森の中の少年
夢を見た。
それは遠い昔、まだ櫻が幼かった頃の記憶。
山間の小さな集落に在ったその家は里山を背負うように木々に囲まれていた。その縁側、母の膝に頭を預け暖かな日差しを受けて眠る櫻の頬を、優しい指先が撫でる。
サワサワと風に靡く木々の葉擦れの音や野鳥の鳴き声が聞こえると、櫻はピクリと眠りから覚めては再びスゥ…と微睡みの中へ沈んで行く。そんな様子に母がクスリと笑みを零したような気がし、櫻の瞼がゆっくりと開いた。
(あぁ…これは夢か…。)
そう理解しながらも、その幸せな誘惑に抗えずに覗き込む顔に視線を向けた。
しかしぼんやりと見えたその姿は不鮮明だ。
櫻は何とかその姿を確かめようと眠い目を開く。すると、そこには金色の美しい髪を優しく風に靡かせ、慈しむ金色の眼差しを向ける少女の姿が在った。
「母…。」
記憶の中の母とは似ても似つかぬその姿。しかしそう呟く櫻に、ニコリと微笑みが向けられると、櫻はそれだけで幸せな気持ちになった。
少女はゆっくりと顔を近付けると、その唇が触れる距離に迫った。櫻はそれを受け入れるようにソッと瞳を閉じると軽く顎を上げる。
「アスティア…。」
ポツリと口を衝いて出た言葉。そして直後、柔らかな感触が唇に触れた。
「わっ、サクラ様、くすぐったいよ!」
笑いを堪えるような可愛らしい声に櫻はハッと意識を取り戻した。パチリと開いた目の前には、可愛らしい臍が見える。そして唇に触れる柔らかな感触、それはアスティアのお腹であった。
「ハハハッ、お嬢が寝惚けるなんて珍しいな。何か夢でも見てたのかい?」
カタリナの笑い声に頬を染めると、櫻はそれでもゆっくりと身体を起こした。周りの状況を確認すると大きな岩の上、皆裸のままで先程から然程も時間は経っていない様子。
周囲からはサワサワとした葉擦れの音と野鳥の声が聞こえて来る。
(あぁ…この音が記憶を呼び起こしたのか…。)
全く植生の違う熱帯のような森を懐かしむように見つめた。そしてその視線をアスティアへ向ける。アスティアはきょとんとした様子でそんな櫻を見つめていた。
(母の夢を見てた気がしたが、ふふ、あたしもすっかり染まっちまったかね。)
アスティアの頬にそっと手を添えて微笑む。そんな櫻に、アスティアもニコリと明るい笑顔を返した。
「あたしはどれくらい寝てたんだい?」
すっかり乾いた身体に手を滑らせる。
「はい、1鳴き程度です。」
命が櫻とアスティアの下からクッションを回収するとそれらを膝に接続しながら答えた。
「誰かに見られたりはしてないのかい?」
離れた位置に見える街道に目を遣る。それなりに距離は離れており、この岩の上に居るのが人だとは視認出来たとしても、その姿が裸だとまでは認識出来ないだろうとは思える距離だ。ましてやこの世界では川で水浴びは旅人としてはそれ程珍しい事でも無い。このように身体を乾かしている者が居てもおかしくは無い。
しかしそれでも矢張り屋外で裸の姿で居る処を見られる可能性を考えると、櫻としては未だに少々気恥ずかしい物が有るのだ。
「あぁ、大丈夫だよ。誰も通っちゃいないからね。」
カタリナが脱いであった皆の服を手渡す。
「誰も?」
「そ、誰も。まぁ街道の様子から余程人通りが無いんだろうとは思ってたけど、これ程とはね。」
被ったケープから赤い髪を掻き上げるカタリナが周囲に目を向けながら言う。辺りには自然の音が溢れ、そこが人の居るべき場所では無いとすら思える。
「ふぅむ、人通りが少ない方をと敢えて選んだ道だったが、失敗したかな? まぁ今更引き返すのも馬鹿らしいし、そろそろ出発しようか。」
「あぁ、そうだね。」「は~い。」「承知しました。」
櫻の言葉に皆が頷くと岩から飛び降り、ケセランを留守番に残していた荷車へと戻った。
道中では森の中に生る果実等を摘まみながら小腹を満たし、やがて何事も無く日が暮れた。しかしその間も誰一人としてすれ違う者は居なかった。
街道と森の間にテントを張る。パチパチと焚き火の音が辺りに響く中、カタリナは周囲を警戒するように視線を向けながら鍋を掻きまわしていた。
「カタリナ、そんなに気を張る必要は無いんじゃないのかい? 危険な獣が居たとしてもケセランが居てくれるんだ。万が一の時には話を付けてくれるよ。」
アスティアの膝の上、櫻は頭の上に居るケセランに手を添えて見せた。
「ん…まぁそうなんだけどね。」
口ではそう応えつつも、カタリナの警戒は解けない。
(獣以外を警戒してるのか…魔物? だがそれにしては何時もよりも気が張っているような…。)
幾ら旅慣れたとは言え、カタリナは常に魔物の気配に気を配ってはいる。しかし今の彼女の態度はそれ以上に周囲にピリピリとした気を張り巡らせているように見えた。
そんな心配も杞憂とばかりに食事を済ませると、櫻は命に顔を向けた。
命は頬を紅潮させ、何かに耐えるように軽くソワソワとした態度を見せていた。そんな様子に櫻は優しい微笑みを浮かべると、櫻を抱き抱えていたアスティアの頬を優しく撫で、その膝の上から降りる。
そして命を引き連れて森の中へと入って行った。
櫻の姿が隠れてしまう程の高さの草を掻き分け、充分にテントから離れた事を確認すると、命は膝を地面に着けて櫻の目を真っ直ぐに見つめた。その瞳は色香を滲ませ潤み、見る者を魅了するかのようだ。
『コクリ』と櫻は喉を小さく鳴らし、一歩前へ進むとそっと命の両頬に手を添え、唇を重ねた。互いが迎え入れるように舌先が触れると、やがて熱い吐息が漏れ出る。
何度となく繰り返された行為ではあったが、それは慣れ飽きる処か回を重ねる度により深みに嵌るように身体を火照らせる。
そして体液の譲渡が終わると、命はスルリと衣擦れの音を立て、その美しい身体を森の中の空気に晒し、櫻の身体を抱き寄せた。櫻はその誇張し過ぎない柔らかな乳房をそっと持ち上げると、先端にチロリと舌先を触れさせそのままその姿を隠すように唇を被せる。
やがて口腔に甘美な美酒が広がり、それと共に耳元には甘く蕩けるような艶めかしい吐息が聞こえて来る。
唇に当たる柔らかな感触は得も言われぬ安心感を与えてくれる。それは年齢性別等関係無く、生まれた時から備わっている本能によるものなのだろう。
最初こそ躊躇いの有った行為ではあったものの、今では櫻もすっかりこの瞬間を楽しむようになり、時折舌先で突起を弾くように遊んだり甘噛みをしたりしては、漏れ出る甘い声を楽しんでいた。
やがてほろ酔い加減になって来た処で、
「なぁ命。今更こんな事を聞くのも何だが…こういう相手はあたしで良いのかい?」
と、唇を離し、先端から垂れそうな雫をペロリと舐め取り尋ねた。
「はい?」
命は言葉の意味が解らないという風に首を傾げる。
「いや…その、カタリナとは、どうしてるんだい?」
何処まで突っ込んで良いものかと櫻がモゴモゴと口籠る。すると命は漸く言わんとする事を察したようで、クスリと微笑んだ。
「お気遣い、有り難う御座います。ご主人様のお察しの通り、私とカタリナは良好な関係を築けました。ですがご安心下さい、それとこれとは別の事です。」
「そうなのか?」
「はい。この行為は私自身がご主人様にして差し上げたいからしているだけなのです。ですから、どうかお気になさらず。無論、ご主人様が乗り気で無いと言うのであれば私はその御意思に従います。」
そう言って脱いであった服を頭から被ると、その表情はまるで櫻の気持ちを知っているかのように柔らかな微笑みを浮かべていた。
心を見透かされているようで、目を丸くし、ほろ酔いに染まっていた櫻の頬が更に赤みを増す。熱帯の森の中を吹き抜ける生温い風は、そんな櫻を心地良く冷ましてくれた。
するとその時、ガサガサと明らかに何者かが草を掻き分けるような音が聞こえ、櫻と命は同時にその音の出処へ振り向いた。それと同時に『ドサリ』と何かが地面に倒れたような音が聞こえた。
二人は顔を見合わせ小さく頷くと、命が櫻を護るように先に立ち音の出処へと近付く。そしてガサッと背の高い草を掻き分けると、何とそこには人が倒れていた。
見ると齢14~16程度の少年のようだが、身形が良くそこそこの家の者と思われる。しかしその姿は森の中を彷徨っていたのだろうか、全身に擦り傷や切り傷を負い、衣服もあちこちが汚れ破れてしまっている。
櫻が傍へ寄り、その口元へ手を添えると掌に呼気が当たった。その様子に安堵の息を漏らすとその時、ガッと櫻の足首を掴む少年の手。途端、櫻の足にピリッとした刺激が走った。
「…っ!?」
思わず表情が歪む。
「ご主人様!?」
命が咄嗟に声を上げるが、櫻はそれを手で制した。
足元を見ると、その少年は既に意識を失っているのか掴んだ手からは力が抜けており、櫻が足を引くとそれは直ぐに離れてしまった。
「やれやれ、命とヤってると何故かこういう出会いが有るねぇ。」
櫻は呆れたように腰に手を添え、鼻で溜め息を逃がすと肩を小さく揺すった。
「…で、また拾って来たって訳だ。」
焚き火に薪をくべながらカタリナが呆れたように言う。
「しょうがないだろう? あのまま放置なんてしてたら森の獣の餌だ。流石にあたしがそれを見過ごす訳には行かないよ。」
命に独占されていた時間を取り戻すかのように櫻を抱き締め頬擦りをするアスティアの膝の上、櫻は地面に横になったままの少年に目を遣る。
金色の癖っ毛の髪に綺麗な顔立ちは、少々の化粧を施せば女性と言われても信じられるであろう程。その顔に付いていた擦り傷等は櫻が『活性』を施した事によって徐々にその痕を薄くしていた。
しかし意識は未だに戻らず、時折うなされるような声を漏らすのみだ。
「それにしても良い服を着てるねぇ。何処かの金持ちの坊ちゃんかね?」
「でもそんな子がどうして森の中で倒れてたの?」
服の裾を摘まみ上げて値踏みするように生地を確かめるカタリナに、アスティアは当然の疑問を口にした。
「…まぁ、考えられるのは移動中に荷車が襲われて何とか逃げ延びた…って処か?」
「襲われた…って、獣に? でもそれで森の中に逃げ込んだりするかなぁ?」
「無くは無いんじゃないか? 森の中は障害物だらけだ。逃げるにも足場は悪いが、追う方にとっても楽なモンじゃない。街道を真っ直ぐ走って逃げるのとどっちが逃げ切れるかって処だけど、まぁどっちにしても、こんな子供の脚で獣から逃げられたとしたら物凄い幸運だったね。」
「だが、こんな子供が一人で護衛も無しに出掛けたとも思えん。獣に襲われたのだとしても、その護衛や家族はどうしたのか、そもそも何故休憩ポイントの少ない南側を選んだのかが疑問になるね。」
二人の会話に櫻が口を挿んだ。
「まさか、魔物に襲われた…?」
「その可能性も否定は出来ないね。」
櫻が小さく頷くと、カタリナは周囲に気を巡らせ素早く警戒態勢に移る。だが周囲から聞こえる音は相も変わらず森の木々の騒めき、そして獣や虫達の声ばかりだ。
その様子に近くに魔物が居るとは考え辛く、カタリナの肩から力が抜ける。
するとその時、
「うっ…。」
少年が小さな呻き声を漏らし薄っすらと瞼を開くと、その中に金色の瞳が姿を見せた。
「おぉ、気が付いたか。何処か痛む処は有るかい?」
覗き込む櫻とアスティア。しかし少年は質問に答える事は無く、アスティアに虚ろな視線を向けると、
「トリシャ…無事…だったのか…。」
そう言って再び意識を失ってしまった。
櫻とアスティアがその言葉に顔を見合わせる。
「お嬢、どうにも状況がおかしい。ここは『視』た方が良いんじゃないかい?」
「あぁ、そうだね。」
カタリナの言葉に櫻は小さく頷き、少年の顔を見つめる。そして読心術を試みると、その記憶が流れ込んで来た。