オーゴゥ
翌朝。その日も櫻達は手早く野営を片付けると早速の出発となった。
荷車の中では、手に持った乾物の肉をジッと見つめたまま思い詰めた表情のレオンを、皆が掛ける声も無く見つめる。
暫し走ると、陽が高くなって来た頃に、
「ご主人様、休憩ポイントと思われる広場が在ります。」
と、手綱を握っていた命の声に皆が顔を向けた。
「よし、一先ずそこに入ろう。」
「はい。」
櫻の一声で荷車は街道を外れ休憩ポイントへと入って行く。
広々と切り開かれたその場所は、中央に水が湧き出すポイントが在り、その周辺は人の手によって煉瓦等で人工の泉のように整備されている。溢れる水を逃がす口からそれは小川となって森の中へと流れて行き、その先を目で追うと周囲は森からの視界を遮り獣や魔物の侵入を防ぐ為に木製の板を幾枚も隙間無く並べ立てられており、その囲われたスペースの中に荷車やホーンスを停める柵と小さなログハウスのような木造の小屋がセットで数組用意されている造りだ。
しかし矢張り南ルートは利用者が極端に少ないのか、建物が崩れているという程でも無いが何処か荒れ果てたような印象を受け、本来ならば人が歩くべき地面も長い草が茂っている。
「何ともまぁ…まるで廃墟だね。」
荷車から降りた櫻が呆れたように呟く。
「南の街道は休憩ポイントが少ないというのは島の皆が知っている事ですから、普通であれば皆北の街道を利用するのです。」
続くアスティア、カタリナの後に最後になって荷車を降りたレオンはそう言うと、それでも驚いたように辺りを見回した。
「成程ね。アタイらが道中で誰とも遭遇しなかったのはそういう事か。島の皆がそれを知ってるなら、護衛を雇うのが当たり前の島じゃ旅人だって自然と北のルートを通る訳だ。」
「で、誰も通らない南のルートは野盗共の恰好の隠れ場所になるって事だね。」
櫻の言葉にカタリナが頷く。
「ヤトウ…?」
その言葉にレオンが不思議そうに首を傾げると、
「野盗って言うのはね、旅人とかを襲ってお金や生命を奪うような悪い人達の事だよ。」
とアスティアが、人差し指を立てながら何処か自慢気に説明をする。その様子に櫻とカタリナは不謹慎と思いながらもプッと笑みが零れた。
だが当のレオンはその言葉に驚きを隠せないという風に目を見開き、わなわなと身体を震わせる。
「そんな…そんな人達が居るんですか!? それじゃぁ、父さん達は…トリシャは!?」
取り乱すように声を荒げるレオン。その様子に櫻は彼の前へと進むと両手首をグッと掴み上体を引き寄せ、その両頬に手を添えるように顔を押さえた。
「落ち着きな。今お前さんが慌てた処で状況は変わらないんだ。」
「で、でも!」
「連中は金を無心して来たんだろう? なら少なくとも直ぐに生命を奪うような真似はしない筈だ。」
「だけど、あの男達はギルドに知らせたら父さん達をどうするか分からないって…。」
「そうらしいね。だからギルドには知らせない。あたし達がこれから森に入って連中のアジトを探す。お前さんは此処で待ってるんだ。」
「えっ!?」
突然の言葉にレオンは驚きの声を上げた。
「な、何を言っているんですか!? 相手は武器を持った男達ですよ! 危険です!」
「ふふっ、心配してくれるのかい? ありがとう。でもね、あたしの仲間達はとても強くて頼もしいんだ。そんじょそこらの野盗相手に負ける事なんて無いさ。」
そう言って櫻が周りへ目を向けると、皆が頷いてくれる。
「ですが…何故貴女方がそこまでして下さるのですか? 巡礼の旅の途中の貴女方には何も関係の無い事なのに…。」
申し訳ないという表情を浮かべ、櫻を見下ろす。
「何故…ねぇ? お前さんが困っているから、じゃぁ駄目かい?」
「えっ?」
レオンは驚いたように目を見開き、間の抜けた声を漏らした。
「確かにあたし達にとっちゃ何の関係も無い事かもしれない。けどね、目の前にこうして困っている人が居て、その事情まで知って素知らぬ顔で『はいさようなら』と出来る程、あたしは利口じゃないのさ。」
櫻の言葉にアスティア達もにこりと笑顔を浮かべた。
「あ…有り難うございます…!」
レオンは瞳に涙を浮かべ頭を下げる。そしてバッと顔を上げると櫻の瞳を見つめた。
「ですが、貴女方だけを危険な目に遭わせる訳には行きません。僕も連れて行って下さい!」
美しい顔立ちからは想像も出来ないキッとしたその眼差しは、櫻も思わず身を引く程に強い意思がその奥に見えるようだ。
「…森の中に入るうえにどれだけ歩き回るか分からないよ?」
「解って居ます。」
「危険な獣だって沢山居る。」
「承知の上です。」
「それに、もし連中のアジトを見つけたとしたら、そこには人を殺す事を躊躇わない、武器を持った屈強な大人達が大勢居るだろう。お前さんは同じ『人』から殺意を向けられる覚悟が有るかい?」
「…僕は家族を助ける為なら、戦います。」
グッと拳を握り締めるレオン。その脳裏には家族の為には賊に一歩も引かなかった父の背中が焼き付いていた。
『家族』…櫻が遠い昔に失った温もり。それを失う重さを知ればレオンの覚悟を止める事はしたくは無い。アスティアもそう思うのか、何かを訴えるように櫻のスカートの裾をキュッと摘まんだ。
櫻は『ふぅ』と溜め息を漏らすと、小さく頷いた。そして柵の中のホーンスに歩み寄ると、その顔を優しく撫でる。
櫻の頭の上にぴょこんと長い耳が立ったかと思うと、それがふるふると震えるように動き、ホーンスが何かに応えるようにコクリと首を縦に動かして見せる。レオンはその様子に驚き目を見開いた。
「よし、こっちの了承は得られたよ。」
クルリと振り向いた櫻の頭に在った長い耳は、ペタンとその姿を隠す。
「えっ…あの、今のは…。」
呆気に取られたレオンであったが、櫻がパチリとウィンクをして見せるとハッとし、それ以上の追求はしない事とした。
「さて、そうと決まれば先ずは景気付けに腹ごしらえと行こうか。」
「そうだね。アタイも腹が減ってた処だ。」
「薪になりそうな枝はその辺りに沢山落ちてると思うから拾って来るね~。」
「では私は何か精の付きそうな野草が無いか少々探してみます。」
櫻の言葉に皆がサッと動き出すと、レオンは呆気に取られたように立ち尽くした。
「あ…あの…?」
宛て無く伸ばすレオンの手の先では既に五徳の上に乗せられた鍋に水場から汲んだ新鮮な水がなみなみと注がれ、その中に乾物の肉が投入されて行くと、程無くしてアスティアが胸一杯に抱えた枯れ枝を、命は一掴みの野草を持って集まる。
そうして見る間に食事の準備が出来上がると、呆然と立ち尽くすレオンの前には既に食事の態勢に鍋の周りに座る一同の姿が。
「ほら、お前さんも適当な場所に座りなよ。」
アスティアの膝の上から櫻が声を掛けると、ハッとして草の上に腰を下ろすレオン。するとその目の前にスープの入った器が差し出された。
「アンタ、昨日からロクに物を腹に入れてないだろ。家族が気になるのは解るけど、腹が減ってちゃ力が出ないよ。」
「そうそう。『腹が減っては戦は出来ぬ』ってね。」
「何だいお嬢、面白い事を言うね。でも確かにその通りだ。」
「ははっ、コレはあたしが考えた言葉じゃないよ。誰が言い出したのかは知らないが、こういう時に使うもんだろうと思ってね。」
これから危険な森の中へ入ろうという時に、そんな事を楽し気に話す櫻とカタリナに、レオンは唖然としながらも器に口を付けるとスープを啜るように少量口に含んだ。
「…美味しい…。」
ポツリと呟いたその言葉に、櫻達も安堵の微笑みを浮かべる。
自分の力で家族を救うという覚悟を決めたレオンは、スープのお代わりまで飲み干すと、今まで何処か青褪めた感の有った顔色も赤みを取り戻したように思えた。
腹ごしらえも済み、いよいよ一同は森の中へと足を踏み入れる事となった。
森の中は背の高い草が茂り、櫻やアスティアの視線を妨げ歩き辛く、高い湿度が体力を奪う。念の為に多めに持って来た水入りの水筒であったが、一つ、二つとその中身が空になる。
すると6鳴き程も歩いた頃、ガサリと音を立て突然草叢の中から目の前に大きな獣が姿を現した。それは雌ライオンのような姿をした肉食の獣。あのダンジョンの中で遭遇した魔獣の素体であった。
「…ッ! 『オーゴゥ』!?」
どしりとした太い四本の足でしっかりと地面を踏み締め、いつでも飛び掛かれるかのように櫻達に鋭い視線を向けゆるりと一定の距離を取るその獣。レオンは突然の遭遇に息を飲み、蛇に睨まれた蛙のように身を固める。
「オーゴゥ? この獣の名前かい?」
「は…はいっ! 図画で見た事しか有りませんが…間違いありません…。かつては獣の神を務めたと云われる、恐ろしい獣です…!」
櫻の問いに答えながらもオーゴゥと呼ばれた獣から目を逸らせず、レオンの足はガクガクと震え始めていた。しかし、
「へぇ、そりゃ丁度良い。折角だからこいつに聞いてみるか。」
そう言うと櫻はサクサクと草を踏み締め、自身の身長よりも高い獣に悠々と歩み寄った。
「あっ! 危ない! その獣はこの島の獣の頂点に位置すると言われている程に危険な肉食の獣です!」
声を上げるレオンに驚いたのか、オーゴゥは『ゴゥゥ!!』と咆える。だがそんなオーゴゥの、恐らくはカタリナの胸程の高さに在る顔にそぅっと櫻が手を伸ばすと、その態度は落ち着きを取り戻したように一変した。そして再び櫻の頭にぴょこんと立つ2本の長い耳。
その耳がふるふると震えると櫻がコクリと小さく頷き、
「『人』が出入りしてる『巣』が在るらしい。案内してくれるってさ。」
と振り向いた。
「え…?」
呆気に取られるレオン。そんな彼の視線を受けると櫻は少々はにかんで見せた。だがそんな『人』の事は関係無いとばかりにオーゴゥは歩き出してしまう。
「おっと、置いて行かれないように早く行こうか。」
櫻のその言葉にハッとし、レオンは未だに微かに震える足で歩き出す。アスティアはテテテと櫻の傍へ駆け寄り、カタリナと命はレオンの後ろを護るように続いた。
ノシノシと歩くオーゴゥと、その後を置いて行かれぬよう少々早足で続く櫻。その視線の先、丁度目線の高さに、後ろ足の間にぶらぶらと揺れるモノが在った。
(見た目はライオンの雌とそっくりなのに、コレで雄なのか…矢張り地球に似てるが別物なんだねぇ。)
覗き込むようにして感心しながらウムウムと小さく頷いていると、突然オーゴゥの足が止まり、危うく顔を突っ込みそうになる。
済んでの処で『ぽふっ』と尻尾で受け止められた櫻が顔を上げると、オーゴゥは何かを訴えるように櫻に顔を向けていた。
《このさきに『す』があるけど、じめんがイヤだからいきたくないって~。》
《地面が嫌?》
ケセランの声に小首を傾げて櫻がオーゴゥに並ぶように前に出ると地面に目を向けてみる。すると、茂る草の中に隠されるようにして、地面に沿って貼られたロープに細い枯れ木のような物を無数に吊るした、鳴子のようなものが点在している事に気付いた。
(成程ね、警戒と獣除けを兼ねてるのか。)
《分かったよ。ここまで案内して貰えれば充分だ。この子に『ありがとう、助かったよ』と伝えておいてくれないかい。》
《はーい。》
櫻の頭上に耳が立つと、ふるふると揺れる感触が櫻にも伝わる。すると目の前のオーゴゥはベロリと大きな舌を出して櫻の頬を『ザリッ』と音を立てて一舐めし、ノシノシと森の奥へと去って行ってしまった。
片手で少しヒリヒリする頬を摩りながら櫻がその後ろ姿に小さく手を振り見送ると、アスティア達がその傍へと歩み寄る。
「だ、大丈夫でしたか?」
レオンがほんのり赤くなった櫻の頬に心配するようにソッと手を添える。
「あぁ、少し舌がザリザリしてて痛かったけど、まぁアレは親愛の挨拶みたいなものだろうしね。」
「あの獰猛として知られるオーゴゥと心を通わせるなんて、貴女は一体…ひょっとして精霊術の応用か何かなのですか?」
「あははは…そこは余り追求しないで欲しいねぇ。ただ少なくとも精霊術の類では無いから、真似しようなんて思うんじゃないよ? 人と獣は、互いに住み分けてこその平穏なんだからね。」
「は、はぁ…。」
困ったように笑う櫻に、レオンは理解出来ないという風に首を傾げるだけであった。
「それより皆、地面を見てみな。」
櫻が話を逸らすように地面に設置された鳴子を指差して見せると、皆がその指す先へと視線を向けた。
「なぁにコレ?」
「ははぁ、アジトに近付く奴が引っ掛かると音が鳴る仕掛けか。アタイも一人野宿の時なんかに時々使ったもんだよ。」
不思議そうに覗き込んでいたアスティアにカタリナが説明をすると、櫻も同意の頷きをした。
「そう。この先に、恐らく野盗共のアジトが在るらしい。レオンを見失った事で連中はギルドから衛士を派遣される事を警戒しているかもしれない。見張りもウロついている事を想定すべきだろう。」
「じゃぁどうする? 見つけたヤツは始末するのか?」
「それは最後の手段と行きたいねぇ…。先ずは極力見つからずにアジトに潜入する事。警戒に当たってる連中を先に見つける事が出来たなら気付かれる前に大人しくなってもらおう。」
そう言うと櫻は口元に手を当て、少しばかり考えを巡らせる。
「カタリナ、あたしを背負ってくれないかい? 少し先の様子を探りながら行く事にしよう。アスティアは足元の、命は周囲の警戒を担当だ。」
「ん? あぁ、了解だ。」「うん、任せて!」「承知しました。」
櫻の言葉に皆が頷くと、櫻はカタリナの背中に覆い被さり、スゥと瞳を閉じた。そしてほんの少しの後にパチリと目を覚ましたように開くと、
「この先に少し歪な伸び方をした木が在る。その更に先に男が二人、其々別行動をしているようだった。そこまでは前進して大丈夫そうだ。」
とカタリナに声を掛けた。
そのまるで見て来たような物言いにレオンは驚き、しかしカタリナ達がその言葉を信じているように前進を始めると慌ててその後に続いた。




