔物に強い効果を発揮するモンなんだよ。この西大陸でしか採れねぇ貴重なモンだから高値で取引される、俺達の主力商品さ。」
「へぇ…。ひょっとして命が持ってる対魔物用の矢ってのはその金属を使ってるのか?」
ちらりと視線を命へ向ける。
「お? お嬢ちゃん達、そんなモン持ってるのか。」
バンガリオは櫻達の風貌からは想像も付かなかったのだろう、驚いたように言う。
「まぁ多分ソレだな。フレイミア・ダウに在る特別な鍛冶場でしか加工出来ない代物だから高級品なんだぜ。何だお嬢ちゃん達、実はどっかの金持ちかい?」
「あはは、ちょっとした縁で余り物を貰っただけなんだ。そんなんじゃないさ。」
「ふぅん? まぁ俺ぁそろそろ仕事に戻る。帰る時には別に声掛けは要らんから、仕事の邪魔になる事はすんじゃないぞ。それと、掘り出したモン、特にオルハルコには触るなよ? ありゃ俺達にしか扱えねぇ危険なモンだからな。」
そう言ってバンガリオは仕事へと戻って行く。櫻達も小さく手を振り見送るとその場から少し離れ、近くに生えていたミシュの木の根元へ腰を下ろすと遠目に現場を眺める事にした。
「さて、後は待つだけか…。」
腰を据え、現場を眺める。時折立ってはウロウロしたり、暇を持て余し『風の意識』を飛ばしてみる。
眼下に雲を収め見下ろすと、採石場は主にチョナツの町から北側に点在しているようで、辺りは岩肌を剥き出しにして点のように小さな人影が忙しなく動く姿が見える。
そして町から南側へ視線を向けると沿岸地域はまだそれなりに緑も多く、内陸へ向かうに従い地面の色が多くなって行くようだ。
西には煙を上げる大きな山が聳え、その根元に町が見える。
(恐らくアレが『フレイミア・ダウ』か。確かに結構距離が有るな。それにしても火山か…確かに、火の主精霊が棲むには持って来いという感じの場所だねぇ。)
火の主精霊まで後少しという感慨に耽りながら、どんな環境の場所に向かわされるのかと少々不安も過る櫻であった。
結局その日に噂の使徒が現れる事は無いままドワーフ達が帰り支度を始める時間となり、櫻達も町へ引き返す事となった。
町に戻ると既に辺りは夕陽も落ち薄暗くなり始めていた。町の中では篝火に火を灯す人達が忙しなく駆け回っている。昼食を抜いた事も有り食堂へ立ち寄ってから宿へ戻ると、現場には居ずとも流れて来る埃に汚れた身体を洗う為に風呂に向かう。
「ま、張り込み初日にいきなり出て来るなんて事を期待してた訳じゃないが、何もせずにただ待つってのも疲れるもんだねぇ。」
浴槽の縁に腕を掛け、ほぅと息を吐きながら胸を開き空を眺めた。
「それより、その使徒様とやらに感化された信徒が町で騒ぎを起こしてたんだろう? 態々採石場まで行かずにソッチを待っても良いんじゃないか?」
トロリの葉を摘んで来たカタリナが提案する。
「う~ん、出来れば直接本人と話をしてみたいんだよねぇ。」
「話? 何で?」
カタリナからトロリの葉を受け取ったアスティアがワシャワシャと泡立てながら首を傾げた。
「先ず、認識の確認…かな。単に使徒を騙っているだけの詐欺師なのか、それとも本当に『誰か』を神と信じ、自身を神の使徒だと信じている者なのか。出来れば本人の口から聞かせてもらいたい物だ…が、まぁ最終手段としては覗かせて貰うが、どっちにしても本人を目の前にせんとな。」
「で、詐欺師だった場合は?」
両手に山盛りになった泡を命の背中に広げながら、カタリナは櫻とアスティアの触れ合いにギラギラと目を光らせる。
「そうだった場合には…不本意だがギルドにあたし達の正体を明かして対応して貰う事になるだろうね。ただ、本当に自分を神の使徒だと信じている場合が厄介だよねぇ。どう説得したものか。」
アスティアに隅々まで身体を洗われながら、少し擽ったそうにしつつカタリナの質問に難しい表情をする櫻。
「…ま、どっちにしろ取り敢えずは相手次第だね。性格も判らんようじゃ対応を考える事も出来んか。」
そう言うと今度はお返しにアスティアの身体に優しくトロリの泡を撫で広げ洗う。結局は何も有効な手立ては思い付く事無く、楽し気な入浴の時間に悩みも吹き飛ぶのだった。
それから3日が過ぎた。
朝に採石場へ向かい日暮れに町へ戻るという行動を繰り返すも、未だ目当ての『使徒』は現れず時間だけが過ぎて行く。
その間に得られた事と言えば、度々瘴気が発生しては作業員達が慣れたように退避をするという、この世界の『日常』の風景を知る事が出来た程度。
「はぁ~、今日も収穫無しか…。」
気怠く溜め息を漏らし櫻達はいつもの様に夕食を食べに食堂へと足を向けた。店内は相変わらずの繁盛具合で彼方此方から賑やかな声が聞こえる。
「さて今日はどんなのが良いかな。」
席に着き、壁に掛かった読めないメニューに目を向ける。するとその時、櫻の耳に不穏な会話が聞こえて来た。
「なぁ、アイツまだ見つからないのか?」「もう4日か…また使徒様の処へ行ったんじゃないか?」「一体使徒様は何で俺達みたいな石掘りにばかり良くしてくれるんだろうな?」
櫻達はその話に聞き耳を立ててみる。すると、どうやら櫻達がこの町『チョナツ』に到着した日に見かけた騒ぎの中心に居た人物が姿を晦ませたらしい。更に話を聞くと既に何人もが同じように町で騒ぎを起こしてはその後に姿を消しており、皆使徒の下へ行ったのではないかと噂されていたのだった。
「そもそも使徒様の下で働くって、具体的に何するんだ?」「俺達の手を借りたいってんなら力仕事じゃねぇか?」「何だ、神様の御殿でも立てようってのかね?」
そんな話を聞きながら櫻達は顔を見合わせる。そしてカタリナは櫻の目を見て小さく頷き席を立つと、その話題に盛り上がる男達に近付いた。
男達は21採石場とは別の採石場で働くドワーフ達であった。
その者達から聞き出した話によると、使徒と名乗る者は何故か採石場にしか姿を現さず、現場で働くドワーフ達に声を掛けては『神の力で生み出された聖なる水』と言う物を飲ませるのだと言う。
そしてその水を飲んだ者は疲れが吹き飛び全身に力が漲ると共に、一部の者はその使徒の言う『神』の存在を『理解』するのだと言うのだ。そして『理解』した者達は、まるでそれが決まりかのように使徒の弟子・信徒を名乗り、神の為に共に働こうと言い出す。
だが他のドワーフ達はその豹変に気味の悪さを覚えると共に、使徒の、そして神の力を目の当たりにしているようで畏れを抱き、関わらない事を決め込むのだ。
『アイツらは神の目に留まった選ばれた連中なのだ。自分達とは違う道を歩み始めたのだ。』と。
(何だそれは…それは本当に水か? その効能だけを聞けばまるであたしの血のようでも有る…まさか本当にあたし以外の『人類の神』が存在する…?)
カタリナが聞き出した話に櫻は驚くと共に、その使徒を名乗る者に対しての不審の念が強まる。そんな櫻の横で、命もまた何かを思案するように黙り込んでいた。
その晩、櫻は眠りの中でファイアリスと今回の件についての話をしていた。
《…本当にあたし以外に『人類の神』は居ないんだね?》
《当然よ。私のスタンスは前にも話した事が有るでしょう?》
《あぁ。複数の神が居ると派閥が出来て争いが起こり、魂が穢れる。だから1つのカテゴリーには1柱しか神を置かない…だったよね。》
《そ。私の世界にそんな不毛な争いは必要無いのよ~。そんな有りもしない可能性を考えるより、その使徒もどきを何とかする方法を考えた方が建設的よ?》
のんびり椅子に座り、貴婦人のようにお茶を飲むファイアリスの姿がありありと伝わって来る。
《…はぁ。それで? お前さんならとっくにその『使徒様』の居場所や正体は判ってるんじゃないのかい?》
まるで他人事のようなその態度に呆れながらも、それが『世界の神』としての在るべき姿なのかもしれないと納得もする。
《えぇ、居場所なら知ってるわ。でも今回の件は『人類』の中で起きている問題。だからこれは貴女達だけで解決すべき事なのよ。だから私から何かを手助けする気は無いわ。》
《やれやれ、そう言われちゃ、これ以上何も聞けないじゃないか。分かったよ、出来るだけ早く解決出来るように自分達で頑張ってみるさ。》
《うふふ、そうそう、何時までも神に甘えてるばかりじゃなく自立しなきゃね。あ、でもそういう問題事以外でならたっぷり甘えてくれて良いのよ? 貴女なら大歓迎♪》
チュッと投げキッスが飛んでくる。
《ははは…それは考えておくとするよ…。》
相も変わらず自由奔放な世界を統べる神の様子に、櫻は乾いた笑いを零して念話を切り上げ、眠りの中へと意識を沈めるのだった。