恋慕
「おぉ~…これはまた凄い御馳走だね。」
その日の夕食。食堂に並んだ料理は船員達も驚きの声を上げる程の豪華さであった。中央の大きなテーブルの上一杯に、まるで食べ放題の焼き肉屋のように様々な料理が並べられ、そこに取り皿が用意されている。
「あぁ、お嬢ちゃんのお陰で早く到着出来そうだからね。余りそうな食材も使っちまわなきゃならないし、何よりコイツらも腹が減っただろうからね。」
パトリシアがそう言って向ける視線の先、見ると既に食事を始めている数人の船員は目の前の料理に目の色を変えてがっついている。昼間の重労働で消耗した体力を取り返すかのようだ。
「ははっ、労働の後の飯は格別だしねぇ。どれ、あたし達も頂くとするかね。」
そう言うと櫻とカタリナは席に着き、アスティアも櫻の横に座る。
カタリナが目の前に並んだ様々な料理の中からどれを食べようかと舌なめずりをしながら物色していると、
「それで、結局あの騒ぎは一体何だったんだい?」
と唐突に櫻の声。
「あ~…あはは…。」
返答に困り言葉に詰まったカタリナの伸ばそうとしていた手が自然と頭を掻くと、困ったように苦笑いを浮かべた。
それは朝食を終えて櫻とアスティアが船室へ姿を消した直後の事。
「なぁ、アンタの処の黒髪の娘、誰か好い相手って居るのかい?」
唐突に一人の船員がカタリナに声を掛けて来た。
「黒髪…あぁ、ミコトの事か?」
船室に消えた櫻達を待ち、船倉への入り口で両手を揃えて静かに立つ命の姿にチラリと視線を向けた。
『好い相手』…カタリナと命、二人はある意味で将来を誓った間柄だ。だがそれは余りに特殊なものであり、この場合においてのソレとはまるで意味が違う。そしてカタリナはそういう意味での命との関係を断言出来る自信が無かった。
「あ~…今は、居ない…かな。」
「へぇ、そりゃ良いや。」
少々口籠るカタリナの言葉に、船員は表情を明るくする。
「あの娘、良いよなぁ。この船に乗ってる連中とはまるで違う、護ってやりたくなるような儚さって言うか、淑やかさって言うか、一目見てアタシにビビッと来たよ。」
「ハハッ、やめとけやめとけ。そりゃアンタの勘違いさ。あの娘はアンタ程度に護られたりするような弱い者じゃない。逆に世話になって恥をかくだけだぜ?」
羨望の眼差しを向けるように蕩けた視線を命へ注ぐ船員に、カタリナは呆れたような笑いを零した。すると、
「何だって? そりゃアタシに喧嘩売ってんのか?」
ジロリと鋭い視線がカタリナに突き刺さる。そしてタンクトップのような上着から剥き出しになっている日に焼けた腕に力を込め、ムキッと力こぶを見せ付けるように突き出して見せた。
その太く力強い腕に視線を向けるカタリナ。
「おいおいムキになるなよ、本当の事を言ったまでさ。その程度の腕っぷしじゃミコトの足元にも及ばないよ。」
と口の端を吊り上げるようにして笑って見せる。しかし、
「ふんっ、嫉妬ならもっと上手く隠しな。アンタあの娘がアタシに取られると思って適当な事言ってるだけだろうが。」
「何だと?」
船員の言葉にカタリナの眉がピクリと動いた。
「どうせ一緒に旅してるって言ったって雇い主の子供の御守りで一緒に居るだけで、気になってるクセに手を出せないで居るんだろ? そんな形してて肝の小さい女だね!」
その言葉にグッと奥歯を噛み締めると、思わずカタリナは船員の胸倉をガッと掴む。すると船員も負けじとカタリナの胸倉に掴み掛かり、互いの視線がぶつかった。
「ハッ、みっともないね。図星指されて力尽くかい?」
「黙れ、アタイとミコトの何が解るってんだ。」
「知る訳ゃ無いさ。だけどアンタがあの娘とどうしたいのか本音を言えないのは、今の距離が壊れるのを怖がってるからだろうが。魔物には立ち向かえても、惚れた女一人には足が竦んで立ち向かえないってか?」
船員の言葉にカタリナの頭にカーッと血が上る。そして遂に、
「何だコラ!? やんのか!?」
「あぁ!? 船乗り舐めんじゃねぇぞ!?」
周囲の目も憚らずの大声を上げると、互いの額を突き合わせての睨み合いに発展してしまったのだった。
(クソッ…あの女、好き勝手言いやがって…。)
瞳を閉じるとあの船員の言葉が思い浮かび頬が染まる。心の中を見透かされたようで思わず悔し気に奥歯を噛み締めると、そんな様子に櫻もそれ以上追求する気は無いのか、フッと微笑を浮かべ、
「ふふっ、まぁいいさ。船長の話じゃ今のペースで行けば明後日の昼間には西大陸に到着出来そうだって言うからね。それまではもう問題を起こすんじゃないよ?」
そう言って目の前の料理に手を伸ばした。しかし大人数が使う食堂の大きなテーブル、その中央に在る料理に手が届かず、身を伸ばしプルプルと震える櫻。そんな様子にカタリナはフッと笑みを零すと、
「あぁ、アタイだって別に騒ぎを起こしたい訳じゃないからね。向こうから突っかかって来ない限りは大人しくしてるさ。」
と、櫻の皿に料理を取り分けるのだった。
「そういえばお前さん達は相撲のルールを初めて聞いたようだったけど、似たようなルールの勝負方法は今まで無かったのかい?」
料理を口一杯に含みながら櫻が問うと、
「ん? あぁ、あんな変なルール初めてだよ。」
同じく料理を口一杯に含んだカタリナがモゴモゴと答える。
「へぇ…それじゃ他に何か変わったルールの勝負方法は有るのかい?」
「ん~…そうだね。特別な勝負方法って言うなら、手を使ったら駄目とか足を使ったら駄目とか、後は片方の手を繋いで殴り合ったり…まぁ何にしても相手が負けを認めるか気を失うかってのが普通だろ。床に着いただけで負けなんて聞いた事も無かったよ。」
(何とも過激な世界だねぇ。となるとプロレスの3カウントフォールみたいなのも無さそうだねぇ。また何か有ったら、その時には教えてみるかね。)
そんな事を考えながら食事を終えると、櫻達は寝泊まりする船室へと戻った。
「いただきま~す。」
ハプッと櫻の首筋にアスティアの唇が被さると、二人の互いに抱き合うような姿にカタリナは目を向けていた。しかしその視線はいつものニヤけた視線とは違う、何処か羨望のようなものであった。
やがて夜も更け櫻とアスティアから静かな寝息が聞こえると、ランプの消えた部屋、ムクリと一つの影が起き上がった。
「…カタリナ? 眠れないのですか?」
その様子に気付くと、小上がりの隅に座っていた命が小声で問い掛ける。
「ん…あぁ、まぁ…ちょっと、ね。」
窓から射し込む月明かりの中に浮かぶ命の姿に視線を向けると、カタリナはガリガリと頭を掻いた。そして立ち上がり、小上がりを下りると命の傍へと歩み寄り、
「なぁ、ちょっと外に付き合わないか。」
と静かに声を掛けた。
命はチラリと櫻達に視線を向け、スヤスヤと眠る様子を確認するとカタリナへ視線を戻し頷いて見せる。カタリナもその反応にホッとしたような表情を浮かべると、二人は櫻達を起こさぬようにソロリと扉を開け部屋を出て行った。
甲板に上がると月明かりが明るく、思いの外視界が良い。恐らく夜番の船員が数名起きて仕事をしている筈だが甲板の上には人影は見えず、二人は何を話すでも無く船の縁へと向かった。
縁へ腕を乗せるようにして海を臨むカタリナ。海原は月明かりに照らし出され、波がキラキラと優しい輝きを放つ。そんな中で自然と命が隣に立った。
「…何か悩みが有るのですか?」
命は海を見つめるカタリナの横顔に視線を向け、その何を考えているのか読み取れない表情に小さく首を傾げる。
カタリナはその命の声に対して返事をする事も出来ず、ただギュッと拳を握り締める。胸はドクドクと鼓動が高鳴り、波音すらも掻き消す程にカタリナの耳に響いていた。
「カタリナ…?」
握り締めた拳に、ソッと命の指先が触れる。カタリナの胸が一際『ドクンッ!』と高鳴った、次の瞬間。
『ガバッ!』と、命の身体は大きな影に正面から抱き締められていた。海風に靡く赤い髪が頬を撫でると、命の手は自然とその身体を抱き止めるように背中へと回された。
「…一体どうしたのですか? 貴女らしくもない。」
そう言いながら、背中を優しく摩るように上下する掌。カタリナはその言葉にピクリと身体を揺する。
「ハハッ…そうだよな。アタイらしくもない…。」
身を離そうと命の肩に両手を添える。しかし、その身体は背中に回された腕によって繋ぎ止められていた。
「ミコト…?」
「そう、貴女らしくない。きっとそんな姿を知っているのは、私だけですよね。」
そう言って命が顔を上げる。その表情は優しく微笑むようであった。そして二人の視線が交差すると、自然とどちらともなくその唇が近付く。
柔らかな感触。自然に力の入る腕。ほんの数秒の、触れるだけの行為であったが、カタリナの胸の高鳴りは最高潮に達していた。
やがて月明かりに照らされた二人のシルエットはソッと離れる。
カタリナの頬は紅潮し、視線を泳がせながら何と無しに海原へと向き直った。
「その…何て言うか…。」
想いが頭の中を駆け巡る。しかし命との事だけでは無い。櫻達も含めての今までの距離が壊れてしまうのではないかとカタリナは言葉に詰まる。すると船の縁に突いた手の甲に、柔らかな手が重なった。
「ミコト…?」
自然と命に視線を向けると、彼女もまたカタリナの顔を見上げていた。
「私は、道具として生まれました。」
小さく開いた唇から出た言葉。カタリナは突然の事に、その艶の有る唇に目を奪われた。
「突然何を…。」
言いかけたカタリナの唇に、命の細く美しい指が添えられ言葉を遮られる。ソッと離れる指先。そこに残った熱と感触を確かめるように自らの指先を唇に添えると、カタリナは動揺しながらも続く命の声に耳を傾けた。
「ただご主人様の命を実行する為だけに生み出された『私』という『意思』。ですが、ご主人様…サクラ様はそんな私を『人』だと言って下さいました。」
その言葉にカタリナはただ無言で小さくコクリと頷いた。
「…ですが、共に旅を始めた当初、私はその意味が理解出来てはいなかったのだと思います。私はただご主人様の役に立つ為に何が出来るかを考え行動していました。」
「それは、今も変わらないんじゃないのか?」
「ふふっ、そうですね。けれども何時からでしょう…私はそれを『楽しい』と思えるようになっていました。」
にこりと柔らかな微笑みを浮かべる命。
「それに気付いたのは、多分『セイミ』で貴女達が魔魚討伐へ向かった際に置いて行かれた時でしょうか。私はベッドの上で一人で居る事を『暇だ』と感じていたのです。」
「ハハッ、あの時はミコトの防具のお陰で全く危険無く戦えたよ。有り難うな。」
何処か照れ臭そうにそう言うカタリナに、命はクスリと笑みを零した。
「でもあの時のミコトは手足も無くて動けないままベッドの上に居たんだ。暇なのは当然じゃないか。」
その言葉に命はソッと瞳を閉じ、小さく首を横に振って見せた。
「いいえ、私は道具。本来そんな感情は必要無く、この思考は『如何に主人の命を効率的に実行するか』を判断する為の物でしかありません。」
「…アンタ、まだそんな事を…。」
言いかけたカタリナの唇に再び柔らかな指先が添えられると、命は視線をカタリナの瞳へ向け、再び小さく首を横に振って見せた。カタリナはその仕草にグッと言葉を飲み込む。
「ですが、ご主人様、アスティアお嬢様、そしてカタリナ…貴女も含めた皆との旅が、私を『人』にしてくれました。そして一人で居る事に『暇』を…『寂しさ』を感じたのです。」
そう言うと、命はカタリナを正面から抱き締めるように身を寄せた。そして豊満な胸に埋めるように頬を寄せる。
「私が生み出された研究所。あそこに居た時、私は『道具』でした。ですが、今私が何者であるかと問われたならば、私は『人』であると自信を持って答えましょう。そして人は、人との繋がりを求めるもの…ご主人様はそう仰いました。」
「ミコト…。」
カタリナの両手が自然と命の身体を抱き締めるようにその背に回されると、命は顔を上げた。
「私の最優先はご主人様、そしてお嬢様です。」
「あぁ、そうだね。アタイもだ。」
「ですが…。」
「今は二人ともグッスリだ。」
二人は揃ってクスリと微笑む。
「カタリナ、私は貴女を看取ると約束をしました。」
「あ…あぁ?」
突然の話題にカタリナは目を丸くして間の抜けた声を漏らした。
「様々な要因によって常に行動を共にする事が不可能な時も有るでしょう。ですが、約束を違う事は許しません。」
「ハハッ、厳しいな。」
「ですから…私の前に戻って来て下さい。そして、こうして無事を確かめさせて下さい。」
ギュッとカタリナの背中に回された腕に力が込められる。そして互いの視線がぶつかり、命の踵が甲板から離れた。
「ん…ふぅ…。」
波の音と船の軋む音。その中に紛れる鼻から漏れる吐息。暫しの触れ合いを終え離れた唇から月明かりに光る細い糸が伸び、それは直ぐに姿を消した。
「…良かったのかい? アンタが身体を許すのは、お嬢だけじゃなかったのか?」
熱い眼差しが真っ直ぐに命の瞳を見据える。すると彼女は、
「ふふっ…私らしくもない…ですね。でも…そんな姿を知っているのは貴女だけ。」
そう言って妖艶な微笑みを浮かべ、再び互いの唇を重ね合う。そして再び見つめ合い、抱き締め合い、唇を重ねる。何度となく繰り返される行為は、しかし飽きる事無く情熱的に続いた。
するとその時、『トントントン…』と、船倉から誰かが上がって来る足音が波音の中に混じり微かに聞こえる。いち早くその音に気付いた命はソッとカタリナの胸に手を添え身を離した。
少し名残惜しそうなその表情にカタリナも眉尻を下げて微笑む。
上がって来たのは、昼間にカタリナと口論をしていた船員だった。
「あ…アンタ…。」
船員はその場に居たカタリナと命の姿に気付きポカンとした表情を見せると、『ははぁん』と何かを察したようにニヤついた表情を浮かべた。
カタリナも負けじと勝ち誇ったような笑みを浮かべて見せる。二人の間に奇妙な気配が張り詰め、命は何事かと二人の間におろおろと視線を向ける。
「…ハッ、最初からそうしとけってんだ。」
船員はそう言うと背中を見せ、軽く肩を竦めて両手を挙げて見せると、マストの方へと歩いて行ってしまった。
「悪かったね。変な期待させちまってさ。」
カタリナもその背に向けて聞こえたのかどうかという言葉を投げ掛ける。命はそんな二人の言葉に何の事かと理解出来ずに、ただカタリナの顔を見上げた。
「さて、そろそろ寝ておかないとな。」
カタリナはそう言って命に向き直り肩に腕を回す。命はその腕にソッと手を添えると、
「ふふっ、そうですね。このような時間は一度きりでは無いのですから。」
とカタリナへ微笑みを向け、二人は櫻達の眠る船室へと戻って行ったのだった。