覚悟
「野郎共! こいつらをぶっ殺せ!」
首領の男の声が広間一杯に響き渡ると、部下達は櫻達を囲うように周囲に集まり出した。それに対してアスティア、カタリナ、命が、櫻とレオン、そしてレオンの父を護るように三方を囲う。
「おぅおぅ、随分とコテコテな事を言ってくれるねぇ。」
(とは言え、神が『人』相手に余り能力を揮うのはフェアじゃない…ここは皆に頼らせて貰うとしよう。)
櫻はアスティアの背中にソッと手を添えると、優しく精気を注入する。
『極力殺さないようにしておくれ。』
三人の耳に優しい風が掛かると、アスティアはそれを受けて櫻にチラリと目線を送り、ニコリと微笑み小さく頷いて見せた。
「行くよ!」
アスティアが声を掛けて飛び出すと、それに合わせるようにカタリナと命も飛び出し周囲の野盗達を軽々と打ち倒す。
カタリナばかりに注意を向けていた男達は突然の少女達の攻勢に面食らい、連携も取れないままに次々と地面へ倒れて行った。だが一人一人は弱くとも多勢に無勢。
「この、クソガキが!」
手加減をしながら相手をしていると、取り逃した野盗の一人が隙だらけのレオンに向けて剣を振り下ろす。
「うわぁ!?」
驚き、咄嗟に両手を前へ突き出したレオン。すると、『バチィ!』という激しい音と共に、
「痛てぇ!?」
と悲鳴を上げ、野盗が剣を取り落とした。
レオンの父はそれを即座に拾い上げると、野盗目掛けて躊躇い無く振り抜きその生命を奪い、
「大丈夫か!? レオン!」
と、レオンをその背に匿うように剣を構え周囲に目を向けた。
「う…うん…。」
目の前でドクドクと血を流し、今まで生きていた『人』が死んだ。母も、妹も、そして悪人も、余りに呆気無くその生命が失われる事にレオンは恐怖し、ガクガクと足が震える。
そんな中で、ハァハァと荒い息が聞こえ、その出処に目を向けた。それは父の吐息であった。見ると、剣を握るその手が小刻みに震えている。父もまた、その事に恐怖を覚えながらも我が子を護る為に剣を振るっていたのだ。
レオンはそんな父の背中に勇気を貰うと、グッと拳を握り締めて震える両脚に叩き付けた。
「父さん、有り難うございます。僕も自分の身は自分で守ります。無理はしないでください。」
ソッと父の背中に手を添えるレオン。父はちらりと息子を窺い見ると、ニコリと微笑んで見せた。
「レオン、お前さん、今精霊術を使ったのに気付いたかい?」
そんな二人に背中を合わせるように身を寄せ、櫻が問い掛ける。
「え…? 僕がですか?」
「あぁそうだ。レオン、お前は今確かに精霊術を使った。ふふ、お前も矢張り精霊に好かれたか。」
父もその事には気付いていたようで、嬉しそうに頷く。
「生命の危機に対して魂が精霊と繋がったんだろう。お前さんの直ぐ傍に居てくれるその精霊とね。」
「僕の…そうなんだね、有り難う。」
見えない精霊に感謝の言葉を述べる。櫻の目にはレオンの周りを嬉しそうに飛び回るその姿が微笑ましく映っていた。
「レオン、見ようと思わなくて良いんだ。精霊は魂で感じ、繋がる。肉体という殻から魂を少し外側へ膨らませる感覚を持てば、傍に居る精霊を感じる事が出来る筈だ。」
「こ…こう…ですか?」
父の言葉にレオンは意識を集中する。身体に触れる洞窟内の空気の膜、その外側へ飛び出るように。すると、何かに引っ張られるような感覚が身体では無い『何処か』に感じられた。
ハッとし、その感覚の赴くままに視線を向けると、ほんの一瞬、目の前にチラリとした『何か』の姿が見えた気がし、それが何なのかが直感的に理解出来た。
その時、レオンの意識は一瞬とも永劫とも取れる不可思議な感覚に襲われ、次の瞬間には魂に精霊の『印』が刻まれ、ハッキリとした繋がりが生まれた。
レオンが掌を上向きに開くと、その上にパチパチと火花のような光が生まれる。
「成程、どうやら静電気みたいだね…。」
森の中で出会った時に足に走った痛みの原因に思い当たった櫻が言う。
「せいでん…き?」
(ん…? そうか、科学技術が発展していないから電気という概念は無いのか?)
「あぁ。生地を擦り合わせると小さな雷のようなものが起きるだろう? アレだよ。…そうだ、お前さん、確か霧の精霊術を使えるとか?」
櫻はポンと手を打つとレオンの父に視線を向けた。
「え? は、はい。」
「それならちょっと試してみようじゃないか。」
そう言って櫻は二人に耳打ちする。
「わ、解りました。」
レオンの父は驚いたように小さく頷くと、間も無く洞窟の中に霧が立ち込め始めた。
『皆、戻って来な。』
櫻の声が届くとアスティア達が一斉に飛び退き、櫻の下へ集まる。
すると周囲に発生した霧は野盗達に纏わり付くようにしてその濃さを増してゆく。
「な、何だこりゃ!?」「くそっ! 何も見えねぇぞ!?」「精霊術か!」「落ち着け! ただの目晦ましだ! 連中だってこっちの姿が見えなくなる!」
困惑の声が其処彼処から聞こえた次の瞬間、『バチバチッ!』と激しい音と共に野盗達の悲鳴が辺り一面に響いた。
「こ…これは…。」
驚きの声を漏らすレオンと父。霧が晴れた後には地面に横たわる野盗達の姿が在り、皆が白目を剥き口から泡を吹いて気を失い、それは高台から偉そうに命令を下していた首領の男も同様であった。
予想以上の結果に満足気に鼻からフンスと息を逃がすと、櫻はカタリナと命に一団の捕縛を頼んだ。二人は洞窟内に在った適当なロープを掻き集めると全員の手足を縛り上げる。
カタリナは序でにと野盗達の手に有った財布を取り戻し、微笑みを浮かべながら悠々と懐へ仕舞い込んだ。
その様子を横目に、櫻は吊るされた檻に視線を向けると、
「もう起きても大丈夫だよ。」
と声を掛けた。すると、檻の中に倒れていた二人がゆっくりと身体を起こしたではないか。
「えっ…!?」
レオンは目を見開いて驚き、洞窟内に響く程の声を上げた。その様子に父はククッと笑みを零す。
櫻とアスティア、レオンと父は檻の傍まで近付くと、吊るしてあったそれを下ろす。そうして櫻の『風の刃』で檻を破壊すると、中から美しい衣服の正面を真っ赤に染めた二人が、しっかりとした足取りで出て来たではないか。
「トリシャ!」
「兄さん!」
「クリスティーナ!」
「あなた!」
互いが駆け寄ると、無事を確かめ合うように強く抱き締め合う。
「母さん、トリシャ…! 傷は…大丈夫なの!?」
ハッとし、トリシャの赤く染まった腹部に視線を向けるレオン。そんな様子に二人は顔を見合わせると、
「兄さん、安心してください。私達は何処も怪我等していません。」
と、クスリと微笑みを浮かべて見せた。
「えっ? だって、こんなに血が…。」
そう言った時、トリシャ達が倒れていた地点に何かが在る事に気付いた。それは潰れた果実であった。
「これは…。」
「ふふ、そこに丁度良い物が在ったんでね。ちょいと勿体無いが使わせて貰ったのさ。」
櫻がそう言って顎で指して見せた物。それは積み上げられた森の果実の山であった。その中に、櫻も見覚えの有る果実が混じっていた。
「あたしの仲間にはちょっと器用な事が出来る娘が居てね。コレを何個か檻の中に届けて貰ったんだ。」
種明かしはこうだ。
食糧の山の中に、以前森の中で食べた真っ赤な果汁の溢れる果実が混じっている事に気付いた櫻は、大げさな語り口と取引の現場に野盗達全員が注目している隙に命に頼み、腕を目立たない紐状にして果実を檻の中へと届けさせた。
そして『風の声』を使い計画を二人に伝えると、低出力の『風の刃』で首領の頬を軽く傷付け血を意識させつつ、二人は果汁が多く出るように果実を潰し、それを腹の下に隠すようにして倒れて見せたのだった。
ある程度の事実はボカして説明をすると、
「そんな…父さんはそれを知っていたんですか? だからあんなに落ち着いて…。」
ガクリと肩の力の抜けたレオンは恨めしそうな視線を父に向けた。しかし、父は首を横に振る。
「いいや、知りはしなかったさ。だがこの方達はそんな事はしないと信じていた。だから私は剣を持ち、お前を守る為に立ち上がる事が出来たんだよ。」
「そう言えば父さんはこの方達の事を知っているようですが…一体この方達は? 巡礼の旅の途中だと聞いているのですが。」
レオンは不思議そうに小さく首を傾げ櫻達に目を向けた。
「あぁ、この方達は恐らく…。」
そう言いかけた時。
「うっ…あ!? テメェら!? クソッ! 解きやがれ!」
広間の中に声が響いた。皆がその出処に目を向けると、そこには気絶から目覚めた野盗の首領がカタリナ達に怒りの視線を向ける姿が。
見ると既に全員の捕縛は完了し、壁際に一列に並べられた状態となっていた。大半は未だに気絶したままだが、数名は目を覚ましながらも観念して地面を見つめたり辺りに不安気な視線を向けている。その視線の先にはレオンの父が斬り捨てた野盗の亡骸。その姿に自身の未来を察してか顔色が青褪めていた。
櫻はそんな野盗達の前へ歩み寄ると、首領の前で立ち止まる。後ろ手に縛られ両足は正座の状態で縛り付けられており、満足に動く事は出来ないであろうその状態。
以前に海賊に対して出した仏心に思う処も有る櫻は、小さく溜め息を漏らすとレオンの父へと視線を向けた。
「なぁ、こういう連中はどういう処罰を受けるんだい?」
「そうですね。野盗はギルドまで連行される場合には被害の規模に応じて鞭を打ち、その後に首を落とします。ですがここは森の中、獣達の領域です。その場合には森の木に吊るし、森の審判を仰ぎます。…ご存じでは御座いませんか?」
「いや、あたしはまだ人生経験が少なくてね…森の審判ってのは?」
「言葉通りです。森の木々や獣や虫、そこに生きる者達がこの者達を見逃すのかどうか、という事です。」
(海でもそうだったが、ほぼ死ぬ事が確定でありながらも万に一つの生き延びるチャンスを与えるという事か…。果たしてこれは慈悲なのか、それとも罰する側に対する罪の意識の軽減の為の方便なのか…。一体誰が決めた決まりなんだか。)
櫻は困惑したような複雑な表情を浮かべながら、レオンの父の言葉に耳を傾ける。
「ですが…。」
レオンの父が少々困ったように言葉を続け、
「レオンが町まで戻ればギルドの者達が駆け付けてくれると思っていたのですが、流石にこの人数を私達だけで対応するのは難しいでしょうね。」
そう言うと手にした剣を野盗達へ向ける。
「お、おい? まさか…。」
「はい、多少ルールに反する事になってしまいますが、今からギルドに兵の要請に戻る訳にも行きません。この場で首を落とすべきでしょう。」
驚く櫻に冷静な声で答えるレオンの父。だがその手は小さく震えている。自身が他人の生命を終わらせるという恐怖に彼は抗っていた。櫻はそんな様子に気付くと『ふぅ』と小さく溜め息を漏らし、その震える手にそっと手を添えると小さく首を横に振って見せた。
「やめておきな。お前さんがそこまでする必要は無いじゃないか。」
「ですが…。」
口ではそう言うものの、櫻に止められたその手から震えが治まる。内心では誰かが止めてくれる事を望んでいたのだろう。そう思うと櫻はクスリと微笑を浮かべた。
だがその時だった。
「ぐっ…ぐげっ…!」「あ!? あぁ…?」「キヒッ! ヒッ…ヒッ…!」
縛られた野盗達の中から数人、突如として奇声を上げ始める者が現れた。
「な…何だ?」
驚き視線を向けたその先、その者達は身体をビクビクと痙攣させると、その身体が縛り上げていたロープや衣服を破り肥大化を始めたではないか。
「なっ!? まさか、魔人化!?」
櫻は信じられない物を見るように驚きの声を上げると、『それら』を見上げた。そこには身長4メートル程にもなろうかという魔人が6体も、櫻達を見下ろすように立っていたのだ。
余りの事に櫻の思考が一瞬停止する。だが、
「サクラ様! 危ない!」
アスティアの声にハッと我を取り戻すと、その眼前に魔人の腕が迫っていた。
「くっ!」
咄嗟に風を巻き起こし、その腕を弾くと共に飛び退き、距離を取る。
「お、お前達! この紐を解いてくれ!」
混乱に乗じて首領の男がそう言った時だった。魔人の1体がその声にジロリと視線を向ける。だがその目に生気は無く、まるで何かに操られるように首領を認識したかと思うと、徐に拳を振り上げた。
「まっ、待て!? 何をする気だ!?」
首領の男が情けない声を上げた次の瞬間。その拳は首領の男目掛けて振り下ろされた。
『ぶぢゅっ!』という音を立てて『それ』は弾けるように潰れ、辺りに肉片と共に血飛沫が飛び散る。
「きゃああぁぁぁぁ!!??」
余りの凄惨な光景にトリシャが顔を青褪めさせ悲鳴を上げると、レオンの母、クリスティーナが震える身体でその身を護るように抱き締める。
その眼前では魔人達が櫻達に襲い掛かりつつ、残りの野盗達を殴り付け踏み潰し、虐殺の限りを尽くしていた。
「クリスティーナ、レオン、トリシャ。お前達は今すぐここから逃げなさい。」
レオンの父が家族を背にし剣を構える。
「父さん!?」
「私はあの方達に助勢する。レオン、お前は家の跡取りだ。生きて家を、母さん達を守るんだぞ!」
「何を言ってるんですか!? 僕はまだ父さんに教えて貰わなければならない事が沢山有るんです! その言葉は聞けません!」
「レオン…!」
「それに、父さんを見捨てて逃げる男に、家を継ぐ資格等有る訳が無いでしょう!?」
強い眼差しを向けるレオン。するとそこに、
「良く言ったね。だけど安心しな。お前さん達はどういう訳か連中の標的には入って無いようだ。」
と櫻の声。
その声の方向にレオン達が視線を向けると、そこには風を纏い魔人達に風の刃を放つ櫻の姿が在った。アスティア達も襲い来る魔人達を相手に善戦している。
「でしたら尚の事、私も戦います!」
レオンの父が声を上げる。だが櫻は首を横に振った。
「やめておきな。こういう連中にはちょいと心当たりが有ってね、下手に手を出すとお前さん達も攻撃の対象になりかねないんだ。そうなった時にあたし達がお前さん達を護れる保証は無い。それに外から戻って来る野盗が居ないとも限らん、下手に犠牲者を増やされても困るからね、お前さんは家族を護りながら出口に向かうんだ!」
「ですがっ…!」
レオンが言いかけた時。父がその眼前に手を差し伸べ言葉を遮った。
「承知しました。どうかご無事で…! さぁ、行くぞ!」
レオンの父はそう言ってレオン達の背中を押すように出口の穴へと駆け出した。