レオン
少年の名は『レオン』。セッチの町に住む貴族の長男だ。セッチの町は金持ちの避暑地として主に西大陸の金持ちが別荘を持つ町であるが、レオンの家は代々その町に居を構える由緒ある家柄のようだ。
しかし避暑地としての静かな町並みは時に退屈な町とも言える。その為にこの島にはもう一つ、娯楽地としてオマインが存在していた。
レオンは家族…父、母、そして妹と共にオマインの町へ出かける事となった。そしてその旅路の安全の為に護衛を雇う事は当然の事であった。
金持ち相手の護衛業はこの島では結構な稼ぎとなり、その担い手も多い。町には多くの護衛業者が道行く金持ちに声を掛けては、景気の良い契約の声が町の出口近くで聞こえる。それがセッチの町の当たり前の風景だ。
レオンの父もそんな売り込みに声を掛けられ契約をし、いざ町を出発する事となったのだが、それが悲劇の始まりであった。
護衛は荷車4台、魔物ハンター崩れのような者達が其々に3人ずつ乗り込み、レオン達が乗る小さな部屋のような立派な荷車を中央に囲むような陣形で町を出た。そして街道が南北に分かれる地点に到達した時だ。
「おい、何故南へ行くんだ? 普段は休憩ポイントの多い北を通るだろう?」
レオンの父が御者に声を掛ける。その言葉の通り、荷車の列は予め決められていたように分かれ道を南へ向かったのだ。しかし御者は何も答えず肩を丸めるようにし、護衛の荷車達もそれに合わせるようにして走り続ける。
休みなく走り続ける荷車。やがて休憩も無く走る事を強要され続けたホーンスの足が止まると、そこは休憩ポイントも何も無い街道の真ん中であった。
すると周囲の荷車から護衛として雇った男達が降りて来てレオン達の乗る荷車を囲う。その手は腰に携えた剣の柄へと添えられていた。御者はそれに怯え逃げるようにレオンの乗る荷車の中へと駆け込む。
「君達…何のつもりだね…?」
レオンの父が家族を護るように前に出て問い掛けた。
「ふふっ、なぁに、俺達はちょっとばかし小遣いを恵んで欲しいだけでね? 下手な抵抗さえしなけりゃ生命まで取ろうってモンじゃない。」
男達の一人がそう言うと、レオンの父はチラリと背後に護る家族達に目を向けた。
「…幾らが望みだ?」
「父さん!?」
父の言葉にレオンは驚いたように声を上げる。しかしその時、レオンは父の手が後ろに回され、何かを求めるように小さく指を動かしている事に気付いた。
レオンは荷車の中に目を向ける。すると父の座っていた椅子の近くに、護身用として備え付けられていた剣が在る事に気付いた。普段は飾りとしての意味合いしか無く、それが戦う為の物である事を忘れていた程だ。
「へへ、殊勝だな。俺達が欲しい時に欲しいだけ恵んでくれれば良いんだ。」
「…話にならんな。」
レオンは外の男達から見つからないよう、父の背に隠れるようにそぅっと剣へと手を伸ばした。だがその時。
「おっと、お坊ちゃん。下手な真似はしないで下さいよ?」
そう口にしたのは御者の男であった。レオン、そして父もその声に驚き振り向くと、そこには妹トリシャの身体を抱えるようにして首元に短剣を突き付ける御者の姿が在った。
「何の真似だ!?」
父が声を上げると御者はビクリと肩を震わせる。しかし御者は額に冷や汗を浮かべながらも薄ら笑いを浮かべ、
「悪く思わないで下さいよ、旦那様。自分も脅されてるだけの身ですので…。」
そう言うと御者の背後でカチャリと音がした。荷車の後部は窓付きの扉のようになっており、その鍵を開けたのだ。まるで示し合わせたように扉が開くと御者はトリシャを抱えたまま後ろへと飛び退き、入れ替わるように『賊』の男達が姿を現し御者の姿を隠したではないか。
「…最初からそのつもりだったという事か…。」
側面の壁を背にし、背後に妻とレオンを庇うようにして父が左右に睨みを効かせながら苦々しく呟く。
「レオン、私達が隙を作る。お前は町まで走ってこの事をギルドに報せなさい。」
父は視線は向けず小さな声でレオンにそう言った。
「えっ…!? 父さん!?」
驚くレオンであったが、その直後、父と母は示し合わせたかのように頷くと荷車の前後から飛び出し、取り囲む賊達に飛び掛かった。
「行け! レオン!」
「貴方はやれる子よ!」
その言葉に覚悟を決めたレオンは唇を噛み締めると、賊達に取り囲まれ姿の見えなくなった父と母に背を向け、全力で走り出した。
「ぐあっ!」
背後で父の声が聞こえ足が止まりそうになるのを堪え、追っ手の声を背に走り続けるものの、子供の足では追い付かれる事は時間の問題であった。
已む無く街道を外れ森の中へと入り込むと、背の高い草が茂るその中は子供の姿を隠すには丁度良く、上手く追っ手の目を晦ませる事に成功する。
「ガキぃ! 何処に隠れたって無駄だぞ! もしギルドに駆け込んでみやがれ! テメェの家族がどうなるか解ってんだろうな!?」
追っ手の怒声が森の中に響くと鳥達がバサバサと飛び去り、草叢の中に隠れ息を殺すレオンの身体は縮み上がった。
だがそんな中、姿勢を低くしながら進むと突然に足元が無くなる感覚に襲われたレオン。それは森の中に無数に開いた天然の落とし穴であった。
「うわあぁ!?」
レオンの身体が丁度収まるサイズの縦穴を滑り落ちる。その穴は徐々に傾斜を付け幅を広げて行くと、やがて小さな洞窟の中へとその身が投げ出された。
自身が通って来た穴を見上げるものの、とても自力では登れそうにない。周囲に目を向けても明かりになる物等何も無く、しかし地上に通じる穴が無数に在るのか微かな光が射し込み、薄っすらとその内部の様子が窺える程度には視界が利く。
余りの状況に全てを投げ出したくなるレオンであったが、
「父さん、母さん…トリシャ…!」
己を奮い立たせるように口にすると、壁面に手を添えて洞窟の中を歩き始めた。
どれ程の時間が経ったのか解らぬ程に洞窟の中を彷徨う。内部は天井も低く歩くにも辛い。様々な蟲が住処として蠢くその中、時には地べたを這いずるようにして進むような箇所すら有りながらも、レオンは躊躇う事無く進んだ。
幸いなのは洞窟が小さいが故か、精々小さな獣こそ住み着いて居るものの魔物が居そうには無い事であった。
そして遂に何とか這い登れる程の傾斜の穴を見つける事が出来たレオンは、飲まず食わずで疲れた身体に鞭打ち、滑る地面に爪を立てて必死に外を目指した。
やがて地上へと戻る事が出来たレオンであったが、そこは未だに森の中。しかも洞窟の中をどう進んだのかも判らず現在地も把握出来ない状況であった。足元に注意をしつつレオンは背の高い草を掻き分け闇雲に進んだ。
時折り聞こえる獣の声に身を固めながらも、それでも何かに導かれるように前進を続けたレオンの耳に、その時、何処からか女性の話し声が聞こえて来たではないか。
『こんな森の中に?』
余りに現実味の無い出来事に幻聴でも聞こえているのではないかと自身を疑うレオンであったが、その声は確かに進行方向から会話のように聞こえていた。
意を決し声のする方へと足を進めたレオン。そして草の間から人影が見えた時だった。それまで張っていた気が抜けたのか、フッと意識が薄れるとその身体は地面へと倒れ込んでしまったのだった。
「…大体こんな処だね。」
櫻が読み取った記憶を大まかに説明すると、皆の表情が曇った。
「大変! 早くその家族の人達を助けなきゃ!」
アスティアが声を上げる。しかし、
「そうしたいのは山々だが、今はもう夜中だ。こんな中を荷車を走らせる事は出来ないし、森に入るのも危ない。先ずは一晩この子の様子を見る事にしよう。」
そう言って少年に目を向けた。
「カタリナ、済まないがテントをもう一つ用意してくれないかい? あたしはもう少し『活性』をかけてみるとするよ。」
「あぁ、解った。」
オートムントで購入した厚手のテントを荷車の奥から引っ張り出すとテキパキとそれを組み立て、あっと言う間に二つのテントが並ぶ。
「命、今晩はこの子に付いていてくれないか。目を覚ました時に混乱するかもしれない。事情を説明しておいて欲しい。」
「承知しました。」
小さく頭を下げる命に櫻も頷いて応える。
「さ、それじゃ明日は早くなりそうだ。アスティア、もう寝るとしようか。」
「はぁ~い。」
こうして櫻達がテントの中に姿を消すと、夜は更けて行った。
翌朝。櫻とアスティアがいつもの行為を済ませテントを出ると、そこにはカタリナと命に挟まれるようにして座るレオンの姿が在った。肩を落とし地面に視線を向けたまま、思い詰めたような表情を浮かべている。
「お。お嬢、おはよう。一応の話は聞いておいたよ。」
「おはようございます。ご主人様、お嬢様。」
「あぁ、おはよう。」
「おはよ~。」
四人の挨拶にレオンは顔を上げると、そこに立つ少女達に視線を向け、アスティアの姿にハッと目を見開いた。しかし、直ぐに妹では無いと認識すると落胆したように再び肩を落とした。
櫻はレオンの記憶を視た際に、妹のトリシャの姿を知っている。その容姿は金色のサラサラのロングヘアーに金色の瞳という、一見すればアスティアと見間違っても仕方の無いものであった。その身を案じる姿に自身も思わず共感してしまう。
そして櫻はその場に居る皆に向けて声を掛ける。
「さて、のんびりしている暇は無いよ。カタリナと命はテントの片付けを頼む。その他の片付けはあたしとアスティアでやる。食事は移動しながらで良い、サッサと出発しよう。」
パンッと櫻が手を打ち鳴らすと、皆が頷き行動を開始した。レオンはその様子に呆気に取られると、皆の行動を呆然と眺めていた。
促されるままにレオンも荷車に乗り込みキャンプ跡を発つと、その道すがら櫻達の自己紹介が行われた。
「改めまして、僕の名はレオン。セッチの町に古くから在る貴族の者です。あの…皆さんはどういった方々なのですか? 其方のお二人がご主人という事ですが、貴女方も何処かの貴族なのでしょうか?」
レオンは櫻とアスティアに目を向け、特にアスティアに対して強く視線を向けた。
「まぁ、そうだと思ってくれて構わないよ。それより災難だったね、賊に引っかかっちまうとは。」
「っ…はい。あの御者の男は10日程前に仕事を探していると自らを売り込んで来た者でして、父は快く受け入れたというのに…あのような不義理を働くとは…。」
グッと膝についた拳を握り締めるレオン。
「成程、最初から計画通りだったって訳だ。」
「えっ?」
カタリナが手綱を握ったままで呟いた言葉に、レオンは驚いたような声を漏らした。
「何だい、気付かないのかい? 随分とお人好しだねぇ。その男は最初からこうなるようにお前さんの家に入り込んだんだろう。ひょっとしてその男が来る前に『たまたま』今まで御者をしていた人物が辞めて行ったりしてないかい?」
続く櫻の言葉にレオンはハッとする。
「…確かにその通りです。急に故郷に帰らなければならなくなったと言って。」
「恐らくその男も何か弱みを握られたか、身内を盾にでもされたかもしれないね。」
「そっ、そんな!?」
レオンの純粋な反応に櫻は呆れたように『はぁ』と小さく溜め息を漏らすと、その時、レオンの顔の周りにチラチラとした何かが居る事に気付いた。
(ん…? これは…。)
それは精霊であった。小さな精霊がレオンの周りをふわりふわりと舞っているのだ。
(さっきまでは気付かなかったが、ひょっとしてずっと傍に居たのか…? だとすると、この子はこの精霊に好かれたのかもしれないね。)
「あ、あの、僕の顔に何か…?」
ジッと顔を見つめる櫻に、レオンは妙な迫力を感じ思わず背筋をピンと伸ばしゴクリと喉を鳴らした。
「ん、あぁ、いや。お前さん、精霊を見たり、声を聴いた事は有るかい?」
「え? いえ…。僕の父は霧の精霊、母は陽光の精霊と契約していますが、残念ながら僕と妹にはそのような能力は有りません。」
「へぇ、両親共に精霊術士なんだねぇ。」
(成程、精霊に好かれる程に人が好いからこそ、疑いもせずに困っているという人物は受け入れてしまう訳だ。そしてそんな両親に育てられればこそ、この子の心も純粋なんだろうねぇ。)
櫻は『ふむ』と小さく頷き、レオンの周りを飛び回る精霊を目で追った。
「あ、あの、僕の顔に何か…?」
再び繰り返す言葉に、櫻はクスッと笑みが浮かぶ。
「ん? あぁ、いや。お前さんもきっと精霊術士になるんだろうと思ってね。」
「…ひょっとして貴女も『真の貴族』なのですか?」
「『真の貴族』?」
突然のレオンの言葉に櫻はポカンとした表情を浮かべ、その言葉を聞き返した。
「はい。父が良く言っています。『真の貴族は由緒ある血筋で精霊に好かれるものだ』と。貴女も精霊が見えているのではないのですか?」
「まぁ見えては居るね。さっきからお前さんの周りを飛び回ってる小さいのが居てね? お前さんと話をしたいんじゃないかと思うんだが、声は聞こえないのかい?」
「えっ!? 僕の周りに!?」
レオンは思わず辺りをキョロキョロと見回す。しかし精霊と思しき存在を見つける事が出来ず、精霊もまたレオンに自己主張をしたいのか辺りを飛び回るものの、気付いて貰えず困ったようにふよふよと漂うばかり。
「ふふ、まだすれ違いって感じだね。何の精霊かは判らないが、その内にきっと通じるようになるだろうさ。」
そんな一人と一体の様子に、櫻は優しい眼差しを向けた。
道中はホーンスに櫻の『活性』を少しずつ施しながら、少々の無理をさせ速度を上げる。普段の倍近い速度で走るホーンスの姿に申し訳無くも、レオンの家族の現状を想うと気持ちが急いてしまう。
やがて太陽が真上に差し掛かった頃に街道脇に足を止め、2鳴き程の休憩を挟む事とした。
《ケセラン、ホーンスに『無理をさせて済まない』と謝っておいてくれないかい。》
《わかったー。》
幾ら『活性』を掛け続けているとは言え、ホーンスの息は荒く草を食む様子も弱々しい。
(今日はもうコレ以上無理はさせられないか…。)
櫻はそんな様子にそぅっとその逞しい身体に手を添え優しく撫でると、せめて残りの道程をいつも通りの速度で維持出来るようにと、出来る限りの『活性』をホーンスに施し、パタリと倒れた。
「サクラ様!?」
慌てて駆け寄るアスティアと命に驚きの表情を浮かべるレオン。
「全くお嬢は…。」
呆れたように頭を掻くカタリナはレオンの背を押すようにして荷車の陰へと誘導し、命に目配せをする。それを受けて命も櫻を抱き上げるとアスティアと共に森の中へ姿を消した。
程無くして先程倒れたとは思えないピンピンとした様子の櫻が姿を現し、その後皆が何事も無かったかのように昼食の準備を進める様を、レオンは呆気に取られたように眺めていたのだった。
昼休憩も済み再び荷車が走り始める。ゴトゴトと揺れる荷車の中、悪い考えばかりが頭の中に浮かんで来るレオンは、その考えを振り払うように小さく頭を振ると顔を上げた。
「あの、皆さんは護衛も無しに何方へ向かっているのですか?」
「ん…? あ~、あたし達は精霊殿を巡っていてね。今は火の精霊殿へ行く為に西大陸へ渡る船を探しにセッチの町へ向かう処なんだ。」
「巡礼の旅ですか。矢張り精霊術を使えるだけあって敬虔なのですね。そう言えば先程使っていた精霊術…アレは一体何の精霊なのですか? あのような精霊術は聞いた事がありませんでした。」
尊敬にも似たキラキラとした眼差しを向けるその姿に、
「お前さん。貴族の男子なら余り女性の素性を探るもんじゃないよ?」
櫻は少々後ろめたく視線を逸らし、ハハッと乾いた笑いを零して誤魔化す。すると、
「あっ、そうですね。失礼をお詫びします。」
と素直に頭を下げ謝罪を述べるレオン。その純粋な様子に周りを飛んでいる小さな精霊も楽し気に見える。そんな精霊がレオンの髪に触れると、その箇所がツンと立ち上がった。レオンもそれに気付いたのか、頭に手を添え、フと顔を上げるが当然そこには誰も居ない。
「…?」
不思議そうに辺りを見回すレオンの様子に、櫻は思わずクスリと笑みを零すのだった。
やがて陽が沈むまで走り続けた一行はその日も街道と森の間にテントを張った。レオンも居るという事で今度は最初から二張り用意し、薄く熱の籠り難い方をレオンに使わせる事とし、その日の晩は更けて行った。