分かれ道
ギャーギャーと賑やかな声と共に身体に纏わり付くような湿度を感じ、櫻はゆっくりと瞼を開いた。
心なしか身に着けている衣服が重く、肌に張り付くような不快感を覚える。
(う~ん…服を着て寝るのもある程度は慣れては来たが、この湿度は辛いねぇ…いっそテントの中でも裸になってしまおうか…。)
無意識に腕で額を拭うようにしながら何時ものカタリナの表情を窺い、続いて右側に顔を向けると、そこには普段と変わらないアスティアの寝顔。まるでこのジメっとした空気も気にならない様子の幸せそうな表情に、櫻も思わず微笑みが浮かぶ。
「アスティア、朝だよ。」
優しく肩を揺すりながら声を掛けると、汗一つかいていない綺麗な顔で眉がピクリと動き、スゥっと金色の瞳が姿を見せた。
「おはよう…サクラ様…。」
まだ眠そうな声でニコリと笑顔を浮かべる。
「あぁ、おはよう。」
釣られて櫻も笑顔が浮かぶ。互いを支え合い身を起こすと、櫻は徐に着ている衣服を脱ぎ全裸の姿になった。
「え? サクラ様、どうしたの?」
驚くアスティア。
「いやぁ、この蒸し暑さで服が張り付いて気持ち悪くてね…折角だし着替える前に、このままアスティアの朝食にしちまおう。カタリナ、済まないが風通しの良い服を出しておいてくれないかい?」
「あぁ、分かった。序でだしアスティアの分も出して来るか。」
そう言ってカタリナがテントの幕に手を掛けたその時。
「あ、それじゃサクラ様とお揃いのにして!」
アスティアは言うが早いか衣服を脱ぎ全裸の姿になり、そのまま櫻に抱き付くと首筋に舌を這わせ始めた。
「ふふっ、アスティアの身体は気持ち良いねぇ。」
ヒヤリとする体温が心地好く、櫻も思わずその身体を抱き締める。テントの生地越しに射す光に照らされる少女達の美しい素肌。そんな状況にカタリナは目を奪われると、
「あ~…服はもう少し後で良いかい?」
と、その光景を焼き付けるように目を見開き眺めるのだった。
「ほい、お待たせ。」
吸血を終えた後も櫻に抱き付いたまま首筋をペロペロと舐めていたアスティアがその声に振り向くと、そこに立つカタリナの手には真っ白なワンピースが2着。
ノースリーブの肩口等にフリルがあしらって有るが、全体的には至ってシンプルなデザインの物だ。
「お、ありがとうカタリナ。」
櫻がそう言って手を伸ばすと、アスティアは少々名残惜しそうにその身を離し互いに服を受け取り、頭からスッポリと被る。
「お~、良いね。生地も通気性が良くて気持ち良い。うん、コレならこの蒸し暑い森の中でも快適に過ごせそうだ。」
「えへへ、サクラ様とお揃い♪」
膝下丈のスカートを摘まみ上げる櫻と、嬉しそうにクルリと回るアスティア。テントを出ると陽の光に透けて見えるボディーラインに、カタリナも満足気にウンウンと頷く。その表情は何とも締まりの無いだらしのないものであった。
「おはようございます、ご主人様、お嬢様。朝食の用意は出来ていますよ。」
テントの傍では命が既に鍋を火にかけており、その中からは仄かな塩味を感じる香りが湯気と共に立ち昇っている。
「おはよう命。」
命は櫻の言葉に軽く頭を下げると、傍に用意しておいた手頃な大きさの石に敷物を被せる。そこにアスティアが座ると、更にその膝の上が櫻の特等席だ。
こうして櫻とカタリナの朝食も終わると、1鳴き程の食休みを挟む。
「お嬢、済まないがこの先で休憩ポイントがどの程度在るか、空から見てみてくれないか?」
テントを片付け始めながらカタリナが言うと、櫻は頷き、アスティアの胸に背中を預け静かに瞳を閉じる。そしてその意識は『風の意識』となり空へ舞い上がった。
ぐんぐんと視界が広がり、大きな山を中心とした島の全体像が見えて来る。雲の下、森の中に在りながらもしっかりと見える街道は、多少曲がりくねりはするものの山を迂回する南北のルートで円を描くように島の中を通っていた。そしてその途中には休憩ポイントと見られる広場がポツポツと、森を切り開いたようにして木製の塀に囲われるように点在している様子が見える。
(ひぃふぅみぃ…ふむ、結構在るもんだね。それにしても広い森だねぇ。東大陸の森程の密度は無いが、広さだけなら『古代の森』にも匹敵するんじゃないか?)
そしてそのまま街道を辿り島の西側に目を向けると、恐らくは次の目的地である『セッチ』の町が海辺に見え、その周辺は切り開かれたのか元々そうであったのか、森の木々も無く緑豊かな畑が広がっていた。
(おぉ…この島の大部分の作物はこっち側で育ててるのか?)
感心しながら意識を身体へと戻すと、スゥ…と櫻の瞼が開いた。
「お、お帰り。どうだった?」
「うん、北ルートは5ヵ所、南ルートは2ヵ所程の休憩ポイントらしい広場が在ったよ。あと南ルートには途中に結構広めの川が流れていたね。」
身体を預かっていたアスティアの頬を撫でながら報告する。
「ふぅん、となると、多分人通りが多いのは北側か…お嬢、どうする?」
「…そうだねぇ、南ルートにしておくか。」
未熟な神である櫻の行く先には、神気に惹かれた瘴気や魔物が寄って来る可能性が高い。その為、休憩ポイントは水の補充等以外では使う事は極力避けるつもりであったが、人通りの少ない道を選ぶ事で万が一の被害を抑えつつ、尚且つ人通りが少ないからこそのトラブルが起きた場合には何がしかの助けになれるようにという考えも有った。
「それに、川が在れば水浴びも出来るからね。」
寝汗でベタついた腕に鼻を近付け、スンスンと嗅いでみる。
「了解だ。それじゃそろそろ出発とするか。」
既に荷物は荷車に積み終えていたカタリナはそのまま御者席へ座り、櫻達も乗り込む。そして手綱の音が森の中に『ピシッ』と鳴ると、荷車は南に向けて走り出した。
「なぁお嬢。今更だけどさ。お嬢は精霊殿に一瞬で移動出来るんだろう? 地上を旅するのが重要だってのは解るけど、先ず全部の精霊殿に跳んで、主精霊様達に力を授かってから旅に戻るんじゃ駄目なのかい?」
コトコトと走る荷車の御者席の横、アスティアの膝の上に座る櫻にカタリナは横目を向け尋ねた。
「あぁ、それは無理だよ。あの瞬間移動は、其々の主精霊達と精霊殿が各属性の精気の糸で繋がっているような物で、それを利用するらしいんだ。だから各精気を操れるようになる…要するに各主精霊と契約をした後で無ければ使う事は出来ないんだ。だから先ずは自分の足で向かわなければならないのさ。」
「へぇ…よく解んないけど意外と不便なんだな。って事は、お嬢は今なら風の精霊殿と光の精霊殿になら一瞬で行ける訳だ。」
「理屈ではそうだけどね。今跳んだりしたらまた此処に戻る手段が無いし、風の精霊殿の祭壇に跳んだりしたら人目に付いて騒ぎになっちまうよ。」
そもそも元来、現在精霊殿と呼ばれる施設はファイアリスが唯一神であった時代、この惑星の上で肉体を持って活動していた頃に各主精霊に手軽に会いに行けるようにと創った物だと言うのだ。
やがて人類が誕生し、世界各地でその建造物が発見されると自然とその周囲に町が出来上がり、やがて転移して来る神の姿を度々見かける事から自然と神と主精霊への崇拝・信仰の対象となり、現在に至るのだと言う。
「へぇ~…あの建物は神様が創った物だったのか…道理で頑丈だし、どうやって造ったのか解らない訳だ。でも神様が姿を現すなんて話は今初めて聞いたよ?」
櫻の話にカタリナだけで無くアスティアも興味深げに耳を傾ける。
「あぁ、何でも今から1万年以上も前に既にその機能を使う神は居なくなっていたらしいんだ。」
「へ? 何でだい?」
「だって考えてもご覧よ。あたしみたいな『人』の姿をしてればまだ良いが、獣の神みたいなデカい獣が突然あの中に現れたらどうなると思う? それに魚の神なんてあの中に納まりきらないだろう。そうやって、あの周りに『人』が住み着くようになってしまった為に実質使えるのが『人類の神』だけになってしまって、それでは不公平だという話になったんだとさ。それで使われなくなって、やがて代を重ねた神々はその使い方を知らなくなった…という事らしい。」
(まぁ実際には代を重ねた神なんてそうそう居ないんだろうがね…アマリみたいな自然の神は死なないだろうし、植物の神もまだ1代目みたいだし、魚の神もかなりの長生きらしい…使い方を知らなかったのは地上で生きる動物…『人』『獣』『虫』くらいなんだろう。)
「確かになぁ。あの獣の神の姿が突然目の前に現れたらアタイだって驚いたもんな。町の中に突然出てきたら大混乱だ。」
ハハハとカタリナは楽し気に声を上げた。
「でもそんな封印されてたモノを使ってボク達を助けに来てくれたんだよね、サクラ様は。」
櫻を抱くアスティアの腕にキュッと力が込められる。
「あぁ、あの時は本当に助かった…あの機能が無ければ、今頃どうなっていたか…。ファイアリスには感謝してもし切れないよ。」
そう言って櫻がアスティアの頬を優しく撫でると、アスティアもそれに応えるようにその掌に頬擦りをした。
それから半日程、小休止を挟みつつ街道を進むと最初の休憩ポイントで水を補充し、更に先へ進むとやがて日が暮れる。
街道の脇に荷車を停め、その日の野宿準備をする事となった。
「人通りが少ないとは思っていたが、まさか誰とも遭遇しないとは思わなかったねぇ。」
荷車から降りて背伸びをする櫻がポツリと零す。人が通る為に粘土質の土で舗装されている筈の街道ですらも草がピョンピョンと飛び出し、その周辺に至ってはぼうぼうに延びた草が街道にまで頭を出す有様だ。
「まぁ普通の旅人なら休憩ポイントが多いルートの方が安心出来るからね、北側を通るのが普通なんだろうさ。護衛を連れての旅は休むのにも広い場所が必要になるからね。」
「確かに、あんな大所帯じゃ、こんな道と森の間に寝泊まりするのは辛いか。」
オマインの町を出た時にすれ違った一団を思い起こし、櫻は小さく頷いた。
街道脇とは言え、直ぐ後ろを見れば森の木々が生い茂り、その奥からは獣達の声が聞こえて来る。櫻達にはケセランが居る為直接襲われる心配は薄いが、一般の人々にとってはその声が聞こえるだけでも安眠出来るものでは無いだろう。
休憩ポイントが出来る場所には大前提として水が湧き出ている事が挙げられる。無闇に島の中を開拓しても意味は薄いのだ。その為に南北でこのように差が出てしまうのは人の手ではどうしようもない事でもあった。
(ま、此処は獣や虫達の生活圏って事か。人が安全な土地を独占してるんだ、せめてそれ以外の部分は彼等の自由が保障されてなきゃ、他の神が黙ってないだろうしね。使わせて貰っている事に感謝しなきゃ。)
《ケセラン、済まないが食事は少し後にして薪拾いに付いて来てくれるかい? 獣と出会った時に無用の争いは避けたいからね。》
《はーい。》
こうしてその日の晩は平穏無事に過ぎて行った。
翌日。櫻達が街道を西に向かい進んでいると昼近くになった頃に大きな川に差し掛かった。
「お、これか、お嬢が言ってた川は。」
御者席のカタリナは荷車を街道脇に寄せ、その流れに目を向けた。川は思いの外幅広く流れは少々強めに見えるが深さ自体はそれ程でも無いように見える。周囲は開けた河原になっており、至る所に大きな岩がゴロゴロとし、川岸の物は濃い緑色の苔で覆われている。
「ふ~む、空から見た時には何ともしなかったが、この流れで水浴びをするのはちょっと厳しいか…?」
櫻も覗き込むようにその川の流れを見る。
「いや、この程度なら何とかなるさ。」
カタリナはそう言うと荷車から降り、少し奥まで行くと川の流れに手を差し込み小さく頷いた。そして徐に周囲に転がる少し小さ目の岩を抱え上げると川の中へ放り込み出したでは無いか。
「おいおい、何をしてるんだ?」
櫻は呆れたように尋ねる。
「お嬢が溺れないように、ちょっとね。」
そう言う間に川の一部が底上げされたように浅くなり、それと共に流れを緩やかにするように小さな壁が築かれた。
「…お前さんは器用な事をするねぇ。」
「へへっ、折角の水浴びの機会は逃したくないからね。多少は努力するさ。」
ニッと爽やかな笑顔を見せるカタリナの頬に、一筋の汗がキラリと輝いた。
「ま、折角カタリナが頑張ってくれたんだ。有り難く水浴びさせて貰おうか。」
そう言って櫻がアスティアの膝の上から地面へ飛び降りると、その後に続いてアスティアが、そして荷車の中から命も降りる。
ジャリジャリと河原の石を踏み締める音を立てカタリナの元へ集まった皆は、早速服を脱ぎ捨てると、川の中へ飛び込んだ。
「お~、ちょっと冷た過ぎる気もするが、この蒸し暑い中じゃ気持ち良いもんだ。」
「ハハッ、お嬢、溺れるなよ?」
そう言ってカタリナは櫻の背後に回ると、その身体を支えるように腋に手を差し込んだ。幾ら堤防を築いたとは言えそれは小さく簡易的なもので、直ぐ横には強い本流が流れているのだ。油断をすれば小さな櫻は直ぐに身体を攫われる。
「お、済まないね。」
「なぁに、気にするなって。ミコトはアスティアが流されないように支えておいてやりなよ。」
「解りました。」
命もカタリナの言葉に頷きアスティアの身体を支える。
「わ、ありがとうミコト。」
「どういたしまして。」
こうして堤防を背にしたカタリナと命、その胸に背を預ける櫻とアスティアは川の流れで自然に洗われ、サッパリとした身体で川辺から少し離れた位置に在る大きな岩の上に皆で天日干しのように横たわり、太陽の熱と山から吹き下ろす風で身体を乾かす。
(あ~…何だかこうしてると自分も自然の中に溶けるみたいだ…。)
季節的には冬と言っても差し支え無い筈の中、小春日和のような心地よさに櫻は裸の身体を大きく開き自然の中に身を晒すと、瞳を閉じ周囲の音に耳を傾ける。川の流れ、森の騒めき、獣や虫達の声。そして精霊達の囁くような声も聞こえる。
(あたしは人類の神としてこの地に送られて、人の価値観で物を考えちまう。けど…こうしていると人も自然の一部だと感じる…。『人類を護る』…か。それは結局、人類がどうなる事が正解なんだろう…。)
そんな事を考えていると、不意に櫻の頬にフワリとした感触。スゥと瞼を開くと、そこには櫻を覗き込むようにアスティアの顔が在り、その金色の髪が陽の光でキラキラと輝き櫻の頬を撫でていた。
「サクラ様、眠いの?」
無垢な眼差しでそう尋ねるアスティアに、櫻はフッと笑顔を浮かべた。
「あぁ、そうだね。こうも気持ち良いと少しウトウトしちまう。アスティア、少し膝枕、して貰っても良いかい?」
「うん! どうぞ!」
アスティアはニコリと笑顔を浮かべ元気な声で頷き、太腿をポンポンと叩いて見せた。
「それでしたらご主人様、お嬢様もコレを敷いて下さい。岩の上では身体を痛めてしまいますよ。」
命は両膝から先を取り外しクッションを作り出すと二人の下へ挿し入れた。見た目は薄いものの、ゲル状のクッションは岩肌に直接触れるものとは段違いの快適さを生み出す。
「ありがとう、命。」
櫻はそう言ってアスティアの太腿に頭を預けると、スゥと瞼を閉じた。そのヒヤリとした体温に安心感を覚え、思わず頬擦りをし、スベスベとした肌触りと、細くともしっかりと柔らかな感触を堪能する。
「あはは、サクラ様、くすぐったい!」
「ふふ、ごめんよ。それじゃ少し休ませて貰うよ。」
「うん、お休みなさい。」
アスティアの白い指先が櫻の頬に掛かる白髪をサラリと撫でると、櫻は母に甘える子供のように微笑みを浮かべ、眠りに落ちた。




